冒険者ギルド受付嬢リサ 〜転生者と勇者様と賢者〜
橋沢理奈は、死ぬほど後悔していた。
この世界、吐き気がするほど嘘くさく、薄っぺらい世界に転生した。いや転生させられてしまった。
(あの自称女神、性格悪すぎだわ。
確か、28才? いや29才の誕生日に死んだんだ、私)
理奈は思い返す。自分が死んだ日のことを。
―――――――――――――――――――――――
「……このまま、地味に生きてて意味あるのかな」
退社後帰宅中に歩きながら、そんな独り言を言った記憶がある。
その日、職場の若い女性達が、理奈のことをトイレの手洗い場で話していた。偶然、個室にいた理奈は、聞きたくもない言葉を聞いてしまった。
「橋沢さんってさ、暗いよね」
「暗い、暗い。仕事のことしか、話したことないもん」
「彼氏とか友達とかいるのかな」
「いないでしょ。経験なかったりして」
「ああなったら、女として終わってるよね」
理奈は個室内で泣いた。ハンカチで声が漏れないようにして。
悲しさ、悔しさではなく、惨めさで涙が流れた。
(この盗み聞きはただのきっかけ。ずっと感じていた孤独感、虚無感、失望感)
嗚咽を抑えるのが苦しくなってきた。
(たしかにそう思われても仕方ないけど、それで私……、あなた達に迷惑かけた?
十年以上、地味な事務職だけ、彼氏も滅多に出来ないし、出来ても長続きしないし。
趣味は読書、ゲーム。自分のことを『オタク』と思えるほどのめり込んではいないけど、インドア派なのは間違いない。
でも、それであなた達に迷惑かけた? なにか悪いことした?)
誕生日だからといって誰かが祝ってくれる訳もなく、そもそも理奈の誕生日など、誰も知らない職場からの帰宅中に死亡した。トラックに跳ねられて。
理奈は、そのとき頭に浮かんだ言葉をハッキリ憶えている。
(――まあ、いいか)
気付いたときには、だだっ広い部屋にいて、目の前にやたら胸が大きい露出狂みたいな金髪女性が立っていた。
(ま、まさか、これって――)
女性は「女神ローザセント」と名乗り、あなたの今回の死は手違いだから異世界でなんとかかんとか。チートスキルをなんとかかんとか。
理奈の予想どおりだった。あまりにも予想どおりなので、真剣に聞くことを話の途中で放棄した。
(なんか読んだわ。こんな話。流行ってるジャンルらしいとなんとなく買って、あまりの荒唐無稽さに途中で読むのをやめたやつ)
同ジャンルでも、偶然極端に出来が悪いものを選んだのかと思い、何冊か読んでみたが結果は同じだった。
(同じ作者のものを買ってしまったの?)
慌てて表紙を再確認したが、やはりどれも違う作者だ。
何冊かは無理して、最後まで読んでみた。「どんでん返しのエンディング!」などもなく、結局面白くないまま物語は終わってしまう。ウンザリした。「気持ち悪い」とさえ感じた。
思い出しながら、理奈はローザセントを冷めた目で眺めた。
(目の前の自称女神は、無理して読んだ小説そのまんまだわ。なら、その後の展開も多分、そのまんま。ウンザリするだけよ)
理奈は大げさな溜め息をついたが、ローザセントは気付かず、異世界の素晴らしさを語り続けている。
理奈は父方の叔母を思い出していた。
頼んでもいないのに、定期的にお見合いの話を持ってくる叔母。
結婚の素晴らしさを勝手に語り続ける叔母。
自分の価値観しか認めない叔母。
(大きなお世話よ)
手を上げて話を遮った。
「いや、もう、いいです。そういうの」
「えっ?」
ローザセントは驚いた。拒否されるなんて想定していなかったらしい。
「あなたのミスでもなんでも、もう運命として諦めますから。どうせ、私が事故に遭う直前の世界に戻してくれって頼んでもダメなんでしょ?」
理奈は訊いた。内心諦めていた。
「そ、それは……」
ローザセントはハッキリ答えない。
「でしょうね。だからもういいです。私、トラックに跳ねられたとき、『まあいいか』くらいにしか思わなかったんですから」
強く、きっぱりと言った。
「あなた、私の話を聞いてました? 転生すれば素晴らしい……」
ローザセントは納得出来ない。
「そっちこそ、私の話を聞いてました? 私は『もう、いい』って言ってるんですよ。そんな世界行ったって、ウンザリするだけだと分かるからどうでもいいです」
モゴモゴ言うローザセントと対照的に、理奈は返答に迷わない。
(あんな物語のキャラになるなんて吐き気がするわ)
理菜は数冊だけ読んだ、あのジャンルの小説を再度思い出していた。
「そんなの分かる訳ないじゃない」
ローザセントは苛立っている。
理奈は、また溜め息を吐いた。
「あなたも含めて、内容がソックリな馬鹿げた話、けっこう知ってるんですよ。早く、このくだらないやり取りを終わらせて下さい。ありがた迷惑です」
「なっ、なんて不遜な。私は慈悲で……」
ローザセントの顔は真っ赤になった。
(怒らせた方がサッサと死なせてくれそう)
理奈はそう判断した。
(あのジャンルの小説に出て来た女神をネタに、怒らせれば……)
「ついでに言っときます。そのうち、あなた、この部屋に来た転生者の男を簡単に好きになって、イチャイチャしますよ。それか、あなたが無計画に与えたチートスキルを、あなた自身に使われて犯されるか」
おちょくるように、わざとゆっくり言った。
「あなた、誰に何を言ってるのか分かってるの!?」
ローザセントは握りこぶしを作り震えている。
(もう一押しだわ)
理奈は、ローザセントを更に怒らせる言葉を探し、思いついた。
「それとも、もう経験済みですか?」
その一言を聞いたとき、もともと大きなローザセントの目が一際大きくなった。理奈は強烈な光に包まれた。
「おい、起きろ。仕事に遅れるぞ」
目を開くと、丸太で組まれた天井が見える。理奈が生活していた部屋の天井と全く違う。そもそも一人暮らしだったので、起こしてくれる人などいなかった。
声がした方向へ目だけ動かすと、スキンヘッドで口ひげを蓄えた大柄の中年男性が立っている。緑色の服、革の装飾品を手首につけていた。
既視感に襲われて理由を考える。
(ああ、何かにいたなあ。こんな人。何かのゲームだったっけ?)
男性は口を開いた。
「リサ、お前も今日から18才なんだから、もっとしっかりしないとダメだぞ。父さんと同じ職場だからって、甘えるなよ。……それとも初出勤に緊張して昨日の夜、眠れなかったのか?」
――私の名前はリサらしい。
――私は今日から18才らしい。
――この男性は父親らしい。
――今日は初出勤日で、父親と同じ職場らしい。
(分かりやすっ! バカにしてんの!?
それと、あまりに自然すぎてスルーしそうだったけど、なんで日本語なのよ? アメリカ人が『この世界』に来たらどうすんのよ?)
ローザセントに対して怒りが湧いてくる。
(怒らせれば、私の人生終わりに出来ると予想したのに。
――嫌がらせで転生させたわね。『大いなる慈悲』で転生させてあげるというスタンスを全否定されて、プライドが傷付いたのかも知れないわ。
いいわよ。とりあえず付き合ってやるわよ。この茶番の終わらせ方を見つけるまでの辛抱だわ)
「分かったわ、父さん。着替えるから一人にして」
「あっ、ああ、悪かったな。朝飯を母さんが用意してるぞ」
「昔は一緒に風呂に入ってたのに……」
後頭部をボリボリ掻くというわざとらしい演出をしながら、父親は出て行った。
さっき呼ばれた名前を、再確認する。
(私はリサ。もう、橋沢理奈じゃない)
リサは起き上がり、ベッドに腰掛け、溜め息を吐く。
そこで気付く。胸元まで伸びた髪が、元の黒髪から金髪に変わっていることに。
(かっ、勘弁してよ。あっ! まさか、もしかして――)
恐る恐るリサは耳に手を伸ばし、触れた。
耳は尖っていない。人間の耳だ。
(よかった。エルフとかにされていたら、何千年もこの世界で生きるハメになるとこだったわ。冗談じゃない)
立ち上がり、小さなクローゼットっぽい木製の引き戸を開ける。服が綺麗に吊り下げられていた。
ゲームで見たような服ばかりなので、ゲームで見たような組み合わせで着る。鏡には美しい少女になった自分が映っているが、嬉しくもなんともない。
(バカバカしい……)
何度目かも分からなくなった溜め息を吐いた。
(ああ、朝食を食べに行かなきゃ)
部屋を出るとき、リサは考える。
(――もう少し、上手くあの自称女神を煽れば、こんな面倒なことにならなかったのかな? 最悪)
リサは、死ぬほど後悔している。
扉を開け、自室を出た。
いい匂いがする方へ、歩いていくと簡単にキッチンに行けた。こじんまりとした平屋だ。
木製のテーブルには、やはり木製の食器類が並べられサラダやトーストが載せられていた。父は既に食事を始めている。
「リサ、おはよう。ご飯食べちゃいなさい」
丸い顔の女性がリサに笑顔を向けている。母親だろう。
「おはよう。……えっと、いただきます」
(朝食を食べるなんて何年ぶりだろう)
リサは食事しながら周囲を伺う。少しでも、情報が欲しかった。
(――無理して読んだ何冊かには、いつも弟か妹がいたけど。いないのかしら? テーブルにも3人分しか用意されてないし)
「まったく……。ロイは3年間も、どこほっつき歩いてんだ。もう16才だろう」
父が独りごちる。
(分かりやすっ! 私には16才の弟がいて3年前から、行方不明らしい)
「まあまあ、立派な冒険者になって帰ってくると信じましょうよ」
(あっ……補足説明。頂きました)
リサは、トーストを無言でかじる。
(冒険者目指して、修行の旅かなんかに行ってんのね。前から気になってんだけど『冒険者』って職業なの? 立派な冒険者ってなに? コロンブス? バスコ・ダ・ガマ?)
