3.待つ人(3)
「宿主に聞いたよ。確か10年前に居なくなった娘さんがいるって」
「何だいあの子は客にそんな話をして回ってるのかい。まったく困った娘だ。確かにメランは10年前に居なくなった孫だよ。当時まだ7歳だった」
「何で居なくなったんだい?」
「そんなこと私が1番知りたいさ。あの日あの子はここに座って、いつもの様に宿にお客を呼び込んでいたんだ。私と娘は宿の中で雑用をしてた。本当にいつもと何も変わらない1日だった」
「気づいたら居なくなっていた。ってこと?」
「そうさ。陽が傾き始めたから中に入るように、呼びに行くとメランはここから居なくなっていた。最初は近くで遊んでいると思って大して心配していなかった。だけどあまりにも帰りが遅いんで娘と2人で必死に探し回ったけど見つからなかった」
ハーランは遠くを見つめて話している。記憶を辿っているのだろうか。時折表情が悲しげに変化するのが見受けられた。
「街の外に出て行った可能性は?」
「無いだろうね。この街の出入り口は東に1つ西に1つだけで、入るにも出るにも検問所を通らないといけない。検問所にも確認はしたが、そんな子供は通っていないっていわれたよ。それに街のみんなで三日三晩探し回ってそれでも見つからなかったんだ。一体どこに行ってしまったのか皆目検討も付かないよ」
「誰かに拐われたなんてことはないのかい?」
「もちろんそれも考えはしたよ。だが街には結界が張られていて転移魔法の類は使えないし、隠して検問所を抜けようにも人1人運ぶのはそう簡単じゃない。……まったくどこにいるのやら」
「ここで毎日帰りを待っているのかい?」
「……どうだろうね。帰りを待っているのか、思い出に浸っているのか、懺悔しているのか。それともその全部なのか。こんなに歳をとっても分からないことや悩みがあるだなんて若い頃は思わなかった」
ハーランの言い分が正しいとするならば、彼女の何倍、何十倍と生きている私はさらに全知でなければならなくなる。しかし現実はそうではないのだから時間の経過、老いとともに成長すると言ってもそれは各々の個体次第といったところだろう。
私の様に長い時を生きたとしても、その大半の時を1人でただ過ごした者と、彼ら人間の短い寿命でも常に何かを学んだ者とでは明らかに後者の方が知識面では秀でている。
それにしても孫のメランはハーランにとっては大切な存在だったのだろう。
人間の寿命はおおよそ80年。10年は彼ら人間にとって人生の8分の1の時間、私の生に換算すれば数100年だろうか、それとも数千年だろうか。私自身でさえそれは分からないが、それが途方もない永さであることはわかる。
そんな永きを生きる私でも、彼らにとっての10年が長い月日であることは分かる。同時に魔族である私と人間である彼らとの隔たりも再認識した。
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気づけば日課となったクルスとの特訓を終えて宿に戻ると、ハーランと昼食を摂ることがこれまた日課になった。そんな日が早くも一週間経った。あれ以来メランの話題が私たちの間で話されることはなく、取り留めない会話をしながら食事する日々を送っている。
「ところでお前さんらはいつまでこの街にいるんだ?」
ハーランが何気なく投げかけてきた質問に、私は「さぁ、私にも分からない。明日かもしれないし来週かも」とだけ答える。思い違いかもしれないがハーランの表情が少し儚く見えた気がした。
宿の入り口横の椅子に座ると目の前に見える大通りには、老若男女様々な人たちが無数に行き交う。楽しそうに腕を組んで歩く若い男女、子供の手を引いて怒りながら先を急ぐ女。1人淡々と無表情で歩く杖をつく老人、大きな荷物を辛そうに持った旅人らしき青年。
いつもの様にハーランと共にそんな通りを眺めていると、見覚えのある顔が通りを横切った。この街に訪れてすぐに私に菓子を与えて悪態をついたあの男だ。
男は辺りを気にしてキョロキョロと、視線と首を動かして歩いている。男の表情からその行動が恐怖心からではなく警戒心からであることが読み取れる。
「今日もここで食事かいアシス。ハーランさんと仲良くなったみたいでよかったね」
宿から出てきたセインが嬉しそうに話しかけてきた。
