2.外の世界(2)
標高の高い山に囲まれた街道を進むと、高い外壁に囲まれた風の街フーラが見えてきた。この街は山々から流れ込む強風から街を守るために高い外壁が建てられている。と道中レイネに教えられた。
「やーっと着いたな。俺はもう腹ぺこぺこ、喉はカラカラだぞ。早いところ酒場に行こうぜ」
「まずは宿の手配をして風呂じゃ。まさかその悪臭を漂わせたまま酒場に行くつもりかクルス?」
「悪臭?そりゃあ俺じゃなくてお祈りとやらで、焚いてるあのクッセー煙がじいさんの体に染み付いた臭いだろ」
「アホか。あの香木は一欠片で金貨一枚はする高級品じゃぞ。学のないお前さんにはやはり物の良さが分からんみたいじゃな」
この2人はいつも重要とは思えない事柄で喧嘩をする。まだそれほど長い時間を過ごしていないが、何度も同じことを繰り返すのでさすがに私も慣れてきた。
街の入り口に向かう途中、突然吹いた強風で私の長い髪が乱れ狂い顔に覆いかかった。とても不愉快だ。これまでの生活では問題に思ったことはなかったが、旅立って気がついた。長い髪は邪魔になるということに。
一層の事バッサリ短く切ってしまうか。何て考えを巡らせていると「まったく髪ぐらい括りなさいよアシス」そう言ってレイネは自分の髪を束ねている髪留めを外した。
そして乱れた私の髪を後ろで一つにまとめて、外したばかりの自分の髪留めで括った。「どう?動きやすくなったでしょ」レイネに言われて顔を横や縦に振ってみるが、彼女の言う通り先ほどまでの煩わしさが解消されている。
「たしかに動きやすくなったよ。だけどこれを私に渡すと君の髪が邪魔にならないかい?」
「大丈夫よ。髪留めならまだいくつも荷物の中に入っているから、それはアシスにあげるわ」
どうやら彼女のおかげで髪を切る手間が省けたみたいだ。視界に毛髪が入らないと何やら世界の見え方が変わった様にも感じる。
入り口には何やら武装した者が数人待ち構えており、街を訪れた者達が何やら列を作っている。
「セイン。あれは何をしているんだ?」
「あれは街に入る為の検問所だよ。悪人や魔物なんかが街に入らないようにああして調べてるのさ」
「なるほど。だが私は人ではなく魔族だが入れるのか?」
「入れる街もあるけどこの街は恐らく魔族の立ち入り禁止だろうね。でもアシスなら問題なく入れるよ。並の魔族は僕達人間と見た目が違う者も多いけど何故か君みたいな高位の魔族は、僕達人間とほとんど外見が変わらないからね。まぁ君の場合その赤い瞳が少し特徴的だけど大して問題じゃないさ」
どうやら昔師匠に話を聞いた時と今とでは、多少魔族と人間の関係性も変わっていそうだ。私達が長い列の最後尾に並ぶとクルスが深いため息を吐いた。
「なぁ、セイン。俺たち一応名の通った勇者一行なんだぜ?わざわざ列に並ばなくても門番に一声かけたらすぐ街に入れる。それなのに何でいつもいつも長時間かけて並ぶんだよ」
「地位や権力を無闇に行使するのはダメだよクルス。緊急事態なら話は別だけど、今はそうじゃないだろ?小さい子供や身重の女性、老人に商人。誰だって関係なくみんな並んでるんだから僕達も並ばないとね」
クルスはまた大きなため息を吐いたが、それ以上の愚痴は言わずに大人しく列に並んだ。私達が門番の審問を受ける頃には辺りを夕陽が照らしていて、やけにクルスの腹の虫がグーグーとうるさかった。
セインが勇者と身分を明かすと審問はものの数秒で終わり、私たちは問題なく街へと入ることが出来た。高い外壁に作られた大きな門を抜けた先には、多くの人が行き交う通りに、規則正しく並んで建てられた高さのある建物が目に入る。
これほど多くの人が集まっている景色を見た記憶が私の中にはない。そして老若男女様々な人々が右に左にゾロゾロと移動するその様は、地べたを行き交うアリの姿と重なった。
「改めて外の世界へようこそアシス。何か感想はあるかい?」
目移りする私の背後からセインが問いかけてきた。
「そうだね。初めて目にする光景に圧倒されているよ」