カップを手に取り、ミルクを飲む。
(そう言えば、この人達の名前知らないんだけど。多分、ここまで出て来ないなら、知らなくても困らないんだろう。雑だわ、本当に雑だわ。大体、昨日までの18年間、生きてきた『リサ』の人格はどこいったのよ? 『私』を入れる為に、この身体から追い出されたの? そんなデタラメ、理不尽だわ。あの自称女神、なんなのよ……)
苛立ちを顔に出さないことに集中していた。
両親は本当に嬉しそうな顔で、リサを見ている。
娘の門出に幸せを感じているのだろう。
リサは戸惑う。こんなに優しい目で見られたのは、いつ以来か分からない。
(――もし、もし私がこの茶番を終わらせたくて自殺したら、この人達はどうなるの? 元々の『リサ』はどうなるの?)
ふっと、疑問が湧いた。
食事を終え、いよいよ出勤の準備をしないといけない。
歯磨きをしたかったが、この世界にはそんな習慣がないらしい。うがいだけ、しっかりする。
リサは部屋に一旦戻り、準備と言えるようなこともないと気付く。この外見なら化粧も不要、そもそも化粧道具も見当たらない。財布もない。当然、スマホなどある訳がない。
とりあえず、ツタで編んだ空のバッグを手に取り、部屋を出た。
玄関には、既に両親が立っていた。父は小さな包みを二つ持っていて、一つ渡してくる。
「母さんが弁当作ってくれたぞ」
「えっ……。あ、ありがとう」
リサは母に礼を言い、バッグへ入れた。以前の味気ない昼食を思い返す。
(――ずっとお昼はコンビニだったなあ)
「行ってくるぞ」
「……行ってきます」
「行ってらっしゃい」
父が扉を開け、二人で外に出た。
外の世界は、完全にリサの予想通りだった。
中世ヨーロッパの街並み。
赤いレンガで作られた家々。
石畳の上を走る馬車。
今までゲームなどで散々見てきた、鎧や法衣などを纏った人々。
(――1ミリも予想とズレてないって、ある意味すごいわね)
リサは心の中で、皮肉を言う。
道を歩いていると雑踏の中、たまに似た言葉が聞こえてくることに気付く。同じアクセントなので、違う人達が違う場所で言っていても耳に残りやすい。
「す……おぷっ!」
「す……おぷっ!」
(――なんだったっけ? 覚えがあるんだけど)
「おい、どうした?」
いつの間にか、父は大きな建物の入口前で立ち止まっている。
「あ……。えっと」
リサは我に返った。
「なんだ? まだ寝ぼけてんのか? この冒険者ギルドの受付をしたいって、言い出したのはリサだろう?」
父の補足説明が入る。
(分かりやすっ! ――冒険者ギルドって冒険者のハロワみたいなもんだったっけ)
「ああ、そうだよね。ごめん」
二人は大きな扉を開け、中に入った。
そこは、椅子やテーブル、カウンターなどが配置されている大きな部屋だった。既に何人かが床を掃除したり、カウンター内で書類をまとめたりしている。10人以上はいるだろう。
リサの第一印象は「洋風居酒屋」だった。
居酒屋と異なるのは、入口近くに小さなカウンターが一つあることだ。コの字型でかなり狭苦しく見える。
「おはようございます。ギルド長」
皆が挨拶してくる。
「おう、おはよう」
(そうか、父はギルド長なのか)
リサは大して驚かない。まず「ギルド長」の肩書きの価値がピンと来ない。
(まあ、私が驚いたらおかしいわ。昨日までの『リサ』は当然、父の仕事を知っているし)
父は一同を眺め、口を開いた。
「今日からここで受付をする、リサだ。オレの娘だが、特別扱いしなくていい。してはならない。ビシビシ鍛えてくれ」
「はいっ!」
大きな声で一同が、返事をする。
慌ててリサも挨拶する。
「よろしくお願いします。……リサです」
(――こんな場の挨拶で『リサです』って。私の名字はなんなの? ないの? リサ・クルエル・フエミスターバルトとか、舌を噛みそうなヤツ)
「リサさん、こっちに来て。お仕事の説明するから」
振り返ると女性が入口近くの、小さなコの字型カウンター内から呼んでいる。地味な印象、そばかす、丸メガネの若い女性だった。
リサは、彼女をどこかで見たような気がした。多分、数冊だけ読んだあの、あまりの荒唐無稽さに途中で読むのをやめた本で、だろう。
「カーラです。よろしくお願いしますね」
会釈されて、慌ててリサも頭を下げる。
カーラと入れ替わり、カウンター内の椅子に座る。なんとも狭い。
「ごめんなさい。狭いですよね? こっちの一人用のカウンターが受付カウンターです。私や、他の職員が仕事してる方を大カウンターと、区別して呼んでます。それでですね……、これを見て下さい」
カーラが紐で閉じられた書類の束を渡した。当たり前の様に日本語で書いてある。
「はい、まず冒険者さんは、受付カウンターで登録カードを出します。パーティーでもソロでも同じです」
「はい」
「で、そのカードに色々書いてますけど、私達の仕事で必要なのは、ランクのデータだけです」
リサはカーラの心地良い声、丁寧な口調に好感を持った。
カーラが真剣に仕事を教えようとしてくれていると感じた。
リサは頷く。ランクの知識くらいはある。要するに、冒険者たちを能力で格付けしてるのだろう。
「そのランクと、この書類のランクを見比べて、同じランクのお仕事があったら、内容と報酬を教えてあげて下さい。『なんとか火山の盗賊団を全滅させる、成功報酬幾ら』と、書いてあるとおりに伝えます。冒険者さんが依頼を受けるなら、大カウンターの私のとこで正式に手続きします」
「それだけですか!?」
リサは拍子抜けした。
「そうですけど?」
カーラは不思議そうに応じる。
(こんなの部屋の端っこにでもノートを置いて、勝手に見てもらえばいいんじゃない? カーラの厚意には、ちゃんと応えようと思うけど)
リサはカーラに気付かれないように溜め息を吐いた。
何処かに教会のような建物があるのだろう。 外から、それによく似た鐘の音が響き渡った。
「あっ、開店です。じゃあ頼みますね。あたしは大カウンターにいますから、何か困ったことがあったら、呼んで下さい」
「はい、分かりました。ありがとうございました」
「リサさん……」
カーラが顔を覗き込んでくる。
「はい?」
「雰囲気変わりましたね」
リサは驚いた。言葉に詰まる。
「えっ、それはどういう――」
やっと口にしたとき、カーラは去っていた。
リサが受付カウンターに座ったタイミングで、「いかにも冒険者」的な外見の大勢の人達が入って来た。
カウンターに並ぶ者、椅子に座り談笑する者、壁に背を預け、静かに部屋を眺めている者などバラバラに分かれていく。ギルド内は一気に騒がしくなった。
「仕事を紹介してくれ」
列の先頭は、博物館にありそうな西洋っぽい鎧に身を包んだ男性だ。動くたびに金属音が響く。
カーラの説明通り、男性はカードを渡してきた。
(えっと、この人はBランクだから――)
パラパラと書類をめくる。
(あった、Bランクの依頼だわ)
――ルイナ沼にいる大蛇を退治する。報酬50000ローザセント。
(ローザセント!? あの自称女神、自分の名前をこの世界の通貨にしてるの? 悪趣味だわ)
「はい、このお仕事はどうでしょう?」
書類を見せる。
「なるほど。やってみる価値はありそうだ。ありがとう」
男性は満足気だ。
「いえいえ、頑張って下さい」
金属音を鳴らしながら、鎧の男性が大カウンターのカーラへ向かったときだった。
「すっ……おぷっ!」
「すっ……おぷっ!」
ギルド内の喧騒に、ここに来る途中、街の中で聞いたセリフが混ざっていることに気付く。
リサはその声に意識を集中する。すぐに答えが分かり脱力した。
「ステータスオープン!」って言ってるわ。よく見えないが、自分のステータスを空中に浮かび上がらせて、確認しているのだろう。
(――ホントに言うんだ。ダサっ! 聞いてるこっちが、恥ずかしい)
言っている人の声に、得意気な響きが滲み出していた。
(かっこわるっ。私なら恥ずかしくて絶対言えない。言いたくもない)
「ちょっと! いつまで待たせんのよ!?」
リサは我に返った。
(いけない。仕事中だった)
正面に小麦色の肌の美しい女性がいて、カウンターを右手人差し指の爪でカツカツ叩いている。
下着をそのまま金属にしたような物しか身に着けていない。胸の谷間が丸見えだ。
カウンター越しなので上半身しか見えないが、下半身も容易に想像出来る。ゲームなどで散々見てきた。
(――ホントにいるんだ。こういうの)
見ているリサの方が恥ずかしくなる。
この人は防御力を上げたいのか、下げたいのか分からない。周囲の男性たちが、全くイヤらしい目で見ていないのもよく分からない。
苛立ちを隠そうともせず、カードを突き出してくる。
(Aランクか。じゃあ、さっきの鎧の人とこの人がケンカしたら、コッチが勝つってことなのね)
リサは書類をめくる。
「Aランクでしたら、この依頼はどうでしょうか? ガラン教会……えっと今は廃墟ですね。ガラン教会で魔物を人化する禁呪の完成を目指している、邪悪な賢者の討伐、128000ローザセントですね」
最初に見つけたAランクの依頼を伝える。
「安くないか? 相手は賢者なんだろう?」
女性の苛立ちが更に強くなる。
「私に言われましても……」
リサも少し苛立つ。
(この人、めんどくさっ)
「また、出直す」
リサの手からカードをひったくると出て行ってしまった。
(ふぅん、賢者ってやっぱりすごいんだな。『魔物を人化する禁呪』? スライムとかを人間にするってこと?)
