夢みる舞台装置
一夜明けて、紗夜に励まされた小羽は何とか気持ちを切り替えて練習に打ち込んでいた。
本番は待ってはくれない。観客は此方の機嫌を考慮して、演技に手を抜くことを許容したりなどしない。変えられないことにいつまでも囚われて、本分を見失うわけにはいかないのだ。
今日の練習は、舞台上で立ち位置を確認しながらの、シーン別調整。全員衣装を合わせ、実際の動きを分割で整えていく。それがある程度進んだところで通し稽古に移る。
「シンデレラ、次はダンスシーンだ。夢にまで見た舞踏会、煌びやかなホールで、憧れの王子様と時間を忘れて踊る」
「はい」
団長の演技指導の声で、周りで練習していた団員たちが手を止めた。視線は、中央に立つ二人に注がれ、旧式のラジカセで音楽が奏でられる。
「なんという美しい方……一曲踊って頂けませんか」
王子役の真砂颯汰が手を差し伸べると、シンデレラ役の小羽がとろけそうな笑みで頷く。手袋に覆われた小さな手を取り、王子は優しく腰を抱いた。
その瞬間、音質の低いラジカセが奏でる音楽は王家が雇った楽団のオーケストラに変わり、まだセットも置かれていない素のままの舞台はパーティ会場に。そして無骨で無機質なサスペンションライトは豪奢なシャンデリアに変わる。
小羽の演技を見た者は、彼女の周囲に世界を幻視する。それは相手役も同じことで、うっとりと恋する眼差しで見つめられるうちに、王子としてシンデレラに心から恋をしてしまう。
それゆえ、小羽が舞台に立つときはシーンごとに切り離し作業が行われる。夢想状態から現実に帰るための切り替えを明確に行わないと、周囲は小羽の演技に飲まれたままになってしまうのだ。
「はい、そこまで!」
十二時の鐘が鳴ったところでパンと手を叩き、団長がシーンの終了を告げた。小羽は即座に素の表情に戻したが、颯汰はまだぼんやりしている。
「颯汰、しっかりしろ」
「……! あっ、は、はい! すみません」
ハッとして首を振り、漸く夢見心地だった時間から現実へと戻ってくる。両頬を叩くと、颯汰はもう大丈夫ですと言って爽やかに笑って見せた。
以前に所属していたとある男性役者は、小羽の演技にのめり込むあまりに所謂「ガチ恋」状態になってしまい、ストーカー騒ぎを起こして除名された。颯汰は入り込みやすさはあるものの団長の声かけで現実に戻れる役者であるため、小羽がヒロインをやるようになってから、端役から大幅に出世してヒーロー役を多く務めるようになった。
「小羽は大丈夫そうだな。昨晩は少し表情が冴えなかったから心配していたが……」
「大丈夫です。昨日、紗夜ちゃんが来てくれたので」
「そうか」
小羽が舞台袖近くで見守っていた紗夜に視線を向けると、紗夜はにこりと微笑み手を振った。
「この分なら、明日か明後日には通しに移れそうだな」
「はい、がんばります」
団長の言葉に小羽が応え、周りもそれぞれ了承の意を口にしたときだった。
拍手の音が観客席から聞こえ、団員たちが揃って振り返った。
「素晴らしい演技でしたよ」
そこにいたのは、映画俳優もかくやという、目の覚めるような美貌の男だった。