10
そして9月28日になった。壮馬ははやる気持ちを抑えながら病院へ向かった。
休憩室にはいつものように雫が居て、タブレットで絵を描いていた。壮馬もいつも通り隣に座る。
「あ、壮馬くん。いらっしゃい」
「こんにちは」
壮馬はやけに低い声で言い、テーブルの上にプレゼントが入った紙袋を置いた。
「ひょっとしてこれ、プレゼント?」
雫は両手で口を押えている。目は輝いていた。
「勿論」
「本当? ありがとう! 中身、出してみて良い?」
「良いとも良いとも」
雫は早速、紙袋に手を伸ばした。
「姉ちゃんと一緒に選んだ自信作だよ。絶対に雫が喜んでくれると思うよ」
「えー、何何? すごく楽しみ!」
雫の細い手が、紙袋から小花柄のワンピースを出した瞬間、固まった。急に雫の表情が落ちた。
まるで放心したように、取り出した物を眺めている。
動かない雫の様子を見て、壮馬も流石に何か様子がおかしいと気付いた。
「雫? あ、もしかして趣味じゃなかったかな? 一応姉と相談しながら選んだんだけどさ、やっぱり女子の服選ぶのって難しいな」
壮馬が頭を掻きながら様子を伺っていると、雫は出したワンピースをそのまま袋に戻した。
「ごめん、要らない」
「え?」
壮馬は一瞬、雫の言葉に耳を疑った。もしかすると、雫は今回買ったプレゼントを気に入らないかもしれない、という予想は頭の片隅には置いていた。だが雫の性格上、気に入らなかったとしても、そんな突き放すような言い方をするとは想定していなかった。
「要らないって……やっぱり気に入らなかった? いや、でもこれ雫に似合うと思うよ。着てみたら絶対可愛いって」
壮馬は雫の心情を測りかねていた。子供の機嫌を取るように優しく話しかけた。しかし雫の表情は変わらない。
「持って帰って」
雫は自分の前にあった紙袋を壮馬の方へ滑らせた。壮馬の方を見ようともしなかった。流石に納得出来なかった。壮馬なりに時間をかけ、姉や友人の協力を借りて選んだ物を、ちょっと見ただけで突き返されるのは非常に心外だった。
「要らないのは分かったけどさ、そんな言い方しなくても良いじゃん。ね?」
再び優しく話しかけた、その時。壮馬の胸に、紙袋が突き返された。紙袋が床に落ち、静かな休憩室に異質な音を立てた。
他の利用者たちが話声を止める。注目が壮馬たちに集まっている。
「雫……?」
壮馬は自分がされたことに理解が追い付かず混乱していた。まじまじと雫の顔を見つめた。
「私の身体、見てよ」
雫は病衣を肘まで捲ってみせた。今度は壮馬の表情が固まった。雫の腕は、華奢を通り過ぎて、皮膚の上に骨が浮いて見えていた。静脈の上には注射の後が幾つもあり、血も滲んでいた。その姿は育ちざかりで、肌艶の最も良い10代の少女とは程遠く、まさに病人の腕だった。
雫は壮馬を凝視していた。睨まれてはいなかった。その表情は張り裂けそうな痛みを潜ませていた。
「壮馬くんは私が描いたキャラクターに服を着せてあげてる理由、覚えてないの? 言ったじゃない。私じゃ可愛い服を着れないから、描いたキャラクターに着せてあげてるんだって……。そんな可愛い服、着たくない。骸骨みたいな私が着たって可愛くない。不気味で、惨めで、悲しくなるだけ!」
雫の声は震えて掠れ、目からは大粒の涙が溢れていた。
壮馬はその時、ようやく自分が犯した失敗に気付いた。雫はファッションが好きだ。可愛い服も好きだ。でも、それを自分で着こなすことは出来ない。世の女性たちのように、服がに合うよう自分の体重や体型をコントロールすることも出来ない。ただ何も出来ず、痩せ衰えていく自分の身体を感じていくのが、思春期の少女にどれだけ辛いだろう。
そんな雫の元に「お前に似合う服を持って来た」と無神経に服のプレゼントを持ってくる奴が居たら、彼女はどう感じるか。それは目の前で起こった出来事が一番良く物語っていた。
「雫、ごめん! 俺はそんなつもりじゃなくて……」
壮馬は真っすぐ頭を下げた。それ以外に出来ることが思いつかなかった。
「帰って!」
雫は泣きながら、首を振るだけだった。壮馬はどうして良いか本当に分からなかった。いつもは饒舌な壮馬だったが、今は雫を慰める言葉が見当たらなかった。彼女を深く傷つけてしまい、壮馬は動揺していた。
「雫ちゃん、どうしたの?」
後ろから声がした。振り返ると看護師の仲村さんが小走りに近づいて来ていた恐らく、ただならぬ空気を察して、休憩室の誰かが呼んでくれたのだろう。
「壮馬くん、雫ちゃんちょっと混乱してるみたいだから、今日はもう帰ってあげて? ごめんね。ここは私が何とかするから」
壮馬は呆然としていたが、
「雫、ごめんな」
と尚も泣いている雫に声を掛けると、地面に転がった紙袋を掴んで逃げるように休憩室を出た。