その後、数人、数組の冒険者たちへの依頼紹介で、リサは自分の仕事に慣れてしまった。
(なんなのこれ? 簡単すぎじゃない? やっぱりノートかなんか、部屋の端っこにでも置いとけば――)
ただ、ただ、依頼の紹介を頼まれる。
ただ、ただ、カードのランクと依頼のランクを合わせる。
誰も来ないときは仕事もない。
カーラに「何か手伝えることはないですか?」と訊いたが、何もしないでいいらしい。
何もしないで座っていると、嫌でも「前にいた世界」を思い出してしまう。
家族のこと。
同僚のこと。
数少ない友人のこと。
過去にいた数人の恋人のこと。
(私が死んだと聞いて、どう感じたんだろう。あっ? 転生したら、私の肉体ってどうなってんの?)
ついつい感傷的になってしまう。
そのとき、正午を知らせるらしい鐘の音が響いた。
カーラに呼ばれ、別室で二人、昼食を摂る。明確な昼休みがギルドにはないので、交代で冒険者たちの対応しながら昼食を摂るらしい。弁当の包みを開けると、サンドイッチが入っていた。美味しかった。
午後も、同じ仕事を繰り返す。カードと依頼を合わせ、説明する。ただそれだけ。本当にただそれだけ。
カーラが言うには、午後は冒険者の数も減り、待ち時間が増えるらしい。午前中でさえ退屈だったのに。
(飽きたああっ! なによコレッ! 自称女神っ! あんたの嫌がらせは『効いてる』わよっ! よかったわねっ!)
心の中で絶叫する。その直後、ハッとする。
(なんか私のキャラ、ブレブレだわ。昼食前はしんみりしてたのに。情緒不安定どころでは済まない。『雑な世界』だからこそ、しっかりしないと飲まれてしまうわ。こんなのに付き合ってられない)
リサの希望はたった一つ。
(――さっさと終わらせたい)
その時、リサの脳裏に今朝の嬉しそうな両親の顔が浮かんだ。この身体の持ち主の……。
(――でも、自殺するわけにはいかない。リサの人生は私のものじゃない)
リサは、他人の人生を奪うなんて耐えられない。
溜め息を吐き、淡々と仕事をこなす。時々、聞こえてくる「ステータスオープン!」にイライラしながら。
(自分の実力さえ数字を見ないと分からない、ってなんなのよ? 他の人と見せ合いっこでもしてんの?)
陽が落ちかける頃、鐘が鳴った。
カーラがやってくる。
「リサさん、今日のお仕事は終わりですよ。お疲れ様でした。明日からもよろしくね」
「明日もこんな感じなんですか?」
リサは既にウンザリしていた。
カーラは辺りを一瞥し、答える。
内緒話をするときの声の低さで。
「多分、違う展開になると思うわ。そろそろ、定番のガラの悪いヤツか、勇者様が来るかも。このままじゃ盛り上がりに欠けるわ」
リサは「展開」、「定番の」、「盛り上がり」というカーラの言葉に、ある疑問を感じた。
「カーラさん、あなた、まさか……」
カーラは微笑んだ。リサの疑問には直接答えず、話を続ける。
「あたし、ここに来る冒険者たちを、頭の中では違う呼び方してるの」
「なんて呼んでるんですか?」
「スペランカーよ。本来は『アマチュア探検家』って意味らしいわ。リサさんはスペランカーって言葉、知ってる?」
カーラの質問の意味を、リサは一瞬で理解する。
「あなたは、あたしと同じような転生者なの?」
カーラは、そう訊いている。
リサは迷わず答えた。もはや、敬語は不要だろう。
「ええ、実際にプレイしたことはないけど、有名だから知ってるわ」
「……そう」
カーラは再び微笑む。
「おーい、カーラ。報酬の会計処理、頼む」
父がカーラを呼ぶ。
「パソコンとまでは言わないけど、電卓もないなんて……ね?」
リサの返事を待たずに、父へ向かう。
そのとき、カーラは何かを思い出したかのように立ち止まり、振り返った。
「リサさん、今夜……出るわよ」
「えっ」
今度こそ、カーラは行ってしまった。最悪な一言を残して。
(出るって、なによ? いやもう、あの言い回しって幽霊以外ないんだけど)
リサは帰宅することにした。父はまだ仕事があるらしく、一人でギルドを出た。
真っ赤な夕焼けに照らされた街を歩く。家から一本道だったので、迷子の心配はない。コウモリがヒラヒラ飛んでいる。
家に着き、母に初出勤の感想などを伝え自室へ入った。母はまだまだ話足りない様子だったが、「疲れている」と早々に切り上げた。少し申し訳なく思う。
夕飯は、父が帰ってかららしい。
部屋着っぽい、ゆったりした服に着替え、ベッドに腰掛ける。
考えることが多すぎて、大きすぎて混乱している。
仕事中も客がいないときは、「前にいた世界」のことばかり考えていた。
(そんなに『幸せな世界』だったとは言えない。でも、私なりの繋がりはあったと気付いた。簡単には切り捨てられない)
リサは目を閉じた。
(人間、そんなに単純じゃない。人生、そんなに単純じゃない。 そう、信じたい)
次にカーラのことが浮かぶ。彼女は私と同じだ。多分。いや、絶対。
(パソコン? 電卓? スペランカー?
いつから彼女は、この世界の住人なんだろう? 他にもカーラや私のような人たちがいるのだろうか?
それと彼女の言葉、『今夜出る』って怖すぎるわ。ちょっと、このことについて考えるのは、やめておこう)
他にも、仕事のこと、明日からのこと、自称女神のこと……。
色々考えていると母に呼ばれた。夕飯らしい。
お腹が鳴った。
帰宅していた父と三人で、初出勤の話をしながら食事をした。朝食の時以上に二人は嬉しそうで、辛い。
望んでこうなった訳ではないが、騙している罪悪感を感じてしまう。
この身体を、この人生を、リサに返さないといけない。こんなの間違ってる。
無理に笑顔を作り続けたため、疲れた顔を擦りながら自室へ戻る。
部屋は既に真っ暗だ。かすかな月明かりしかない。ベッドの脇にランプのような物があるが、使い方が分からない。この世界には電気がない。
仕方なくベッドで横たわり、暗い天井を眺める。
(ふとんがフワフワだわ。太陽の匂いがする。母が干してくれたのだろう。
そう、この世界の母が。『あの女性』は優しい。作ってくれる食事も美味しい。父も……『あの男性』も優しい。私のことを大切に想っていることが分かる。たった一日しか経ってないのに)
「昨日までここにいた、リサは幸せだったのね、羨ましい」
なんとなく暗闇の中、独り言をこぼすと、声が聞こえた。
「ええ、幸せでした」
「!?」
横を見ると、自分と全く同じ姿の少女が陽炎の様に立っている。月明かりの中、全身が少しボンヤリしていて、身体の向こう側がかすかに透けて見える。
驚いた。確かに驚いた。しかし、理解も出来た。
(――昨日まで、この身体に『いた』リサだわ。魂? 精神? 人格? なんでもいいけど、そういうものだわ)
「リッ、リサさん? ……リサさんよね?」
陽炎は小さく頷く。
「とんでもないことに巻き込んじゃってごめんなさい……。私、どうすればいいの? 信じてもらえないかも知れないけど、あなたにこの身体を返したいの。ホントよ」
「分からないです。私は昨夜眠りについて、朝起きたらこうなってました」
ローザセントと自分に腹が立ち、リサは唇を噛み締めた。
「私が死んだら戻れるの? それとも完全に戻れなくなるの?」
両親に聞こえないように小声で訊いた。
「分からないんです。でも、ひとつだけ感じていることがあります」
リサの小声よりも弱々しい声が返ってきた。
「なに?」
嫌な予感がする。
「こんな姿でさえ、存在していられる時間はあまりないようです。今、すごく消耗している気がします」
(あの自称女神、良心とかないの!?)
