表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

「酷い夢」

作者: 京町ミヤ

全身が痺れたかのような感覚がして、ヴェッターはその場に倒れ込んだ。


「ヴェッター!?」

「ヴェッター様、しっかりして下さい!」

「すぐに回復魔術を────」


同僚達が、切羽詰まったような顔で自分の顔を覗き込んでいる。

普段なら敵の攻撃をまともに受けるなんて有り得ない話なのに、その日は何故か避けられなかった。


そういえば最近、ちゃんと眠っていなかったな……。


そんな事をぼんやりと考えながら、ヴェッターは暗闇へと引き摺られていった。







※※※※※※※※※※






目を開ける。

真っ先に映ったのは、魔王城の敷地内にある使用人用宿舎にある自分の部屋────ではなく、見た事のない部屋の天井だった。


「…………!?」


慌てて身体を起こす。幸いにも拘束の類はされておらず、外傷も見当たらなかった。


(何処だここは……私は……)


先日から、敬愛する主アルターの命令で同僚のヤーレスツァイト、モーナト、ラヴィーネと共にとある地を訪れていた。

反逆を目論んでいる組織を壊滅させる為、ヴェッター達が動員されたのだが……。


(攻撃を受けて……受けて…………受けたのか。)


記憶が曖昧だ。

寝不足も相まってか、隙をつかれてしまった。自分に心底呆れながら、ゆっくりとベッドから降りる。


(にしても……何処なんだ、ここは……。いかにも庶民が住んでいそうなボロ屋…………いや、民家だな)


貴族出身のヴェッターにとっては、あまり居心地のいい場所ではなかった。


しかし、問題は何故ここにいるのか、だ。


敵に捕まり監禁されているのか。近くの住民に保護されたのか。ヤーレスツァイト達とも連絡が取れず、溜息をつくしかなかった。


そして、その時。


「ヴェッター、起きていますか」


知らない、女性の声がした。


「!?」


ノックと共に聞こえた女性の声は、とても芯が通ったものだが、どこか清涼感すら感じられる。名前も呼ばれたので、警戒心を抱きながら扉が開かれるのをじっと見つめた。


「あら、起きているじゃないですか。ちゃんと返事をしなさい」


そう口にしたのは、紫の髪を腰まで伸ばした美人な顔立ちの女性だった。ヴェッターと同じ赤い瞳が印象的だ。


「…………何方ですか、貴女……」


「まぁ、母に向かってそれを聞きますか」


「は…………?」


母?


勿論、目の前の女性とは初対面だし、ヴェッターの母親ではない。言い方は悪いが、上流貴族だったので身嗜みや作法はあったものの、目の前の女性程美しくはなかった筈だ。


「寝ぼけているのですか? 着替えは済ませているようね……早くしないと、仕事に遅れますよ」


いよいよ訳が分からなくなってくる。

現状、ヴェッターは民家に住んでいて、この見知らぬ女性の子供という事になっているらしい。


「本当にどうしたの? 頭でも打ちましたか?」


黙り込んだヴェッターを不審に思ったらしく、女性はコツコツと靴音を響かせて此方に歩み寄る。頬に触れられながら顔を覗き込まれて、思わずその手を払い除けてしまった。


「触るな。答えなさい。貴女は誰ですか。そして、ここは何処なんですか」


「……………………」


不審そうに眉を顰めていた女性だったが、渋々答えてくれる。


「私の名はメーア。正真正銘貴方の母親。ここは家ですよ」


メーアと名乗った女性は、「これで満足ですか? アウグスト様もお待ちですから、早くいらっしゃい」と、部屋を後にしてしまった。


(つくづく意味が分からない……。それに……アウグストだと…………?)


