大切だからこそ
「お父さん、ただいま」
「お帰り、小羽。少し遅かったようだけど、なにかあったのかい?」
雅臣の言葉に、思わずドキリとした。それを見逃す雅臣ではなく、心配そうな視線を向ける。
ほんの一瞬だけ、何でもないと言おうかと過ぎった。だが、これからお付き合いを始めるのに、ずっと隠し続けることなど出来るはずもない。連絡ツールに触れる機会も増えるだろうし、二人で外出することもあるだろう。その度に大好きな父に嘘を吐くなど、小羽には考えられなかった。
「えっと……実はね」
リビングに入り、ソファに並んで腰掛けると、小羽はぽつぽつ話し始めた。
「その……お付き合いしたいと思う人がいるの」
「え!?」
雅臣の驚いた声に驚き、小羽は肩を跳ね上がらせた。
ドキドキとうるさい心臓を宥めながら、劇場のことには触れないよう言葉を選ぶ。
「実は、お父さんが帰ったあと、劇場に来た人がいて……その人は劇団と、劇場のことが好きで、何度も見に来てくれていたんだって」
「……そ、そう、なのか……」
動揺を隠しきれない様子の雅臣に、小羽は申し訳ない気持ちになりながら話を続ける。
「それで、お話ししているうちに優しくていい人だなって……まだ、本当に恋人としてお付き合いすると決まったわけじゃないんだけど……でも、そうなれたらいいと思ってるの」
雅臣が複雑な気持ちでいる理由は、ストーカー騒ぎで男性に大変な目に遭わされた経験がひどいトラウマになっていなさそうだという安堵と、その男性が小羽に危害を加える人間ではないか確認したい気持ちと、小羽の自主性を尊重したい想いが混ざり合っているためだ。
父として、団長として、娘であり団員でもある小羽を大事にしたいと思う一方で、過保護になるあまり束縛しすぎて小羽の自立を阻害するわけにはいかないとも思う。
そしてそんな雅臣の心境を、小羽も十分理解していた。だからこそ、隠し事をせずに打ち明けることにしたのだが。
「……名前を、教えてもらえるかな」
散々悩んだ結果、これくらいなら許されるだろうと、雅臣は一つだけ訊ねた。
「日月雪男さんっていうの。紗夜ちゃんは、何だか知っているふうだったわ」
「月見里が……ということは、経営者とかそういう立場に近い人なのかな」
「たぶん……わたしも詳しいことは聞いてないの。出逢ったばかりだから、あまり詮索しすぎても良くないかと思って……」
「そうだね」
小羽は名刺を見ていないため、彼がどんな役職でどれほどの権力を持ってあのような取り引きを持ちかけてきたのかわからない。もしかしたら、オーナーと知人だから話が届くだけかも知れず、或いは紗夜と同じようにどこかの御曹司かも知れない。
「確かに知り合ったばかりで相手のお仕事をあれこれ聞くのは不躾だからね。私は父親として心配するけれど、だからってお会いして間もないのに、私に気遣って色々尋ねたりしなくていいから。良いお付き合いをしなさい」
「お父さん……ありがとう」
雅臣の大きな手が、小羽の頭を抱き寄せてやわらかく撫でる。やはり話して良かったと、小羽は少しだけ安堵した。