野獣から王子へ
第二休憩室は、いまだけは簡易的な楽屋と化しており、化粧用のライトで縁取りされたスタンドミラーや裁縫道具、メイク道具一式が並んでいる。他にも、恰幅の良い王様などの役をやるために衣装の下に仕込む詰め物なども転がっていて、仮眠用ベッドは物置の様相と化していた。
「さ、本読みの時間もあるのだし、早めに合わせてしまいましょう」
壁際のハンガーに脱いだスーツを下げ、衣装を合わせる。と、やはり颯汰に合わせて作ってあるため、180センチを超える雪男には少し丈が足りなかった。
「少し袖が足りないわね。フリルをもう一段追加して、ボリュームを出して誤魔化しましょう」
颯汰に比べて手足が長く、袖と裾が僅かに足りない。裾は元々いくらでも調整出来る作りにしてあるため、裾伸ばしをするだけで良いが、ジャケットはそうはいかない。中のシャツの袖口にあるフリルを追加し、手首が覗くのを防ぐ方向で調整することにした。
ソーイングセットを持ち出し、シャツを縫ったものと同じ生地で、袖口にフリルを縫い付ける。アップになることもある映画やドラマとは違い、舞台は観客との距離がある。これならある程度は誤魔化すことが出来そうだ。
「……見事ですね。これも、彼女のために身につけたものですか」
「ええ、勿論。私が持っているものは全てあの子のためにあるの」
迷いなく言い切った紗夜を見下ろし、雪男は感心したように呟く。
「それほどまでに全てを賭けられる存在がいるのは、少し羨ましいですね」
「あら。あなたはあの子のこと、本気ではないの?」
意地悪そうな笑みで言う紗夜に、雪男は口元に笑みを乗せて「まさか」と答えた。
「本気ですよ。……喩えあなたの手のひらの上だとしても、ね」
「ふふ。何のことかしら」
空々しく笑う紗夜を鏡越しに見つめ、雪男は口を開いた。
「あなたは幼い頃から、彼女のために生きていました。その理由を、私も彼女の演技を見たときに理解しました。舞台の上ではあらゆる色に染まりながらも、決して失われない純白……他の誰にも持ち得ない天賦の才です」
紗夜は満足げに微笑むと、メイク道具を傍らに置いて雪男の傍に膝をついた。
「わかってもらえてうれしいわ。だから私は、ずっとあの子のために生きて来たのよ」
ウィッグのネットをかぶせてから、雪男の顔に舞台用のメイクを施していく。
いままで長い前髪で覆われていた素顔を露わにして、眉を整え、目鼻立ちをくっきりさせ、肌を整える。西洋人風の顔立ちに近付けるメイクをしてから、金髪のウィッグを装着した。
「格好だけなら本物の王子様みたいよ」
「あなたがそう言うなら、大丈夫そうですね」
ふと見れば、時計は開演時間を差している。
どうにか間に合ったようで、互いに安堵の息を吐いた。
「そうだわ。王子様なあなたに、良いことを教えてあげる。あの子は――――……」
遠くで、開演を告げるベルの音が鳴った。




