2つの声、2人の言葉。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ」
「ハァッ、ハァッ、ハァッ」
エデンとエルミカ。
この2人が息を切らし、汗を流す姿をどれだけ見たことだろう。
この2人が歯を食いしばり、拳を握り締めて努力する姿をどれだけ見たことだろう。
少なくとも、世界の誰よりも俺はその回数が多いことは確かだ。
そして……2人が疑いようもなく成長していることも、確かだ。
5月5日、子どもの日。今日も師匠として2人を指導していた俺は、この日に特訓の集大成を見た。これまでの日々と同じように疲弊した2人の姿を見るのも最早お馴染みとなっていたが、今日は違っていた。
特訓の時、2人はもちろん本気だ。真剣だ。全力だ。
しかし……今目の当たりにしている2人の姿は、これまでのそれをも上回る気迫があった。2人が見せた、いや魅せたのは……雨の中でのリハーサルだった。
教えた技術を全て習得し、それらを余すことなく遺憾無く発揮した2人に……俺は完全に魅せられた。清蘭、能登鷹さん、シロさんと個性や能力や特徴に魅せられたことはあった。
それでもこうして、歌やダンスや笑顔……アイドルとして全ての要素で魅せられたのはこの2人が初めてだ。
雨の音すら聞こえずに2人の声だけに耳を傾けて。
雨が目に入るのも構わず2人の姿だけを見つめ続けて。
濡れて滑りやすくもなっている芝生というステージの上で、踊り、歌い、笑い、2人は輝いていた。観客が俺だけだったけど、最後まで2人は見事にやり切ってくれていた。
「はぁ……はぁ……どう……でしたか……?」
「……あぁ。文句なしだ。よくやったな、2人共」
「はぁ……や……やった……デス……はぁ……」
俺の感想を聞くと、満足げな表情を浮かべたまま2人は同時に仰向けに倒れていた。よほど疲れているのか、受け身を取ることすらも忘れて。
見上げる空は曇天の雨模様。だが、対照的にエデンとエルミカの顔は晴れやかなものとなっていた。俺の言葉で揺るぎない自信がますます深まったようだ。
あとは清蘭の出来次第……とは言え、これは考えない方が良いだろう。清蘭のイメトレをした所でこちらのパフォーマンスの質が良くなる訳でもないし。
その時間は明日の自分達のイメトレに使わせるとして、後は万全な状態で本番を迎えられるように今日も今日とてマッサージをしてあげないとな──
「ぐうっ……!」
労いの言葉をかけながらマッサージをしよう。そう思っていた俺の口から漏れたのは、苦悶の声だった。
目の前が暗闇に包まれ始め、意識が消えかけていく。ここ数日起きていた症状が、今日も同じようにして表れていた。
さらに雨に打たれ続けたせいか、今日はより一層症状が重くなっていた。視界を覆う闇は一向に晴れない。空を覆う、雨雲のように。
「ぐっ……くぁっ……!」
片膝をついた俺だったが、歯を食いしばり、何とか立ち上がろうとする。まだ、やり残したことがあるのだから。
頼む……! 意識を失う前にせめて2人にマッサージをさせてくれ……! エデンもエルミカも、ここまで頑張ってついて来てくれたんだ……! 本番に挑む前に……労いだけはさせてくれよ……!
