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12・星空の下で



 お茶会に招かれたこともあり、日課にお茶会ごっこが追加された。


 お茶会におけるマナーの復習と、ジーンを相手にした実践。ついでにお茶の淹れ方も習っている。


 イザベラの淹れたお茶を飲むのはジーンなので、彼の好みの茶葉と淹れ方をクレアとディノから教わったが、手際よく流麗に注ぐにはまだまだ努力が必要だった。


「うん。おいしいよ」


 ジーンはお世辞しか言わないので、褒められてもあまり真に受けてはいけない。自分の淹れたお茶を飲みながら、ほんのり残る渋みに心の中で五十三点と点数をつける。


『お姉さまは、どのような方なのですか?』


 ちまちま書いた文字を見せると、ジーンは少しだけ考える仕草をした。


「そうだなぁ…………絶世の美女、かな?」


(絶世の美女……)


 ジーンに似た容姿の人ならば美しい人だろうという漠然とした予想はついていたが、絶世の美女とは。彼が言うのなら本当に美しい人なのだろう。事前にどのような人物かを知り予習して対策を練っておきたかったのに、その一言でますます気後れが増してしまった。


「リリーベル様は絶世の美女と言うに相応しいお方ですが、ベラ様の聞きたいことはそういう表面的なことではないでしょう」


 ジーンの姉の名はリリーベルと言うらしい。どこかで聞いたことがあるような名前の気もするが思い出せなかった。


 少々呆れ気味に嘆息するクレアに、ディノがそつなく補足した。


「リリーベル様はとても家族想いな方です。少々行き過ぎ……いえ、過保護でもありますが」


「それだけジーン様のことをとても大切に想われているのです」


 ジーンは苦笑しながらもその目はとても穏やかで、彼も家族のことを愛しているのが手に取るようにわかった。


「そう心配しなくても、取って食われたりはしないよ。姉上は基本的には優しい人だから」


「……ジーン様の敵でなければ、ですが」


 もちろんイザベラはジーンの敵ではないが、だからと言ってこの不安は簡単に拭えるものではない。素性を明かすこともせず、ジーンの好意にあまえているだけの自分のことを彼の家族はどう思っているのだろう。きっと好意的には思っていないはずなのだ。


 そんな中、冗談でも恋人などと紹介されてしまったら……気分を害するどころの話ではない。


 彼の真意がわからないまま、答えることもできずにうやむやになってしまったが、もしかして本気でイザベラのことを恋人として紹介する気なのだろうか。日が経てば経つほどその件を持ち出しづらくなり、結局彼はなぜあんなことを言ったのか、わからずじまいだった。


 実際そんな関係ではないのだが、あのとき、なんと答えるのが正解だったのだろうかと思い悩みながら、ちらりとジーンの顔を盗み見る。なぜだろう、最近彼の顔を直視するのが難しい。微笑みかけられると胸が跳ねるし、頰が熱を持って目を逸らしてしまうのだ。


 それなのに数秒後にはまた彼の顔が見たくなる。自分の感情がよくわからずに戸惑った。


 こんな感情は知らない。落ち着かない心地のまま、少ししか減っていないジーンのカップにさらにお茶を注ぐ。


 クレアとディノが、そんなイザベラの様子を微笑ましげに見つめていることに、もちろん気づく余裕などなかった。





 夜中にふと目が覚めた。


 イザベラは何度か目を閉じて眠ることを試みたものの、再び眠気が訪れることはなく、諦めてむくりと身を起こす。


 周囲に怯える必要のない安心感なのか、もしくは寝坊しても許される環境にすっかり体が馴染んでしまったのか、ここに来てからというもの不思議と毎日ぐっすりと眠れていたというのに。夜起きていること自体久しぶりのことだった。


 手探りでベッドの脇のサイドテーブルに置かれていたランプを灯してから、水差しから水をくんで、ひと口分だけ喉を潤し、ほぅと息をついた。


 外は暗く、闇が濃い。少し風があるのか、屋敷の周囲を囲む木々の影が、生き物のようにおどろおどろしく蠢いている。みなまだ眠りについている頃合いだろう。邸内はいつも以上にしんと静かで、イザベラは音を立てないように気をつけながら、そっと部屋を抜け出した。


