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3・義姉との関係



 白桃色の可愛らしいドレスが本邸に届いたのだと、聞いてもいないのに侍女たちが口々に教えてくれた。


 その色はハルベリーによく似合うと思う。イザベラが動じないとわかると彼女たちは少し不服そうな顔をしていた。


「イザベラ、こちらに来なさい」


 祖父に呼ばれて笑みを貼りつけついて行くと、いくつか釣書を開いて見せられた。


「これは侯爵家の三男、こっちは伯爵家の次男。それでこっちが……」


 説明されるが、ひとつも頭に入って来なかった。このうちの誰かと結婚しなければならない。だけどみんな同じに見える。釣書からわかる違いは、どこの家の息子か、それだけだった。


「エスコート役をグラヴィスが断りおったからな、仮でも婚約者候補を絞っておかねば、エスコート役がいなくなる」


 父はハルベリーのエスコートをするのだろう。このままだと誰にもエスコートされず、デビューさえできなかったと惨めな気持ちになるだけだ。それは理解できるのに、並べられた絵姿は何度見直しても、誰も彼も同じに見えた。


 この人たちの中の誰かと結婚して子供を設ける。閨教育はまだ受けていないが、恋物語の描写でなんとなく想像はつく。夫婦は同じ寝台で眠るのだ。唯一の安寧の場に他人がいると考えるだけで吐き気がしてきた。


 近づいてくるデビュタントが、死刑執行の合図のように感じる。せめてお嫁に行くのなら、結婚でこの家から出ることができたのなら、なにか違ったのだろうか。……わからない。


 ただひとつ言えることは、逃げることは許されない、ということだけ。イザベラは永遠にこの場所に囚われ続ける運命なのだ。


 本来ならば、ここにいたのはハルベリーのはずなのに。


 しかしそうだったら、自分は生まれていない。


 生きているというだけで感謝をしないと……。


(しないと、いけないの……?)


 衣食住なに不自由のない暮らし。もちろんそれが恵まれた暮らしだと理解しているし、いきなり外に放り出されても生きていけないこともわかっている。


 イザベラの感情が間違っているのだ。


 なんて恩知らずな娘だろう。


 ハルベリーを妬むのはお門違いだ。


 それでも、そう思わずにはいられなかった。


 ハルベリーはイザベラのほしいものをすべて持っているのに、苦痛だけはイザベラへと押しつけている。


(……醜い)


 心などなければいいのに。


 ここにいるのが呼吸をするだけのただの人形だったらよかったのに。





 結局祖父がエスコート相手を選ぶことになり、釣書の責め苦から解放されてひとり息をついた。誰とも顔を合わせたくなくて部屋にこもって窓を眺めていると、父がどこかへと出かけて行くのが視界に映る。


 きっと、魔が差したのだろう。イザベラは侍女たちがなにか言うのも無視して父の書斎に向かい、おあつらえ向きに机の上に置かれた白い箱を開いた。


 かわいらしい白とピンクを基調としたドレスだ。


 父が娘を思って愛情を込めて選んだもの。


 自分から開けておきながら、目に触れることを厭うように固くまぶたを閉ざした。


「なにをなさっているのですか!?」


「誰か!」


「人を呼んでもいいけれど……来るのはお祖父様よ?」


 父はたった今外出した。彼女たちがいくら騒ごうが対応するのは父ではなく祖父だ。そして祖父はハルベリーをよく思っていない。そのことに気づいたのか、彼女たちは悔しげに歯噛みする。