「お願い、諦めないで。何か方法はあると思うの。私なりにやれることはやるから」
今は何のアテもないが、本気で言う。
「ありがとうございます。……でも、このまま消えてしまっても、神が決めた運命なら、受け入れようと思います」
(――あいつ、あなたが思ってるようなマトモな神じゃないわ!)
「多分もう無理です。だから、頼みたいことがあるんです。お願いしてもいいですか?」
「無理」なんて、リサは認めたくない。
「そんなこと、考えないでよ。なんとかするから」
陽炎は首を振る。
「なんとなく予感があるんです。このまま、消えてなくなるんだろうな、って。だから、聞いて下さい。お願いです」
「……分かったわ。言ってみて」
陽炎は少し間をおいて、覚悟を決めたように話し始める。
「家からギルドに向かって一つ目の角に、小さな道具屋があるんです。そこにケントという男の子がいます。私と同い年です」
「うん」
「なにか困ってたら、助けてあげて下さい。大人しくて、頼りないけど優しい男の子です」
(――彼氏なの? 片思いなの?)
そんな疑問が浮かんだが、ひどく下世話な感じがして切り捨てた。
「ええ、分かったわ。約束する。私に出来ることは何でもやるわ」
小声だが、力を込めて強く言った。
「ありがとうございます。ああ……もう……」
陽炎は……。
リサは消えてしまった。
「リサさん……?」
一瞬不安になるが、頭を振って考え直す。
(いや、完全にこの世界から消滅した訳じゃないわ。見えなくなっただけよ。
――そう信じていないと、頑張れない。
この幸せな家族を、私が原因で壊すわけにはいかない)
リサは目を閉じた。
転生、異世界、リサ……。衝撃的なことばかりだったが、考える間もなく、眠りに墜ちてしまった。疲れ果てていた。
翌朝、リサはギルドへ向かい、一人で歩いている。父には「ちょっと寄るとこがあるから」と先に行ってもらった。
(――角の小さな道具屋。あった。あれだわ)
目的地は簡単に分かった。店は既に開いている。店内を覗くと、昨日聞いたケントらしい人物が商品を棚に並べている。
「おはよう。ケント」
その声で、ケントは初めてこちらに気付いたようだ。何故かひどく動揺している。
「お、おはよう」
ぽっちゃりした男の子だ。人の良さが、そのまま出ているような顔をしている。
「昨日から、おじさんのギルドで受付してるんだよね。大丈夫?」
心配そうに訊いてくる。
(『簡単すぎて気が狂いそうよ』とは言えないわね)
「ええ、なんとかやってるわ。ケントは?」
「うん、相変わらずかなあ。お母さんの薬代を稼がないといけないけど、全然、お客さん来ないんだよね。お父さんが生きてればなあ」
昨夜、リサと話をしていなかったら、やっぱり定番すぎて「分かりやすっ!」と茶化しただろう。
しかし、今はそんな気持ちになれない。
「そう……」
リサは店内を見回す。傷薬、解毒剤、松明、ロープ……。ゲームで見たことあるような物ばかりだ。
「前にいた世界」の職場で、上司がいつも言っていたことを思い出す。
「客を待つな! 取りに行け!」
ふっと、一つアイデアが浮かんだ。
「……私に少し考えがあるの。上手くいくか分からないけど、一日だけ待ってて」
それだけ言って店を出た。
ギルドへ到着すると、昨日と同じ光景が広がっていた。掃除する人、書類をまとめている人。カーラは大カウンターを雑巾で拭いている。
カーラに近付き、小声で告げる。
「出たわ」
「……そう。お昼休みに二人で、話ししましょうか」
次に父の元へ向かう。
「ねえ、父さん、提案があるんだけど」
「ん、なんだ?」
「昨日一日、ここで働いて気付いたんだけど、冒険者の人達へのサービスが、足りてないような気がするわ」
「おう、例えば?」
ここで頭ごなしに否定されたら、諦めようと思っていたが父は話は聞いてくれそうだ。
「旅に必要な小物なんかを、ここでも売ったらどうかしら?」
「しかし、誰が売るんだ?」
「私がやるわ。受付だけだと時間が余るの」
「そんなこと、出来るのか?」
――私はあっちで高校卒業して十年以上、社会人してたのよ。
「ええ、出来る自信あるわ」
「売り物の調達のアテは?」
父の目は厳しい。軽い気持ちの提案と感じたら許さないだろう。
「え、ええ。もちろんあるわ。心配ないから」
「分かった。やってみろ。やり方は全面的に任せよう」
「ありがとう。さっそく今日の帰りから動くわ」
頭を下げ、父の元を離れる。そろそろ冒険者たちがやってくる。
背後から、父の声が小さく聞こえた。
「……ケントか」
(お見通しだったみたいね)
狭い受付カウンター内の椅子につく。
そう言えば、昨日カーラがなんか言ってたな。
「そろそろ定番のガラの悪いヤツか、勇者様が来るかも」
大きな鐘の音が鳴る。開店だ。
鐘の音が鳴り止まないうちに、扉が勢いよく開かれた。冒険者たちが入って来る。
ドスドスと足音を立て、男が受付カウンターの前に立った。黒い革製らしい服を着ている。
(冒険者というより、ならず者だわ。目つきの悪さ、顔のキズ、絵に描いたような、ならず者だわ。なるほど、カーラの予想通り『ガラの悪いヤツ』が来たみたいね)
「仕事を紹介してくれ」
カードがカウンターに置かれる。
カードを手に取りランクを確認するとAだった。昨日、紹介した依頼が気に入らなくて、帰った半裸の女性と同じか。
リサは面倒くさくなって、昨日と同じ案件を告げる。
「Aランクでしたら、この依頼はどうでしょうか? 今は廃墟になっているガラン教会で、魔物を人化する禁呪の完成を目指している邪悪な賢者の討伐。128000ローザセントですね」
「賢者相手の仕事なのに、たったそれだけか? バカにしてんのか!?」
リサは腹が立った。朝、ケントの店で見たが、傷薬の売値はたった15ローザセントなのだ。
「たったって……。128000もあれば、救える命もありますよ!」
「冒険者に口答えするのか!? 魔物も狩れない受付嬢の分際で! 黙ってろよ!」
ギルド内に静寂と緊張が走る。男の背中越しに、父やカーラがこちらに来ようとしているのが見えた。小さく手を上げて制止する。
リサは薄々、勘付いていた。
(あんたは多分、かませ犬よ。盛り上がりを作るための)
「賢者が怖くて、断る理由を金額にしてるだけじゃないんですか?」
「な……なんだとぉ!」
そのとき、背後からならず者の肩を掴む者がいた。
「やめろよ、怯えているじゃないか」
金髪の青年だ。かなり整った顔立ちをしている。普通の服の上に、小さな金属製の美しい防具をところどころ付けている。
周りの冒険者たちがざわつく。
「ライルだ。勇者ライルだ……!」
「えっ! 竜殺し、ドラゴンスレイヤーのスキルを持っている伝説の?」
「実在したのかっ!」
「何故、こんな田舎に!?」
(勇者様登場だ! 分かりやすっ! ホントに来たっ! 私、全く怯えてなかったと思うんですけど)
わざとらしい周囲のざわめきに、ならず者がわざとらしい青い顔をする。
ライルがわざとらしく、ゆっくり言う。
「さっさと失せた方が、身の為だぞ」
(『わざとらしさ』の3乗で、ため息よりもあくびが出るわ……)
ならず者は「ヒッ」と小さな声を上げて、スゴスゴとギルドを出て行った。
(あんたの出番は終わりよ。お疲れ様。あのジャンルの小説なら1ページもないわね)
まさに引き立て役だった。
ライルが「フンッ」と鼻を鳴らす。
(なんか、いけすかない男。一応、助けてもらっといてなんだけど)
「君、もう大丈夫だ」
「ありがとうございます……」
「怖い思いをしたようだな」
ライルがカウンター越しに手を伸ばして、頭を撫でようとしてくる。
「ちょっ……!?」
反射的に後ろへ避けてしまう。
ライルの顔を見ると「信じられない」という表情をしている。美しい顔が歪んでいる。差し出したままの手が、滑稽だ。
あの自称女神と同様、自分の価値観が全て正解だと思っているのだろう。
(イヤイヤ、アタマ撫でられただけで『ポッ』と惚れませんよ? それ以前に、気安く女の髪を触る男は嫌われますよ?)