しかし、俺の切実な願いとは裏腹に意識の消失は進んでいき……遂に片膝だけでなく身体を地面に伏せようとしていた。
「……ありがとうございます……師匠」
「──」
誰かの言葉が、それを食い止めた。地面に崩れ落ちる間際で、誰かの感謝が俺に手をつかせていた。
「俺……いや私は、師匠に出会う前までは……男でも女でもない、中途半端な存在でした。身につけた技術も中途半端で、エルミカを守りたいという気持ちも中途半端で……全てが中途半端でした」
感謝の言葉は自省の言葉に変わる。
しかしそこに後ろ向き過ぎる感情はなく。反対に、喜びすらも感じられる声色だった。
「でも、師匠が……私を変えてくれました。技術を教えてくれて、体力をつけてくださって、覚悟を学ばせて下さって……エルミカの大切さも、自分が自分でいることの大事さも……全部を、師匠の言葉や行動から教えて頂いたんです」
昔の自分があったからこそ、今の自分がある。そして、今の自分があるのは俺のおかげだと。
そんな想いを込めた言葉を感謝と共に……──エデンは紡いでいた。
症状は今もなお続き、雨の冷たさを感じていた俺に、エデンが伝えてくれた言葉は暖かさを届けてくれていた。
「ワタシからも……お礼の言葉が言いたいデス。師匠」
凛とした声からバトンを受けたように、もう1つの声が俺にそう告げる。
「ワタシは……お姉ちゃんに守られてばかりの子どもなんだって、知ることが出来ましたデス。師匠があの日にお姉ちゃん話してくれなかったら……お姉ちゃんがどんな思いで"男"の人になったのかも知らないまま……、これからも守られてばかりになる所だったデス……」
エデンと同じように、この可愛らしいあどけなさの残る声も自省の言葉から入っていた。
「本当に……良かったデス。師匠の厳しい特訓を通して、お姉ちゃんとの絆を深めることが出来ましたデス。お姉ちゃんのことが、もっともっと好きになりましたデス。師匠、ありがとうございますデス。師匠のことも、もちろん大好きデス!」
最後は彼女らしい元気で、素直で、明るい声で──エルミカは伝えてくれた。
真っ暗になっている俺の瞳の奥に、無邪気に笑うエルミカが映し出される。エルミカだけじゃなく、その傍で穏やかに微笑むエデンの姿も。
「……全く……礼の言葉を言うには……まだ早いっての……!」
拳に力が入り、全身に熱が宿る。自然と、自分に向けた鼓舞を呟いていた。
2つの声、2人の言葉。ありのまま気持ちを込めてくれた、飾り気のない純粋な想い。
それを聞いたのに気絶したなんて、師匠どころか男として情けなさすぎるだろ。
立てよ、九頭龍倫人。お前がすべきことはなんだ? 今ここで2人に返事すらせずグースカと寝ることか?
──違うに決まってんだろ。
「ははっ……前も言っただろ。エデン、エルミカ。礼を言うなら……清蘭に勝った後で、ってな」
ようやく立ち上がりフラフラになりつつも、俺は強がりの笑みを浮かべて2人にそう返した。
師匠としての威厳はないかもしれない。それでも、俺は最低限2人に返事をすることだけは守り抜いた。……まぁ、どんな反応をするかは2人次第だな……。
「おいエルミカ……さっきの本気か?」
「えっ? 何が?」
「お前さっき……師匠にそのっ……すっ……すすっ……好きと言っただろ……!?」
「うん。もちろん本気だよ? それがどうかしたの?」
「だ、ダメだぞエルミカ! 日本のルールでは女子は16歳になるまでは結婚出来ないんだぞ!」
「別に結婚するなんて言ってないよ? ただ、師匠の事が好きだって言っただけだし」
「だからそれがダメなんだ! 師匠のことを好きになってはならない!」
「なんで?」
「なんでってそれはその……私も……とにかくダメだ! ダメだったらダメなんだーっ!!」
「えー!? そんな理由じゃ納得出来ないってばー! ちゃんと説明してくれないとー!」
「それも……今はダメだーーーっ!!」
「何それ!? 待ってお姉ちゃん逃げないでよーっ!!」
……。
端的に今の気持ちを述べると、寂しかった。ようやくの思いで立ち上がり、さっき言ってくれたことに対する答えも、今出来る最高の決め顔で言ってみせたのに……。
2人は姉妹仲良く鬼ごっこですか……そうですか……。
「全く……元気……だなぁ……」
そう遺言のように呟いた俺は、今度こそ気を失って倒れて……そこからの記憶は途絶えていたのだった。




