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18・筋肉は正義



 イザベラは目を覚ましてすぐに落胆した。


 どうやら自分は相当都合のいい夢を見ていたらしい。


 ジーンに求婚される夢が見れただけでもよかったと思わなくてはと自分を慰めたところで、いつもの部屋でないことに気づいて混乱した。隣には見覚えのない大きなくまのぬいぐるみが添い寝している。なんとなく、彼もしくは彼女を起こさないように、そっと上半身だけを起こした。


 侯爵家の自室や離れの部屋でもなければ、ジーンの屋敷の客間でもない。サイドテーブルにいつもの黒板が置かれてはいるが、それ以外がなにもかも違う。


(あ……)


 そこで思い出す。ここはジーンの実家である公爵家だ。そこでジーンの悲しい過去の話を聞いたのだ。


 どうやらそこまでは夢ではなかったらしい。


 ならば、どこからどこまでが夢だったのか。


 往々にして幸せだと思うことはすべて夢の可能性が高い。あれほど目覚めたことに肩を落とす日々を過ごして来たのに、目覚めて安堵する日々に慣れて、いつの間にか塗り替えられていたらしい。


 うなだれているとドアが開き、ジーンが顔を覗かせた。彼はシャツのボタンを留めながら、申し訳なさそうに用件だけを手早く告げた。


「ごめん。今からちょっと出て来る。ベラはゆっくりしていて。朝食はこっちの部屋に用意してあるから」


 ドアが閉まってから、自分が夜着なことに気づいて赤面する。透ける素材ではないが、気恥ずかしい。


 もしかしてすべて夢ではなかったのだろうか。


 ぼーっとしている間に自分は結婚していたのだろうか。


 いや、そんなはずはないかと、ひとまず思考を切り替えたところで、コンコンと小さなノックが響き、ドアの向こうからセシルの元気な声が聞こえた。


「お義姉様! おはようございます!」


 入室の許可など得る必要もなく、屋敷にあるすべてのドアが自分に優しいと知り尽くしたセシルが、よく跳ねるボールのように飛び込んできた。


「朝食を一緒に食べに来ました!」


 そう宣言したセシルに連れられて、公爵家の優秀な侍女たちにあっという間に着替えさせられたイザベラは、すでに部屋に準備されていた食事の席に着いていた。さすがと言うべきか、仕事に一切の隙がない。ジーンの屋敷で自分がしていることなど、本当におままごとだ。


 しかしへこんでいる暇はなかった。食事をしながらもセシルは猛然としゃべり倒すので相槌を打つので精一杯だ。しかもころころと話が変わるので聞き逃すとついていけなくなる。落ちた気持ちごと、一旦端っこに置いて真剣に耳を傾けた。


「お兄様はきっとまたお仕事です。だからお義姉様が寂しいと思って、セシルが癒しに来てあげました。セシルがいると、みんな心が和むそうです。サツバツとしたことばかり考えていると、頭が疲れるそうです」


(サツバツ……殺伐、かしら?)


「お父様とお姉様のおっしゃることは、難しくてよくわからないときがありますが、お母様とお兄様はセシルにわかるようにお話をしてくれます。お野菜を残すとお姉様みたいな美人にはなれないそうです」