「あの……ライル様?」
いつの間にか父がいて、申し訳無さそうに話しかけていた。
「どういったご用件で?」
「いや、前を通りかかったとき、怒声が聞こえたものでな」
撫でようと出したままのマヌケな手を、ライルがしれっと引いた。リサは見逃さなかった。
(カッコわるッ!)
「ああ、それはありがとうございました」
父が深く頭を下げる。
「ついでに教えておこうか。北の果ての村へ最近行ったのだ。アギラ氷山に封印されたドラゴンに動きが見られるらしいと、報告を受けてな」
父は何も言わない。
リサは内心イライラしだした。
(こいつ、目上の人に対する口のきき方、知らないの?)
「で、北の果ての村の予言者が言うには、ドラゴンは復活後、この街に降り立つらしい。オレが退治しないとな」
ライルは、固唾を飲んで話を聞いているギルド内の人々を見回し、一拍置いて言った。
「スキル、ドラゴンスレイヤーを持っているオレがな」
リサはその光景に呆れていた。
(――決まった! じゃないわよ! ダサッ! 分かりやすっ! なんでこのジャンルの勇者様は、どいつもこいつも幼稚でナルシストなのよ!? このキャラ、中学生が考えたの!?)
リサは、ライルの話を納得出来ないが、理解は出来た。
(もうすぐ、すごいドラゴンが復活する。何故か、ホントに何故か、この街にやってくる。だから、先回りしてここへ来たということね)
「ドラゴンが現れるまで、この街に滞在する。もし、ギルド内で情報掴んだら、教えてくれ」
「はい、その際は直ちに」
「三十億年の封印から自由になって、すぐに退治されるドラゴンも気の毒なものだ」
ライルは全く、気の毒そうな顔をしていない。
リサは更に呆れた。
(三十億年!? この世界は三十億年前から人類がいたの? 三十億って、いかにもアタマ悪そうな数字だわ)
「さて、そろそろ行くか」
ライルは父へ一言告げ、ギルドを後にした。リサには目もくれない。
頭を撫でようとして、拒否されたのが気に入らなかったらしい。
「リサさん」
名前を呼ばれて顔を向けると、カーラがカウンター横に立っている。
「あたしの予想通りだったわね」
「ええ」
「今日はもう、何も起きないわ。十分盛り上がったもの」
カーラは、大カウンター内へ戻って行った。
(確かに……。もう、お腹いっぱいだわ。吐きそう)
リサは周りを見渡す。
先程までライルに心酔し、大騒ぎしていた冒険者達は、一瞬で元通りに戻っている。
時折、例の「ステータスオープン!」が聞こえてくる。どう考えても、ここでステータス確認する理由が分からない。やはり見せ合いっこでもしてるんだろうか。
気付けばカウンター前には、人が列を作っている。
(――さて、仕事しますか。つまんないけど)
溜め息とあくびを噛み殺し、リサは冒険者から登録カードを受け取った。
昼休み、ギルド内の小さな部屋で、リサはカーラと昼食を摂っている。
他に誰もいない。
「カーラさんは、いつからここに?」
「こっちの時間で、二年くらいよ」
「私は、なんか手違いで死んだからとか、言われたけど?」
「まあ、あたしもそんな感じよ」
リサはお互いの身の上話よりも、聞きたい事へ話題を切り替えた。
「昨日の夜、私のところに現れたのは、元々この身体にいた人格よね? 元に戻す方法はないの?」
「ごめんなさい。分からないわ。それに……」
カーラは下を向く。
「この身体を元の人格に返す方法があったとしても、その後あたしやあなたの人格が、どうなってしまうのか分からないのよ? すごく怖いわ」
リサは、少し驚いた。
「つまりカーラさんは、それは方法が分かっても、しないということ?」
「ええ。それにもう、あたしの場合、手遅れなのよ」
「手遅れ?」
リサは意味が分からない。
「ここに来た日、確かに元の人格が現れたわ。でも話が出来たのはその夜だけだったの。その後、なんとなく気配がしたりしたけど、一週間後には完全に消えたわ。完全に消滅してしまったの」
「一週間!?」
リサは不安になる。
(――一週間で解決しないと、リサの人格は消えてしまうの? たった一週間で!? あと五日で!?)
「カーラさん、朝やってきた勇者でも、解決方法は知らないわよね?」
全然、期待していないが、藁にもすがる思いで訊いてみる。
「無理だと思うわ。あんなのただの冒険者よ。ちょっと珍しいスキル持ってるだけの」
カーラの言い方にリサは、冒険者への嫌悪感を感じた。そこで再び、昨日の彼女の言葉を思い出す。
「そう言えば、昨日スペランカーって……?」
カーラは苦笑いをする。
「ああ、あれね。ここの冒険者って、勇者とかも含めて、簡単に死ぬのよ? ポンポンポンポン。スペランカー並みに死ぬわ。教会に、棺桶持って行ったら蘇生……とかもないの」
「ゲーム史上最弱の主人公」並みに死ぬのに、蘇生方法がないとの説明にリサは驚く。
「そうなの!?」
「クリアーが無理なゲーム」、通称「無理ゲー」という言葉が、リサの頭に浮かんだ。
「でもね、みんな大して悲しんだりしないのよ? さっきの勇者様……ちょっと立派なスペランカーの演説と同じ。一旦盛り上がって、すぐ元に戻るの。もう慣れたけど」
「人が死んでるのに?」
リサは、再度驚いた。
「ええ、しばらくしたら、似たような人が湧いてくるの。不思議でしょ?」
教会の鐘の音が響き渡る。リサたちの休憩時間は終わり、他の人と交代だ。
(――全ては、あの自称女神が気分で操ってるのね)
リサは席を立ち、カーラと部屋を出た。午後の仕事の開始だ。退屈。
夕方、リサはケントの店にいた。午後の仕事は、カーラの予想通り何も起きず終わってしまった。
「ケント、この店の小物類を、明日からギルドでも販売するから」
「え、どういう事?」
ケントは、リサの提案を理解出来ない。
(この世界の人達は、商魂ってものがないのかしら?)
「ギルドに来た冒険者たちに、ここにある物を売るわ。開店前にダンボールに……、いや、なんか適当な箱に入れて持って来て。お釣り用の小銭もある程度お願い」
「う、うん。分かったよ。ありがとう」
「値段のリストも作ってちょうだい。この店の売値の五割増しでいいから」
ケントは目を丸くする。
「そんな高くして、売れるの!?」
「売れればいいし、高いと感じてコッチまで買いに来るなら、それでもいいじゃない」
ケントは納得したようだ。
「じゃ、頼んだわよ」
「リサ、なんか雰囲気変わったよね。仕事をしはじめたからかな」
「気のせいよ」
ケントの店を後にした。
その夜、リサは現れなかった。カーラの言葉が真実味を増した。
(――ホントに、一週間で消えてしまうの?)