その名は嫌という程に知っている。

先代魔王、ディツェンバーの直属の部下の一人で、魔石となった魔物を蘇らせる研究を確立させた有名人だ。


(よりによって、何故アウグストが私の父親ポジションなんだ…………)


言ってしまえば、ヴェッターはアウグスト……もとい十勇士が嫌いだ。敬愛する主が嫌う兄と、その部下。実際に会った事はないが、いけ好かないのには変わりない。


「成程、これは夢だな」


「早くなさいと言っているのが聞こえませんでしたか」


メーアに催促され、ヴェッターは(嫌々ではあったが)大人しく部屋を出た。


(夢は夢でも、敵の攻撃によるものの可能性が高い。こうして、私が意識を持っているのが証拠だろう……)


精神系の魔術を受けた場合、不用意に魔力を稼働させたりするのは死のリスクが高く、冷静に状況判断するのが最適と言える。

更にいえば、この手の攻撃を受けてしまった場合、ほぼ為す術がないのだ。


魔術の効果が切れるのを待つか、術者を亡き者にするか。兎も角ヴェッター以外の誰かの干渉がなければいけない。


(ヤーレスツァイト達に任せるしかないのも腹立たしいが……早くこの胸糞な状況からも脱したいし……)


リビングと思わしき一室へ出ると、中央に設置されているテーブルと椅子が目に入った。テーブルの上には朝食と思わしきパンやサラダ、スープ等が並べられていて、思わず「質素だな」と言いそうになってしまう。


しかしそれよりも、ヴェッターは椅子に腰掛けていた男性から視線を外せないでいた。


「おはよう、ヴェッター。寝坊なんて珍しいですね」


青い髪を三つ編みに纏めた、若草色の瞳の男性。その人は、以前資料で見た姿そのままで。

一目で、アウグストだと理解出来た。


「ヴェッター、挨拶は?」


「お、はようございます」


メーアにじろりと視線を向けられて、ヴェッターは急いで挨拶を返す。そういえばメーアには挨拶をしていなかったな、と彼女に向き直った。


「母上も、おはようございます」


「…………はい、おはようございます」


満足したように、メーアは微笑んだ。反応を見る限り、やはり少し怒っていたのだろうか。

メーアが席に座ってから、ヴェッターも空いている椅子に腰を下ろす。


当然、この小さな民家に使用人の姿はない。この食事はメーアが作ったのだろうか。ぽそぽそと食事を口にしながら、ヴェッターはそんな事を考える。


(…………美味しい……)


認めたくはなかったが、普通に美味しい。ふっくらとした焼き立てのパンも、瑞々しい野菜を盛り合わせたサラダも、甘めのスクランブルエッグやこんがり焼かれたベーコンも。トマトスープまで好みの味付けで。口にはしなかったものの、結局、出されていたもの全てを完食してしまった。


「ご馳走様でした」


さて、問題はここからだ。

ここでの自分は一体何を職業とし、何処で働いているのか。もしかして自分の部屋に何か手掛かりはないだろうか、と食器をシンクに片してから部屋に戻る。


生憎と、参考になりそうな物品はなく、頭を悩ませる一方であった。しかし一つだけ、ヴェッターの素性を明らかにする物が出てきた。

それは、魔王城に仕えている者の証である証明証である。


(宰相補佐……補佐ねぇ……)


アウグストが生きているこの世界だ。現宰相は同じく先代魔王の直属の部下・メルツだろう。


(十勇士の下の立場とは……いや、あれは異例の出世だっただろうから妥当なのか……)


そこで、ヴェッターはある疑問が浮かんだ。


(ここでの魔王様は……誰だ……)


ヴェッターが生まれた頃には、ディツェンバーが国を治めていた。その後はアルターだが、もう一人、彼等の姉にジルベスターという王女が存在している。

十勇士も健在の今、誰が王であっても可笑しくはない。自分の主が誰なのかも把握しておきたい所だ。


「ヴェッター、俺はそろそろ出るけど、一緒に行きますか?」


と、父親だというアウグストがそう声を掛けてきた。ヴェッターは少し考えて、首を縦に振る。


「はい、是非御一緒させて下さい」


「じゃあ、玄関で待っていますね」


簡単な荷物だけを纏めて、ヴェッターは盛大に溜息をついた。


「本っ当に……最低だな……」


そして盛大に、舌打ちしたのだった。







※※※※※※※※※※






魔王城は、普段ヴェッターが目にしている物と何ら変わりなくそこに佇んでいた。仕事場の違いから、アウグストとは分かれる事になったが、構造が同じだったのは有難い。


(そうだ、何処かに核があるかもしれないじゃないか)


精神系の攻撃では、確実に助かる為には外部からの干渉が必要だ。しかし一刻を争う場合には、術者の魔力が集まった『核』を破壊すれば、この状況を打破する事が出来るやもしれない。


