とけない魔法
食事を終えた二人は、同ホテル内のスイートルームに来た。
専用のカードキーでのみ上がれるフロアにあるこの部屋は、東京の夜景を一望することが出来る大きな窓があり、室内は大きくリビングルームとベッドルームに別れている。
景雪のエスコートで室内に入ると、小羽は感嘆の息を漏らした。
「凄い……綺麗なお部屋ですね」
よく見れば、室内の至る所に白い花が飾られている。更に寝室に入ると、大きなベッドの枕元に赤いリボンを首に巻いた白いウサギのぬいぐるみが鎮座していた。
「このウサギさんは……?」
「これは……小羽さんへの贈り物を考えていたとき、ふと目に留まったのです。どこか小羽さんに似ている気がして……」
「えっ、わたしですか……?」
改めてぬいぐるみを見てみる。ふわふわの白いボディにつぶらな紅い瞳。首には金の糸で刺繍がされたリボンが巻かれた、二十センチほどのウサギだ。
「小さくて、やわらかくて愛らしい……いつまでも、この腕に抱いていたくなるほどに。それが、私が小羽さんに抱いている素直な想いです」
甘く切ない声が降り注ぐのと共に、腕の中に閉じ込められた。景雪との体格差ゆえに、それこそぬいぐるみのようにすっぽりと収まってしまう。
「すみません……本当なら、小羽さんが成人するまで待つべきなのでしょうが……」
一度ぎゅっと抱きしめられてから、リボンがほどけるようにはらりと腕が解かれた。振り向いて景雪の顔を見上げれば、苦しそうにも見える表情で小羽を見つめている。
切なげに眉を寄せ、一度目を伏せてから、景雪は小羽の前に跪いた。
「……小羽さん。どうか、正式に私のお姫様になってください」
そういって懐から小さな箱を取り出すと、蓋を開けて小羽に向けた。中身は艶のあるクッション素材のリングケースに収められた指輪だった。薔薇モチーフの中央にはルビーが輝き、メビウスの輪を描いたリング部分にダイヤが列を成しているデザインだ。
それを見た瞬間、小羽は胸の奥で息が詰まったような心地になった。舞台の上でもプロポーズの言葉はもらっていた。けれどあのときは半分お芝居の世界にいて、夢と現の境目を揺蕩っていた。家に帰ってからぼんやり思い出しても夢心地で現実味がなく、きっともしそうなるとしてもずっと先のことだろうと思っていたのに。
いま目の前にあるのは間違いなくエンゲージリングで、景雪の眼差しは真剣そのもの。舞台から降りてもお姫様でいさせてくれると、恋しい人はそう言っている。
「……っ……はい……喜んで……」
それ以上は言葉にならず、代わりに涙が溢れて頬を転がり落ちた。
景雪は安堵の笑みを浮かべると泣きじゃくる小羽の手を取り、左手の薬指に指輪を嵌めた。白く細い指に小さな薔薇の花が輝くのを、景雪が熱のこもった眼差しで見つめている。
「小羽さん……良く、お似合いですよ」
「ぁ……ありがとう、ございます……わたし……っ……」
「大丈夫、ゆっくりでいいですから……さあ、座って」
傍らのベッドに優しく導かれ、小羽はふかふかな感触に体を沈めた。隣に腰を下ろした景雪が、そっと肩を抱きながら小羽の髪を撫でている。
暫く泣き続けて漸く落ち着くと、小羽は小さく「ごめんなさい」と呟いてから、照れくさそうに微笑んで見せた。
「良いのです。喜んで頂けたのだと、実感出来ましたから」
「はい……とても、うれしいです。本当に、あの日の王子様が……景雪さんが、わたしの王子様になってくれるのだと思うと言葉にならなくて……」
「それは私も同じです。ずっと……あなただけを思って生きて来ましたから」
見上げる小羽の視界が、景雪の愛おしげな顔でいっぱいになる。言葉を紡ぐことを忘れた小羽の唇は、切ない吐息ごと景雪の唇に塞がれた。
「……っ、ふ……ぁ……」
小羽の熱にとろけた瞳を間近にとらえた景雪は、今日だけで何度目とも知れない胸の高鳴りと、甘いだけでは終わらない欲の火が灯るのを感じ、自らを制するように再び唇を合わせた。これ以上愛らしい姿を見ていては、本当に歯止めが利かなくなってしまいそうだった。
「んっ……ふぁ、……は……っぁ……」
何度も啄むように口づけをしていると、小羽は身も心もすっかりとけてしまった。まだ十八歳の少女なのだと、こういうとき改めて実感する。
「……ふふ。今日は十二時の鐘が鳴っても帰しませんから。ゆっくり過ごしましょう」
「は……はい……」
浅く荒い呼吸をしながら胸元で俯く小羽を抱きしめ、景雪は急かすような心音を宥めようと深く息を吐いた。