翌朝、リサが父とギルドに到着したとき、既にケントが扉の前で待っていた。足元に1辺50センチ程度の箱がある。
「おじさん、おはようございます。リサ、昨日話した物、揃えてきたよ」
「ありがとう」
箱を開けて覗くと、何種類かの商品やリスト、布の袋が見えた。袋の中身は釣り銭用のお金だろう。
「父さん、これらを受付カウンターに置いて、冒険者達に私が売るわ」
「ああ、昨日も言ったが、全て任せよう」
「ありがとう」
リサが箱を持ち上げようとしたら、父が横から、ギルド内に持って行ってしまった。
「じゃあ、帰りに寄るわ。上手くいく保証はないけど、待ってて」
「うん。分かった。ありがとう。待ってるよ」
ケントに別れを告げ、ギルドへ入った。
「おはようございます」
ギルド職員に挨拶しながら、受付カウンターへ向かう。既に、父は箱をカウンター上に置いて、自分の席に座っていた。
箱をカウンター内の椅子の脇に突っ込む。足元が、ますます狭くなってしまった。
箱からリストを取り出し、品名や価格などを暗記する。たった18種類しかない。
この程度なら、問題ない。あっちでは、何百種類も暗記しなければ、仕事にならなかった。楽勝だわ。
カーラの元に行き、紙とペンを貰い、リストの内容を分かりやすく書き写す。
その紙をカウンターの前面に貼り付けた。品名などの表記より肝心なのは、売り文句だろう。
「冒険の準備は万端ですか? ギルド内で消耗品販売 始めました!」
貼り紙の最上部に大きく書いた。
開店を待っていると、カーラがやって来た。貼り紙をまじまじと見ている。
「どうしたの、これ?」
「リサの頼みなのよ」
「あっ、そういうこと……」
カーラは納得したらしく、深く訊かないで戻って行く。
鐘の音が鳴り響いた。
結果的にリサの目論見は、大成功と言えた。
依頼を探しに来た冒険者たちは、傷薬や毒消し、ポーションなど一つ二つくらい買っていった。
「目に付いたので、とりあえず」みたいな買い方だった。
リサはあっちでコンビニのレジ横に置いてある、大して欲しくもない小さなお菓子を、自分が買っていたことを思い出した。
ケントから朝、受け取った商品は無くなってしまった。
(明日からは、もっと持ってきてもらわないと)
そんな事を考えながら仕事をこなしていく。消耗品販売をしながらでも、やはり簡単で退屈だ。
大量に購入する冒険者もたまにいて、彼らはリサの暗算速度に驚く。
「傷薬8袋、ポーション3個、毒消し6個、ぬいぐるみ1つ頼む」
「はい、4535ローザセントです」
「えっ!? なんですぐ分かるんだ?」
「ええ、スキルを持ってまして」
「そ……そうなのか」
(スキル『珠算検定一級』よ)
Aランクの冒険者には、とりあえず「魔物を人化する禁呪の完成を目指している、邪悪な賢者の討伐」を紹介していたが、皆から断られた。
(――どうせ断られるなら時間の無駄ね)
リサはこの依頼の紹介はしないことにした。
仕事を終えた帰り道、リサはケントの店に寄った。やはり、客の姿はない。
「ケント、今朝預かった品、売り切れたわよ」
「えっ、ホントに!?」
布の袋を渡す。
「今日の売上。明日からのお釣り用のお金は、別に取っといたから」
「す、すごい。……ありがとう」
ケントは驚き、オロオロしながら礼を言う。
「明日からは、今日の2倍は持ってきて。多分、それでも足りないから、午後に商品補充に来て。そのくらいは売れるわ」
「そんなに!?」
「じゃ、また明日」
リサはサラリと応えた。恩着せがましくしたくなかった。
「リサ、本当にありがとう。お母さんの薬代に使わせてもらうよ」
リサは店を出た。
長居してケントと話せば話すほど、「リサってこんな感じだっけ?」と違和感を持たれそうで怖かった。
理由はもう一つある。
久しぶりに人から感謝されて、泣きそうだった。鼻の奥にツンとした痛みを感じている。
――――――――――――――――――――――
三日後の朝、目を覚ましたリサは焦っている。
(――どうしよう。もし、カーラが言ってた『一週間で消滅』が私とリサにも当てはまるなら、時間がない。ケントの店の売上には貢献出来てるみたいだけど、リサにこの身体を返す事とは関係ないし)
そして、不安がもう一つ。ここは居心地がいい。仕事は簡単で、お金の悩みもない。
なによりも、この世界の人達は裏表がない。優しい人は、優しいだけ。ガラが悪いヤツは、ガラが悪いだけ。いけすかないヤツは、いけすかないだけ。
あっちみたいに、人の言葉の裏を読まなくていい。
あっちみたいに、陰で人を馬鹿にして笑い合う様な連中もいない。
「吐き気がするほど嘘くさく、薄っぺらい世界」はあっちだったの?
ずっとこのままの方が、楽で幸せなんじゃないか? そんな誘惑に、時折襲われるようになっていた。
リサは小さく頭を振った。
(――いけない。この心地よさは横取りしたものよ。本来、私が受け取るものじゃない)
溜め息を吐いた。
ギルドへ出勤し、午前中の仕事をそつなくこなす。依頼の紹介も、ケントの店の小物販売も問題ない。
問題なくスムーズに進むのが問題なのだ。このままでは、スムーズに一週間経ち「リサ」の人格は消滅する。リサはこの生ぬるい世界に染まってしまうだろう。
昼食時、リサはカーラに愚痴をこぼした。カーラが解決方法を知らないのは分かっているので、もはや相談でもなかった。
「もう、時間がないわ。これじゃ、私がリサを殺すようなものだわ」
「そんなこと……」
「あっちにいたとき、別に生きててもしょうがないみたいに感じてた。私がちゃんとしてたら事故で死ななかったかも知れないし、そうしたらリサもこんなことに……」
不意に涙があふれだす。
自分の無力感と罪悪感に締め上げられているようだった。
「リサさん、あなたそこまで……」
カーラが少し迷っているような表情を一瞬浮かべる。
本当にそれは一瞬で消え、カーラは話し始めた。
「実はあたし、転生したの、六回目なの」
「えっ」
リサは驚いた。衝撃で涙も止まってしまう。
「多分ね、あのローザセントって女神、ゲームで言うところのセーブデータをたくさん持ってるのよ」
リサは意味が分からない。
「どういうこと?」
「だからね、似たような世界のセーブデータがたくさんあって、気に入らない世界になったり、飽きたりしたら、その世界を消し去るのよ。セーブデータを削除するみたいに」
「消し去るって……まさか」
カーラは小さく頷く。
「大地震とかの天災でまっさらにするの。生き物は全滅、建物は欠片も残らない。あたしが経験した、天災以外のパターンではね……」
リサは嫌な予感がした。そして、おそらくその予感は的中する。
「伝説のドラゴンが世界を崩壊させるとかね。リサさん、来るときは突然、本当に突然来るわよ。子供がおもちゃに飽きるみたいに。今なら分かるわ。勇者様がドラゴンの話をした時点で確定していたのよ」
カーラは俯いた。
「でね、気に入った人間を別のセーブデータに移して、またゲームを始めるのよ。私たちに思い入れなんかない。だからスペランカー並みにポンポン死ぬ。これが六回転生して私が確信したことよ」
「カーラ、あなた、あいつの気まぐれで何度も殺されて、生き返ったってことね? そしてまたセーブデータ削除をしようと……」
リサは、カーラの話を頭の中で整理した。
(――今度は封印されたドラゴンを復活させて!? なによ、あいつ! 女神どころか化け物じゃないの! この世界が気に入らない? 飽きた? で、データ削除?)
「カーラ、あなたローザセントと話したのよね?」
「ええ、もちろん。でも、初めて転生したときの一回だけだわ。二回目からは、目覚めたら別の世界、つまり、別のセーブデータに移されてたわ」
「ローザセントにどんな印象を持った?」
カーラは質問の真意を掴めない。
「どういうこと?」
「私が持った印象は、凄い能力を持っているけど、頭は大した事ないって感じね。神と言う割に、私たちがあっちで想像した全知全能とは程遠いわ」
「確かに頭は良くないわね。感情的で思慮が足りない気がするわ。テレパシーで会話、とか出来ないみたいだから、嘘もバレないかも」
「あの程度なら出し抜けるかも……」
カーラに同意を得て、リサは自分の考えに自信を持った。
(――別に望んで転生したわけじゃないわ。でも親切にしてくれた人達を、気まぐれで皆殺しなんて許さないわ。だいたい、データ削除したくなったのって私が転生を断ったのが気に入らないんでしょ? 転生させてあげてもあんたに尻尾を振らない私が気に入らないんでしょ?)