「あまり驚いている様には見えないね。まぁそもそもアシスは感情を表に出さないか」
「そうかい?これでも十分驚いているんだけどね」
どうやら私は喜怒哀楽といった感情の表現が薄いようだ。自分自身ではわからなかったが、言われてみればたしかに表情豊かな彼らに比べて、私の顔にはそれが乏しいように感じられる。それが種族間の違いなのか、私個人がそうなのかそれは定かではないが。
私は4人の後を着いて行き交う人々に混ざり通りを歩く。路の両脇には多くの露店が並んでおり、人々が賑わっている。「おーい。そこの嬢ちゃん」ふと声のする方へ顔を向けると、露店の人間が私に手招きをしている。
私は露店に近寄り「どうかしたか?」と問う。「嬢ちゃん甘いものは好きかい?」満面の笑みで話す中年の男は手に持つ甘い香りのする物をこちらに差し出してきた。
「甘い物は好きだが、私は男だぞ」それを聞くと中年男は「そりゃあ悪かったね坊ちゃん。まぁそう怒らず甘い物でも食べなよ」そう言って手に持った食べ物を私の手に握らせた。
別に私は怒ってなどいない。やはり周りから見ると私はそれほどムスッとしているのだろうか。私は男に促され手渡された甘味を一口食べた。
口に入れた瞬間にフワフワとした食感に果実とは違う圧倒的な甘さが口いっぱいに広がった。
「美味い。これは何という食べ物なんだ?」
「カーステラってんだ。卵や砂糖をふんだんに使った高級菓子だ」
「そうか。とても美味いからまた食べに来るよ。美味い菓子をありがとう」
そう言ってその場を離れようと男に背を向けると、ガッと肩を掴まれた。
「おいおい坊ちゃん。また来てくれるのは構わないが、その前に今食べた分の金は払ってもらわないと困るぞ。お代は金貨1枚だ」
「金?お前が勝手に私に渡したのだろ?」
「渡したのは俺でも食ったのはお前だろうが。いいからさっさと親を連れて来い」
何を言っているのだこの人間は。勝手に手渡し食べろと言ったものを食ったら、今度は親を連れて来いだと?
「生まれてから今まで、一度も親には会ったことがないな。だからここに連れて来れない」
「ッチ。お前孤児か。クソッ、ハズレかよ。まぁいい孤児でも売れば幾らかにはなるだろ。着いて来いガキ」
男は私の手を乱暴に握ると、何処かに連れて行こうとグッと引っ張った。しかし私を動かすには到底及ばない力だ。
「なんだこのガキ⁈動きやがらねー」
男は繰り返し何度も私の手を引っ張り、それでも動かないものだから私の服の胸ぐらを掴んだ。このまま引っ張られては服が破けてしまう。面倒はごめんだが仕方がない。私がそう思い行動を起こそうとした瞬間、私の服から男の手が離れた。
そして次の瞬間「ギャッー」と情け無い悲鳴が響く。先ほどまで悪態をついていた男は地面に転げ回り私の胸ぐらを掴んでいた手は可動域を超えてあらぬ方向にひん曲がっている。
「ウチのアシスに何してくれてんのあんた」
目の前には私と男の間に入って転げ回る男を、鋭い目つきで見下すレイネが立っていた。そして肩に手を置かれたので振り返ると、セインが真剣な表情を浮かべている。
「アシスは……大丈夫だよね。でもあっちは止めないと死んじゃうなぁ」
セインの視線の先には転げ回る男を、繰り返し足蹴にするレイネがいた。それを遅れてやってきたクルスとゴランが必死に止めてようやく騒動は治った。
慌てて駆けつけた街の治安部隊にセインが事情を説明すると、治安部隊は男を連れて行くだけで私たちにはお咎めはなかった。
「もう。ダメじゃないアシス。ちゃんと私達について来ないと。怪我とかしてない?」
心配するレイネにクルスが言う。
「だからそいつは元々魔王だって。たかだか一般人にどうこうできる訳がな——」
話の途中でレイネの拳がクルスの頬を打ち抜き倒れた。そしてレイネの容赦ない追撃がクルスを襲う。その様子をゴランが高笑いして見物している。まったく騒がしい連中だ。
「アシス。少し話したい事があるから着いてきてくれ」
そう言ってセインは騒がしい3人を他所に、私を人気のない路地裏へと連れ出した。