 昼間でもどこか薄暗さのある廊下は、なぜだか夜でも明かりひとつ灯されていない。仕方ないので、窓から差し込む月明かりを道標にしながら、記憶を頼りに壁伝いに歩いて行く。


 特に行くあてもない散歩だが、ふと、中庭で夜空でも見上げたら気分転換になりそうだと、中庭へと通じるドアを目指すことにした。


 あの日、マーティンと見上げた星空は本当に美しかった。


 あれが生まれてはじめての、なんのしがらみもない自由を得たただのイザベラとして目にした世界のすべてだった。


 だけど今は……。


 少し、わからなくなる。


 ここでジーンの好意にあまえながらだらだらと過ごしていていいのだろうかと思う以上に、ここにいたいと思う自分がいる。


 あの日の夜空をもう一度眺めたらなにかがはっきりするのではという安直な考えで部屋から出たはいいものの、室内なのにこれほど暗いのは想定外だった。


 これはもしかすると、街灯のある外よりも暗いということもあり得るのかもしれない。


 見下ろした先にあるはずの自分の手が、どこにあるのかわからない闇というのは、やはり怖い。


 それでも足元に気を配りながら、そろそろと進んでいると、顔面から壁にぶつかってしまった。


(うぅ……)


 鼻が潰れたかもしれない。こんなところに壁なんてあっただろうかと不思議に思いながら、イザベラはおずおずと壁に触れる。硬いは硬いが、思ったよりも弾力のある壁だ。確かめるようにさわさわと撫でていると、


「さすがに……うん。それはやめようか?」


 壁の微妙な溝をなぞっていた手を優しく掴まれて、驚いて顔を起こした。


 ジーンの声のような気がするが、暗すぎて影しかわからず目を凝らしていると、すぐに彼の優しい声が降ってきた。


「こんな夜中に出歩いていたら、危ないよ? うちはこの通り、真っ暗だから」


 それが誇張でないくらいに、暗いことも、危ないことも、身をもって知ったものの、部屋へと引き返す気にはなれずに中庭を指差した。見えていないかもしれないとも思ったが、ジーンは暗闇に目が慣れているのかあっさりと意思が伝わった。


「中庭に出たいの?」


 なんのために? という戸惑いを含んだ彼の声に、イザベラは今度は指先を天へと向けた。


 察しのいいジーンはそれだけでイザベラの言いたいことのすべてが伝わったようだった。


「夜空を眺めるのなら、中庭よりもっといい場所がある。……おいで」


 手を取られて、彼に導かれるように階段を登る。足元なんてほとんど見えないのに、彼と手が繋がれているだけで不思議と安心感があり、踏み外すかもしれないという恐怖心はこれっぽちも存在しなかった。


 二階につくと燭台の蝋燭に火を灯したジーンが、普段は行かない奥まった廊下の端まで行き、屋根裏へと続く梯子を橙の炎で照らした。そんなところに梯子があったことも知らなかった。いつも過ごしている場所なのに、まるで冒険みたいだと、胸がどきどきする。


「足元を照らしておくから、先に登って。大丈夫、踏み外しても下で絶対に受け止めるから」


 思い切って梯子に足をかける。ぎ、と軋んだ音がして少し不安になったが、ジーンの言葉を信じてどうにか登り切った。


 屋根裏部屋などはじめてだ。梁が剥き出しになった天井がどこか秘密基地めいている。使わなくなった家具や荷物などが置かれて物置のような雰囲気ではあるが、たまに空気を入れ替えているのか、埃っぽさはあまりない。


 斜めになった天井を見上げると、明かり取りの天窓が見えた。そこから小さく切り取られた星空が見える。これを見せたかったのだろうか。


 そう思っていると、すぐにジーンも登って来て、無造作に置かれていた木箱を押して天窓の下へ持ってきた。


「ここからちょっと、横着をするけど……」


 前置きをしてからジーンは木箱に足をかけ、その上に立った。そして天窓の鍵を外してから、ぐいっと両手で押し開く。そしてわずかに身を屈めて、イザベラへと手を差し伸べながら言った。