錯乱していて頭が回らなかったが、もしかすると魔王城の何処かにあるかもしれない、そう思いすぐさま探しに行こうとしたのだが……。


「こっちの書類は魔王サマんとこに。こっちは王姉サマ、こっちは王弟サマ。新しい政策の方針は前決まったんで、発表に向けて各方面に当たっとけ。それから────」


圧倒的に、仕事が多い。

ヴェッターを馬車馬の如く働かせているのは、宰相のメルツ。金髪をおさげに結んだ、オレンジのカチューシャをつけている半月だ。

勿論当人も仕事をしているので文句を言う事は出来ないが、これでは核を探す時間がない。


「────以上、返事は?」


「………………はい。」


若干顔が歪んでいただろうか。何が嫌ってメルツの一人称が「俺様」で態度が一々上から目線な所でやはりディツェンバーの部下という所。

気持ち的には今すぐにでも魔弾を放って大暴れしてやりたい。


しかし、ここでは魔力を稼働させる事が不可能なようで、簡単な魔術の使用すら出来ない有様だった。


(何て酷いものだ……)


とはいえ、書類を渡すように言われた相手の中にアルターがいる。アルターに会えるのであれば仕事も悪いものではない、とその一点に置いてだけ舞い上がった気分のまま、王姉の部屋に向かった(場所が分からなかったのでそれらしくメイドに聞いた)。


軽くノックをして、返事を確認してから扉を開けて中へと足を踏み入れる。


「失礼致します、王姉様。宰相より書類を預かって参りました」


「ん〜? あぁ、そう。適当に置いておいて」


ヴェッターは初めて、王姉ジルベスターを目の当たりにした。漆黒の髪に、純白のインナーカラーという若干派手な髪をポニーテールに纏めた、アルター等と同じエメラルドの瞳。頭の側面から生えた小さな二本の角が特徴的だった。


「…………」


「? どうしたの? 私の顔に何か付いているの?」


「あぁ……いえ、そんなお顔をなさっていたのか、と」


「あら、それはどういう意味合いかしら」


「美しい、という意味ですよ」


アルター様には劣りますが。という言葉は、流石に飲み込んだ。

ジルベスターはヴェッターの回答を気に入ったらしく、ニコニコと笑みを浮かべている。


「そう。ちゃんと口にしてくれて嬉しいわ」


「そうですか」


「えぇ。案外、状況が変わるものだから。言葉って」


妙に含みのある言い方に疑問を抱きつつ、ヴェッターは彼女の部屋を後にした。次に近いのはディツェンバーの部屋だ。当然、彼は魔王なので歴代魔王が使用している部屋にいる事だろう。

そちらには迷う事なく到着出来た。


同様に扉をノックして、返事が聞こえてから入室する。


「失礼致します、魔王様。宰相より書類を預かって参りました」


「お疲れ様、ヴェッター。ありがとう」


白銀の髪の男性に書類を手渡し、今度はすぐさま部屋を出ようとする。彼に関しては興味もなければ言いたい事もないからだ。

しかし、それはディツェンバーの隣に立つ紫の髪の男性に引き止められ、阻止された。


「あ、待ってヴェッター」


「はい……?」


その顔には何処か覚えがあった。思考を巡らせ、はたと思い出す。ヴェッターが見たものとは違い、大人びた雰囲気こそ勝っているものの、彼は十勇士最年少のゼプテンバールではないか。


「もしアルターの所に行くなら伝えておいて欲しいんだ。お昼過ぎに美味しいチョコレートを持って遊びに行く、って」


「はぁ…………。畏まりました……」


危ない危ない。思わず殴り掛かってしまいそうだった。


(アルター様を呼び捨てに……!? チョコレートを持って遊びに行く…………!? ナメてんのかあの餓鬼は…………!?!?)


