終劇の始まり
たくさんの子供たちの視線を受け、白雪姫は王子様の口づけで目を覚ます。歓声が湧き起こり、シーンは白雪姫と王子様の婚約を祝うパーティへと移る。やわらかなドレスを翻し、眩いライトに照らされながら優雅に踊る白雪姫の姿に、観客の子供たちは目を輝かせて見入っていた。
―――こうして白雪姫は、大好きな王子様とたくさんの人々に囲まれて、いつまでもしあわせに暮らしました。
カーテンコールで割れんばかりの拍手を受けると、静かに幕が下りた。
「お疲れさま、小羽。今日も素敵だったわ」
「ありがとう、紗夜ちゃん」
舞台袖でタオルを受け取りながら、白雪姫の衣装を纏った少女、小羽はしあわせそうに破顔して答えた。白雪姫の継母であり魔女でもある役を演じた女性、紗夜はそんな小羽の頬を伝う汗を指でそっと拭い、優しく頭を撫でた。
173センチの長身に加えてヒールを履いている紗夜と、155センチという小柄な小羽が肩を並べると、姉妹のように映る。
「次はシンデレラね。人気の演目だから、気合い入れましょう」
「うん」
観客がはけ、静かになった舞台を眺めて気持ちを新たにする。
話しながら楽屋へ向かおうとした、そのときだった。二人の前に、大仰な仕草で拍手をしながら壮年の男性が現れた。一目で上等だとわかるスーツに身を包み、よく磨かれた革靴の底を鳴らし、数メートル先で足を止める。幕も下りたあとだというのに、妙に芝居がかったその仕草に、紗夜は目を眇めた。
彼は、劇場であり団員寮でもあるこの建物を所有しているオーナー、皇勲だ。先代からオーナー権を引き継いで早々、この劇場を取り潰してホテルに改装する計画を立てたことから、団長を始め殆どの団員から嫌われている。
「やあ、良い舞台だったよ。お疲れさま」
「恐れ入りますわ」
形式だけの礼を返す紗夜の横で、小羽は不安そうな顔で二人のやり取りを見守っている。そんな二人の様子を愉快そうに眺めながら、皇はもったいつけて口を開く。
「これほどの舞台を作り上げる君たちには申し訳ないのだが、残念なニュースを伝えに来たんだ。立ち退きの日取りが早まったという、悲しいニュースをね」
「早まったって……」
「来月の末予定だったがね、月末に変更となったんだ」
「そんな……!」
小羽が小さく声を上げ、紗夜に縋り付く。紗夜がオーナーに理由を問うと、近隣住民から苦情が集まっているため、早急に取り壊すべきだと会議で決定したためだと言う。
この建物は明治時代に建てられた異人館風の建物で、歴史ある建築物である一方、現代の耐震を初めとした諸々の基準をクリアしていないことは事実である。先代オーナーは取り壊しではなく、耐震、免震加工を施す改装をする方針で、劇団にも解散ではなく一時休業を願い出ていた。それが今年の初め、勲オーナーに突然権利が引き継がれてからというもの、あっという間に劇団員たちへ立ち退き命令が出され、追い打ちとばかりに劇団の解散が言い渡されたのだった。
特に小羽は、勲オーナーが所有している著名な大劇団への勧誘までされており、取り壊しが実行されれば、恐らく二度とこのメンバーで舞台に立つことは出来なくなるだろう。
「どうにも、ならないんですか……?」
泣きそうな顔で小羽が問うと、皇は肩を竦めて「残念ながらね」と苦笑して見せた。いっそ愉快そうですらあるその表情に、紗夜は一層睨みを利かせる。
「不幸にも最後の一ヶ月になってしまったが、成功をお祈りしているよ。では」
口元を歪めてそれだけ言うと、皇は高らかに靴を鳴らして劇場を去って行った。残された小羽は暫く紗夜に寄り添ったままその場に佇んでいたが、紗夜の「着替えましょう」という言葉に小さく頷き、頼りない足取りで舞台袖に下がった。
人がいなくなった劇場は、先ほどまでの熱気が嘘のように寒々しく映る。
一連のやり取りを聞いていたのは、座る者のいなくなった観客席と、もう一つ。長い前髪を重く垂らした、背の高い男の影。謎の男はなにを言うでもなく劇場をあとにし、その存在に気付く者は誰もいなかった。