 イザベラは皿の上へと目を落とした。彩鮮やかな野菜が多いのはそういうわけらしい。


 野菜は確かに体によいと聞く。セシルが好き嫌いせずに必要な栄養を摂れるように、美しい姉を例に出したのだろう。


 イザベラもセシルくらいの年齢のときに、野菜を食べるだけで彼女のようになれると言われたら、間違いなく必死に食べたことだろう。


 食事の時間も常に張り詰め、祖父と父の望む淑女になるためだけに努力し続けていたあの生活を思い出して、そっと蓋をした。


 あの頃はそれが普通だと思っていたから耐えられたのかもしれないが、外を知って、イザベラはきっと弱くなった。今なら到底、耐えられない。


「お義姉様も寂しいですか? 寂しいなら寂しいと言った方がいいです。ぎゅっとして、くるくるしてくれますよ!」


 最初のジーンとセシルの再会の様子がまざまざと目に浮かんだ。あれをイザベラがするには、少々抵抗がある。曖昧に聞き流した。


「お義姉様はお兄様のことが好きですか?」


 彼女が言う好きが、どういう意味での好きか判断がつかなかったが、ジーンに対して好き以外の感情はない。嫌いなところなんて、ひとつもないのだ。


 気さくな人柄も、優しい性格も、家族想いなところも、もしかすると容姿も好きなのかもしれない。


 ……いや、違う。ジーンだから、どのような彼でも好きなのだ。だからどんな姿を見ても幻滅しない。体に刻まれた壮絶な傷痕ですら、彼の生きた証だと思えば尊い。


 なんとなく恥ずかしく思いながら、イザベラが小さくこくりとうなずくのを見て、セシルが満面の笑みを浮かべた。


「セシルも大好きです!」


 素直ないい子だ。接していてほっとするところはジーンの妹という感じがする、と思ったが、本来はいとこだということを思い出した。


 もしかするとセシルは、真実を教えられていないのではないだろうか。ジーンが実の兄でないことを。


 だが知っていたとしても、彼女ならなにも変わらず彼を兄として慕い続けるような気がする。


 そういう関係を、心底うらやましく思う。


「実はセシルが生まれる前は、このお家は大変だったのです」


 そう言ったセシルの後ろに控えていた侍女たちが一瞬、ピリッと空気を張り詰めて目配せをした気がしたので、イザベラは反射的に居住まいを正してしまった。


「お姉様もお兄様も、後継を押しつけ合っていたのです」


 続くセシルの言葉を聞いた侍女たちが、わずかに空気を緩めた。


 その様子から、どうやら子供らしい無邪気さで他人に聞かせたらまずい家の事情を口走るかもしれないと危惧して身構えたらしい。


 セシルの侍女たちは、そういうときに対応できるよう、お目付役を兼ねた人選がされているのかもしれない。


 セシルが言うには、リリーベルとジーンとで、爵位を押しつけ合っていたらしい。それはそれで人に聞かせていい話なのか判断しにくいところだが、侍女たちが沈黙を通しているのでとりあえずは問題ないのだろう。


 イザベラには彼らの心情が読める気がした。


 リリーベルは公式には嫡男のジーンに爵位を継いでほしかったのだろうし、ジーンは正式な嫡男ではないので姉に継いでほしかったのだろう。


 押しつけ合っていたというよりかは、譲り合っていたのではないだろうか。


 結局決着が着かず、セシルにお鉢が回って来たのだろう。


「そこにセシルが誕生したので、一気に問題解決です! お姉様とお兄様が喜んでくれるから、セシルはとっても素敵なお婿さんをもらって、立派にお家を継ぐのです!」


 本人がやる気ならば、それが一番いい。もしかしてそう誘導されているのかもしれないが、無理やり押しつけられたことではないようで、そのことに深く安堵した。無意識に自分自身と重ね合わせていたのかもしれない。