実際にはゼプテンバールはヴェッターよりも年上だし、上司にも当たる人なのだが、畏敬しているアルターに対して馴れ馴れしい態度で接しているのは許し難い事だった。


(所詮は誰かが作り出した世界……下手に動くと目立つが、仕事も何も放り出して──)


「おい、ヴェッター」


と、ヴェッターの思考を遮って、その声が聞こえた。


「アルター様!」


先程の苛立ちも忘れて、キラキラと目を輝かせて主へと視線を向ける。


「仕事か、御苦労だな。顔色が悪かったから声を掛けたんだが……問題ないようで良かったぞ」


「御心遣い感謝致します。アルター様も御創建で何よりです」


「兄上の所へ行っていたのか」


「あ、兄上……?」


アルターは兄、ディツェンバーの事が嫌いで、『アイツ』とか『ディツェンバー』とかと呼んでいた筈。そのような敬称を使っている所は聞いた事がなく、ヴェッターは目を瞬かせるしかなかった。


「? 兄上の部屋から出てきたではないか」


「あ、あぁいえ……何でもございません。ゼプテンバール、殿がお昼過ぎに美味しいチョコレートを持って遊びに行く、と仰ってましたよ」


「そうか! それは楽しみだな」


何と言う事だろう。

アルターは見た事もないような晴れやかな笑顔を浮かべて、そう言った。


「…………!?!?」


一瞬、目が可笑しくなったのかと思ってしまう。敬愛する主の表情というものはどんなものでも見ていて飽きないのだが、この純粋に育ってきた、と言わんばかりの笑顔は、ヴェッターの頭で処理しきれなかったのだ。


「言伝感謝する。ん、それは書類か。受け取っておこう。それでは、またな」


「…………は、はい…………」


ヴェッターは暫く、その場から動けなかった。


──現実の世界であのような笑顔を見れなかったのが、何故か苦しく感じられてしまった。


そう頭に浮かんできた事が、容認出来なかったから。






※※※※※






「あぁぁぁ……疲れた……」


メルツに命じられた業務を熟し、昼休憩に入ったヴェッター。

そこではたと思い出した。


「ヤーレスツァイト達は何をしているんだ……?」


同じ四天王と呼ばれている同僚、ヤーレスツァイト、モーナト、ラヴィーネ。それぞれ執事、メイド、軍隊長を務めていたが、その姿を目にしていない。


昼食を摂る事を辞めて、彼等を探しに城を歩く事にする。


使用人の宿舎がある別館に移動すると、真っ先に目に映るのは忙しそうに走り回っているメイド達の姿だった。


「あれ、ヴェッターじゃん」


「あぁ……モーナトさん」


金髪に鮮やかな緑の瞳をしたメイド。給金が高いからという理由で女装し、働いている彼を、一番初めに見付ける事が出来て、少しの安心感を覚えた。


「珍しいね、こっちに来るなんて。何かあったの?」


「今休憩時間なんです。気まぐれで顔を出しただけですよ」


「そうだったんだ。庭の方でラヴィーネを見掛けたよ。声掛けてあげたらどう? きっと喜ぶよ」


「はぁ……」


モーナトについてはあまり変化がないらしく、少し残念な気もする。

とはいえ彼に言われた通り、まずはラヴィーネの元へ向かおうと踵を返そうとした瞬間。


「モーナト、それが終わったら書庫の掃除へ参りますよ」


「分かりました、お姉様!」


モーナトから、聞いた事のない低い男の声が聞こえた。


「!!?」


彼はありとあらゆる声を変幻自在に操れるという特技を持っている。無論、女の声を出せるので違和感がない。

しかしモーナトの姉、ノヴェンバーと接している時の彼は、男以外の何者でもなかった。


(地声はあんな声をしているのか……)


新たな発見をしつつ、ヴェッターは庭の方へと向かう。

使用人の宿舎があるとはいえ、立派な王族の所有地。隅々まで手入れが行き届き、黒味を帯びながらも鮮やかな色の花が咲き乱れる庭園は、ヴェッターが元の世界で見慣れた空間と同じだった。


