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11・お茶会用ドレス



(これは……?)


 仕立屋からクレアとお揃いのお仕着せといくつかの普段着が届いたと聞いて、浮き足だったり気後れしたりと落ち着かない心地のまま受け取りに行くと、思ったよりも大量の服が並べられていて硬直した。ぎこちなく目だけを動かし、ひとつひとつ確認していく。


 お仕着せと普段着は、ありがたいし嬉しい。襟やボタンのデザインの違うブラウス数枚に、落ち着いた色合いの無地のスカートを色違いでいくつか。さらに、少しだけ華やかさのある小花柄のスカートや雰囲気の違うワンピースなども多数。加えて寝巻きなどもある。


 イザベラが侯爵家にいるとき着ていた服はやや時代遅れだったのだなと、ちょっと現実逃避してみたが、諦めて残りの布の塊へと意識を戻した。


 イザベラを一番戸惑わせているのは、どこからどう見てもお茶会用のドレスで。


 クレアに仕事をひと通り習ったイザベラだったが、覚えるだけで精一杯で、まともにこなせるのは針仕事くらいなものだった。当然ひとりで仕事を任せてもらえず、クレアが終始つき添ってくれている。


 どこにいても役立たずな自分が、服を仕立ててもらえるだけで感謝すべきなのに、なぜドレスまでもらえるのだろうか。必要だろうか。いっそ裸で歩くべきだとさえ思う。


 そういえば……と。衣装を仕立てるにあたり、採寸の問題でひと悶着あったことを思い出した。




『仕立屋ですか?』


「はい。仕立屋をここに呼びつけることはありませんが、採寸したサイズを伝えて、流行に則った形で衣装を仕立てもらうことになると思います。ご要望などがなければ、わたしの方で手配させていただきますので、今から採寸させていただいてもよろしいでしょうか?」


 どうしたって服は必要なもので、いつまでもクレアのものを借りているわけにもいかないのも理解できる。


 外に出るよりは、ここで採寸だけする方がずっといい。しかし採寸するのがクレアならば、少し困った問題も生じてくる。


(お腹の傷が、見られてしまうかもしれない……)


 女性同士なので肌を見られることに嫌悪感はないが、そこに傷があるとなると話は別だ。


 もちろんクレアが不躾に傷のことを訊いてきたりしないことはここ数週間一緒にいたことで充分すぎるほど理解している。気づいたとしても、わけを聞いたりせず、見なかったことにしてくれるだろう。それでも、あまり見せたいものではないのだ。


『服の上からでも可能でしょうか?』


「そうですね…………ああ、少々お待ちください」


 クレアに妙案があるようで、指示されたまま待機していると、なぜ連行されたのかわからないという顔のジーンを引っ張ってきた。まさかジーンが採寸に立ち会うのだろうか。


 いやまさか、と愚かな思考を振り払う。


「ジーン様、ベラ様の採寸をお願いいたします」


 まさかではなかった。


 ジーンは気乗りしない様子だ。当たり前なのだが。乗り気だった方がおかしい。たぶん。


「僕が採寸? ただの変態じゃないか」


 至極まっとうな反論だった。


「その変態的な技を今お使いください。普通に計測するよりも早くて正確なので彼女にも負担がかかりません。ご安心ください、ジーン様の好感度が少々すり減るだけのことです」


「それは一番すり減ってはいけないものでは?」


 ベラがいいのならいいけど、とジーンが投げやりに言うが、状況についていけないのでいいも悪いも言えずにクレアへと縋るような眼差しを向けた。


「ジーン様は、衣類の上からでも誤差一ミリの精度で目測が可能なのです。本当に優れた洞察力をお持ちで」


 クレアが誇らしげに、巻尺いらずなのですよと続ける。それはすごい才能だと共感しかけ、しかしよくよく考えたらジーンが言うように少し変態っぽいと気づいてしまった。服を着ていても、女性のサイズが見ただけでわかってしまうということだ。どう頑張っても賞賛の言葉が捻り出せない。


『すごいです』


 結果語彙力は死んだ。ほかのことでなら、いくらでも褒め言葉は見つかるというのに。


「思ってもないことをわざわざ書かなくてもいいから。それに、できないこともないが、やっぱりきちんと測ってもらいなさい。クレアも、ほら。巻尺を持って」


 巻尺を押しつけられたクレアは残念そうにイザベラへと向き直る。


「そうですか……。それではベラ様、わたしが採寸でよろしいですか?」


 こくり。


 肌着は着たまま、イザベラは採寸をしてもらった。


 もちろんジーンはイザベラが服に手をかける前にそつなく部屋を退出していた。




 そのときはドレスを作るとは言っていなかったはずで、知っていれば当然辞退していた。必要ないからだ。


 ジーンの気まぐれでお茶会に誘われることはあるが、屋敷内か、中庭でしか催されない、客も基本、イザベラとクレアとディノの小規模のものだ。ドレスコードはないに等しい。


 ここでしばらく過ごしていれば見えて来るものもある。ジーンが人を招くことを極端に避けていることは明白で、出かけるのもたいてい友人の屋敷への往復のみ。その際に寄り道すらして来ない徹底ぶりだ。単に警戒心が強いだけではなく、相応の理由があるのだと薄々察している。