「高いところは、平気?」


 たぶん平気ではない気がする。


 だけど、イザベラは考えるより先にその手に手を重ねていた。


「絶対に落とさないから、安心して」


 うなずいてから、おそるおそる木箱に足をかけると、ぐいっと体を引き上げられた。そして腰に腕を回されたかと思うと、驚くことにそのまま持ち上げられ、上半身が開いた天窓から屋根へと出る。ひんやりとした夜風がぶわりと吹き抜けて、反射的に目を閉じた。


 夜の空気をたっぷりと含んだ風は湿った木々の匂いがして清々しい。


 しかしぼやぼやしている間にイザベラのお尻はジーンの肩に乗せられてしまい、そのことに気づくと慌てて屋根の上へと這い出した。


 生まれてはじめて屋根の上に登った。そんな感動は、迂闊にも下を見てしまったことで一瞬のうちにかき消えた。


 高さと、足場の不安定さも相まって、すっと背筋をなにか不穏なものが通り抜けたような感覚がして、震える。全身から力という力が根こそぎ抜け落ち、それが高所への恐怖心ゆえのものだと気づくと、両腕でしっかりと棟にへばりついていた。


(こ、怖い……)


 思った以上に高いところがだめだったらしい。


 イザベラに続いてジーンが、ひょいっと軽く身を乗り出して、そのまま屋根へと出て来るのが見えたが、彼は慣れているのか、普段とまるで変わらない様子で支えもなく平然と立っている。見ているこちらの方がハラハラとしてしまった。


「やっぱりちょっと寒いかな……。はい、ブランケット」


 用意のいいジーンからブランケットを受け取ろうにも、イザベラの両手は忙しくてお留守だ。さっきからずっとぷるぷるしている。


「手を離しても大丈夫だよ。おいで?」


 躊躇って、それでも、片手だけそっと彼へと伸ばす。その手が掴まれた瞬間には抱き止められて、それだけで深く安堵の息をもらしていた。彼に抱きしめられていると、絶対的な安心感がある。


「下を見るから怖いんだよ、上をごらん。ほら」


 おずおずと顔を上げと、満天の星空が、まるで手を伸ばせば届きそうなほど近くにあった。声が出せたらきっと感嘆をもらしていただろう。


 地上から見る景色とはまるで違う。空に近い場所にいることもあるが、周囲の暗さが、星の煌めきを引き立てているようにも思えた。


「田舎だともっと綺麗に見える。王都だとやっぱり少し、星が少ないね」


 イザベラを包み込むように自分ごとブランケットにくるまりながら、彼はこともなげに言った。


(これよりも、もっと……?)


 イザベラの貧困な頭では想像しきれない世界がまだまだたくさん広がっているのだろう。


 イザベラが見ている景色など世界のほんの一部の一部でしかないのだ、きっと。


(見てみたい……な)


 それが叶わないことを、自分が一番よく知っている。


 それでも……。


 届くはずがないと知りながら、手を伸ばさずにはいられなかった。


「ちょっとキザなことをしてもいい?」


 よくわからないままうなずくと、彼はくすりと笑ってから、イザベラのように星へと手を伸ばして、そして、ぱっとなにかを掴むような仕草をした。


「星はね、こうやって掴み取るんだ」


 そっと開いた手のひらの上には、琥珀色の星型の飴玉が載っていた。


 いつの間に用意したのだろう。目を丸くしながら飴を凝視する。


「……あれ、不発だった? やっぱり子供騙し過ぎた?」


 彼は飴玉を摘み上げると、イザベラの口に押しつけてきたので、流されるまま舌で転がした。……あまい。


 彼も指先をぺろりと舐めて、あまいね、と笑う。


「普通に食べるよりもこっちの方がおいしい気がして、たまにやるんだよね。ひとりでも」


 ジーンはきっとひとりでも楽しく過ごせる人なのだろう。イザベラは自分がひとりきりのときのことを振り返るが、ぼんやりとしているのが常なので比べると恥ずかしくなった。


 だけど子供の頃は子供らしくひとり遊びをしていたのだ。絵本を読んだり、ぬいぐるみで遊んだりと。だけどそんなものは必要ないと、ひとつずつ取り上げられる度に、やれることが少なくなっていって、とうとうなにもなくなった。なにもすることが、なくなった。


