1.孤高の魔王(2)
「おー。ようやく来やがったか。先に食っちまおうと思ったんだが、レイネの奴がうるさいんで待っててやったんだぞ。さっさと座れ座れ2人とも」
線の細い身体にハチマキを巻いて、髪を逆立たせている男が私達を急かす。私はこの男のことも知っている。その見た目に反して自らの身の丈程の大剣を、まるでフォークやナイフでも扱うかの様に軽々と振う勇者一行の厄介な剣士だ。
「これクルス。少しは落ち着けと日頃から言っているであろうが。すまんな、本人は悪気がある訳では無いので許してやってくれ。ただ思ったことがすぐに口から出る可哀想な奴なんじゃ」
蓄えられた白髪の長い髭を撫でながらクルスを嗜める老人。この老夫も知っている。迅速な回復魔法や補助魔法を行うだけでなく、戦闘時に広い視野で状況を把握して仲間に的確な指示を出す勇者一行の厄介極まり無い僧侶だ。
「ったく指示は戦闘時だけにしろってんだよゴランのじいさん。あまり人に説教ばかりしてるとすぐにボケ老人になっちまうぞ?」
「日頃から指導してやっとるからお前さんはまだ捕まらずに、お天道さんの下を歩けておるんだぞクルスよ」
更にゴランに食ってかかろうとするクルスを、両眉の端を吊り上げたレイネの一喝が止めた。
「あんたらいい加減にしないと今後二度と食事の用意してやらないからね」
立ち上がっていたクルスはこの一言で、大人しく自分の席に腰を下ろした。同じくゴランも口を閉じその場はようやく治った。
我が家の食卓で何をしているのかと、呆然と事の顛末を眺めているとセインは私の肩にそっと手を置き「さぁ、食事にしよう」と私を席に座らせた。
テーブルには私が今まで自分で作っていたモノとは毛色の違う料理が並べられている。パンにスープ、あとは何かしらの肉と野菜を焼いたであろう料理だ。
初見ではあるがその料理が醸し出す香りは、私の空になった腹を刺激した。いつもの食事と変わらずスプーンを手に取り、スープを掬い口に運ぼうとしたところで気がついた。
勇者一行は両手を組み合わせ瞳を閉じている。そしてセインが呟く。
「この食事に感謝を」
セインに続いて他の3人も同じ様に呟くと、瞳を開けて食事を始めた。
「今のはなんだ?」
素朴な疑問を投げかけるとセインは微笑んだ。
「感謝の気持ちを祈りで伝えたんだ。この食事の為に奪った命にね」
人間とは不思議な事をする生き物だ。生きる為に食べる。その為には命を奪うのは当然だろうに。何故その当然のことに感謝するのか私には理解できない。
気を取り直して掬ったスープを口に運ぶ。何とも言えない豊潤な味わいが口の中いっぱいに広がり「美味い」がつい口から溢れ出した。
それを聞いたレイネは突如立ち上がると、無言のまま食卓に背を向けて席を離れた。そしてすぐに戻ってくるとその手には大鍋が抱えられており「いっぱい食べなさい」と言いながら私の皿にスープを継ぎ足した。
「おいおい、ちょっと褒められたからって差別が過ぎるだろレイネ。俺にも入れてくれ」
「あんた達には感謝の気持ちが足りないのよ。特にクルス。あんたは道端の雑草だろうが腐った肉だろうが、何を食べても美味いとしか言わないから作り甲斐が無いのよ作り甲斐が。もっと私の料理に感謝しながら食べなさいよあんた達」
巻き込まれるのを恐れてか、セインとゴランは我関せずを貫いてひたすら食事に没頭し話を聞く素振りさえ見せない。その様子を見たレイネの表情はさらに険しくなった。
延々と続く彼女の説教に最後は3人が謝罪することで一応の終わりを見せた。
「食事中に騒がしくてすまなかった。うちではいつもこんな感じなんだ」
申し訳なさそうに謝罪するセイン。私としては気にしていなかったのだが、久しく騒がしい食卓と縁がなかったので多少の困惑が表情に出ていたのかと反省した。
「別に構わないさ。ただ1人で食事をする期間が長かったから少し面食らっただけだ。それにしてもこんな騒がしい食事が毎度だと疲れないか?」
「ははっ。確かにその通りだ。だけどうちでは食事だけに限らず、いつも大抵騒がしいからもう慣れてしまったけどね」
彼らの今の姿を見ていると、とてもじゃないが私を討ち破った者たちとは思えない。だが戦闘に共通する特徴もそれぞれ随所に見られる。
レイネの矢継ぎ早な話し方はまるで彼女が扱う攻撃魔法の様に、多彩で尚且つ連射性に優れている。