 なので彼が不在だとそわそわするが、なにごともなく帰って来ると心底ほっとする。ジーンに借りた本の中に登場した、飼い主の帰りをひたすらに待つ犬の気持ちに感情移入してしまうくらいだった。


 故にジーン自身が人を呼んでお茶会を開くことはない。それに加えて人手が足りないのは充分な理由となる。


(女性同伴でなければならないお茶会があるのかしら……?)


 しかしわざわざイザベラを誘わなくても、彼ならパートナーに困ることはないだろう。


「気に入らなかった?」


 急にジーンの声が耳元でしたのでびっくりして振り返った。思ったよりも近くに顔があって、イザベラの肩口から覗き込むような姿勢で、手元のドレスを見下ろしている。


 その彼の横顔を、イザベラは食い入るように見つめた。ほんの数秒足らずの間に、自分よりも落ち着いた色合いの髪になんとなく触ってみたくなったり、その頰に触れたいと思ったり、男性らしく色気のにじむ首筋にどきりとしたりと、心がどうにも忙しい。


「ベラ?」


 ぱちりと目が合った瞬間、彼はぎょっとした顔をして、ぱっと身を引いた。


「その目はだめだろう」


(……目?)


 ジーンは、「やっぱり無自覚で煽ってくるなぁ……」と小声でつぶやいてから、「いや……うん。なんでもない。こっちの問題だから、気にしないで」と、咳払いをして話を逸らす。


「僕よりも、ほら。ドレス」


 ドレスをイザベラにあてがって、うん可愛い、と誇らしげに笑んだ。


「ベラは髪色が綺麗でよく目を引くからどうするか迷ったんだけど、品よくオフホワイトをメインにレースを多めに入れて今風のデザインにしてもらった。ああ、コルセットはしなくていいからね。これ以上腰を細くしたら折れそうで怖いから」


 着る機会があるかはさておき、コルセットがないのは非常にありがたい。すでに下腹部の傷は完全に塞がっていて、違和感はあれど痛みもないくらいにまで戻っている。とはいえそこをコルセットで締めつける勇気はまだない。


『お気遣いはとても嬉しいです』


 ただ着る予定が……と書いている途中で、ジーンは言った。


「大丈夫。今、ちょっと着てみて」


(今。……今?)


「うん。今」


 笑っているけれど、目が本気だった。




『ジーン様は王子様みたい』


 鏡の前でドレス姿のまま椅子に座り、黒板にこりこり書いていると、イザベラの髪をゆるく結い上げていたクレアからもその文字が見えたのが、彼女はしばらく逡巡してからやるせなさそうなため息をついた。


「それはおっしゃらない方が賢明かと」


(え?)


「せめて貴公子と。……ベラ様はデビュタント前なのでこの国の王族のことをご存じなくても仕方ありませんが…………いえ、わたしがここで口にすべきことではありませんね。さあ、できましたよ。ジーン様に見ていただきましょう」


 王族がどうしたのだろうか。イザベラが王族について知っていることはあまり多くはない。史実で学んだのも、上部をさらっただけの浅い内容だ。


 ひとつ前の国王は在歴が非常に短く、たった十数年ほどで不摂生が祟り亡くなったとされていた。なので王としての資質うんぬんよりも、規則正しい生活習慣は大切だという教訓的な意味合いで引き合いに出されることが多い人物だった。死の直前は、花瓶の花まで貪り食べていたという恐ろしい逸話も残されている。


 そのひとつ前の国王は、特に評判のよくない人物だった。ほしいものはなんでも手に入れないと気が済まず、後先考えず他国に侵攻したり、臣下の孫ほども歳の離れた娘を手籠にして無理矢理寵姫にしたりと、横暴の限りを尽くしていたのだとか。最後は嫉妬に狂った王妃に殺されたのだと聞いた。クレアが言い淀んだのは、この王のせいかもしれない。


 それに比べ、今の陛下の治世は安定している。若くして王になったこともあり、太平の世が長く続くのではと国民の評判も高い。彼が即位した年には王族との恋物語がたくさん売り出されたことは記憶に新しく、イザベラも片っ端から買い占めたが、最後まで読めたものは残念ながらなかった。