「そうだね。いつも美味しいサンドイッチをご馳走になっているよ。ところで聞きたいことがあるんだが。私たちが街にやってきた時、レイネにボコボコにされた男を覚えているかい?知っていればあの男がどうなったか知りたいんだ」
「あぁ、彼の事ならあの後治安部隊の人から報告されたよ。何でも前から色々と悪質な事を繰り返していたみたいで、街から追い出したみたいだよ。でもそれがどうかした?」
『なら何故今そこを通ったんだ?』それを言えばセインは彼を追うことはわかっていた。だからその言葉は心の中に留めた。
「いや、ふと思っただけだよ。私は少し用事を思い出したからお暇させてもらうよ。セイン、時間がある様なら私の代わりにハーランさんと食事をしてくれないかい?せっかくのサンドイッチもまだ余っていることだし」
「時間はあるからいいけど、僕が食べてもいいのかな?」
恐縮するセインにハーランは無言でサンドイッチを差し出しセインもそれを受け取った。そして一口は頬張ると「美味しい」と目を輝かせた。
そんな2人のやり取りを見届けてから私は、通りに出て男の後を追った。まばらな人流の中で男を見つけるのに然程苦労はなかった。何せあれほど辺りを気にしながら歩く者もそうはいないからだ。
周りに気をつけているつもりでも、自分自身が周りからどう見られているかを考えないなんて何とも間抜けな奴だ。男は街の外れまで歩くと一際周囲を警戒しながら古いレンガ造りの建物に入った。
外から観る分には特に変哲のないただの二階建ての建物。ただ人の気配はなく廃墟のような雰囲気がある。男の後追って入り口の扉を開けると、錆びついた金属が建物の中に響いた。
中に入ってすぐ大きな部屋が広がっている。部屋の隅に寄せられた無数のテーブルと椅子、さらに部屋の奥のカウンター席の向こう側には調理場が見える。恐らくここは昔酒場かレストランでもしていたのだろう。
耳を澄ますが物音は聞こえない。私は魔力探知の反応がある2階に進む為に階段を探すと、部屋の奥に埃が積もった階段を見つけた。
階段には上り下りした痕跡がある。足跡からわかる靴の種類とサイズから複数人ではなく誰か1人が何度も行き来して出来た可能性が高そうだ。
恐らく2階にはあの男がいるのだろう。さて果たしてあの男は黙って人の話を聞くのだろうか、そう考えるとその可能性の低さに気づき近くに倒れていた埃だらけの竹箒を拾って埃を払った。
長さはいつもクルスとの特訓で使用している木剣と同じほどだ。それを手に私は階段を登った。子供の身体の私が登っても軋むほど、階段は劣化しておりいつ崩壊してもおかしくなさそうだ。
2階に上がってすぐ壁の死角にあの男がいる。恐らく待ち伏せをしているつもりなのだろうが、魔力探知でバラバラだ。待ち伏せをするにしても私ならもう少し上手くやるが。
これほど間抜けな醜態を晒すとは、もしや彼ら人間は魔力探知を知らないのではないか。それとも魔法が扱えない者は魔力を所持していないとでも思っているのか。それは不明だが魔力探知に関しても口外は控えた方が良さそうだ。
階段を登り切ると死角から飛び出した男が、振りかぶった棍棒を私の頭目掛けて力一杯振り下ろした。
なんて遅い攻撃なんだ。セインやクルスの万分の1の速度もない。この男があの2人と同じ種族だとは信じられない。いや、むしろ逆なのだろう。あの2人がこの男と同じ種族なのがおかしいのであって、本来の人間とはこの程度が標準であると考えるのが普通か。
振り下ろされた棍棒は男の狙い通り、私の頭部に直撃した。痛みはもちろん重みも何の工夫も感じられない粗末な一撃だ。しかし妙だ。先日レイネに曲げられた腕が元の状態に戻っている。
「満足したか?」
「お、お前この間のガキか⁈何でこんなとこに」
男は怯えながら後退りをする。逃げるのかと思ったが思い直したのかもう一度棍棒を振りかざすと、今度は顔面目掛けて振り抜いた。
棍棒が当たる直前私は手に持つ箒を前に突き出し、持ち手部分で男の喉をひと突きした。すると「がポォっ」となんとも情けない声が男の口から奏でられると地面に倒れて転げ回った。
「別に痛くもないんだが、不快であることに変わりはないからね。もう少し考えて行動した方がいいぞ君は」
どうやら男の耳には私の助言は届いていないようだ。まるで羽をもがれた虫の様にひたすら地面をのたうち回っている。何と無様な生き物だろう。