時間薬より効く薬
「ただいま」
家の扉を開けると、玄関で雅臣が待っていた。まだ少し早い時間だからか、いつものエプロンは着けておらず、部屋着ではなく外出着を着ている。
「お帰り、小羽。楽しかったかい?」
「うん、とっても。お弁当も喜んでもらえたの」
「そうか。それは良かったね」
ダイニングテーブルにバスケットを置くと、小羽はリビングのソファに腰掛けた。溜息を吐き、ぼんやりと足先に視線を落とした。
手のひらと膝を軽く擦りむいていたことに今更気付き、心と同じくズキズキ痛む。
「小羽。お出かけで、彼となにかあったのかな?」
「う、ううん、雪男さんとはなにも……」
隣に腰掛けながら問われ、小羽は慌てて首を振った。だがこの言い方では、他になにかあったと自白するようなものだ。案の定雅臣は、小羽を心配そうな顔で見つめている。
「お父さんには話せないことかい?」
「…………えっと……」
小羽は暫く悩んで、視線を彷徨わせ、それから観念したように話し始めた。
帰りに駅前で梨々香とその友人に会ったこと。彼女たちに雪男を悪し様に言われて、つい反論をしてしまったこと。そのわりには彼の誤解を解けるような、気の利いたことは何一つ言えなかったこと。意味もなく波風を立ててしまって、そのせいで怪我をしたこと。自分の反論のせいで亀裂を作っただけに終わってしまって、明日の練習が気まずくなりそうだと思っていること。
ゆっくりと話す小羽の言葉を、雅臣は遮ることなくじっと聞いていた。
「……そうか。そんなことがあったんだね」
「ごめんなさい……九条さんも劇団の仲間なのに……わたし、あんな言い方を……」
これまでも彼女に散々な目に遭わされているというのに、小羽はいまでも梨々香を仲間と思っている。雅臣にとってはその姿がいじらしくもあり、不安でもある。なにより、今回は軽いものとはいえ怪我を負わされて帰ってきたのだ。
彼女がいる限り、小羽は自分が耐えることを選び続けるだろう。耐えている自覚もないままに。
「小羽が気にすることじゃないよ。誰だって、大切な人を貶されたら哀しい気持ちになるだろう」
「でも……」
「大丈夫」
雅臣は小羽の頭を撫で、安心させるように微笑んだ。
「それより、手当をしてしまおう。痕が残ったら大変だ」
そう言うと雅臣は救急箱を取ってきて、小羽の足元にしゃがむ。消毒綿で軽く拭うと、ガーゼのついた大きな傷テープを貼りつけた。
「ああ、そうだ。今日は紗夜くんが泊まりに来ると言っていたから、あとで部屋に来客用の布団を持っていくよ」
「紗夜ちゃんが? なにかあったの?」
「実は少し、劇団の雑務を手伝ってもらっていたんだ。そのお礼に夕食をご馳走しようと思って。それで遅くに帰すのもなんだからね」
「そっか。紗夜ちゃんに会えるんだ……」
陰っていた表情が少し明るくなったのを見て、雅臣は密やかに安堵した。
其処へ、玄関の呼び鈴が鳴り、雅臣が応対に出る。扉越しに聞こえてきた大好きな親友の声に、小羽は居ても立ってもいられず出迎えに行くのだった。