 イザベラにとって婿を取って家を継ぐことは、これほど晴れやかに宣言できることではなかった。


 それしか価値がないのだと認めるのがつらくて恥ずかしかった。


 なのに、目の前の少女は清々しい希望に満ちた目をしていて。


 イザベラにとっては逃れられない枷だったものが、セシルにとっては違うものに見えている。


 そのことに少なからず衝撃を受けた。


 同じ決められた人生なはずなのに、本人の見方ひとつでこうも違うのか。


 一歩進むごとにぬかるみにずぶずぶと足が沈んでいくような、心が少しずつ壊死していくあの感覚。言うことを聞くだけの人形に作り変えられていく絶望と悲しみ……。


 心持ちひとつで、変えられたのだろうか。


 絶望だと思っていたものを、希望へと変えることができたのだろうか。


 この先にあるのが輝かしい未来だと信じてやまない彼女の笑顔が酷く眩しい。眩しければ眩しいほど、自分が抱えていた闇の濃さが際立ち、思い知る。


 そうさせたのは祖父と父だが、こうなったのは、自分が未来に希望を持つことを諦めてしまったから……なのかもしれない。


 結婚相手に少しくらい期待してもよかったのではないか。自分をあの境遇から救ってくれる人なのだと、信じてみてもよかった。


 結局裏切られて、期待した分傷つく結果になったとしても、その瞬間まではきっと、幸せでいられた。


 今のセシルのように、前向きでありさえすれば、望んだ未来を掴み取るためになにか行動できたのではないか。


 祖父の選んだ婿と結婚して、後継を産んで、父の復讐心を満たして、家族の愛を知って夫と子供とともに幸せになる世界線があったのなら――。


 いや、あったのだとしても。


 イザベラはそれを選ばない。


 だってそれを選んでしまえば、ジーンと会えない。


 彼に会えない世界線など、どれだけ幸せが約束されていようと、必要ない。



『じゃあ……僕と結婚する?』



 夢かと思ったその言葉が、唐突に夢ではなかったことを思い出して動揺する。


 自分はその後、なんと答えたのだろう。


 一番大事なその部分の記憶が欠けている。


 たぶん頭が沸騰して気絶したのではないか。だから目覚めたときから夢と現実の境目が曖昧だったのだ。


 彼はなぜあんなことを言ったのだろう。


 同情……だろうか。


 それとも世間体を気にしてだろうか。


 昨日リリーベルに指摘されたように、未婚の男女が共に暮らしているのはよくないことだから、それを気にしたのかもしれない。


 話せなくてよかった。


 話せていたら、きっと図々しくも、「はい、喜んで」と答えていたことだろう。


 だから話せなくてよかった。


「セシルは結婚するなら、たくましくて強い人がいいです! 筋肉は正義です!」


 それはイザベラを感傷から引き戻すには十分な言葉だった。


(筋肉は正義……?)

 

「筋肉とは、その人の努力の証なのです。己の体を極限まで鍛え上げた男の人は、きっとどんなことでも諦めずに努力できるのです!」


 イザベラは、なるほど……と、感銘を受けて、こくこくとうなずいた。ジーンも貴族にも筋力は必要と言っていたが、ようやくすとんと腑に落ちた気がした。


 確かに筋肉とは、体を鍛えもせずに身につくものではない。寝たきりの時期があったからわかるが、少し動かないだけでも簡単に体力は衰える。


 筋肉は努力なくしては身につかず、努力を怠ればすぐに消えてしまう儚いものだという。上質な筋肉を保ち続けているということは、その人は絶えず努力をし続けているということの証明らしい。


 ジーンも古傷の印象が強かったが、服の上からでは想像していなかったしなやかな筋肉がしっかりとついていた。腹筋だって割れていたし、胸板は意外に厚かった……。


 思い出して赤面していると、セシルの向こうで嘆く様子の侍女たちが視界に映った。


 つい流されかけたが、セシルの言うことは一般的な感性からは離れているようだ。


 食事を終えると、セシルはお勉強の時間だと侍女たちに告げられて先に席を立った。


「たくましいお婿さんに見初められるように、セシルはお勉強をがんばります!」


 イザベラがこくりとうなずくと、彼女は晴れやかな顔をして去って行った。


 そして入れ替わるように、リリーベルが部屋へと訪れた。


「少しよろしいかしら?」


 断る理由もないので、イザベラは緊張しながら彼女を招き入れた。





 なにを言われるのだろうと内心そわそわしていたが、どうにか表面上は取り繕えているのか、彼女に気にした素振りはない。ジーンのように心を見透かされずに安堵したが、それは単純に気づいていて知らないふりをしてくれている彼女の心遣いなのかもしれないと思うと、さっきさよならしたそわそわが早くも舞い戻って来た。


「セシルの相手をしてくれたそうですね。ありがとう」


 てっきりジーンがいない間になにか重要な話があるのかと思っていたので、予想とは違う切り出しに瞬いたが、最初はなんでもない話をしてから、深刻な話へと移行していくのかもしれないと思い直して緊張感は保ったまま、とんでもない、と黒板に書いた。


