2.外の世界(1)
「ようやく深緑界を抜けたぞ。まったく老体には辛いわい。お前さんは大丈夫かアシスよ」
街道沿いに出ると、魔力を使い果たしたゴランが精魂尽きて地面に座り込んだ。
「問題ない。それにこれだけの距離を、よくこんな短時間で抜けたものだと感心していたよ。転送魔法がこんなにも便利だとは思わなかった」
「確かに便利ではあるが大量の魔力を必要とするし、一度に移動できる距離も限られおる。さらに移動するには事前にマーキングを付けなくてはいけない上、そのマーキングを使えるのは一回こっきりとコスパの悪い魔法でもあるんじゃ」
なるほど。彼らが私の土地を訪れた時、転移魔法ではなく徒歩でやってきた理由がわかった。深緑界に足を踏み入れた者の動向を、私は常に魔力感知で監視していた。
彼らが深緑界に入ってから数日間掛けて、私の住まいがある最奥の地を訪れたのはそのマーキングとやらがなかったからか。
「みんなお疲れ様。もうすぐ暗くなるだろうし、今日のところはこの辺りで野営して街へは明日向かおう。それに何よりこれ以上の移動は、ゴランじい様の寿命が縮みかねないしね」
休憩を取るみんなに向けてセインが話す。口が達者そうなゴランなら言い返しそうなものだが、どうやら精魂尽き果てて反論する気力も無さそうだ。
野営の場所を確保するとレイネは夕食の準備を、セインとゴランは簡易的なテントの組み立てに取り掛かる。私がただその様子を眺めていると、クルスが話しかけてきた。
「おうっ、アシス。暇そうだな。今から薪を集めに行くからお前も手伝え」
断る理由もないので、私は素直にクルスに着いていくことにした。しかしこの勇者一行は全員どういった思考回路の持ち主なのかと疑問に思う。ほんの数日前に殺し合った私を、何の疑いもなく受け入れている様をみていると受け入れられているこちらが不安を覚える。
クルスは林に向かうと辺りを見回して、間引くのに適した樹木の前に立ち背中に背負った大剣を構えた。そして私を少し離れた場所に移動させ「そのまま下がっていろよ」と言うと、目にも止まらぬ速さで自身の身の丈程度の大剣を振るった。
神速の剣技といっても差し支えない。それほどにクルスの剣は速い。速さだけで言えばセインと比べても遜色はない。
「ほらっ。さっさと集めて帰るぞ」
クルスは大剣を背中に背負い直して、辺り一面に散らばる薪を集め紐で縛り付けると私の背に背負わせた。小さくなった身体ではなかなか大変な量ではあるが、何とか運べなくもない。
それにクルスは私が背負う何倍もの薪を抱えている。それを見てしまっては弱音を吐くなど、とても私のプライドが許さない。
野営地に戻ると既にテントは張られており、夕食のいい香りが空腹の腹を刺激する。まず最初にレイネが薪を背負う私に気がついた。
「ちょっとクルス!私はあんたに薪を集めに行けって言ったのよ。何で身体の小さなアシスに薪を背負わせてるのよ?」
「何でって暇そうにしてたから連れて行っただけだろ。それにそもそもこいつは見た目こそ幼くなったが、元々はあの【孤高の魔王】なんだぞ?薪を運ぶなんてどうってことないだろ」
レイネは大きく振りかぶると手に握りしめたお玉クルスに投げつけると、見事に彼の頭部にお玉は直撃した。クルスは「あぎゃっ!」と情け無い声を上げて後ろに倒れ込んだ。
「そんなの関係ないわよ。私はあ、ん、た、に。薪を集めに行けっていったの。アシスが元魔王だろうが何だろうがそんな事は関係ないわ」
凄むレイネの姿を見て、激怒した時の師匠の面影を見た。やはりこの世には怒らせてはいけない人種が存在するのだと再認識できた。
暖かな焚き火を囲んで、相変わらず騒がしい食事を5人で食べる。クルスはレイネにお玉を投げつけられ頭に出来た大きなタンコブを、食事の席で見せるとお玉を投げつけた張本人であるレイネを含めた3人は大笑いしていた。
食事を済ませ食器を片付けると、その後の時間はそれぞれ自由時間となる。レイネは焚き火の灯を頼りに読書。クルスとゴランは秘蔵の酒で仲良く晩酌をしている。
普段2人ともお互いを罵っているので仲が悪いのかと思っていたが、酒を飲み交わす今の様子をみているとどうやらそうではなさそうだ。
私は1人焚き火から離れた場所で、満天に広がる星空を見上げている。不思議なことに空に広がるこの景色は私が今まで深緑界で見上げていた空と変わらない。
見上げる場所は変わっても、見上げたその先に広がる星空は同じなのだと知った。深緑界を出た先には人が作った街道こそ現れたが、それ以外は何の変哲もない平野が広がっている。
私達の野営地の周りを魔力感知で探ってみると、小さな反応こそチラホラと見受けられたが、敵となりえるほどの存在は確認できない。
私は魔力感知で野営地から離れた場所に、1人で居るセインを見つけ興味本位で足を運んだ。
感知した場所では星明かりの元で1人聖剣を振るうセインがいた。聖剣を振るうたびに周辺の土が舞い上がる。「アシスか。どうかした?」私に気づいたセインは汗を拭ってこちらに近寄ってきた。
