15・リリーベル
妹と手を繋ぐイザベラの姿が見えなくなるまでじっと見送っていると、姉の揶揄いを含んだ視線を感じて、ジーンはすぐにそちらへと顔を戻した。
別に悪いことをしているわけではないのに、なんとなくばつが悪い。
昔からジーンはなにごとにも姉に勝てた試しがなかった。自分もそれなりに経験を積んで成長したと自負しているが、こうしていざ姉を目の前にすると、子供の頃に戻ったようにあまえてしまいそうになる。
背を追い越してもう随分経つのに、未だに姉が大きく見えるのだから仕方ない。
実際、偉大な姉だ。
ジーンの姉――リリーベル・テレーゼは、適齢期を過ぎても結婚することなく、実家で父の右腕として公爵家のために働いている変わり者だ。
そう聞けば結婚できないような瑕疵でもあるのだろうと邪推しそうなものだが、姉に関しては違うと断言できた。なにせ今もあちこちから求婚の打診が後を絶たないと聞いている。
傾国の美姫や絶世の美女と称されるほど美しく聡明で、なにより家族思いの優しい人だ。姉にその気がないので父がすべて一蹴しているが、逆を言えば姉をその気になったら明日にでも結婚しているだろう。
おかげでジーンも結婚に関して両親に後ろめたさを感じずにいられるのだが、その姉がジーンの結婚には前向きなのが少々困りごとだった。
ジーンが女性を囲い込んでいると聞きつけて、どのような娘なのかその目で見て確かめたかったのだろう。そのためだけにわざわざ席を設けてふたり揃って呼び寄せた。
自分が招いた茶会の席を早々に中座したとはいえ、すでに姉の目的の多くは果たされている。イザベラに対して気分を害したということもないのだろう。
元々他人に興味のない人だ。
なにか致命的な粗相をしたとしても、家族に害さえなければ基本寛容だ。気分が悪くなって席を立ったくらいのことで、目くじらを立てたりはしない。
ジーンは改めて、未だ頭の上がらない姉と向き合った。
「耳が早過ぎませんか、姉上」
「わたくしが勘づく前に紹介しに来たらよかったのですよ? そうしたら、わたくしの意表をつけたでしょうに。あなたもまだまだですね」
何事にも先手を打つのが当たり前の姉を出し抜こうとははなから思っていない。相変わらずだなと思いながら、ジーンはちょっとおどけるように釈明した。
「紹介するような関係ではありませんからね。僕はただの、それこそ保護者みたいなものですよ」
保護者ねぇ……と。姉は自分でも気づいていないような感情すらも見透かすような目でジーンを見やる。その目に晒されるとどうにも据わりが悪くなる。
「それに僕とベラでは、ほら、歳が離れていますから」
「言い訳は結構。年齢を言い訳にしてごまかすなんて見苦しいことはおやめなさい。あなたの友人だって、デビュー前の娘を娶ったのではなくて? あの子、あなたにちょうどいいかと思って育つのを待っていたのに、鳶に横から掻っ攫われてしまって……」
わかりにくい冗談だとは思うが、友人に睨まれそうなので、この事実は自分の胸にだけ秘めておくことにした。
「だけど今日、あなたたちの姿を見て、わたくしは考えを改めました。あなたの妻は生命力が強そうな子がいいかと思って探していたけれど……そう。逆だったのね?」
「そんな基準で人の結婚相手を見繕っていたのですか?」
はじめて知った。生命力が強そうだから選ばれたと知ったら、さすがに相手も気分を害するのではないだろうか。
「あなたって、繊細で守ってあげたくなるような子が好みなのね? 意外だったわ。盲点だった」
「いや、ベラが僕の好みというわけでは……」
口元を押さえてしどろもどろ。
(好みとか……)
考えたこともないが、そう見えるのならきっとそうなのだろう。しかし身内に自分の好みを暴かれるのは気まずさしかない。
「ですが先ほどまでのあなた、まるで親鳥のようでしたよ? 正直ああいう子は、一番選ばないと思っていたのに」
「そうですか?」
「ええ。だって……少し目を離した隙に、簡単に死んでしまいそうだもの」
ジーンは言葉に詰まった。はじめてイザベラと会ったとき、同じことを思ったからだ。
「でも、守るものがある方が強くなる、というのは、わからなくもありません。それにまっさらな子ほど、我が家の常識に染めやすいですし……まぁ、結婚相手として、悪くないのではなくて?」
「ですから、ベラとはそういう関係では」
「かわいいとは思っているのでしょう? 人のことを過保護過保護と言うけれど、血筋だもの。あなたも十分なくらいに、過保護よ?」
「過保護……でしょうか」
