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ヒト旅する魔王   作者: 森乃来真
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1.孤高の魔王(1)

 そうか。これが死に逝くということなのか。戦いで傷ついた身体や聖剣に貫かれたはずの胸にはもはや痛みもない。その代わりなのか流れ出る血と共に、全身から段々力が抜けていくのを感じる。


 あぁ。先日集めたアンブロシアの果実をまだジャムにしていなかった。雨漏りした屋根の修理に、訪問者に壊された柵の修理だってまだ出来ていない。


 いつも飯をねだるあのリスはこれから大丈夫だろうか?毎日毎日飯をやったんだから名前ぐらい付けてやればよかっただろうか————。


「孤高の魔王アシス。……何故泣いているんだい」


 私の胸に聖剣を突き立てた男が哀れんだ瞳をこちらに向けている。言われて初めて頬を伝うものに気がついた。そうか、これが涙か。遥か昔に一度流したきりですっかり忘れていた。


 ……孤高の魔王。いつからだろうそれが私の名に冠する様になったのは。別に私は孤高でもなければ、魔王を名乗ったも一度たりともない。ただ私は私と私の生活を害する者を排除しただけだ。私はただ他の者と関わらずに1人で過ごしたかっただけなのに。


「さぁ、私にもわからないよ。それより君こそ何故そんな目で私を見るんだ?」


「僕も同じさ。わからない。……孤高の魔王アシス、どうして罪もない人々を大勢殺したんだ?」


「何の話をしているのかわからないが、私はずっとこの地に暮らしてここを出たことはない。私は私を脅かす者以外、手にかけたことはないよ」


「……それは、本当なのか?」


 風になびく銀髪の間から見える大きく澄んだ瞳を、更に大きく見開き勇者は問いかけてきた。


「別に信じなくても構わない。君がどう思うかは今から死に征く私にとって、さして問題ではないからね」


 空は厚い雲に覆われて姿が見えない。最近は天気が良い日が続いていたのに、よりにもよって私の最期となる日に限って青い空が見えないとは何とも口惜しい。


 血が大量に流れ出たせいで、意識が遠のいていく。視界がボヤけ始めた。何やら勇者一行がガヤガヤと騒がしく言い合っているが、それも私にはもはやどうでもいい。だが欲を言えば最期は静かに迎えたかったものだ。


 ボヤけた視界の中を、勇者が駆け寄って来るのが見える。そう慌てなくても私はすぐに死ぬのだから、わざわざトドメを刺さなくても良さそうなものなのだが。


 いつかは最期を迎えるとわかってはいたが、いざその時を迎えてみるとなかなか受け入れ難いものがある。私の最期をあの人が見たらなんて言うだろうか……——。



 ---------------------------------



 暖かい。あの世とはまるで布団にでも包まれているかの様に、柔らかくそして温もりを感じられるのか。だが目を開いてすぐに、ここがあの世でないと分かった。


 私が長年見続けている我が家の天井が目の前に現れたからだ。勇者一行との戦いで無数に負ったはずの身体の痛みはまるで無い。致命傷となった聖剣に貫からたはずの胸も同様だ。「嫌な夢でも見ていたのか?」思わず言葉が口から出た。


「ようやく目を覚ましたみたいね」


 横になっているベッドの隣に置かれた椅子に座って、私を鋭い目つきで見つめる容姿が整った女。私はこの女を知っている。勇者一行の1人で多彩な魔法を扱う厄介な女だ。


「私は何故生きているんだ?」


「さぁ、なんででしょうね。今から呼んでくるからセインに直接聞きなさい」


 女は不機嫌そうに答えると立ち上がり部屋を出て行った。まだはっきりと思考できない上に、視界もぼんやりとしている。身体を起こして窓から外からを眺めると、ぼやけながらも雲ひとつない澄んだ空が広がっているのがわかった。


「起きたみたいだね。なかなか目を覚さないから心配したよ。身体の具合はどうだい?」


 部屋に入ってきた勇者が心配そうに話す。


「身体に痛みは不思議と無い。ただ……少し違和感はあるが。それより何故私は生きているんだ?さっき居た女にも聞いたがセインに聞けと言っていた」


「痛みがないならよかったよ。レイネの奴ちゃんと説明しなかったのか。すまなかったね。色々と混乱しているだろうけど、まずはきちんと自己紹介をさせてほしい。僕の名前はセイン。当代勇者の1人だ」