「旦那様が帰宅したら、ただでは済みませんよ」


「なにもしないわ」


 そのつもりならばもうこのドレスはずたずたに引き裂かれているだろう。


 なにかするつもりなどない。


 ただ届けるだけ。


 このドレスをあの子に。


 そうでもしなければ一分後には間違いを起こしてしまいそうで、いてもたったもいられず箱ごとドレスを腕に抱えた。両手いっぱいのドレスは思ったよりも重い。


 いつも奪われてばかりだった。たまにはイザベラが父から楽しみを奪ってもいいのではないか。


 娘へプレゼントを渡す楽しみを。


 本邸を出て離れへと続く道を歩いて行くと、侍女たちが慌てはじめた。


「お嬢様、そちらに行ってはいけません!」


「旦那様に叱られますよ!?」


 引き止められるのも振り払って、本邸と離れの境界線でぴたりと足を止める。


 ずっと避けてきた場所。あの頃背丈よりも高かったはずの柵は腰ほどまでしかなく、以前はなかった木苺の蔓がびっしりと這っていた。あの日からの時間の経過に深く感じ入る。


 あたりを探して、腰丈の小さな門を見つけると、思い切ってそれを押した。蝶番がきぃきぃと音を立てて、開く。


「お嬢様!!」


 咎める声が大きかったからか、離れから人影が出てきた。


 あの頃のまま大きく成長したお姫様――ハルベリーが、不思議そうにブルーの瞳を丸くしながら、警戒もなくこちらへと歩いてきた。


「あなたは……?」


 彼女はイザベラのことを父からどう聞いているのだろうか。


 急に不安がもたげてきた。


 もし父がイザベラを悪く言っていたのなら、ひどい言葉を投げかけてくるかもしれない。本来彼女のものだった侯爵家を奪ったと詰られるだろうか。だがそれは事実だ。もし返せと言われたら、きっと喜んで返すだろう。


 そう考えたら身構えていた体から力が抜ける。


 不思議そうにこちらを見つめる顔は自分と少しも似ていない。だけど姉妹なのだ。


 だったら……血の繋がった姉妹として、受け入れてくれたり、するだろうか。


 祖父にも父にも愛されていない。だけど、イザベラにはまだ彼女がいる。まだほかにも家族がいると思うことが、いつしか心の支えになっていた。


 嫌われてもいい、罵倒されても。


 愛してほしいとは望まない。


 だから。


 侯爵家の血を引く子供を産むだけの存在から、新しい価値がほしかった。


 しかし、彼女の口から出てきた言葉は、想定していたどれとも違うものだった。



「あ、わかったわ! あなた、あの大きなお家の、お隣さんね!」



 その瞬間、ピシ、と、心の奥でなにかがヒビ割れる音がした。


 いや、心そのものだったのかもしれない。


 薄氷のようにぎりぎり保たれていた心に取り返しのつかない亀裂が入った。


「それは? ……わたしのドレス? 間違えてお隣さんに届いてしまったのね。届けてくれてありがとう!」


 侍女が取り繕う間も呆然としたままで、ドレスを押しつけるように渡したことまでは覚えているが、そこからどうやって部屋に戻ったのかも記憶に残っていなかった。


 食事も取らずに寝室にこもったまま、夜の帷が降りるのとともに、最近イザベラを苦しめていた痛みが忍び寄ってきた。


 冷や汗をにじませながら、自分に言い聞かせる。大丈夫。大丈夫……と。


 少し眠った。しかし次に意識を取り戻したとき、痛みはまだ続いていた。むしろ悪化している気がする。


 動くことすらできずに顔を顰めて蹲っていると、廊下から侍女と父らしい話し声と足音が近づいて来た。


「イザベラ! 離れに行ったとは、どういうことだ! 説明しなさい!」


 ドアが押し開けられた。別に弁解することなどなにもない。


 立ち上がろうとした。弱みを見せるわけにはいかないと。


 だが、そうも言っていられない激痛が襲ってくる。内臓を抉り出してしまいたいほどの痛みが治らない。


 痛みほど他人と比べられないものはない。イザベラにとっては身動きひとつ取れない痛みでも、もしかしたらほかの人にとってはたいしたことないものなのかも。


(眠れば治る。きっと、眠れば……)


 目を覚ましてよかったと思える日など、これまで一度もなかったというのに。性懲りもなく。


 父の怒鳴り声を遠くに聞きながら、イザベラはまた少し、眠りについた。


 唯一の価値を捨てたいと思った罰なのだろう。


 目覚めたとき、なにもかもを失っているのだと、知るよしもなく。





 ――ここは、どこだろう。


 イザベラは朦朧とする意識の中で、父と祖父の言い争う声を夢現で何度も聞いた。


「どういうことだ、グラヴィス! 体に傷跡が残るだと!? そんな話、聞いておらん!」


「死んでいてもおかしくない状態なのに、生き延びただけで充分ではないですか」


「イザベラは完璧でなければならんのだ! 婿はどうする!? 傷物になったなんて知れたら、婿のなり手がいなくなるではないか! 侯爵家はどうすればいいんだ!」


「ハッ! 命の心配よりも家の心配か」


「当然ではないか!!」


 ふつり、と意識が途切れ、激怒する父の声でまた浮上した。


「ふざけるな!! 今さらハルベリーをイザベラの代わりにするだと!? お断りだ!」


「ふざけてるのはおまえの方だ! イザベラは傷物になった! あの死に損ないが、今後まともに子を成せるかもわからん! 今侯爵家の血を引く子はあの庶子の娘しかいないのだぞ!? それとも、おまえが後妻を娶るか? わしはそれでも構わん!」