彼女を四六時中見守っているわけでもないし、困っているときに手を貸すくらいで、後は自由にしたいことをさせている。過保護というほどではない。
「下手な言い訳などせず、認めて楽になっておしまいなさい。あの子なら、家柄を見ても結婚に際して大した障害もないのに、なにを躊躇しているの? 細々した問題は全部こちらで処理してあげますから、あなたは、幸せになりさえすればいいの」
面倒ごとをすべて請け負ってくれると言ってくれるのはありがたいが、そこまで姉に頼るのもいい歳をした男として情けないものがある。
「あなたの幸せが、わたしたち家族の幸せなのよ?」
……そういうのが。
そういうところが、過保護だと言うのだ。
みんなジーンに過保護すぎる。
父も母も、姉も。
だけど、そうなった原因はジーンにある。
わかっているのだ。昔、姉の目の前で軽率に死にかけた己が悪いのだと。
姉の目に映っているのは、今もこれからも、血まみれで意識を失っている無力な弟なのだろう。
「姉上に頼るまでもありませんよ。女の子ひとり匿うくらい、なんでもない」
「……まぁ、確かに、隠したいと思っている相手からは隠し通せてはいますね」
その言葉でルーゼット家はまだ彼女の消息を掴めていないことを知り安堵する。
いつまでも隠しておくわけにもいかないのだが、せめて、彼女の心の傷が癒えるまでは庇護しておきたい。
少しずつ表情が出るようになってきたのだ。帰すにしても、せめて自分の口で気持ちを伝えられるようにならないことには、また元の木阿弥だ。
とはいえ、それがいつになるのか、わからないにしても。
「彼女の名誉を守るために、最初は姉上が保護した、ということにできませんか?」
このままではイザベラは初対面の男について行った軽率な娘になってしまうし、ジーンなど少女趣味の変態に成り果てる。それよりは、姉に保護されジーンのところで働くようになった、の方が断然世間体がいいし、どちらの名誉も守られる。
「確かに名誉は守られるでしょうけれど……それで根本的な解決になるのかしら? 後々のことを考えると、早めにルーゼット家を潰した方がよいのではなくて? うちの弱みを得たと変に調子に乗られても……ねぇ? どこの家でも叩けば埃がいくらでも出て来ることでしょう。それを突いて爵位返上にまで追い込み、その爵位をあなたに与えられるよう手を回す…………ふふ、暇つぶしくらいにはなりそうね」
ジーンは紅茶で一旦喉を潤してから、さらりと前言を撤回した。
「言ってみただけです」
「ふふ。わたくしのも冗談ですよ」
冗談でも実行できてしまうところが彼女の恐ろしいところだ。今の、すべてを手中に収めた姉ならば、やろうと思えばなんだってできる。
昔から有言実行の人だった。ジーンが諦め受け入れてしまうような最悪な盤面でも、諦めずにどれだけ時間をかけてでもひたすら考え尽くしてひっくり返すような偉大な姉だ。
ジーンは姉のことを敬愛している。昔からジーンを守ってくれていた優しい姉だ。
だが、家族だからこそ、彼女が執念深く非情なこともよく知っていた。
「あなたの人生よ。後悔のないよう、あなたのお好きなようになさい。あなたの行手を阻む邪魔な小石は、お父様とわたくしで蹴り飛ばしてあげますからね」
その小石がたとえ宝石であっても、容赦なく蹴り飛ばすのだろう。いつものように。
ジーン、と。姉が殊更優しい声音でジーンの名前を呼ぶ。慈愛に満ちた百合のような気高い女性。現国王陛下の妃として一番ふさわしいと望まれつつも、王家との因縁により婚約者候補にすら挙がらず惜しまれた、傾国の美姫と謳われた美貌と才覚は未だ健在で。
周りの目が節穴なのか、姉が完璧すぎたのか、まさか家族以外の人間を利用できる駒かゴミの二種類だとしか思っていない無慈悲な人だとは思わないらしく。
国母に一番必要な民を思う心がないということに、陛下だけは気づいているのだろう。どれだけ美しくても、利用価値があろうとも、いつ寝首がかかれるかわからない妻を娶りはしなかった。
だからこそ姉には劣るものの美しく、ほどほどに賢く、扱いやすい令嬢を妻にした。賢明な判断だった。
王妃から少なからず嫉妬を買いつつも、姉は陛下と打算で互いを利用し合っている。
殺し合うことはあっても、愛し合うことは天地がひっくり返ってもない。
ふたりの関係をひと言で表すのなら、共闘関係。
もしくは――。
「あなたが望む相手ならば、わたくしも、お父様もお母様も、誰を恋人として連れて来ても構わないと思っているの。あなたを理解して、支えてくれるのなら、本当に誰でもいい。貴族でも、平民でも、若くても、老いていても、男でも、子供でも、誰でも……王族でさえも」