噴水の近くにあるテーブルセットもまた、見慣れたものだ。真っ白な椅子にはラヴィーネと思わしき女性の後ろ姿と、十勇士・ヤヌアールが腰掛けていた。


ところで二人共、魔王軍軍隊長の肩書きを有しているが、どちらが上司なのだろうか。


そんな疑問はよそに、ヴェッターは彼女達に声を掛ける。


「お話中失礼します」


「おぉ、ヴェッターじゃないか」


「ヴェッター様……! お疲れ様です、休憩ですか?」


「えぇ。貴女の姿が見えたので声を掛けさせて頂きました」


軽く嘘を交えてそう言うと、ヤヌアールが少しだけ意味深な笑みを浮かべた。


「これは有りなんじゃないか、ラヴィーネ」


「ま、まさか……」


ラヴィーネはというと、頬を赤く染めてヴェッターの方をチラチラと視線を送っている。怪訝そうに眉を顰めながらも、残る同僚の居場所を探る事にする。


「あの、ヤーレスツァイトを知りませんか? 彼に用事があるのですが」


「ヤーレスツァイト様なら、使用人塔に向かわれるのを見掛けましたよ」


「そうですか。では向かってみます。お邪魔してすみませんでした」


「お邪魔だなんて……! ぜひ、今度はふ、二人っきりでお茶を……」


「……構いませんよ」


適当な返事をしておけばいい。この世界での彼女は、現実の彼女とは一切関係がないのだから。


ヴェッターが快い返事をしたのが余程嬉しかったのか、ラヴィーネは頬を真っ赤にして喜びを露わにしていた。向かいに座るヤヌアールは「いい感じじゃないか」なんて言ってからかっている。


(さて、不本意ですがヤーレスツァイトの元へ行くか)


魔王城の聳え立つ敷地内には主に、王族が住まう本館、使用人達が寝泊まりする使用人塔、軍人達が訓練を行う訓練所、等々が存在する。

この時間帯であれば、ヤーレスツァイトは使用人塔でメイドの魔物達を口説いている筈だ。


そう予想しつつ庭園から使用人塔の休憩所に向かっていると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「お、ヴェッターやん! 休憩中か? 暇そーやな」


しかし、それはヴェッターの知る声ではあったものの、ヴェッターの知る人物ではなかった。


妙な馴れ馴れしさに苛立ちを感じながら、ヴェッターは声の主を振り返る。そこに立っていたのは、紛れもなくヤーレスツァイトであった。そう、声もヤーレスツァイトのもので間違いないのだが、彼はこんなにも強い訛りをしていただろうか。


「…………え、……どうしちゃったんですか、お前…………」


あまりの衝撃で、ヴェッターも思わずそう口にしてしまった。


「なんやの、変な奴やな……」


この世界でアルターに次いで変化があるだろう。妙な訛りと距離感の近さに戸惑いを覚えつつ、ヤーレスツァイトの観察を続ける。

しかし容姿にはそれ程相違はなく、ヴェッターの頭はこんがらがる一方だった。


「あぁ、せや。ヴェッター、宰相が探しとったで。頼みたい仕事があるって」


またか。頼むから休ませろ。

そう言いたくなる気持ちをぐっと堪えて、ヴェッターは、


「……分かりました」


と、やる気の籠っていない声色で言った。


(まだ仕事があるのか……現実世界じゃない所ならば、ゆっくりさせて欲しいものだ……)


現実世界でも、政権が変わった事により城内の忙しさは普段の四、五倍らしい。新人教育等に手が回らないのか、圧倒的な人手不足も問題となっていたが。


こちらの世界では大きな問題があった形跡も、大きな問題を起こそうとしている形跡もない。モーナトやヤーレスツァイトに休憩時間がある、という事は、現実世界よりかは良い環境なのだろうが、ヴェッターはそうは思わなかった。


もしや、宰相メルツによる嫌がらせで、自分にだけ多くの仕事を回されているのではないか。そんな妄想をしながら、ヴェッターはメルツの元へと戻っていく事にする。


頼みたい仕事、というのは三日後に提出されるという予算案の校閲。あきらかにおかしな文章や、計算を直すという、単純ではあるものの面倒な作業だ。しかしこれを終わらせるとそのまま帰宅していい、との事なので、ヴェッターは集中力を研ぎ澄ませて校閲を一時間で終わらせた。


多く見積っても三時間はかかりそうだったのに……、とメルツが驚きを顕にしている、その横顔を見た瞬間、つい口の端が持ち上がった。


このまま帰宅してしまっても、現実世界に戻る手がかりは見つからないだろう。日もまだ落ちていない事だし、今度は街の方へ核を探しに行こうと赴いた。


しかし歩けども歩けども、目に映るのは見た事あるようなないような人々ばかり。細かい所まで再現されているのには感心するが、はた迷惑な話だ。


「見つからない……こんなにも高度な魔術だったとは。一度改めて研究し直した方が良さそうだな……」


現実世界に戻ったら、真っ先に取り掛かりたい。精密に作り込まれた世界、探しても見つからない核。魔術としては最高ランクに違いないだろう。


予想しながら、どこか嬉々とした足取りで帰路に着く。一度しか通らなかった道だが、迷わず辿り着く事が出来た。


家のドアが乱雑に開かれたかと思うと、キッ、と目を細めて眉を釣りあげている母の姿があった。彼女から溢れる気迫に圧されそうになり、ヴェッターは焦りを隠しつつ問い掛ける。


