野獣の交換条件
「ええと、それは、どういう……?」
困惑しつつも颯汰が訊ねると、男は団員たちを睨めつけるように眺め回してから、口を開いた。
「そのオーナーとは知人でして……説得も可能、ということです。何なら、劇場ごと買い取ってもいいくらいです」
「そ、それはまた……」
半信半疑な様子の団員たちに、男は此方をと言って舞台を見上げる格好で名刺を差し出した。
「あ、すみません。こんなところから」
慌てて舞台を飛び降り、目線の高さを合わせてから名刺を受け取る。そこには誰もが知っている大会社の名前と、代表取締役という役職名、そして男の名前が並んでいた。
「日月雪男さん、ですか」
「ええ……」
男はずんぐりとした肩周りと太い腰、巻き肩めいた姿勢と、雪男というよりは美女と野獣に出てくる野獣が下手くそなりに人間に化けたような姿をしている。以前に訊ねてきた美貌の客とは真逆どころではない様相に、団員たちの視線も真逆の色をしている。
ただ、小羽は紗夜に寄り添いながら不安そうに、紗夜は然程動揺していない様子で、成り行きを見守っている。
「それで、日月さんは此処の取り壊しを止めることが出来るとのことですが、その……」
「ええ、まあ……懸念されている通り、交換条件があります」
颯汰は、それはそうだろうといった様子で雪男の言葉を待っている。突然現れた見知らぬ親切な人が、無条件で大金を積んで貧乏劇団を救ってくれるなど、それこそ物語の世界だ。寧ろ、なにも条件なしで金だけ積むと言われたほうが胡散臭い。
「どなたか……女性団員の方に、私の恋人になって頂きたいのです」
「はぁ!?」
雪男の出した条件に反応したのは、先ほどからゴミを見る目で雪男を見ていた梨々香だった。
「信じらんなぁい! お金で買わないと相手にされないからって、弱みにつけ込んで女漁りなんて
サイテー! やだぁ、梨々香怖ぁい」
「九条、いい加減にしろよ」
年長の団員が咎めるも、目の前にいるのは輝く王子様ではなく、根暗で猫背の醜男だ。数日前に景雪が尋ねてきたときには此処で運命的な出会いがあるかもなどと言っていたのと同じ口で、散々雪男を罵倒している。
「でもでもぉ、みんなだってぇ、あんな醜男お断りって思ってるんでしょぉ? だって、だぁれもなにも言わないもんねぇ? 梨々香だけ責めるのおかしくなぁい?」
梨々香の言葉に反論する者はいない。それを良いことに、嫌悪感に満ちた目で雪男を見下ろして「キモい」「無理」「あり得ない」などと喚いていたが、ふといいことを思いついたと言いたげな表情になり、小羽の背中を突き飛ばした。
「そうだっ」
「きゃっ!」
つんのめり、舞台の際まで蹌踉めいて近付いた小羽を、重たい髪で見えない雪男の視線がじっととらえる。
「この子がいたんだったぁ。ねえねえ、これならじゅーぶんでしょ? 異性に縁がない不細工同士仲良く出来そうじゃない? きゃははっ! 梨々香あったまいー!」
団員たちは表情こそ同情的だが、梨々香の提案に異を唱えれば自分に矛先が向きかねないことを理解しているため、気まずそうに顔を見合わせるばかりで、なにも言わなかった。大っぴらに罵倒しないだけで、彼と付き合うのは御免だというのは、悔しいが梨々香の言う通り、本心だった。