 その下に、楽しかったです、とつけ加えて見せると、彼女は淡く微笑んだ。


「普段から客人を招いたりしないから、嬉しかったのでしょう。うちはよそに比べても、かなり、閉鎖的な家ですから」


 イザベラは比較対象が実家しかないのでなんとも言えないが、社交のためのパーティーなどは必要最低限は行なっていた。


 公爵家ともなれば、自らが催さずとも、招かれるだけで十分なのだろうか。確かに彼女の元には招待状で溢れていそうだ。


「あなた……テレーゼ家、もしくはテレーゼ公爵家と、これまでに誰かの口から聞いた覚えがあるかしら?」


 イザベラは同格か少し下くらいの身分の釣り合うちょうどいい家から婿を取ることを厳命されていたので、かなり格下、もしくはかなり格上の貴族に関しては不勉強だった。


 それを指摘されたと思って固まるが、彼女はそうではないのだとゆるく首を振った。


「あなたくらいの年齢なら、知らなくても当然でしょう。どこの貴族も、商人ですら、最近までうちと関わることを忌避していたから。下手に関わって、我が家と敵対する勢力からのいらない不興を買わないように、誰も、噂すらしなかった……。この国は日和見貴族が多いから、特にね」


(公爵家と関わることを、忌避……?)


 嫌厭ではなく忌避というところに、わずかだが公爵家相手に謙りつつも避ける周囲の態度が垣間見えた気がした。


「我が家と敵対していた家が、それだけ力のあるところだったというだけのこと」


(公爵家よりも力のある家……)


 考えようとして、すっと背筋が冷えた。


 そんなもの、王家ぐらいしか、あり得ないのではないか。


「……昔の話ですよ。今はそこまで酷い関係ではないの。お互いの首に刃を突きつけ合うように牽制し合ってはいるけれど、ね」


 セシルの口にしていた殺伐は、思ったよりも深刻な殺伐だったのかもしれない。


「リスクを負ってまでうちを潰すメリットがなく、今のところまだこちらの手札の方が多いので、なりふり構わず手出しして来るようなことはないでしょうけれど。あの子はなかなか信じられないのでしょうね……」


 頰に手を当てて嘆息する。


 あの子とは、ジーンのことだろうか。彼女はジーンのことを、不思議なことに小さな子供のように話す。それこそセシルと同じくらいの子のように。


 ジーンの言う過保護とは、こういうところなのかもしれない。


 彼らの話を繋げるとだ。ジーンを暗殺せんとつけ狙っていたのは、王家、ということにならないだろうか。


 なぜ王家がジーンを。


 思い当たる節というか、可能性が、ひとつだけ。


 ジーンの実の父親だ。


 それがもし王族の誰かだったのなら。しかも継承権に関わるような相手だったのなら、ジーンを葬り去りたいと考える王族がいてもおかしくはない。


 そもそもこれはイザベラが聞いていい話なのだろうか。顔色が悪くなったのが伝わったのか、リリーベルはそっと肩をすくめた。


「わたくしが今話したことくらいなら大した秘密でもないから、そう気負わなくても平気ですよ」


 あまり気休めにはならなかったが、今のイザベラに憶測を吹聴するような口はない。


 自分たちの身を守るためにほかの貴族たちが避けるのもわからなくはない話だった。どちらかにつかなければならないのなら、大多数は王家側につく。


 実家の侯爵家もきっとそうだ。大多数の日和見貴族のひとつ。


「そういう事情もあって、まだ子供で警戒心に欠けるセシルには、接する相手をどうしても大人たちで選別しないといけなくて。婚約者はおろか友人もいない状況だから、お客様が来るとやはり嬉しいのでしょうね。今回はジーンもいたからか、いつもの倍は楽しそう」


 きっとジーンの連れだから大目に見てもらえているが、イザベラがもし、ルーゼット侯爵令嬢として訪れていたら、セシルと接触させてはもらえなかった可能性が高い。


 友人はもちろんのこと、結婚相手など、相当慎重に選ばれることになるはずだ。筋肉のある素敵な人と結婚するのだと語っていたセシルが、せめて望んだ容姿の人と結婚できたらいいと思う。