「……母上、どうしましたか──」


ずかずかと大股で近付いてきたかと思えば、メーアは思いっきり手を振り上げて、ヴェッターの頬を叩いた。


「ッ!?」


咄嗟の事で身構える事しか出来ず、ヴェッターは平手を食らってしまう。呆然と目を瞬かせるヴェッターをよそに、メーアは静かに怒りを顕にした。


「それは私の台詞です。何です、連絡もなしに、悪びれる様子もなく帰ってくるとは……。貴方はもう立派な大人ですが、ちゃんと連絡と相談はするという約束でしょう! せめて、アウグスト様に伝える等したら如何です!?」


(……何故、私がこの女に殴られた……?)


メーアの言葉等、怒りで頭の先まで熱が上っているヴェッターには届いていなかった。


(たかだか、まやかし如きの存在で、この私を……)


ヴェッターの記憶にある限り、母親ポジションのメーアという女性は今朝あったのが初めてだ。それも、本当の母親などではない。ヴェッターに攻撃を仕掛けた術者が作り出した、虚偽の関係なのだ。


それに、ヴェッターはただ現実世界に戻る方法を探していただけ。ヴェッターの気苦労を知らないであろう彼女に、なぜ叩かれなくてはならない。


いよいよ、我慢の限界だった。


「……五月蝿い」


「っ、母に対して何ですか、その言葉遣いは!?」


「五月蝿い!! 貴女は……貴女は、私の母親なんかじゃ──」


そこまで言いかけて、ヴェッターの口は誰かの手によって塞がれてしまった。先程から気配は感じていたが、一言も言葉を発さなかったので無視していたのだ。


「メーアさん、ヴェッター。もう夜も遅いし、近所迷惑ですよ」


「アウグスト様……」


ヴェッターの父親ポジションであり、敬愛するアルターの敵、アウグストだ。ヴェッターはアウグストの手を振り払い、今度は彼を睨めつける。


「アウグスト、所詮貴様もまやかしの存在。貴様如き、魔術が使えなくとも──」


「メーアさん、先に中に入ってて下さい。すぐに行きます」


「……分かりました。」


吼えるヴェッターから一瞬だけ視線を外して、アウグストはメーアに家に戻るよう促す。メーアは渋々、といった様子でくるりと背を向けて去っていった。


彼女の姿が遠くなった頃、アウグストはおもむろに口を開いた。


「ねぇ、ヴェッター。お前、何か誤解をしていないかい?」


「何も誤解等していない! あの女も、貴様も、この世界全てがまやかしだ。何故貴様が私の父親なのかが全く理解出来ない! 私は貴様等どうでもいい! 言ってしまえば大嫌いだ!!」


一度本音をぶつけてしまえば、気分はやや爽快になったような気がする。困惑するか、怒ると思っていたが、アウグストは表情を動かさずに、静かに述べた。


「……ヴェッター、やっぱりお前は誤解しているよ。俺もメーアさんも、お前に害を与える存在じゃないんだ」


「…………はっ?」


此奴は一体、何を言っているのだろうか。ヴェッターは言葉の意味を読み取れずに、呆けた声を漏らしてしまう。


「今日は……何かを恐れているかのように、俺達に挨拶したでしょう。怖い夢でも見たのか?」


「……はぁ? 意味が、分からない……」


何故、自分の事を心配するかのような目で見るのだろうか。澄み切った若草色の瞳を真っ直ぐに向けられて、ヴェッターは心底困惑するしかなかった。


「そもそも、貴様は私の親ではない……私の家族は……」


(私の両親は……家族は……あんなに、温かかっただろうか……?)