最後だけ、不本意そうな本音が漏れた姉に苦笑する。
「ベラは王族ではありませんよ」
「ええ。それだけは本当によかった……。あの男も、この期に及んで我が家と縁づきたくはないでしょう」
陛下をあの男呼ばわりしていることに一度目を瞑ってから、曖昧に微笑んでごまかした。聞かなかったことにした。
「わたくしたちはあなたを守る。これまでもこれからも、それは変わらないでしょう。それでもね、あなたが寂しいときや苦しいときに、そばで寄り添って支えてくれる人がいればと願わずにはいられないの。だって、家族だもの」
家族だから心配なのだと言われてしまえば、ジーンとて、家族だから心配をかけたくないと思わずにはいられないのだ。
「……僕は臆病者です。危険に晒してでも手元に置いておきたいと思えるほど、激しい愛し方が、僕にはできないのですよ」
昔ほど危険がないことはわかっている。ちゃんと理解しているのだ。父が、母が、そして姉が、ジーンを守ってくれ、今なお守り続けてくれていることは知っているし、感謝している。彼らがいなければ子供の頃に死んでいただろうし、産まれることすら叶わなかったかもしれない。
ジーンは家族が大好きだ。愛している。だからこそ、あまり側にいたくないのだ。自分の事情に巻き込むことも、自分の弱さを見せつけることも、嫌だった。そういう愛し方しかしてこなかった。
イザベラのことはかわいいと思う。たまに理性を崩されて愛してしまいそうになるときもある。
だけどもし、家族くらいに愛する人ができてしまったら、自分はその人から離れることを選ぶこともわかっていた。
姉に預けることが最善と思いながらも手元に置いておきたいと思っている自分は、イザベラのことを、きっと、家族ほどは愛していないのだろう。
家族がジーンに結婚してほしいと思っていることは知っている。ただ結婚してほしいわけではなく、誰かを愛して愛される、そんな普通の幸せを知ってほしいのだとも、知っている。
「もうなにも危険なことはないのだとしても? 結婚して、子をもうけることすら叶うのだとしても?」
「この世に絶対なんてないですからね。ああ、でも、だからと言って姉上になにかを望んでいるわけではありませんよ。これ以上姉上に頼ってばかりいると、情けなくて今以上に実家に顔を出しにくくなる」
余計な手を回さないでほしいと遠回しに伝えておく。そうしないと、なにをするかわかったものではないから。
「……口がうまいこと。わたくしはなにもしていませんよ。これまでも、これからも」
姉は誰もが見惚れるような美しいその顔でうっそりと微笑んだ。
表情とは裏腹に、見る者を惹きつけてやまないその瞳の奥には、未だ過去の情景がしつこく揺らいでいるようにようにも見えた。心の傷は癒えていないのだ、ジーンと同様に。
そうさせてしまったのはほかでもない、ジーン自身。自分が幼く弱かったせいで、姉を傷つけてしまった。もっと早く家族と離れる決断をしなかったことを、今でも後悔している。
姉こそ結婚して幸せになってほしいのだが、姉からしてみれば、ジーンが落ち着いてくれなければ自分のことまで頭が回らないのだろう。かと言って姉を安心させるためだけに結婚を決めるのもどうかと思うのだ。
誠実でありたい。家族にも、結婚相手にも。
「それなら、あの子をどうするつもり? あの陰鬱な家にずっと置いておくと?」
「酷い言われようですが、あれで慣れれば意外と落ち着くのですよ」
「はぐらかさなくてよろしい。いつ帰るかわからない人を待っているということは、あなたが思う以上につらいことなの。覚悟がなくてはできないこと。全然帰って来ない弟を持ったわたくしが言うのだから、間違いないわ。……お父様とお母様も、自分たちがいない間に息子が帰宅していたと知ったら、さぞお怒りになるでしょうね」
軽い脅しにたじろいだ。両親のことを持ち出されたらジーンに勝ち目はない。
「それはさすがに、胸が痛みますね……」
「そう思うのなら、しばらく滞在なさい。その間に、あの子の処遇を決めること。このまま庇護し続けて潔く娶るのか、それともわたくしに一任するのか」
中途半端なことは言えず、黙りになった。
「想像できる? あなたの帰りを待ちながら、あの隔絶された屋敷で一日一日を無為に過ごすということを……。もちろんあの子のためにはならないでしょうけれど、わたくしが大切なのはあなたですからね。現地妻のように、気が向いたときにだけ構いたいのなら、その判断を否定したりはしません」
