3.待つ人(5)
星明かりを厚い雲が遮る夜。人々の生活の灯が消えると街には暗闇が広がる。その暗さは私が暮らしていた森の中の深い闇とよく似ていた。
私は1人で宿を抜け出し、街の治安部隊が駐在する兵舎へ向かう。街中に人の姿はないが念の為誰にも姿を見られないように注意を払った。
兵舎の入り口には眠たそうに、大きなあくびをした男が1人門番として立っている。私は物陰に隠れて地面から石を拾い上げ、明後日の方角にそれを投げた。
すると石は壁に当たり音を立てる。門番は身体をピクリと反応させると音がした方へと恐る恐る近寄る。男が入り口から離れたその隙に私は兵舎の中に侵入した。
兵舎の中は深夜だと言うこともあり、皆眠っているのか物音一つ聞こえない。私は屋台の男から聞いた賄賂を受け取っている男が、いつも居るという部屋に真っ直ぐ向かう。
部屋に着くと扉の隙間から灯りが見える。聞き耳を立ててみると中からはイビキが聞こえた。音を立てないようにゆっくりと扉を開けると、部屋の隅に置かれたソファに横たわる影が一つ目に入った。
ソファの周りには酒の空き瓶が何本も散乱しており、盛大に酒盛りしたことが伺える。酒盛りするにしたってもう少し綺麗に飲めないものかとため息が漏れる。
ソファで眠る男を持ち込んだロープでソファに縛りつけ、顔には姿を見られないように布切れをかけたが目を覚ます気配はまるでない。なんとも平和ボケした連中だ。これがこの街を守る存在だと言うのだから呆れてものが言えない。
床から中身が残っている酒瓶を拾い上げ眠る男の顔にかけて目を覚ます前にソファの裏に身を隠した。男は慌てて起きると身動きが取れない事に気が付きロープから脱出しようと体を捩る。
「誰だ⁈こんなことしやがったのは。遊びじゃ済まさんからな。さっさと解け」
男が大声で喚き散らすので、死角から手を伸ばして口を塞いだ。
「君うるさいよ。夜も深いんだ寝ている人の迷惑になることぐらいわかるだろ?手を離すけど騒いだら足の爪を一枚ずつ剥がす。わかったら一度頷け」
男は小刻みに震えながら小さく頷いた。手を離すと口を塞いでいた手のひらに男のヨダレが付着している。本当なら即座に手洗い場で入念に洗いたいところではあるが、そうもいかず男の衣服で手を拭いた。まったくどれだけ興奮しているのだこの男は。
「お前誰だ?俺に何の用だ?」
私の言っていることは理解しているようだ。男は小声で話をした。
「少し聞きたいことがあって尋ねただけだよ。別に君に危害を加えるつもりは今の所ないから心配はいらない」
「聞きたいこと?ならわざわざこんな事しなくても普通に会いに来いってんだよ」
「普通?配慮したつもりなんだけどね。昼間に堂々と会いに来て君が受け取っている賄賂に関して聞きたい。なんて公衆の面前で声高らかに叫べばよかったのかい?」
「お前……。誰に聞いたんだそんな話」
「君が私の質問に素直に答えてくれたら教えなくもないよ。それと付け加えておくけど私は君の悪行についてどうも思ってないし、ましてやそれを他言するつもりもない」
男はそれを聞くと少し間を空けてから「何を知りたいんだ」と観念したように答えた。
「主に私が聞きたい事は二つ。一つ目はこの街で長年続いている行方不明者に関して。君何か知ってるでしょ?」
「何だそれ?行方不明者?知らんな。1年間でこの街を離れる人間や、新しくこの街に入ってくる人間がいったい何人いると思っているんだ。行方不明と騒ぐ奴らの大半は大方この街が嫌になって出て行ったんだろうよ」
何の情報も持たずに男の話を聞けば、その言い分にも一理あるように聞こえる。しかし情報を持った上で話を聞くと何とも流暢に、そして自然に嘘が口から出るものだと感心する。
「無駄なやり取りは出来ればごめんこうむりたいのだけどね。人買いがこの街を出入りしていりしているって事は既にある男から聞いて知っているんだ。いつから彼らはこの街で人を買っているんだい?」
「何のことだかさっぱりわからんな。わからんことには答えられん。今回は見逃してやるから、さっさとこれを解いて消え失せろ」
