最後を前にして
「あ……うそ、どうしよう……」
袖で小道具を纏めていた団員が、焦ったような声を漏らした。
「どうしたの?」
紗夜と小羽、団長に颯汰と、袖の傍にいた面々が近付くと、梨々香に蹴られた桶が見るも無惨に割れてしまっていた。
これは元々演劇用の小道具ではなく、ホームセンターにも売っている、小さめの洗濯桶に柿渋を塗りつけ、年季を演出したものだ。
「これは……直すより買ったほうが早そうッスね。俺、ひとっ走り行ってきますよ」
「いまから?」
「時間ないだろ? 小羽や月見里さんには行かせられねーし、団長は別にやることあるし」
壁掛け時計は午後六時過ぎを差している。紗夜はそろそろ帰らなければならない時刻で、劇場も普段であれば解散し、施錠する頃合いだ。此処に、夜間の部や夜通し練習するという概念はない。それに明日は、保育園を招いての本番である。
「じゃあ、悪いけど、颯汰に頼む。金は戻ったら渡すから、レシートもらって来いよ」
「はい!」
そういって駆け出した颯汰を見送ると、団員たちは門限が近い紗夜を先に帰し、更に別の仕事がある団長が抜け、残ったメンバーはそれ以外を片付けることにした。
それから数分。まださすがに颯汰は戻って来ないだろう時間だというのに、劇場に向かってくる足音が聞こえ、団員たちは不思議に思いながら舞台の正面、客席の後ろにある出入り口を見た。
「おや……開いているからもしやと思えば……」
「あ、日月さん」
「雪男さん……?」
真っ先に小羽が駆け寄り、なにかあったのかと尋ねる。
「いえ、近くを通りかかったら珍しくこの時間になってもまだ外に灯りがついていたので、なにかあったのかと思いまして……」
「それが……明日使う小道具が一つ壊れてしまって、いま代わりのものを颯汰くんが買いに行ってくれているんです」
「そうですか……それは災難でしたね」
そんな話をしていると、楽屋で衣装チェックをしていた団員がスマートフォンを手に現れた。
「颯汰、桶は明日朝一で待機位置に置いとくから、皆は帰っていいってさ」
「りょーかい」
そういうと、団員の一人が雪男を見て「そういうわけなんで、此処も閉めますね」と言った。
「はい。大変なときにお邪魔してしまい失礼しました。私はホールにいますので」
前半は団員に向けて、後半は小羽に向けてそう言うと、雪男は廊下へ出て行った。
劇場を閉め、小羽は玄関前で雪男と別れて帰路につく。明日の公演を見に来るという彼の言葉を胸に、父の元へと帰り着いた。
颯汰が事故に遭ったと連絡が入ったのは、その日の夜更けのことだった。