拒絶しようとすればする程、現実とこの世界での環境に引き込まれていくようだ。


ヴェッターという魔物を作り上げた環境は、厳しいものだった。学問も、魔術も、武術も、礼儀作法まで。名家の出身に相応しい成績と立ち振る舞いを求められ続けた。


それが当たり前の事だと思っていたし、辛いとも思わなかった。それなのに、この世界ではどうだろうか。


決して豪華とは言えない家に食事。敬愛するアルターの敵であるディツェンバーが王で、そのディツェンバーの部下が父親で、上司で。


嫌な事ばかりの筈なのに、突き放す事が出来ない。


(ここよりいい家に住んでいたし、権力も、何もかも此奴等より上だ……なのに、なのに……)


やり場のない視線を下に向けると、アウグストに頭を撫でられる。もうそんな歳ではないし、アウグストに撫でられるのも癪だが、振りほどく気にはなれなかった。


「……まだまだ子どもかな。泣きたいなら泣けばいいんだよ」


「そんな、事……私には──」


許されない。


泣く事は、貴族のする事ではない。そう、幼い頃から躾られたのだから。「泣きたい」という感情も、ヴェッターには存在していないのだ。


それなのに、アウグストはヴェッターに「泣いてもいい」と言う。どうすればいいのか、いよいよ分からなくなってしまった。


「…………アウグスト、貴様の目には……私は、どう映っている……?」


「大事な、可愛い息子だよ」


不意に零した質問に、アウグストはすぐさま答える。


(私の親は、そんなことを言ってくれる人だっただろうか……。ここは嘘で作られた世界だが、人物の性格や性質までは偽れない。ディツェンバーの部下と、私達アルター様の部下が共に働く世界があっても可笑しくはないのかもしれない……)


あったかもしれない、この世界のヴェッターは、アウグストとメーアに大切に育てられたのだろう。


しかし、それはこの世界のヴェッターに対してであり、ヴェッター自身に向けられたものではない。だからこそ、虚しいものがあった。


(だが、私の両親はずっと彼奴等だけ……。だが……アウグストは息子に対して、こんな言葉を投げ掛けられる魔物だったのか……)


アルターの敵である彼は、ヴェッターにとっても敵である。しかし、彼の事を「父親」として見た時、はたして嫌悪する事が出来ただろうか。少なくとも、アウグストもメーアも、親としては彼等よりも優しく明るい印象だ。


……こっそり心の中で思う事は許されるだろうか。


「メーアさんも、お前が嫌いで叩いた訳じゃない。お前が突然、連絡もなしに家に帰ってこなかったから、何か事件に巻き込まれたんじゃないか、って心配していたんだよ」


たしかに、一言残しておけば良かったかもしれない。早く調査に向かいたくて、すっかり忘れてしまっていたが、少し考えれば出来た対応だ。


メーアは、連絡もなしに帰ってこなくなったヴェッターを心配していたのだろう。だからヴェッターが帰ってきた時、メーアは彼の頬を叩いた。叩かれた事に関しては腹立たしいが、頭の先まで真っ赤に染っていた怒っていたヴェッターは、落ち着いてきたようで、だらん、と力なく腕を下ろした。


「だから、家族じゃないなんて言わないで」


「…………………………」


否定する事も、考える事も、何もかもが意味のない行為に思えてくる。


どうせ、この世界は誰かが作り出した偽物だ。核が見つからない以上、ヴェッターが自力で元の世界に戻る事は出来ない。


抵抗した所で、意味はないのだ。


「分かりました。母上にも、きちんと謝罪します。父上も、すみませんでした」


だから、その通りに演じてやろうではないか。


今、この時だけ、アウグストとメーアの息子でいてやろう。ヴェッターは、そう諦めてしまった。


「……えぇ、それがいいです」


ヴェッターの言葉に、アウグストはにこりと笑みを浮かべたのだった。


家に戻り、キッチンに立っているメーアの背に声をかける。


「母上、先程は──」


謝ろうとした矢先、メーアは振り返ってヴェッターの頬を手で挟んでしまう。これでは謝罪出来ないではないか、と困惑しつつも、真っ直ぐに向けられる彼女からの視線に釘付けになってしまう。