教会の鐘の音が鳴り響く。午後の仕事の開始だ。
カウンターへ向かうとケントが立っていた。手には大きな箱がある。午後の商品補充に来たのだろう。
「リサ、午後の分持って来たよ」
「ありがとう。もうほとんど売れていたのよ。助かるわ」
「最近、お母さん調子いいんだ。リサにも会いたいって言ってたよ」
その時、戦闘機が飛んでいるような甲高い音が響き渡った。
「なっ、なによ!?、この音っ!?」
高音の中、リサが叫んだ。
「分からないよ!」
なんとか聞き取ったケントが、大声で応えた。
振り返ってカーラを見る。
カーラは真っ青な顔で頷く。
(――本当に突然、来るのね。なにもかも消し去って、セーブデータ削除するヤツが来るのね)
甲高い音が大きくなっていく。音量は、リサの想像をあっという間に超えた。最初に聞こえた時、まだ遥か遠くにいたようだ。
振動によりガラスにヒビが入り、砕け散った。建物自体も軋み始める。
「皆、外へ逃げろ! 屋内は危険だ! 崩れ落ちるぞ!」
父が叫ぶ。我に帰った人達は、入口に押し寄せる。入口の混雑を避け、割れたガラス窓から逃げる者もいる。
ギルドの従業員も、冒険者も、ないまぜになっている。
リサ、ケント、カーラはその様子を眺めているだけで動かなかった。
リサは、いつも腕自慢し、「ステータスオープン!」と叫んでいた冒険者たちが、逃げ惑う姿に呆れていた。
ケントは何が起こっているか分からず、身体がすくんでいた。
カーラは「何をやっても無駄」と諦めていた。
不意に甲高い音が止んだ。
三人は顔を見合わせる。
「リサ、終わったのかな?」
ケントが訊いた。その目から不安の色は消えていない。
「いえ。多分、目的地の近くまで来たから、スピードを緩めたのよ」
その目を真っ直ぐ見て、リサは答えた。
「何をしている!? 早く外に出ろっ!」
父の怒声が響き渡る。扉を見るともう誰もいない。
三人は外へ出た。しばらくして、誰もギルドに残っていないことを確認したらしい父も出て来た。
外では先に避難した人々が皆、無言で空を見上げている。
リサは何かが羽ばたいている大きな音に気付く。
三十億年って馬鹿げた時間、封印された伝説のドラゴンが来る。世界を崩壊させるために。
そこでリサは思い出し、俯いて考える。
(――あれ? ドラゴンスレイヤーの勇者様は? あのいけすかない男)
そう思った時、周囲が薄暗くなった。
太陽光を巨大な何かが遮ったのだ。
空を見上げる。
(ドラゴンだわ。散々ゲームで倒し、倒された、あのまんまのドラゴン。違いと言えば、全身真っ黒な事くらい)
ドラゴンはゆっくりと下降し、リサたちの数百メートル程度先の、建物の屋根に降り立った。その重量によって、建物は瓦解していく。
建物は完全に崩れ、ドラゴンは大地に立った。周囲の建物も衝撃で崩れ落ちた。激しい地鳴りと振動に襲われ、リサは立てなくなり座り込む。
ドラゴンが口を開いた。巨大な牙が何重にも並ぶ口の周辺の空気が、ユラユラ陽炎の様に揺れ始めた。ドラゴンはゆっくりと首を回す。
(――火を吹くの?)
しかし、このリサの予想は外れた。ドラゴンの口から発せられたのは、深い紫色の細い光線。レーザー光線の様に見える。リサたちの反対方向へ光線は放たれ、遥か遠くに到着した。
一拍置いて、巨大なキノコ雲が立ち昇る。
(なんなのよ、あれ!?)
周囲の人々、全てが絶望しているのを感じる。
(あのキノコ雲の下、何百、何千人の人が死んだの!? その中の、ローザセントのお気に入りの何人が、転生させられるの!?)
「なっ、なんだ!? あんなドラゴン。見た事ないぞ!」
いつの間にか、ライルが背後に立っている。あきらかに動揺している。
そんなライルを見ながら、リサは小さく首を振る。
(あんたじゃ無理よ。チートスキル? ドラゴンスレイヤー? 無駄だわ。だってそのスキル、ローザセントから授かったんでしょ? そのローザセントが寄越したドラゴンなのよ? あんたはスペランカーみたいに、あっさり死んで、転生したことないの?)
信じられない事にライルが来た事で安堵の表情を浮かべている人達がいる。
(いや、無理でしょ!?)
ライルが剣を抜き、ドラゴンに向かって走り出した。剣に金色の輝きが発生する。あれが、ドラゴンスレイヤーの輝きなんだろうか。
「無理」と思いながらも、リサは一縷の望みを持つ。ライルが本当にドラゴンを退治出来れば、それが一番いいのだ。
リサたちの反対側に光線を撃ったドラゴンが、ゆっくりとこちらへ顔を向ける。ライルは既にドラゴンの尾の近くまで到達している。
「ウオリヤァアアア!」
ライルが叫び、金色に輝く剣をドラゴンの尾に叩き込んだ。
叩き込んだ様に見えたが、ライルの剣はバッキリ折れてしまった。金色の輝きも消えた。リサを含めた見守る人達の、微かな希望も消えた。
ドラゴンは口を開く。あの光線をこちらへ撃つつもりか。
リサは、昼休みにカーラと話した事に賭けるしかないと、割り切った。
勇者ライルは、やはり駄目だった。
原因を作った私が、なんとかしないといけない。他に選択肢はない。
ローザセントの、神とは思い難い、頭の悪さに賭けるしかない。
リサは立ち上がる。大きく息を吸い込み、空に向かって怒鳴る。
「おいっ! 自称女神っ! どうせ見てるんでしょ!?」
反応がない。周囲の人達は、リサが恐怖のあまり、気がふれたと思った。
なんとなく、リサの行動を理解出来たのは、カーラだけだった。
(――ローザセントは煽られたら、すぐに怒ったわね)
「自称女神っ! なんか言いなさいよっ! 卑怯者っ! 臆病者っ! 嘘つきっ!」
ドラゴンの口の周辺の空気が、揺らぎ始める。
もう時間がない。
(――リサ、ごめんなさい。もう、だめみたい)
突然、リサの意識が朦朧としてくる。
(なっ、なにこれ!? 身体に力が……)
崩れ落ちるリサの身体を、ケントが抱きとめた。
リサは目を閉じた。
目を開くと、だだっ広い部屋にいた。目の前にローザセントが立っていて、怒りの表情で睨みつけている。
(最初の部屋だわ)
「あなた、まずその『自称女神』ってのやめなさいよ」
(ここで上手くやらないと。前回の失敗を生かさないと)
リサはローザセントに気付かれない様に深呼吸をした。
「だって、あんたのどこが神なのよ!? ただ、すっごい能力を持っているだけの、胸の大きな女の形をしたなにかよ!」
「なんですって!?」
リサは落ち着いて、思考を再度まとめる。
(何冊か読んだ小説の神様と同じよ、こいつも。
私より頭が悪い。
私より記憶力がない。
私より要領が悪い)
「あんたは自己中で思いやりなんかない。慈悲の欠片もない。私ならもっとスマートに理想の世界を創れるわ」
ローザセントは顔を赤くして、握りこぶしを作り震えている。
(初日と同じ反応じゃないの。ホント、成長しない軽い頭ね。ここからが大事だわ。こいつは、人の思考を読むことは出来ないみたいだし)
「この部屋に初めて来た時、私にチートスキルを与えるって、言ったわよね? 今からちょうだい。あの黒いドラゴンに勝てるスキルを」
「なっ!?」
リサは初日に、「いや、いいです」と、スキルの授受を断ったことを覚えている。しかし、ローザセントは忘れていると踏んでいた。
「それとも、あれは嘘なの? 神様が嘘つくの? まっ、あの勇者様に与えたスキルの能力も、あんたのご都合主義で変えちゃったみたいね? ドラゴンに効かない、ドラゴンスレイヤーって何? そんなにあのドラゴンで、世界を滅ぼしたいの?」
ローザセントが小さく唸った。かなり痛いところを突かれたらしい。
「いい? ちゃんとあのドラゴンに勝てるスキルよ? それなら嘘つきじゃないって、認めるわ」
リサの背中に冷や汗が伝う。
(こいつが本当にキレたら、私なんか簡単に消し去る事が出来る。こいつなりの『神としての自尊心』のみが頼り。ギリギリの綱渡り)
ただ、次のローザセントの反応はリサの予想外だった。
ローザセントは、ニヤリと笑ったのだ。
(なんなの? この笑顔? 絶対、ロクでもない事を思いついたんだわ!)
「……今」
ローザセントは何故か勝ち誇っている。
「たった今、あなたにスキルを与えたわ。ご希望通り、あのドラゴンに勝てるスキルよ」
「え……」
ローザセントは「フン」と鼻を鳴らす。
「疑うなら、見てみなさいよ」
「見るって……。どうやって?」
「何を言ってるの? ステータスオープンしなさいよ」
「えっ!? えええっ!」
リサは叫んだ。悲鳴を上げた。
(――あっ、あの、恥ずかしいセリフを、言わなきゃならないの!?)
「他に確認方法はないの!?」
「知らないわよ。だいたい、『ステータスオープン』って言うだけなんだから、一番手っ取り早いじゃないの」
ローザセントは素っ気なく答えた。
「うぅ……」
「なによ? あなた、顔真っ赤よ」
リサが何を躊躇っているのか、ローザセントは理解出来ない。
(こいつ、やっぱり人の思考を読めないのね。いや、今はそれどころじゃないわ)
「ハアッ……」
転生して、何度も何度も溜め息を吐いたが、今回が最大の溜め息となった。
覚悟を決める。
「……スッ、スッ、ステータス、……オッ、オープン」
「いやに小声ね」
リサの正面に、ステータスが書かれたパネルが、音もなく浮かび上がった。
ステータス自体の見方は、ゲームで慣れ親しんでいる。
「名前」「年齢」「体力」「攻撃力」などは関係ない。目を走らせる。
(あった! 所持スキル! ん? なんだコレ?)