面倒な。人間とは全般的に要らぬ押し問答が好きな種族なのだろうか。それともこの押し問答には私の知らない利点があるのか。利点があるにしろそらを知らない私からすれば面倒この上ない話だ。
男の足元へ移動して靴と靴下を脱がせ裸足にする。次に小指の爪を摘んで引っ張りペリッと爪を剥がすと男は「ぎゃっ」と声を上げたのでまたもや手で口を塞いだ。
「確かに危害を加えるつもりはないとは言ったけど、必要なら話は別だよ。私は君を痛めつける事に関して何の躊躇もない。だけど面倒だとは思うから素直に質問に答えてはもらえないかな?」
男は何度も何度も大きく首を縦に振った。そんなに簡単に了承するのなら、初めから話せばいいものをいちいち面倒な男だ。男の口から手を離すとまたも手にはべっとりとヨダレが……。
「わわわわ私が始めた事じゃないんだ。奴らとの取引はこの街の治安部隊長に代々受け継がれていて、就任が決まると次の者に役割が引き継がれるんだ。だから私だってやりたくてやってるわけじゃ」
「君がどんな心情だったかなんて興味はないけど。大方金銭のやり取りはあるのだろ?それを受け取っておいてやりたくなかったは流石に通用しないんじゃないのかい?まあそれはそれとしてこれまでこの街から人買いに引き渡した人たちの情報が欲しいんだ。全員の」
「全員ですか?いやぁそれは難しいんじゃ。何しろ何十年と続いているんでとてもとてもその全——」
爪を剥がした小指の隣。薬指の爪を摘むと男は怯えながら懇願した。
「思い出した。知ってます。私知ってます。奴らに今まで連れ去られた人たちの全員の情報。デスクです。デスクの引き出しの1番上。鍵がかけてある所に情報がまとめられた本が入ってます」
引き渡しておいてどういった思考回路をすれば『連れ去られた』になるのか彼の脳に対して少しの興味が湧いた。他責主義もここまでくれば一種の才能だな。男が言うデスクの1番上の鍵の付いた引き出しを、力尽くで開けるとバギャッと壊れる音がした。その後に男の「えっ」の声が聞こえたが構わず引き出しの中を物色する。
しかしどうすればこれほど整理せずに物をしまえるのか。デスクだけに限らず部屋全体に整理整頓という概念自体が存在していない。思わずため息が漏れる。
引き出しの中を確認したがどうもノートらしき物は見当たらない。そう思って引き出しを閉めようとしたが、どうやら引き出しの底が二重底になっているようだ。底を外すと古ぼけた分厚い本が一冊。
本を捲ると中にはこれまでこの街から売られていったであろう人々の情報が、所狭しと書き込まれていた。
「悪いんだけどこの本貰っていってもいいかな?」
「勿論ですどうぞどうぞ」
男はソファが揺れるほど何度も大きく頷いて答えた。
「あー、そうだ。もう一つ聞きたい事があったんだ。君こんな生き方していて何か楽しいの?」
「いえ。全然楽しくありません。明日からはこんな事はやめて清く正しく生きていきたいと思います」
私が聞きたかったのはそんな虚言ではなく本心からの言葉なのだが。いや、恐らくこの答えがこの男には本心からの言葉なのか。物事を多角的に捉えられない単的な生き物なんだろう。そうであるならこの男に対して憐みすら覚える。
「まぁいい。私はそろそろ行かせてもらうとするよ。拘束は自分で何とかしてくれ」
私は部屋の窓を開けて外に飛び出した。どうやら警戒は建物の出入り口にのみ集中しているようで、拍子抜けするほどあっさりとその場を離れる事ができた。
宿の自室に戻るとテーブルの上が、すっかり定位置となったラックが大の字で寝息をたてている。完全に警戒心を失っているように見受けられるが、その順応性には学ばされる。
枕元に置いたランプの灯りを頼りに、先ほど手に入れたばかりの本に目を通す。長い年月をかけたにしてもあまりにも多くの人々が人買いに引き渡されている。よく今までこの事実が明るみに出なかったものだと感心すらした。
本を読み進めるとようやく欲しかった情報を見つけた。
宿屋の娘。メラン。7歳。女。