ヴェッターと同じ、赤い目だ。


「……言うのを忘れていました。おかえりなさい」


もう怒っていないのだろうか。もともと表情が豊かではなさそうなメーアは、無表情のままにそう述べた。


「…………た、ただいま……帰りました……」


返答はこれで合っているのだろうか。恐る恐る言うと、メーアは満足したように、手を離しながら口角を上げた。


「夕飯は食べますか?」


「……はい、頂きます。母上の料理は、美味しいですから」


これは、ヴェッターの本心だった。

質素に思えていたが、暖かくて、何故か懐かしい味がしたのだ。


ヴェッターの返答が意外だったのか、メーアは少しだけ目を見開いた。しかしすぐさま微笑みを浮かべて、


「すぐに温めますね」


と、ヴェッターから背を向けて準備を始める。一旦自室に戻ろうか、とその場から去ろうとした瞬間。


「それと、次からは気を付けて下さい」


「……すみませんでした」


……やはりまだ、怒っていたようだ。


しかし不思議と、怒られた不快感は浮かんでこなかった。


自室に戻ったヴェッターは、倒れ込むようにしてベッドに寝転んだ。ラフな服装に着替えようと、リボンタイを解きながら軽く瞼を閉じる。


(とても、疲れたな……)


心の中で呟き、一度深く息を吐き出したのだった。






※※※※





瞬きした瞬間、見慣れた景色が目に飛び込んできた。次いで視界に入ってきたのは、見慣れた同僚の姿だった。


「あ、目が覚めた!」


「ヴェッター様! お身体の具合は如何ですか?」


「丸一日寝ていたが、大丈夫か?」


モーナト、ラヴィーネ、ヤーレスツァイトが順番にそう問い掛けてくる。しかしヴェッターの頭は混乱したままだ。


「…………私は一体……?」


敵の攻撃を受けて、別の世界に飛ばされていた筈だ。着替えようとしていたばかりなのに、何故元の世界に戻って来ているのだろうか。


「攻撃を受けた後、ヴェッターはそのまま意識を失ってたんだよ。どうやらあの敵の魔術は、時間経過型の魔術だったみたいだね」


(そうか……どうりで核が見付からなかった訳だ……。時間が経てば勝手に解けるのだから、探すだけ無駄だったな)


核が見つからなかった事に、ようやく納得がいった。しかし、強力な魔術には変わりないし、今度の休暇にでも調べてみようと一人決断する。


「何か食事を用意するよ。二人はヴェッターの傍に」


モーナトがそう言い残して、部屋を去って行く。その姿を見送りつつ、ヴェッターは身体を起こした。


「おい、どうした?」


「ま、まだ横になっていた方がよろしいのでは……」


声をかけてくるヤーレスツァイトとラヴィーネに構わずに、ヴェッターはハンガーに掛けられている漆黒のコートを手に取る。


ヴェッターが普段羽織っている丈の長いコートは、四天王に任命されたその日に、アルターから貰ったものだ。そしてそれは、アウグストの物だと言っていた。


何故ヴェッターに渡してきたのかは分からないままだが、アルターから貰った物を捨てる事は出来ない。故にいつも着用しているのだ。


手に取ったコートに、ヴェッターはそっと顔を埋めた。


(……流石に、もう匂いは残っていないか)


アウグストは、二十年以上前にこの世を去った魔物だ。当然といえば当然の話だが、ヴェッターは「残念だ」と呟いていた。


(それに、あと一度だけでも、母上の料理を食べたかった……気がする)


そこまで思いかけて、ヴェッターはハッと息を飲んだ。


(余程腹が減っていたのか、私は。見ず知らずの女性の手料理が食べたいと思う程……)


まだ意識が混濁しているのだろうか。もう術は解けて、偽物の世界から戻ってこれた。つまりはもう、あの世界にも、あの世界の住人にも会う事がないのだ。


開放感と同時に、後ろ髪を引かれるような気分だった。


コートに顔を埋めたまま微動だにしなくなったヴェッターを不審に思ったのだろう、ヤーレスツァイトとラヴィーネが恐る恐る背後から声をかけてくる。


「何かあったのか?」


「ま、まだ調子が悪いようでしたら、お医者様をお呼びしましょうか……?」


「……いえ。ただ……酷い夢(・・・)を、見ていただけですよ。」


もう感傷に浸るの辞めよう、とヴェッターはコートを羽織りながら言った。


「仕事に戻ります。身体に異常もありませんから。お手数をお掛けしました」


二人はまだ休んだ方がいい、と言うが、今は仕事に没頭していたい気分だった。


少しでもあの世界での事を忘れていたくて。


叶いもしない夢を見てしまった事を忘れてしまいたくて。


ヴェッターは無理矢理、仕事に戻る事にしたのだった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