 ジーンのことを王子様のようだと思ったのも、王族のようだと思ったわけではなく、その多数の恋物語でヒロインが恋に落ちる王子様に似ていると思ったからで、純粋な賞賛のつもりだった。


 しかし彼が王族のことを身近に知っていたのなら、それは意図せず侮辱になったかもしれない。迂闊なことを本人に口走らなくてよかったとクレアに感謝した。


 もしかするとイザベラの実家よりも、ジーンの方が王族に近いところにいるのだろうか。


 詮索しそうになるのを必死で振り払って、隣室で待つジーンの元へと向かった。待ちくたびれたのか、彼はのんびりプレッツェルを摘んでいたが、こちらを見ると破顔した。


「うん、よく似合っている。かわいい」


 ジーンに褒められ、頰が上気する。それを隠すようにそっと片手で触れる。手袋をしていても頰が熱いのがわかった。


『ありがとうございます』


 しかしなぜドレスを用意してくれたのだろう。お礼の文字をごしごしと消して、率直に尋ねることにした。


『なぜドレスを?』


「なぜって、お茶会に招待されたから。僕と、きみが」


 ジーンが自らを指してから、恭しくイザベラへと手のひらを向けた。


 寝耳に水とはこのことだ。本当に耳どころか頭から水をかぶったくらいの衝撃だった。


(お茶、会……に? わたし、が?)


 昔、まだ祖父の代だった頃、屋敷でパーティーを開いていたこともあった。だけどイザベラは部屋にこもっているよう厳しく言いつけられていたので、あいさつすら誰にもしたことがなかった。


 目を離した隙に自分の息子が下級貴族の娘と恋に落ちていたから、イザベラに同じ間違いをさせないようにと、隠された。


 だが祖父の懸念は正しかったのだと、今ならそう思える。もしイザベラがジーンのような青年に出会っていたら、憧れを持っただろう。


 それでもイザベラは父と違って、相手にはされないということが最初からわかっている。身の丈を知っているからこそ、結局は祖父に従って諦めただろう。


 イザベラは父とは違う。


 だって、他人なのだから。


「姉のお茶会なんだ。姉と、まだ小さい妹の内輪のものだから、そんなに気負わなくても大丈夫だとは思う」


 そうは言ってもひと通り作法を学びはしたが、実践したことがないのだ。


 それに……、


『わたしなんかが』


 行ったら迷惑では、と続くはずの言葉は、黒板を取り上げられたことで途切れた。反論する様に開いた口に、すかさずプレッツェルを突っ込まれる。


「わたしなんかが、なんて言わないこと。それに姉に招待されたのは僕だけではなくきみもだ。正式な招待客だよ」


 プレッツェルを必死にもぐもぐしながら瞬く。ジーンはイザベラのことを家族に話していたのだろうか。招待されたということは、きっとそうなのだろう。つまりこれは招待ではなく召喚命令なのだ。気が重いが、それなら断る術はない。


「僕がきみを囲っているから、気になったらしい。……ああ、愛人だとか誘拐だとか、そういう誤解はしていないから、普通にしていればいいよ」


 さらりと言われた言葉に衝撃を受けた。ジーンの親切心が、世間では誘拐だと思われる可能性があることにこれまでまったく気づいていなかった。もし万が一父がイザベラを探していて、ジーンが手を貸していると知ったら、彼にひどいことをするかもしれない。


 しかしその不安はすぐに自嘲に取って代わられた。


 探しているはずがない。


 もし捜索していたのだとしても、もう諦めている頃合いだろう。イザベラがこの屋敷に来て、もうひと月以上が経過している。どこかで死んでいるか、とっくに外国へと売り飛ばされていると諦めているはずだ。


(そもそも、いなくなったことにさえ、気づいていないのかもしれない……)


「ベラ」


 呼ばれて顔を上げる。


「僕は姉に、きみをなんと紹介したらいいと思う?」


 自分が素性を隠していることでジーンを困らせている。そのせいで彼に不利益が生じるのならば、素直に白状して家に連れ戻された方がいいのではないか。黒板は取り上げられているので焦りながら開きかけた口に、またもやプレッツェルを入れられた。


「きみがどこの誰かとか、正直どうでもいい。そうじゃなくて、今のきみ――ベラが、どう紹介されたいかを知りたい」


 どうでもいい。突き放した言葉なのに、心に湧きあがった感情は安堵だった。


 しかし。


(どう、とは……?)


 友人ではないし、給金という形でお金をもらっていないので雇い主でもない。ならばどういう関係かと問われれば、確かに定義する言葉が見つからない。強いて言えば居候が一番近い気がする。


 だから、



「僕の恋人として紹介されてみる?」



 そう言われて驚いたのは仕方のないことで。


 ついでに激しくむせてしまったのは、たぶん飲み物をくれなかったせいだと思う。



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