「あ、あれだけ……、あれだけハルベリーを下賤な血だと蔑んでおきながら……!!」


「下賎な血でも、侯爵家の血は引いている。イザベラが使えなくなった以上、ほかに選択肢などない!」


「だったら……っ、ハルベリーでもいいのなら、なぜっ、あのとき!!」


 壁を殴ったような鈍い音が響き、父と祖父の怒声にふたりを止める人たちの声が入り混じる。


 波のように意識が沈んでは浮かんでを繰り返す。


「どうせあなたが欲しいのは後継だけだろう! 医者は子供を産むことに問題はないと言った。もしこのままイザベラを切り捨てると言うのなら、私は娘を道連れにこの家の血筋を断つ覚悟だ!」


 悲鳴と絶叫。わかった……、という、はじめて聞くような祖父の苦しげな了承とともにまた意識が遠ざかる。


 そして気づくと、今度は物音ひとつない静寂だった。


 そこに父の乾いた笑い声がこぼれた。すぐそばに、気配を感じる。イザベラは薄く目を開け、ぼんやりと働かない頭を傾けると、寝台に背を預けるようにして座っている父の背が見えた。


「……っ」


 ほんの少しだけ、身じろぎする。その衣擦れの音にはっとこちらを振り返った父は、目覚めたイザベラを目にして一瞬だけ安堵を見せた。瞬きする間にその表情は見たこともないような優しいものへと塗り変わる。


「よく生き延びてくれた。医者が言うには、子供を産むことに問題はないそうだ。こんなところで計画が狂うとは思わなかったが、とにかく、これでひとまずハルベリーを生贄にせずに済む」


 声は聞こえているのに、言葉がはっきりと頭に入って来ない。すぐに眠気が襲ってくる。まぶたが落ちる寸前、父の指がイザベラの髪を撫でた。


「いい子だ、イザベラ。早く元気になれ。そして――」


 聞いたこともない、ぞっとするようなあまい声で耳元に囁いた。



侯爵(この)家の血を引かない子を産みなさい」



 生まれてはじめて触れたその手は、氷のように冷たく狂気に満ちていた。


 


 これほどひどい寝物語があるだろうか。


 父の愛した人は、平民に近い暮らしをしていたが、貴族の末席に名を連ねる貴族令嬢だった。しかし家格が釣り合わないと祖父に反対され、引き裂かれた。


 悲嘆に暮れた父を気遣うことなく、祖父は勝手に由緒ある家柄の娘を妻を迎えさせ、そちらに侯爵家の血を引く子を成すよう命じた。父の愛する人と、腹にいる子を見逃す代わりに。


 脅迫された父は祖父の言いつけ通りに子を成した。それがイザベラ。


 妻となった女はすぐに愛人と姿を消し、祖父は憤ったが、子供を残して行ったこともあり、その行方を追うことはなかった。娘であっても、侯爵家の血を引く子だ。イザベラが婿を迎え男児を成せばいい。そうして父は義務を果たし終えた。


 その娘が一切侯爵家の血を引いていないことを隠して。


 父同様、母にも愛する人がいた。いつも彼女のそばに寄り添っていた護衛の青年だったらしい。だから父は取引を持ちかけた。その男と愛し合っていても構わない、だけど子供ができたら、自分との間にできた子供にすること。そしてその子を置いていくのなら、今後もなに不自由なく暮らせる支援をすること。子供は侯爵家の跡取りとして育てるので、心配はいらないということ。


 父は愛する人を裏切ることなく子供を得ることができ、母は無理やり結婚をさせた実家と縁を切り愛する人とともに生きることができる。


 どちらにも損のない取引。


 ただひとり、イザベラを犠牲にして。


 これは父の復讐だった。血筋を重んじる祖父を出し抜き、嘲笑うための愚かで悍ましい復讐。


 イザベラは娘ではなかった。


 復讐するための駒でしかなかった。


 父の娘はハルベリーただひとりだった。


 もう涙さえ出ることはなかった。



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