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見た人のその世界を旅させる絵が素晴らしい絵の条件だと聞いたことがある
深い青に浮かぶ空に、見慣れぬ雲が浮かんでいた。一見すると、それは飛行機雲の切れ端のようにも見えた。その細長い雲は、赤に、青に、黄色に、さまざまな色を帯びて輝いていた。
まるで細長いキャンバスを一杯に、ピカピカ光る絵の具で色づけていったかのようだった。
「あれが虹雲かぁ、初めて見た」
加藤壮馬が頬杖を付いてぼーっと外を眺めていると、頭に軽い衝撃が走った。
「壮馬、あんたリハビリサボってこんな所で何してんのよ」
見舞いに来た母親が丸めた雑誌を片手に持っている
壮馬は大げさに頭を抱えて痛がる。
「痛ぁい! 救急車呼んでー」
「ここ病院でしょ」
ため息をつく壮馬の母。
「じゃあパトカー呼んでー。令和の時代に体罰で解決しようとしてる人がいるよー」
相馬がこの病院に入院しているのは、サッカーの部活での怪我が原因だった。
と言っても、彼が骨折したのは練習終わりに調子に乗ってサッカーゴールに登っていたら足をすべらせ、足を変な形で着地させてしまったからで、完全な自業自得だった。もっと言えば、少し入院が長引いているのは壮馬がリハビリをサボりがちだったからでもあった。サボってやっていることと言えばスマホゲームで、壮馬は学校に行けないのを良いことに、毎日ゲームばかりしていた。
口うるさい看護師や母親を避けるために、壮馬はあらゆる階を逃げ回っていた。この入院棟七階の休憩室も、壮馬が入室している階ではなかった。
「あんた、ちゃんとリハビリしないと足の形変わっちゃうわよ。入院する時『リハビリだけはしっかりやる』って約束だったでしょ」
「やるやる。今ちょっと休憩してただけだよ。それにさ、ギプスで固定してるんだから骨が曲がるわけ無いじゃん」
母親は半ば諦め顔だった。彼が適当なことを言ってその場を乗り切ろうとするのは今に始まったことではなかった。
「もう、いっつもいっつも約束破ってばっかなんだからあんたは。サッカーも本気でやるとか言って、お父さんに高いスパイク買ってもらったのに、練習はサボってばっかりだし、たまに練習行ったと思ったら骨折だなんて」
「いやちゃんとやるって。三年最後の試合、俺は必ずハットトリックを決める! 俺は結果は出す男だからね」
「はいはい」
「あの」
細い声がした。少女の声だった。
壮馬は母親と二人で顔を見合わせる。次に休憩室内を見回してみた。
左端の席に、タブレット端末を見つめる少女がいた。タッチペンを持って画面を操作しているようだった。
髪が腰にかかるほど長く、肌は白、というより青白いに近いのかもしれない。彼女の肌を見た時始めに「透明」という言葉が頭をよぎった。歳のほどは壮馬と同じくらいかもしれない。
「静かにしてもらえますか」
少女はタブレットに目を向けたまま言った。
「あら、ごめんなさいね、お邪魔しちゃって。ほらあんたも謝りなさいよ」
頭をがっちりと掴まれ、無理やり少女に向かって頭を下げさせられる。
「痛たたたた! ……ごめんなさい」
顔を上げた時、壮馬は初めて少女と目が合った。どこまでも見通しそうな黒く大きな瞳だった。気を抜いちていると吸い込まれてしまいそうな、そんな魔力を秘めている。
壮馬は慌てて目をそらした。顔が熱い。
壮馬はもう一度彼女の方を見た。と言っても、今度はそろそろと、気付かれないように横目でだった。
彼女は再び机の上に置いたタブレット端末を覗き込んで画面を操作していた。
指の動きからして、ネットサーフィンをしているわけでも、ゲームをしているわけでもなさそうだった。壮馬は俄然彼女に興味が湧いてきた。
「それ、何してるの?」
「すみません、教えたくありません」
少女はこちらを向こうともしなかった。
「知らない人に馴れ馴れしく話しかけるの辞めなさい」
壮馬はそこでリハビリ室に連行されたため、彼女との会話は途切れてしまった。しかし壮馬はリハビリをしている時も、その後病室に戻ってからもずっと、休憩室で見た少女のことが頭の片隅から離れなかった。
彼女の存在に興味を惹かれていた。
夜、暗い天井を見つめながら、どうやら自分はあの子に一目ぼれしたようだ。と気付いた。