 結婚してからでも、大なり小なり身につけることができる特殊な装備ではあるが。


(筋肉……)


 声は出ないが無意識に唇がそう紡いでいて、それを読み取ったリリーベルの微笑みが崩れて、呆れ顔となった。


「あの子の性癖にも困ったものだわ……」


 彼女はあまりたくましい男性が好きではないようだ。


「あまりあの子の話を真に受けてはだめですよ?」


 どういう意味だろう。イザベラはわからずに戸惑う。


「筋肉が正義とかいう根拠のない持論もそうなのですけれど、庭の花が危険だという話をしたそうね?」


 イザベラがうなずくと、彼女は頰に手を当てて深くため息をついた。


「あの花は、わたくしの古い友人の領地の特産品なのに、そのような話が広がると友人が困ってしまうわ。せっかく経営が軌道に乗ったところなのに。わかるでしょう?」


 彼女が、風評被害を気にしてイザベラに口をつぐむよう求めているのだとわかった。


 本題はこれだったのかもしれない。無理難題を突きつけられることも想定していたので深く安堵して、了承の意を伝えるように強めにうなずいて見せた。


 どちらにせよ、話すことはできないし、話す相手もいない。


 元々観賞用として売り出しているのだから、イザベラが黙っていたとしても、食べなければいい問題なわけで、今後も健康被害が出ることはないと思えた。


「ありがとう」


 よほど大切な友人なのだろう。それは彼女自身からの心からの感謝の言葉のようにも聞こえた。


「秘密は守ってね。……ジーンのためにも」


 なぜそこでジーンが出て来るのかと疑問に思ったが、その古くからの友人がジーンとも友人関係にあるのだろうと思い直し、それ以上深く考える暇もなく話が変わった。


「姉妹でも、好みは不思議と似ないものなのですね。あの子がどんな脳筋を連れて来るのか……今から不安しかないわ」


 ということは、セシルは政略結婚ではなく、自分で決めた人と結婚できるということなのだろうか。嫁ぐならまだしも、公爵家を継ぐとなると、それなりの家柄でなければ難しい気もするのだが。


 しかし他人のイザベラが突っ込んで聞けるようなことではないので、肯定も否定もせずに聞き流しておいた。


「いえ、だめね。人を見た目で判断しては。……人間は中身ですから、どれだけ美しい皮をかぶっていても、中身がそれに伴わなければ意味がない。心を磨かなくては。どれだけ美しい入れ物でも中身が石ころでは、ね……」


 彼女にそういう意図があるわけではなさそうだが、自分のことを言われているような気がしてうつむいた。


 イザベラは石ころすら入っていなかった。取り繕った淑女の皮を剥いでしまえば、中身が空っぽだった。空っぽであることを望まれていた。誰もイザベラに心など求めていなかった。中身のない自分は、心を磨くことすらできない不良品だ。



「――なんて、綺麗事よね」



(……え?)


 はっと顔を上げたイザベラに、リリーベルが、ふふ、と愉快そうに目を細めて笑った。


「磨けば宝石になるのは、それが元々原石だったからで、ただの石ころは磨いたところで表面がつるつるの石ころになるだけの話。それで言えば、わたくしの心はきっと真っ黒な鋼の塊でしょうね。磨いても宝石にはならないけれど、何度も何度も叩いて叩いて叩き尽くして……鋭い刃になった」


 その刃はきっと、ジーンを守るためだけに、研ぎ澄まされたのだろう。


 そう思ったら、やめておけばいいのに、どうしても訊かずにはいられなかった。


 答えなどわかりきっているのに、書かずにはいられなかった。


 自分で自分の首を締めるとわかって、なお。


 イザベラは綴った。



『リリーベル様は、ジーン様のことを、どう思っているのでしょうか?』



 彼女は数度瞬き、イザベラをまっすぐ見据えて、左右対称の美しい顔でうっそりと微笑んだ。



「もちろん、愛しているわ」



 

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