約束の日
二月に入ったことで、世間はバレンタイン一色となり、デパートのお菓子売り場やチョコレート専門店などは特に鮮やかなピンク色とハートモチーフで埋め尽くされている。街並みも可愛らしく着飾っていて、ただ道を歩くだけでも気分が高揚する。
待ち合わせ場所の駅前に着くが、見た限り景雪はまだ来ていないようだった。
「早く来すぎちゃった……」
ロータリー中央にある四阿のベンチに腰掛け、時計を見上げる。時刻は待ち合わせの約束をした時間の十分前。仕事を一つ片付けてから来るとの言葉を思い出し、小羽は遅くなることも覚悟していようと、逸る気を落ち着かせた。
行き交う人を眺めてみれば、ちらほらとカップルらしき二人組が駅へと消えて行くのが見える。
「手袋してきたほうが良かったかな……失敗しちゃった」
ほの赤く染まった指先をすり合わせ、息を吐きかける。襟元と裾にフェイクファーがついた白いコートと厚手のカラータイツで防寒してきたつもりだったが、指先の冷えは意外と全身を冷やしにかかってくる。頬もだいぶ冷たく、鏡を見たら赤くなっているのだろうなとぼんやり思う。
ロータリーをぐるりと回っては出て行くタクシーやバスを何とはなしに眺めていると、真っ直ぐ近付いてくる足音がして、顔を上げた。
「小羽さん」
黒のロングコートに淡い銀灰色のマフラーをした景雪が、早足で小羽の傍まで駆けてきた。
「すみません、お待たせしてしまって」
「いえ、わたしも来たばかりですから」
立ち上がり、景雪と向き合うと、肩にふわりとマフラーがかけられた。景雪が巻いていたときは丁度良く見えたそれは、小羽の背にはとても長く、巻き付けると顔が埋もれそうになる。
「耳まで赤くなっていますよ。手もこんなに冷えて……」
そう言いながら、景雪の手が小羽の手を包む。大きく温かい手のひらに包まれると、それだけで寒さが吹き飛ぶ心地だった。
「外泊の旨は、お父上にお話してきてくださいましたか?」
「はい。ちゃんとお話しました。景雪さんならって、許してくれました」
「信頼して頂けているのですね。では、あちらに車を止めていますから、行きましょう」
「はい」
片手を繋いだまま歩き出した景雪について、小羽も歩き出す。首回りを覆うマフラーをきゅっと頬に引き寄せると、見た目以上にやわらかな肌触りで、思わず頬ずりをしてしまった。
「ふふ。それ、気に入りましたか?」
「あ……ごめんなさい。あんまりふわふわなので、つい……」
人のものだということを思い出して手を離すと、景雪は柔和に微笑み「いいですよ、そのまま。堪能していてください」と言った。どこか楽しそうな表情に恥ずかしくなりながらも、やわらかな手触りに惹かれてまた頬を寄せる。と、ふわりと落ち着く香りがして、頬を緩めた。
「……このマフラー、景雪さんの匂いがします」
車の前で立ち止まり、思わずそう呟くと、景雪はピクリと動きを止めた。が、気を取り直して、助手席の扉を開けて小羽を促す。
小羽が座席に座ったのを確認してから扉を閉め、外を回って運転席に乗り込むと、景雪は真剣な眼差しで小羽を見つめた。
「景雪さん……?」
「すみません……こんなところで」
「え……」
いったいなにが、と小羽が思うより先に景雪の端正な顔が視界を埋め尽くした。驚いて瞠られた目には、近すぎてぼやけた恋しい人の顔がある。
「っ、ん……ぁ……」
長く形の良い指が頬を撫で、耳殻を擽り、首筋に触れる。困惑する小羽の舌を絡め取り、濡れた音を立てて唇を貪り尽くしていく。
「ふぁ……っ、はぁ……」
衝動としか言えない口づけからやっと解放された頃には、小羽は身も心もすっかりとろけきっていた。上気した頬をそのままに、潤んだ瞳で景雪を見つめる。
そのとき、景雪の目の奥に見たことのない射抜くような光を見た気がして、小羽は濡れた唇から熱っぽい吐息を漏らした。




