フランス生まれのカトリーヌは忍者に憧れる
「まいねーむ いず カトリーヌ」
黒髪の外国人が、引っ越し蕎麦を持って現れた。
「ど、どうも……」
隣のアパートに越してきた住人の姿に意表を突かれ、俺は遅れてお辞儀をした。
「ワタシ、知ってます」
「……え?」
カトリーヌさんが、そっと辺りを見渡し俺に耳打ちをした。
「アナタ、ニンジャですねぇ?」
「──はい?」
「おっと! ニンジャだと言ってはいけないんですよね、分かってま分かってます!」
ニシシシ。カトリーヌさんが笑った。
俺は訳が分からず、眉をグッと寄せた。
「イガ、コウガ」
「……ああ、忍者と言えば、ですか」
カトリーヌさんがそっと、俺の部屋の表札を指差した。
「コガ」
確かに、俺は古我だけど……。
だけど、忍者ではない……!
「違う違う。これはその……なんだ」
自分でもどう説明したら良いのか、パッとは浮かばない。
「シーッ。大丈夫です。口外しませんから」
「は、はぁ……」
何だか面倒になってきたので、もう何でもいいや。
うん、忍者でいいよ、俺は。
「後でこっそり、ニンジュツをレクチャープリーズ」
カトリーヌさんが手を振りながら、自分の部屋に戻っていった。
部屋に戻り、食べかけのカップラーメンをすすったところで気が付いた。
……もしかして、女性の知り合いが出来た……!?
このアパートで暮らし初めて早六年。これは、まあ、悪くはないのでは?
──ドガァッ!! バズンッ!
「うわっ!!」
突如壁が爆発し、何かが俺の部屋を飛んだ。
「な、なんだァァ!?!?」
壁に掛けてあったダーツ盤に、クロワッサンが突き刺さっている。
あまりのことに俺は腰を抜かしてしまい、食べかけのカップラーメンはこぼれて死んだ。
「すみませーん」
壁に空いた穴から、カトリーヌさんが顔を出した。
どうやら、壁破壊はフランスでは日常のようだ。
むしろクロワッサン投げるとか、カトリーヌさんの方が忍者では?
「このアッパート、キャファールが出るなんて聞いてませんよー」
「あ、あのー……」
「ごめんなさーい! キャファールにクロワサン投げたら、うっかり死滅加減を間違えましたー」
何が何だか分からないが、とりあえず本場フランスのクロワッサンは破壊力に長けているらしい……。
「でも、キャファールは天に召されましたー。ハッピーです」
「……キャファール?」
「Gでーす」
「おえ……」
カトリーヌさんが顔を引っ込めた。
俺はこぼれたカップラーメンの始末を始める。
すると、カトリーヌさんが穴から手招きをした。
「ラメーン引っくり返してすみませーん。お詫びにご馳走しまーす。ウチにおいで下さーい」
「は、はぁ……」
Gいねぇだろうな?
俺は一瞬疑いを持ったが、それよりも女性にご飯をお呼ばれされたのは初めてなので、そっちの方が勝った。
「あ、良い匂い」
「今、野菜を煮てまーす」
ピーマン、玉ねぎ、ナスが見えた。
もしかしたらフランスのラタトゥイユかもしれない。
「ローリエとバジルを入れまーす」
良い匂いでお腹が空いてくる。
フランス料理なんか食べたこと無いから、これは貴重な経験かもしれない。
チラリと横を見ると、ぽっかりと空いた穴から俺の部屋が見えた。
「カレー粉を入れまーす」
「──!?」
「お待たせしたよー」
「あ、はい」
カレーが出てきた。
普通に美味しかった。
「ジャポンのカレーは、とてもボーノですねー!」
先程からフランスらしさが皆無なのだが、この人は本当にフランス人であらせられるのだろうか?
「御馳走様でした」
「いーえー」
普通に完食し、俺は出されたお茶をすすり、まったりとした。
「コガさん」
「ん?」
「買い物、教えてください。越してきたばかりでお店知りません」
「いいよ」
カトリーヌさんと買い物に行くことになった。
女性と買い物とか、人生で初だ。
「で、なんです……それ」
スーパーに向かう道中、カトリーヌさんが長い間パンを齧っていた。
「私が作ったフランスパンでぇす」
「へー」
モサモサとパンをこぼしながら食べるカトリーヌさん。こぼしたパンくずは鳥が食べるから良しとするべきなのか?
「ジャポンは平和で大好きでぇす!」
ポカポカ天気の中、カトリーヌさんが思い切りのびをした。確かにとても平和な陽気だった。
「誰かーっ!! 引ったくりよー!!!!」
前方、お婆ちゃんがバイク乗りにバッグを盗られていた。
先程お伝えしました『平和』について、深くお詫び訂正致します。
「どけどけー!!」
「危ねぇ!」
バイクがこっちに突っ込んできたので、カトリーヌさんを庇いながら、咄嗟に避ける。
避けた拍子に体が密着したが、不可抗力なので許して欲しい。
「警察に電話だ!」
「それには及びませぇん」
カトリーヌさんがフランスパンを齧った。
──バスンッ!! ガァンッッ!
バイクが突然パンクして、壁に激突した。
「フランスパンを踏みましたねぇ」
「──はぁ!?」
どうやら本場御フランスのフランスパンくずはタイヤをぶち抜く程に硬いらしい。どうやって齧ってんのカトリーヌさん?
「クソッ! こんな時に!」
引ったくり犯人が、よろめきながら起き上がり、走って逃げようとした。
「クロワッサン…………ブゥゥゥゥメランッッ!!!!」
「犯人超逃げてーっ!!!!」
投げられたクロワッサンに、思わず犯人の身を案じてしまった。
クロワッサンが凄まじい勢いで犯人へと向かってゆく。
──バンッ!
そしてクロワッサンが弾け、中から網が飛び出した。犯人が網に絡まり、身動きが取れなくなる。
「……何あれ?」
「クロワッサン型の防犯グッズです」
「……売ってるの?」
「作りました♪」
分かった。フランスがおかしいんじゃなくて、カトリーヌさんが変なんだ。フランスの皆々様、疑ってごめんなさい。
「ニンポウ、クロワッサン仕掛けのブーメラン風投げ編みによる捕縛の……術!」
「あ、フランスっぽい」
引ったくりを警察に任せ、俺達は買い物へと向かった。
次の日、俺の部屋にキャファールさんが出やがったので、穴を塞いだ。
「……ったく。Gとかシャレにならんぞい」
「クロワッサン……ブゥゥゥゥメランッッ!!!!」
──ボガァッッ!!
「止めろぉぉぉぉ!!!!」
塞いだ穴が吹き飛び、クロワッサンが飛んできた。