震えの正体
「す、すみませんでした! ま、まさか……む、胸が見えていただなんて……! エルミカが裸で眠っていたのにも気づかなくて……すみません……!」
「い、いや気にするな。俺が視界に入れなきゃ良いだけの話だから……」
「あぁああそんな気遣いをさせてしまって本当に申し訳ございません!」
背を向けているから見えていないが、声色からエデンは確実に土下座をしていることだろう。それも、自分の無防備に晒された胸、さらに妹に至っては生まれたままの姿を見られたのだから、羞恥心200%で顔を真っ赤にしていることだろう。
……なお、俺は先ほど見てしまった眼福を記憶の彼方に消し去った。俺と2人は師弟関係、そこに劣情を挟みこむわけにはいかないからな。……まぁ一思春期男子としてはありがとうございました、と謝罪と感謝の念を込めて逆に土下座をしたいくらいだ。
「あ、あのエデン」
「はい、何でしょうか?」
「エルミカは……その……いつもあぁいう姿で寝てるのか?」
「いつもという訳ではないです。ただ、師匠にご指導をして頂くようになってからは、あの姿で眠ってしまうことが増えました」
「俺の指導で……?」
「はい。きっと、疲れているのだと思います」
「そうか……」
気まずい雰囲気をどうにかすべく、何気なく質問したがそういうことだったんだな。良かった、全裸で眠るのがイギリス人にとって普通の文化じゃなくて。
しかし、俺には罪悪感を覚える答えが返って来てどっちみち複雑な気持ちだ。
「服を着させてあげたりとかは?」
「はい。もちろんしますが、今日に関しては師匠にべったりとくっついて眠っていたんです。引き離そうとするとぐずってしまって……まるで赤ちゃんみたいだったんですよ」
「そ、そうだったのか……」
クスッと笑みを零すエデン。
対照的に俺は彼方に葬った記憶がさらに妄想を追加して蘇って来そうで冷や汗気味だ。
鎮まれ! 俺の妄想力!
「え、エデンは寝なくても良いのか? 明日は本番だろ? 早く寝て備えないと万全なパフォーマンスが出来ないぞ?」
「はい。分かってはいます。ですが……身体の震えが止まらなくて……」
「震えが……? そっち、見ても大丈夫か?」
「……はい」
妄想を吹っ飛ばすべくエデンとの会話を繋げようとしたが、結果的にそれは上手くいっていた。エルミカの裸のことなんて頭の隅の隅に追いやられ……、俺の目に映っているのは言葉通り身体を小刻みに震わせているエデンの姿だった。
両肩を自らの手で抱き締め、「こんな状態なんです」とエデンは困ったように笑いながら言った。
「いつからだ?」
「帰宅して、シャワーを浴びて、『さぁ、寝よう』って思ってから……です。止めよう、と思っても止められなくて……」
「具合が悪い、とかじゃないんだな?」
「雨に打たれたので、少し不安はありましたが……体調は万全です。私もエルミカも、熱を計った時は平熱でした」
「そうか……」
「もしかしたら、不安なのかもしれませんね?」
「不安?」
俺が繰り返すと、エデンはおもむろに頭を下げて「ありがとうございます、師匠」と笑顔を浮かべる。暖炉の火がパチッと音を鳴らした。
「今日まで私やエデンを鍛えて下さって、手取り足取り教えて下さって……感謝の言葉しかありません。これまで独学で歌も踊りも身につけて来ましたが……師匠の教えのおかげで以前とは比にならない技術や自信を手に入れることが出来ました」
「いやいや、元々エデンもエルミカも才能はあった。俺はそれをほんの少し伸ばす手伝いをしただけだ。根性もあるし、俺が師匠にならなくてもいずれは頂点に立てる器だった。そう思うぞ」
「いえ、あなたが師匠だったことが重要なんです。これしか言えませんが、本当に本当に本当に……ありがとうございます……。私、いや私達に……道を示して下さって、光を教えて下さって……」
一瞬瞳が煌めいたように見えたが、エデンが再び頭を下げたことで真偽は分からなかった。