「姉上」
咎めるように遮ると、射貫くような強い眼差しがこちらへと向けられた。
「結婚してずっと王都にいるという決断が、あなたにできて?」
「そ、それは……」
「それとも、あの子を連れて行く? 守り通すという覚悟が?」
「……」
やっぱり姉には敵わない。ジーンは拗ねた子供のように言った。
「姉上は、時々意地悪だ」
姉がきょとんとしたように瞬き、それから、ふふ、と笑った。
「姉とはそういうものですよ。知らなかったの?」
そのまましばらく、久しぶりで溜まっていたらしい姉の小言をあまんじて聞き続けた。
*
イザベラは来たときと同じように、セシルと手を繋ぎ庭を歩く。
あれこれと説明してくれるセシルのおかげで、話せないことに気後れする暇もなく、次々話が変わるのでうなずくのがやっとだった。
おかげで余計なことを考えずに済む。
そうして庭を歩き回り、ひと通り説明が終わったあたりで、すっかり見慣れた花に引き寄せられるように近づいた。
こうして花瓶の中ではなく、自然に咲いているところを見るのははじめてだ。花弁に顔を寄せかけたところで、繋いでいた手を、くいっとセシルに引かれた。
「お義姉様、そのお花に近づくと危ないですよ」
イザベラは言われたことがわからず瞬いた。棘があるのだろうかと茎の辺りを観察してみたが、産毛はあっても棘はなさそうに見える。
「このお花はとっても綺麗ですが、普通のお花とは違うそうです」
(普通とは違う……?)
よくよく観察してみても、違いがわからずに小首を傾げた。
「このお花は特定の領地にだけ生息している、めずらしいお花なのです。お姉様が夜会で髪に飾っていたことで、貴婦人たちの間で瞬く間に広まったのですが……」
イザベラは、はっとして顔を上げた。リリーベルという名前をどこかで聞いた覚えがあると思っていたが、この花を広めた公爵令嬢の名前だったからだ。
確かにあの美しい人の真似したいと、憧れを持つ令嬢たちは多いだろう。
しかし、なにが危険なのかはまだわからない。
「このお花、とてもあまい香りがするでしょう? なぜだか知っていますか?」
イザベラは素直に首を横に振った。この花の名前も知らない無知ぶりに少しだけ恥ずかしさを堪えながら。
イザベラのそんな羞恥心に気づくことなく、セシルは小さな胸を張って知識を披露する。
「この花には、特別あまい蜜が入っているのです。だけど、絶対に食べてはいけない蜜なのです」
毒がある、ということだろうか。
それにしては切り花として普通に流通しているし、髪飾りとしても有名だ。切った段階で毒の処理をしているのだろうかと思ったが、セシルが続けた言葉からは、そういう類の毒ではないことが明らかとなった。
「一度味を知ってしまえば、もっと食べたい、もっともぉーっと食べたい、ってなるそうです」
つまり中毒性があるということだ。
だから食用ではなく観賞用として広まっているのか。観賞用の花を食べてみようと思う人はそうそういないだろう。
花瓶に活けられた花や、髪飾りとして使った花を、食べようと考える人はいない。少なくとも、貴族階級の者ならば、卑しいと断じるだろう。
「お姉様はセシルが好奇心で食べてしまうと思っているのです。そんなに間抜けではありません」
そう言うセシルの視線は花に釘づけなので、リリーベルが忠告する気持ちがよくわかった。
なにも知らない子供なら、食べてしまうこともあるかもしれない。本来微笑ましいはずの光景を恐ろしく感じる日が来るとは思わなかった。
(……花を食べる……そういえば、そんな話を、どこかで聞いた覚えが……)
「――ベラ」
ジーンに呼ばれて、それだけで今考えていたことのほとんどが霧散した。
ジーンがリリーベルと並んでこちらへと歩いて来た。ふたりとも容姿が優れているが、やはりリリーベルは別格だった。こうして花々を背景に歩いているだけでもとても絵になり、目を離せずにため息がこぼれそうになる。
「なにを話していたのかしら?」
「お姉様の好きなお花の話をしていました!」
イザベラもこくりとうなずくと、彼女は、ふふ、と嬉しそうに微笑み、風に揺れる花弁へと愛しげに触れた。
「綺麗でしょう? 土壌の問題でキンブリー領でしか花を咲かせないから、わざわざ土を運んだのですよ。それでも開花させるまでに時間がかかったのですけれど……」
リリーベルはたおやかな手を下ろすと、黙って苦笑しているジーンを一瞥してから、イザベラへとまっすぐ目を見て告げた。
「あなた、ここでわたくしの侍女をしてはどうかしら?」
(え……?)