 彼が勇者であることは出会った時からわかっていた。彼ら勇者は身体からは、特別な輝くオーラの様なモノを漂わせているからだ。まぁそもそもそれを感知できるのは相当な実力を持つ者に限られると、遠い昔に師匠に教えられた。


「まずあなたが恐らく感じている違和感についてだけど。……説明するよりも見てもらった方が早いと思うから着いてきてくれるか?」


 勇者はそう言って立ち上がると部屋の扉を開けて待つ。少し素直に他人の指示に従うことに抵抗を感じはしたが、元より一度敗れている相手の為、その考えもすぐに拭うことはできた。


 ベッドから足を下ろす。やはり違和感がある。足が床に付かないのだ。確かに少し高さのあるベッドではあるが、これまで床に足が届かなかったことなどなかった。


 不思議に思いながらベッドから降りて床に両足をついた次の瞬間、足に力が入らずに前のめりに転けてしまった。「大丈夫かい?」慌てた勇者が駆け寄って手を差し出してきたが、私はその手を取らずに自らの力で立ち上がる。


 力こそ入り難いがそれさえ理解していれば問題なく歩けそうだ。ヨレた足取りで部屋の扉までに向かう。私の後ろから苦笑いを浮かべた勇者が付いてくる。


 私は言葉を交わすことなく勇者が、私を連れて行こうとしたであろう場所に自ら歩みを進めた。寝室の隣の部屋の扉を開け、全身が映せるスタンドミラーの前に立った。


 ここまでの違和感からある程度の覚悟はしていたが、まざまざと現実を見せつけられると、これまた不思議と目にしたものを信じられなくなるものだ。


 腰まで伸びた長い金青(こんじょう)の髪に師匠によく小バカにされた釣り上がった鋭い赤色の瞳。背丈からして恐らく十歳ほどの姿が鏡には映されている。


 果たしてこの姿を目にしたのは幾年振りだろうか?正確な年月はわからないが、遥か昔に師匠と共に暮らした頃だから数百年はくだらないだろう。


「驚いているだろう。正直な所僕も驚いているんだ。まさかアレにこんな副作用があるなんて知らなくて……」


「アレとは?」


「実はあなたが事切れる寸前に偶然持ち合わせていた【奇跡の雫】と呼ばれる薬を使ったんだ。そのおかげでどうにか命は救えたんだけど、副作用なのか見る見るうちにその姿に変わってしまったんだ。……すまない」


「何に対しての謝罪なんだ?若返った事に対しての謝罪なら要らないよ。【奇跡の雫】なんて神話時代の秘宝で命を救われてこんな些細な事は問題ですら無い」


「だけどあなたは子供に戻ったせいで、その力の大半を失ってしまったんだぞ?」


「だから問題ないと言ってるだろ。過剰なチカラなど持っていても大した役には立たないことなど、君もよく理解していると思ったが違ったかい?」


 思う所があったのだろう、勇者は言葉を出せずに立ち尽くしている。まったくもって奇怪な人間だ。【奇跡の雫】などという永年を生きる魔族でさえ目にすることのない秘宝を、これまた対峙していた魔族に使うのだから。


 加えて彼らの敵である魔族の私と、対等に言葉を交わす人間など今までいなかった。——そして私がこの男に命を救われた。その事もまた揺ぎようのない厳然たる事実だ。


「【奇跡の雫】なんて大層な秘宝を私などに使ってよかったのか?」


「僕が使いたかったから使った。ただそれだけだよ。あなたが気にする必要はない。まぁ、使った後にレイネにはこってりと絞られはしたけどね」


「そうか。それは悪い事をしたね。それに君に命を奪われたのと同時に、結果として私は君に命を救われてしまった。……あり——」


 話途中で部屋の扉が勢いよくバンッ、と開くとレイネと呼ばれる魔法使いの女が怒った顔で部屋に入ってきた。


「あんた達何度呼ばせるつもり?さっきからずぅっと呼んでるでしょ。ご飯よ。ご、は、ん。さっさと来ないと大食漢のクルスに全部食べられるわよ」


 あまりの威勢の良さに驚いてセインの方に顔を向けると目が合った。そしてそれと同時に私の腹の虫が鳴いた。


「ハハハッ。3日も寝込んでいたらお腹も空いただろ。話の続きは食事をしながらにしようアシス」


 屈託のない笑顔を私に向けるこの人間はやはり他の者とは違う。……それにしてもいつ以来だろうか、ただのアシスと呼ばれたのは。

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