「ただ……」と次に顔を上げた時、その目はいつものように真紅の炎を宿したような色に戻っていた。
だけど、炎の色はどこか弱弱しかった。
「師匠の面目を潰さない為にも、師匠の教えが正しいものだということを証明する為にも、明日の甘粕先輩との負けられない……絶対に勝ちます。……そう心に強く決めてはいるのですが、いざ明日が本番だということを自覚すると……不安で。それで震えているのかもしれません」
「なるほどな、その震えの正体は緊張や不安、だってことか」
「……はい」
「まっ、それは"ブッブー"だ、エデン」
俺は俯き気味のエデンの頭に手をポンッと置いた。
「ふえ?」ときょとんとするエデンに、俺は続ける。優しく、笑って。
「間違いってことだよ。お前は緊張してる訳でも不安に感じてる訳でもない」
「では……この震えは一体何なんです?」
「そうだな。日本語で言うなら……"武者震い"だよ、それは」
「武者震い……」
「エデンは、これまでの特訓の成果を、磨いて来た実力を、エルミカと築き上げた絆を、早く皆に見て貰いたくてうずうずしてるんだ。確かに明日は清蘭との勝負でもあるけど、大勢の人が見に来る。その人達を、魅了したくてたまらないんだよ」
「……そう……なんでしょうか?」
「あぁ。これまで人知れず磨いて来たものを人前で見せられるっていうのは、想像以上に爽快なもんだぞ。そりゃあ緊張はするにはするが……それ以上に、ステージの上から見てくれてる人達を眺めて、その人達が"魅せられている"のを実感した時は……もうこの上ない気持ち良さだ」
【アポカリプス】での経験を踏まえながら話す俺に、エデンは半信半疑なようだったが……
「……そう、ですね。確かに、楽しみだっていう気持ちもあります。師匠に太鼓判を押して貰っていますし、私とエルミカのパフォーマンスでどんな風に見てくれる皆さんを楽しませられるのか……。これが、"ムシャブルイ"なのですね!」
「あぁ、そうだ」
エデンの瞳の揺らぎは消え、力強いものになった。
こういうのは気の持ちようだ。あの震えの正体が緊張や不安によるものだったのか、武者震いによるものだったのか、俺に決める権利はない。エデンの心が決めることだ。
それでも、明日を迎えるに当たってそれをどう思うかで、かなり違ってくる。プレッシャーを敵にするか味方にするか、メンタルコントロールもまた一流には必要なものだ。
今回は技術ばっかりだったけど、今度はメンタル面についても鍛えてあげようかな……?
って、何を考えてるんだ俺は。エデンとエルミカを鍛えるのは自分の安寧秩序足る学校生活を取り戻す為だ。
このままずっと2人の師匠を続けると一向に平和な日常なんて帰って来ないぞ! 1人のファンに肩入れしすぎないのと同じように、この2人にも肩入れし過ぎないようにしないとな。
まぁ……ちょっと寂しい気もするけどな。
「よし。震えの正体が分かった所で、そろそろ寝ようか」
「はい! 安心出来たからか……私も眠くなって来ました」
「ははは、それは良かった」
「師匠、夜分遅くまでありがとうございます。それじゃ、エルミカは連れて行きますね」
布団にくるんだままエルミカを抱きかかえるとエデンは部屋を移動する。どうやら普段は2人一緒に眠っているようだ。
普段から本当に仲が良いようで微笑ましい。「狭くて申し訳ないですが、ソファーをお使いください」と言ってくれたけど、全然狭くないし寝心地最高だ……流石は貴族のソファー。
「あ、師匠」
疲れもあり、すぐに寝落ちそうだった俺にエデンが不意に声をかける。
顔を上げるとエデンは柔らかい微笑みを向けてこう言った。
「明日……師匠が教えて下さった全てを出し切ります。どうか私とエルミカのこと、最後まで見ていて下さいね」
泣いても笑っても、遂に明日は清蘭との大勝負。
勝負が終わった時にエデンとエルミカの顔が浮かべるのは涙か、それとも笑顔か。
そのことを考えながらもこの時の俺は。
エデンの微笑みに見惚れていたのだった。