「選択肢のひとつとしてね、考えておいてほしいの。わかっていると思うけれど、婚約者でもない未婚の男女が一緒に暮らしているのは世間体を考えると、問題でしょう?」
今はまだ祖父も父もイザベラがどこでどう過ごしているか知らないからいいが、もしジーンのことが知れたら、彼の醜聞に繋がってしまう。
いくら働いていると言っても聞く耳を持つかどうか。
それはイザベラの望むことではない。
「あなたの事情を無理に聞き出そうとはしないけれど、話してくれたら、協力してあげることはできるでしょう。わたくしにできないことなど、なにもありはしないの」
傲慢な物言いでも、彼女が言うと不思議と説得力があった。
彼女は公爵家の令嬢だ。つまりはイザベラの父や祖父よりも身分が上だということ。彼女がひと言、イザベラを侍女にすると彼らに告げるだけで、父も、祖父ですら、その発言を撤回させることはできないだろう。それこそ王族のつてくらいなければ、手も足も出ないに違いない。
イザベラはあの檻の中から、意気揚々と空に飛び立つことができるだろう。不用品として売られることもなければ、父の復讐の道具にされることもなく、生きていける。願ってもない話だった。
だけど……。
それがイザベラの望みであったはずなのに。
素直にうなずけずに躊躇った。
そっとジーンを窺い見る。彼はイザベラの表情を見ただけでなにを考えているかわかるのに、イザベラは彼がどう思っているのかまるでわからないのだ。
もしかして、ずっとイザベラのことを迷惑に思っていて、厄介払いしたいと思っていたのだろうか。
後ろ向きなことを考えていると、ジーンの手が頭に触れた。慰めるように、髪の流れに沿って数度撫でられる。
「きみが望むのなら、という話だよ」
いい話なのは間違いない。将来のことを考えたら即決すべきことも理解している。
だけどそうすると、きっと今のようには、ジーンと会えなくなる。彼のそばにはいられなくなる。いる理由を、失ってしまう……。
「ずっと一緒にはいられないわ」
リリーベルの言葉に、いつの間にか俯いていた顔をはっとして上げる。きっぱりとした口調のわりに、その目には諦念がにじんでいた。
「この子はね、すぐに仕事と称してあちこち放浪に出てしまう。いくら言っても聞かないのですよ」
「姉上」
口を挟むジーンを目線ひとつで制して、イザベラを憐れむように見つめた。
「これまで、誰も連れて行ったことがない。あなたも置いていかれるの。ひとりであの薄暗い陰鬱な屋敷にいたら、きっと心を病んでしまうでしょう」
「相変わらず酷い言われようだ」
「周りから、幽霊屋敷と言われていることを知っていて?」
「初耳です。だいたい本当に幽霊がいるのなら、真っ先に僕に挨拶に来るべきでしょう」
「あらあら、物好きなこと」
「知りませんでした?」
イザベラにはその軽口の応酬が耳に入って来なかった。
ジーンがいなくなる。
イザベラを置いてどこかへ行く。
そんな当たり前のことを、忘れていた。
久しぶりに王都に来たと言っていたのだから、またどこかへと旅立ってしまうのは、少し考えればわかることだったのに。
ジーンがいなくなる。
一瞬で頭が真っ白になった。
「……ベラ?」
ジーンが驚いた顔でこちらを見ている。どうしたのかと瞬くと、ぽろりと生ぬるい滴が頰を伝い、落ちた。
自分が泣いているのだと知ったときには、すでにジーンの腕の中にいた。