「所持スキル」の欄には一つだけスキルが載っているが「ドラゴリズム」とある。
「これ、どんなスキルなのよっ!?」
即座にリサは訊いた。
「魂がドラゴンに変身するスキルよ。ドラゴンならドラゴンに勝てるでしょ?」
リサは、先程のローザセントの嫌な笑みの理由を、理解出来た気がした。
しかし、それだけではなかった。
「勇敢なあなたの為に、特別サービス付けてあげたわよ。スキルの効果継続時間を、無制限にしてあげたわ」
ローザセントは嬉しそうに付け加えた。
「それって……まさか」
リサは、ローザセントから感じる悪意に怒りを覚えた。
「ええ、そうよ? 一回、魂がドラゴンに変身したら、永遠にドラゴンよ。人間には戻れないわ」
再び、ニヤリと笑われた。
「さあ、どうするの? スキル発動する? 変身してドラゴンと戦う? 勝つか、負けるかは分からないわ。でも、もし……」
「なによ?」
リサの声には、押し殺せない怒りが滲み出していた。ローザセントは全く気付かない。
「もし、今までの態度を謝罪し、悔い改めるなら、別の世界に転生させてあげるわ。大いなる慈悲でね」
リサは唇を噛み締めた。
(出来る事なら、今、ドラゴンに変身して、こいつを焼き尽くしたいわ)
「今いる世界はどうするのよ?」
両親やカーラたちの顔を思い返す。
「あのドラゴンに滅ぼしてもらうわ。今は時間を止めてあげてるけど。今回転生させるのは、あなただけにしておくわ」
ローザセントは、すっかり上機嫌になっている。
「その言葉、嘘じゃないわね?」
リサは睨みつけた。怒りを隠す気もなくなっていた。
「私は神よ? 嘘つくわけないじゃない」
「あっそ」
リサは吐き捨てた。
ここまで露骨に、感情を表に出したのは、いつ以来か分からなかった。
――――――――――――
世界の、止まっていた時間が動き出した。
空に向かって、大声で怒鳴っていたリサが突然気を失い、隣のケントが慌てて抱きとめた。
カーラは驚き、リサに駆け寄ろうとする。
(何か、何かは分からないけど何かが起きた!?)
カーラは、リサが怒鳴りだしたときのことを思い返していた。
――あのとき
「おいっ! 自称女神っ! どうせ見てるんでしょ!?」
リサさんの行動目的を想像出来たのは、あたしだけだっただろう。
リサさんは、ローザセントと接触する為に煽っていた。
「自称女神っ! なんか言いなさいよっ! 卑怯者っ! 臆病者っ! 嘘つきっ!」
ローザセントからの反応はなかったし、既にドラゴンの口の周辺の空気が、再び揺らぎ始めていた。
怒鳴るリサさんの表情にも、焦りが見えた。
(――もう無理。転生するのか、このまま消えてなくなるのか、分からない。もうすぐ、あの黒いドラゴンは光線を放ち、この世界を焼き尽くすだろう。おしまいだわ)
あたしが絶望した時、リサさんが気を失った。
―――――――――――――――――――――――――
カーラは、ケントに抱きかかえられたリサに向かい一歩踏み出した。
不意に激しい衝突音が鳴り響き、視線を音が聞こえた方向へ移す。
赤いドラゴンが、足で黒いドラゴンの頭を地面に踏みつけていた。光線は発射されなかったようだ。倒れている黒いドラゴンが、起き上がろうと身をよじる。赤いドラゴンは、頭に全体重を掛けそれを許さない。
(あの赤いドラゴン、どこから現れたの?)
カーラは何故か、根拠もない希望を持った。
赤いドラゴンは、黒いドラゴンの頭を固定したまま、赤い光線を胴体に撃った。
大爆発が起きる。爆発音に混ざってドラゴンの叫びが聞こえてくる。慌てて両手で耳を塞ぐが、それでもかなりの轟音だ。耳が痛い。
――――――――――――
橋沢理奈は、踏みつけ固定している黒いドラゴンに動きがないか、足の裏で感じ取ろうとしていた。
(――少しでも動いたら、もう一回撃ち込む! 不意打ちがうまくいったのだって奇跡的だわ!)
黒煙が去って行く。足元のドラゴンが見え始める。
(あれ? 死んでる?)
撃ち込むまで、凄まじい力で抵抗していたのに、ピクリともしない。
胴体に大きな穴がポッカリ開いている。貫通した光線は、地面もかなりの深さまで抉り取っていた。ドラゴンは全く動かない。
拍子抜けした理奈は、ある可能性に思い至り、ゾッとする。
(ローザセントね。ドラゴンの姿のまま戻れないで、苦しむ私を見たくて、このドラゴンを弱くしたわね!? 性格ひねくれ過ぎだわ!)
理奈は慌てて、ドラゴンの頭に乗せている足を地に移した。
自分が殺したドラゴンを、哀れにすら感じてしまう。仕方なかったと割り切れない。
周囲を見る。
ギルドの正面の人々の中に、カーラやケント、父の姿を確認する。ケントの腕の中に、動かないリサがいる。
少し離れた場所で、ライルが震えていた。
(ローザセント。私はなんの考えもなしに、勢いで変身した訳じゃないわ)
理奈は黒いドラゴンが死んでいる事を再確認し、空へ飛び立った。
――――――――――
「リサ! リサ!」
「リサさん! リサさん!」
(――誰かが呼んでる。知ってる声)
目を開く。ケントに抱きかかえられている。父と、父の職場の女性がいる。カーラさん、だったっけ?
少し視線を動かすだけで、めちゃくちゃになった街が見える。建物も、道もヒビだらけだ。完全に崩れ落ちた建物も多いようだ。
(もう訳が分からない。夢? 私、戻ってこれたの? あの女の人はどこ行ったの?)
「一体、何があったの? ケンちゃん」
ケントが目を見開く。
「ケンちゃん? リサ……」
ケントが安堵の表情を浮かべた理由が、リサは分からない。
カーラが横から説明する。
「リサさん、街にドラゴンが来たのよ。でも、別のドラゴンが現れて……」
カーラが視線を空へ向ける。リサも追う。
上空に、ドラゴンがいた。こちらを見ているように感じる。
しばらくその位置で羽ばたいていたがクルリと一周、円を描いて飛び去った。あっという間に見えなくなる。
現状を正しく理解しているのは、カーラだけだった。
(あの赤いドラゴンは、リサさんだわ。あの円は、別れを告げたのよ)
「さよなら。ありがとう」
――三ヶ月後の朝
リサはいつも通り、父と朝食を摂っていた。
バタンッ!
家の中に、何者かが入ってきた音がした。
リサは両親と顔を見合わせる。
「誰……?」
侵入者はドスドスと廊下を歩き、こちらへ向かって来ている。こっそり忍び込むつもりはないらしい。
キッチンに現れたのは、ロイだった。
「ロイッ!?」
三人同時に叫んでしまう。
「どうしたんだ!? 旅は終えたのかっ!?」
「大丈夫なの? 何かあったの?」
両親は慌てふためく。
ロイは椅子に座った。リサが見る限り、怪我などはなさそうだ。
「父さん、ごめん。オレ……」
ロイは口を開く。
「冒険者やめたよ。この街で働こうと思う」
ロイは、旅の途中、旅費稼ぎの為に立ち寄ったギルドで依頼を受けた。
依頼内容は魔物を人間にする禁呪を研究している賢者の討伐。達成可能だと判断した。
ギルド受付嬢から説明された目的地の廃教会へ向かい、近くの茂みに隠れて、様子を見る。
しばらくすると、教会前の広場に女性が出て来た。真っ黒な髪の女性。
ロイは、賢者一人しかいないと思いこんでいたから驚いた。
(あの女は何者なんだ? 討伐対象は賢者の爺さん一人のはずだぞ!?)
女性の後に続いて、賢者の老人も出て来た。「いかにも賢者」といった見た目だった。
「ここからなんだけど、嘘じゃない。信じてくれ。
賢者が女に何かしたんだ。何かを。パッと光って、女は消えてしまった。跡形もなく。それだけでも呆気に取られたのに……」
空に真っ赤なドラゴンが現れた。見たこともない巨大なドラゴンだった。
今度は空のドラゴンに向かって、賢者が何かをした。ロイには理解出来ない何かを。
ドラゴンは消えた。
ロイが目を戻すと、賢者の前に女がいて、なにかボソボソと話している。
「いい感じだ」
「御協力感謝する」
「こちらこそ」
全てを聞き取ることは出来なかったが、このような会話だった。二人からたまに笑い声が聞こえることが、更にロイを震え上がらせた。
真っ青になって逃げだした。
無様に逃げながら、ロイは理解した。
(オレには無理だ。こんな事、やってたらオレは死ぬ。今まで何回も見てきた道端の死体の一人になってしまう)
ロイは冒険者をやめた。諦めた。
「それに、うまく言えないけどあの二人、幸せそうに見えた。めちゃくちゃ怖かったけど……。
うん、もしオレがすごい冒険者、伝説の勇者だったとしても、ソッとしていたいと思ったんだ。
言い訳じゃねえよ。あっ!? 姉ちゃん、笑うなよ!」
最後まで読んで頂いて感謝します。