「どうもしていないよ。ただ食後の散歩をしていたら君がいたんで見ていただけさ。君は毎日そんな風に特訓しているのかい?」
「特訓なんてそんなたいしたものじゃないよ。アシスの食後の散歩と一緒で食後の運動ってところかな。それよりどうだい?初めて森の外に出た感想は」
「深緑界と違って木がない平地が広がっていて、走りやすそうだと思ったよ」
「そりゃそうか。外に出たと言ってもこの辺りは街道以外なにもないからね。でも街に行けばきっとアシスも驚くさ」
街か。確か人が集まって暮らす場所の事だったか。1人で過ごすことが常だった私には、今の5人での行動さえ慣れないのに、まるで想像ができない暮らしだ。果たして街とはどんなものなのか興味深い。
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朝目覚めてるとまず身支度を済ませ、5人で朝食を軽く食べた後すぐに街に向かって出発した。私とレイネ以外の3人はまだ意識の半分を、夢の中に残しているようでその足取りはフラフラと頼りない。
「本当にウチの男どもは戦う事以外からっきしダメな連中ばかりね。それに比べてあなたは食事の用意も手伝ってくれて、あいつらみたいにだらしなくないし。本当にアシスが一緒に旅についてきてくれ助かるわ」
「迷惑でなかったのならよかったよ。あと念の為に言っておくと幼くはなってしまったけど、これでも私は一応男だよ」
「あら、ごめんなさい。綺麗な髪と顔立ちだからついつい忘れてしまっていたわ。まぁそんな細かい事気にしなくていいじゃない。それよりも朝ごはん少なかったでしょ?よかったらこれ食べなさい」
レイネはカバンから果実を取り出して、私の方に優しく放り投げた。受け取ろうと手を構えた時、肩から掛けているカバンの中から何かが飛び出し宙に浮かぶ果実に飛びついた。
突然の出来事に驚いたレイネは「キャッ」と声を上げ後ろに転びそうになった。それを咄嗟に駆け寄ったセインが抱き抱えて助けた。
レイネは我に帰ると顔を真っ赤に染め、慌てた様子で助けられたセインに早く降ろせと催促している。クルスとゴランは先ほどまで眠たそうにしていたのが嘘のように、ニンマリと口角を上げて2人のやり取りを観察している。
私は先ほど投げられた果実に視線を移すと、そこには無我夢中で果実を貪るリスの姿があった。果実ごとそのリスを拾い上げると見覚えがあるリスだと気づいた。
「お前もしかしてカバンに隠れてついてきてしまったのか?」
頭に小さな一本角。さらに若葉に馴染む緑色。やはり私が日頃から餌を与えていた巨木に住むリスで間違いないなさそうだ。
リスを見た他の4人は驚いて固まっている。とりわけゴランなど口を大きく開けて後退りまでした後「アシス。その【ラタトスク】を知っておるのか?」と恐る恐る尋ねてきた。
「【ラタトスク】ってなんだ?こいつは昨日餌をやりに行って会えなかったリスだ。昨日話したからセインは知っているはずだが」
「アシスよ。そやつはリスなどではないぞ。ワシも初めてお目にしたが、そやつは教会の古い聖典にも書かれておる【ラタトスク】そのものじゃ」
ゴランの言うことが正しければこいつはリスではないのか。確かに角と毛色が特徴的だと思ってはいたが、それ以外は特に変わった点などなかった。しかし彼らの反応からこいつが随分珍しい生き物だと言う事は何となくわかった。
「よくわからないが、このリスを連れているとまずいのか?」
ゴランは頭を悩ませながら他の3人と少し話し合いをしてから答える。
「まぁ【ラタトスク】を知っているのは教会の中でも年寄りや一部の者ぐらいじゃ。おいそれと見せびらかさなければ問題ないじゃろ。だがアシスよ。そやつを連れて行くのなら、念の為人目につかんよう普段はカバンに入れておれ」
私としても厄介ごとは避けたい。「どうする?ついてくるか?」肩掛けカバンの口を開けてリスに問いかけると、話を理解したのか果実を抱えたままカバンの中に大人しく入った。
「フォッフォッフォ。しかしまさか神話に出てくる【ラタトスク】をこの目で拝めるとは思ってもみなんだわ。長生きはするもんじゃな」
ゴランは嬉しそうに笑っているが、私にとってはこれまで気まぐれで餌を与えていたリスでしかない。それはこれからも変わらないだろう。
「ゴ、ゴホンッ。それでアシス。その子の名前はどうするの?」
レイネがまだ頬を赤くしたまま聞いてきた。名前。ちょうどよかった。私もこのリスに名を付けるべきなのかと考えていた。【ラタトスク】と呼ぶには少し長いし味気ない。
「それじゃあ【ラタトスク】の最初の文字と最後の文字をとってラック。ラックと言うのはどうだろう?」
「ラック。ラックか。私はなかなかいい名前だと思うわよ。みんなはどう?」
レイネの問いかけに他の3人も賛成して、晴れてリスの名前はラックに決まり、人間4人と魔族1人の旅路にリスが1匹加わった。