 そしてイザベラこそが人形となった。


 祖父のための、後継を産むためだけの空っぽな人形。


 そして父のための、復讐のためだけの操り人形。


 だけど今は違う。


 自分の意思でここにいる。


 ここにいたいと、思っている。


 自分は間違いなく、血の通った人間だ。


 なにも持っていないちっぽけなただの人間。


 そのことに満足していたはずなのに、いつの間に欲張りになってしまったのだろうか。


 小さくても価値がほしいと思ってしまった。


 この人のそばにいるための、価値が。


「流れ星は願いを叶えてくれると言うけれど、ベラならなにをお願いする?」


(わたし、は……)


 星空を見上げたままの彼の横顔を覗き見る。彼の瞳は星のようだ。キラキラと輝いて、思わず手を伸ばしてしまいそうなほど美しい。


 見つめていると視線を感じたのか、彼がこちらへと顔を向けた。


 最近イザベラと目が合うとそうなりがちの驚いた表情をしてから、脱力して紅い髪のこぼれるイザベラの肩口へとその顔を埋めてしまった。


 息遣いすら手に取るようにわかる距離に心臓がにわかに騒がしくなる。


「本当に……これで無自覚って……」


(……?)


「え、試されてる? 実はディノとクレアがその辺に隠れていたりして?」


 ジーンが周囲へと目を配らせるが、ふたりの姿は当然どこにもなかった。


 普段よりも距離が近い気がしていたが、イザベラは遅まきながらジーンの膝の上に横向きで座っていたことに気づき、本当に今さら動揺した。


 降りるべきか悩んでもぞもぞしていると、彼が困ったような声で言う。


「落とさないつもりではあるけど、それでも危ないから、おとなしくしていてね?」


 そう言われてしまえばおとなしくするよりほかない。


「せっかく眠っている狼を、わざわざ叩き起こす必要はないよ」


(狼……?)


「……そうやって煽られると、ちょっと……うん」


 ぽそりとつぶやかれた言葉が聞き取れずに、聞き返そうとすると、ぎゅっと抱きしめられてまた心臓が大きく跳ねた。このうるさい鼓動が伝わらなければいいのに、相手がジーンなのですべて伝わってしまっている気がして恥ずかしい。


「はぁー……」


 大きくため息をついたジーンが抱擁を緩めてくれたのでほっとした。


「あの日、きみを見つけられて本当によかった」


 出会った日のことだろうか。


 彼よりもイザベラの方がずっとそう思っている。


「あのまま通り過ぎていたらと思うと……」


 ジーンはそこで言葉を切ってから、イザベラの額をこつんと指で突いた。


「もう二度と、夜中に外を出歩くような無謀な真似はしないこと」


 マーティンがいたから勇気を待って踏み出せただけで、イザベラひとりならば願ったとしても実現はしなかった。きっと今も離れで震えていた。


「いいや、外でなくともだ。もし夜に部屋から出るのなら、気を遣わずベルで誰かを呼ぶといい。どうせふたりとも起きているんだから」


 ふたりとも夜行性の体質なのだろうか。そういうジーンもまた、こうして起きている。


 たまたま今日は目が覚めただけで、邸内がこんなに暗いと思うと、今後また夜更けに目覚めたとしても、部屋から出るようなことはしない気がする。転んで怪我をしたら余計迷惑をかけかねない。


 屋敷の明かりが極端に少ないことにも、きっとなにか意味があるのだろう。


 考えようにも、安心できるあたたかなぬくもりに包まれ、手慰みに髪まで撫でられると心地よくて、ついつい思考を放棄してまどろんでしまいそうになる。


「眠い? いいよ、このまま眠っても。寝台まで運んであげるから」


 それにはどうにか意識を保ち、ゆるく首を振った。このまま気が済むまで星空を眺めていたい。……ジーンと。


 だけど頭を彼の胸に預けるようにして優しく抱き寄せられると、とうとう抗いきれず、瞼が落ちてきた。


 ふるふると首を振って眠気を散らして、夜空を見上げる。



 こんな日が永遠に続きますように。



 イザベラは叶わないと知りながらも、瞬く星々にそう願わずにはいられなかった。




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