オトナの一杯
バルコニーに出ると、綺麗に整えられた庭園が眼下に広がっていた。冬へと向かう秋風が二人のあいだを抜け、小羽の白い髪を靡かせる。
「……凄いところだよな」
「うん。びっくりしちゃった」
手すりに手をかけて庭を見下ろす小羽の横顔を見つめながら、暫し思い悩んだ表情で考え込み、一つ深呼吸をすると、颯汰は意を決して口を開いた。
「俺……実は、小羽のこと好きだったんだ」
「え……?」
小羽の驚いた顔が、颯汰へと向けられる。大きく見開かれた紅い瞳は、白雪姫の林檎のよう。
「あっ、か、勘違いしないでくれよ! 朔晦さんに挑もうってわけじゃないんだ。ただ、気持ちを切り替えるためにも、やっぱり言っておきたくて。……小羽は優しいから、言ったら困らせるとは思ったんだけどな」
「……そっか。うん。ありがとう」
困ったような笑みを浮かべる小羽を見て、颯汰は松葉杖を脇で支えると、自分の両頬を叩いた。そして小羽を真っ直ぐ見つめて、頭を下げる。
「じゃあ、頼む。思いっきりふってくれ」
「う……うん。えっと……」
小さく息を吸う気配に、颯汰の肩が強ばる。
「……ごめんね。颯汰くんとお芝居するのは好きだし楽しいけど、舞台を降りた小羽の王子様は、颯汰くんじゃないの」
「おぁぁ……すっげぇ効いた。ありがとう」
顔を上げた颯汰の顔は、小羽も驚くほど清々しいものになっていた。
と、其処へ、小羽の小さなハンドバッグが震えた。開けてみればスマートフォンが着信を告げていて、しかも画面には九条凜々花の名前が記されていた。
「あ……九条さん」
そう小羽が呟いて、通話を押そうとしたとき。前から手が伸びてきてスマートフォンを奪うと、終話のほうを押した。
「あっ」
「出る必要はねえよ。アイツはもううちのメンバーじゃないんだ。アドレスもいらないだろ。散々捨て台詞吐いて出て行ったくせに、今更まともな用があるとは思えないしな」
「そう……だね」
一瞬だけ止めようとした小羽だったが、颯汰が怪我をするきっかけを作ったのは梨々香だ。直接手を下したわけではないとはいえ、団員たちもあれさえなければと思っていることは小羽も感じている。本人なら尚更だろう。
それに、小羽以外の団員も、彼女に散々悪し様に言われていた。年上の女性はババアと言われ、そうでなければブス呼ばわり。家が近いから所属してやってる、いつか東京の劇団に所属すると、常に言って憚らなかった彼女に仲間意識を持っている団員は、最早一人もいない。
颯汰はアドレスを消し、ついでに登録外拒否設定をした。
「変な詐欺電話の履歴もあったから、関係ない番号からかからないようにもしといたぜ」
「えっ、気付かなかった……そんな設定があったんだね」
「お前……優しいのはいいけど、ぼんやりしてるところは心配だよなぁ……」
「それはご心配なく。私がいますから」
颯汰が呟いたところへ、やわらかな良く通る声が割り込んできた。
驚いて振り返れば、バルコニーの入口に、景雪がいつの間にか立っていて。それだけで絵になる完璧な立ち姿に颯汰は爽やかな敗北感に見舞われ、嫉妬の感情すら湧かなかった。
「景雪さん」
花が咲いたような笑みで名前を呼ぶ小羽を見、颯汰は改めて「敵わないな」と苦笑する。
「すいません。どうしてもお話ししておきたいことがあって。でも、もう終わったんで」
そう言って颯汰がホールへ戻ると、男性団員に肩を叩かれ、笑いながら「今日は飲め!」と早速絡まれた。背後では、小羽が最愛の王子様に肩を抱かれてしあわせそうに微笑んでいる。
「真砂颯汰! 行きます!」
「おーし、いけ! 男になれ!」
囃し立てられながら、シャンパンを模した炭酸ドリンクを一気に飲み干す。アルコールは入っていないはずなのに、そこはかとなく苦い一杯だった。