クルスの豪快な話し方と乱暴な性格は、多少の反撃を意に返さず相手を攻撃するスタイルそのものだ。
ゴランは常日頃から状況を把握する習慣があるみたいで、上手く立ち回る為か常に周囲を気にかけている。
そして最後、私の胸に聖剣を突き立てた男。勇者セイン。この男に関しては今の所、掴みどころが無いと言う他ない。
「それで。君達は何故私の家で食事をしているんだ?用が済んだのならもはやこんな辺境の地に居る意味はないだろ」
それまで騒がしく食事をしていた4人は、私の言葉を聞いてピタリと止まった。そして互いに顔を見合わせると姿勢を正したセインが代表して話を始めた。
「すまなかった。まだ話の途中だったのを忘れていたよ。何処から話せばいいのか……。僕達はある王国からの依頼であなたを。【孤高の魔王】アルスを討伐しにこの地に訪れたんだ」
「討伐しに来たのは知っているさ。何せ討伐されたのだから」
私の返答を聞いたセインは気まずそうに話を続ける。
「僕達に依頼が来た時に聞いた話では、定期的に王国の街々に現れては無差別に人々を殺戮する冷酷無比な魔王。さらに王国が長年かけて開拓した深緑界の奥地にある鉱物採掘の地を占領して、王国に被害をもたらしている悪の化身であると聞かされていたんだ」
全くもって身に覚えのない話だ。私はこの地を離れたことがないのだから。その離れたことのない土地をどうやって他者から奪うのか疑問だ。
唯一事実に則しているのは、この地には多くの鉱物が眠っているということぐらいだろう。私も調理道具や家具などが必要になる度に鉱物を掘り出している。
しかしその話を聞いてある程度は理解した。私の知らない何処かの誰かが、この地に眠る鉱物を欲したのだろう。そしてその為にはこの地に住まう私が邪魔だった、ただそれだけの話だ。
「自衛のために人を殺したことはあるが、奪う為に人を殺したことは無いよ私は。まぁ、信じるかどうかは君次第ではあるのだけれど」
「わかっているよ。だからこそ僕はあなたに【奇跡の雫】を使ったんだ。本当ならあなたに謝罪をしてすぐにでもこの地を離れるべきなのだろうけど、なかなかそうはいかない事情がある」
言い淀むセインを見て大方の予想はつく。
「私にこの地から出て行けというのだろ?」
「申し訳ないが……そうだ。もしも僕達が討伐に失敗したと王国に知られれば、間違いなく新たな刺客が送られてくる。恐らくはあなたを殺すまでいつまでも。だから僕達があなたを討伐したことにしてあなたを逃すのが、唯一あなたを助けられる手段だと僕は考えている」
「君から見ても私に勝算は無さそうか?」
「力を失った今のあなたでは、とてもじゃないが無理な話だ。恐らく王国の騎士団ともまともに戦えない。それに万全だったとしても、当代の勇者は僕以外にも存在する。彼等と対峙すれば負けずともあなたもタダでは済まないはずだ」
私を倒した男の言うことだ。概ね間違いはないだろう。どうやら1人静かにこの地で暮らす、という私の望みは叶いそうもなさそうだ。
さてどうするべきか。この地に留まり送り込まれる刺客の相手をしながら余生を過ごすか、それとも永らく過ごしたこの地を離れるか……。
「何処か行く当てはあるかい?」
「私はこの地を出たことがないと言っただろ?そんな者に行く当てがあるとでも?」
私の答えを聞いたセインは他の3人に目配せすると、3人は大きく頷いた。セインはそれを確かめると私の方を見返して微笑んだ。
「もしよかったら僕達と一緒に旅をするっていうのはどうだろう?もちろんあなたが嫌なら無理強いは出来ないけれど、外の世界を知らないあなたの力になれると思うんだ」
外の世界。確かに一時期は外に出ようと思ったことがなかったわけではない。だが時が経つにつれて、そういった考え自体しなくなっていた。
過去の記憶を巡るとふと思い出した。師匠が亡くなる直前に「自分の目で観て、自分の耳で聴いて、自分の足で歩きなさい。そして自ら考えて答えを出しなさい。わかりましたか?アシス」そう言われた事を。
なぜ今の今まで忘れていたんだろう。恐らく師匠の能天気な性格を受け継いだのが要因の一つであることは間違い。
しかしそれでも師匠の最後のいいつけならば、おいそれと破るわけにもいかないだろう。そう考えれば答えは最初から決まっている。
「私は——……」