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備えあれば憂いなし。備え過ぎれば勝利あり。


 5月2日。

 30日、そして1日と平日を挟んで迎える土曜日のこの日をどれだけ待ち遠しく思った者がいるだろう。有休が取れる社会人とは異なり、普通に学校があった学生達にとっては特に首を長くして待っていたはずだ。


「そしてこの日を待ち侘びたのは……俺達もだよな」


 29日に訪れたように、また都内某所の大型自然公園に集まった俺は愛弟子に──エデンとエルミカにそう語りかけた。

 もちろん、29日から今日まで特訓をしなかった日はない。だが、やはりこうして朝から晩までじっくりと時間を取れる休日の方が特訓には最適だ。

 さぞ2人も待っていたことだろう。だから俺は今こうしてエデンとエルミカにあぁ言ったんだが……。


「え? 何がですか?」「え? 何がデスか?」


「……あぁ、何でもないよ……」


 きょとんとした顔でそう返されてしまい、俺は密かにしょんぼりした。

 まぁそりゃ心のモノローグを読み取るなんて出来ないよなぁ……何やってんだ俺は。2人のストレッチを邪魔してまで言うことでもなかっただろ……。


「……」


「……」


 エデンとエルミカは俺の訳分からん質問の意図を分かりかねて怪訝な顔をしていたが、今ではもうストレッチに再び集中し直していた。

 エデンは上半身を90度に曲げつつ空を見るようにして反らし、右手は上に挙げて左手は下に真っ直ぐに伸ばして爪先をタッチする、所謂"三角のポーズ"を取っていて。

 エルミカは片膝をついて逆足は真っ直ぐと伸ばし、その足に左手を添えながら上半身と右手は脚線美を描きながら伸ばしている、所謂"かんぬきのポーズ"を取っていて。


 どちらにせよ、2人のストレッチの集中力は見事の一言に尽きた。周囲の賑やかな雑踏も耳には入るだろうし、開始からそろそろ1時間が経過しようともしているが、集中力が乱れることは皆無だった。

 もうストレッチ(これ)に関しては免許皆伝をしても良いくらいだろう。前から成長性に見込みがあるとは思っていたが……やはり、先日のあの話(・・・)が大きいんだろう。

 互いが互いを想う気持ちを再確認し合い、これから訪れるどんな苦難も2人ならば乗り越えていける……それが、今のエデンとエルミカの揺るぎない自信と信頼になったんだ。


「よし、もう良いぞ2人共」


「え? もう……ですか?」


「いつもならもう少し長い時間やってると思うんデスが?」


「大丈夫だ。正直言うと、今の2人はスーパーストレッチを既に会得してると言っても良い。俺のお墨付きだ」


 少しくらい2人の自信をさらに高めても何も問題はないだろう。俺の言葉に2人はわぁっと笑みを零すと、仲良くハイタッチをして喜んでいた。

 

「まぁ、免許皆伝して良いと思ったのはまだストレッチだけだからな。お前達は6日の決戦までの残り4日間でダンスと歌唱力も清蘭レベルに高めなくちゃいけないんだからな」


「はい。それは重々承知しております」


「分かってますデス! なので師匠、改めてよろしくお願いしますデス!」


 ……よし、良いぞ。先ほど無邪気に喜んでいた2人だったが浮かれるということはなく、しかし同時に焦りの表情も出てはいない。

 出来る。やり遂げる。超えてみせる。と、心の中の決意が顔に滲み出ているな。本当に、短い期間でここまで強くなったもんだ、2人は。

 あとはそれに誰も疑いようのない"結果"をついてこさせることが出来れば……その時、2人は一人前と見て良いだろう。


「エデン、エルミカ。"備えあれば憂いなし"という日本の諺を知ってるか?」


「もちろんです。普段から欠かさずに準備をしておけば、いざという時であっても心配は要らない……という意味ですよね」


「あぁ、そうだ。今日から改めてお前達に意識して欲しいのはその言葉なんだが……ここに、俺からも1つある言葉を送らせて貰う」


「なんデスか?」


「"備え過ぎれば勝利あり"、だ。弛まぬ努力に努力を重ね、最大限の準備をして来た者には必ず勝利が訪れる……そういう意味だ」


「おぉ、そんな諺まであるとは……!」


「ジャパニーズソウルは奥ゆかしいデス……!」


「あぁ悪いな。これは俺自身が作った諺なんだが……安心しろ。必ずこの言葉の通りになるように、俺が100……いや200%の力で指導してやる……!」


 無駄に"日本一のアイドル"のオーラを出しながらそう告げてしまったが、それを目の当たりにしても2人はたじろくこともなく。


「えぇ、望む所ですよ。どんな指導でもついていきますから」


「師匠の本気の指導、楽しみデスよーっ!」


 寧ろ、闘志を漲らせて笑みを浮かべるくらいだった。

 ククク……こっちも腕が鳴るってもんだ。そっちがその気なら俺も容赦無しだ……!


「あ、あの……1つ良いですか?」


「ん? 何だ?」


「今日の特訓が終わったら……29日の時みたいに……マッサージしてくれませんか……?」


「ヴェエッ!?」


 闘志を滾らせた笑みから一転、しおらしく乙女全開なモジモジ具合で指をちょんちょんと合わせながらそう頼んで来たエデンに俺はかつてない驚きの声を出してしまった。

 2人の勝利の為ならば、もちろんどんなことでもしてあげたい。だが、女性経験皆無であるが故に理性と本能を激しく争わせつつしなければならないあのマッサージをもう一度? 

 オイオイオイ、社会的に死ぬわ俺。


「あの……実はワタシもそれして欲しいデス……」


「ヴォオオオッ!?」


 オイオイ、瞬殺だよ。社会的に。

 今でも俺の脳裏には、29日の2人の姿が焼きついている。俺のマッサージを受けて甘い吐息や声を漏らしまくり、顔を紅く蒸気させ汗まみれになっていた……ぶっちゃけて言うと滅茶苦茶エロかった2人の姿が。

 だからこそ余計にマズい。俺のマッサージによって再び乱れる2人を見るということを確信してしまうと、俺の本能軍が優勢になってしまう。

 頑張れ理性軍! お前達が頑張らないと2人を指導する前に俺がポリスの皆さんに指導されてしまう!


「え、えっと……疲れは取れなかったのか? 『HERO』もちゃんと毎日飲んでるよな?」


「はい、もちろんです。毎日ストレッチもやってますし『HERO』も飲んでます。その効果も出ていて、疲労が明日以降に持ちこしたことはありません……ただ……我儘になるんですが……師匠のマッサージを受けたくて……すみません……」


「ワタシも……受けたいデス……師匠のマッサージ……気持ち良くて……まるで天国にいるみたいな気持ちになれるんデス……。師匠、お願いしますデス……! マッサージしてくれるのなら、どんな厳しいトレーニングも乗り越えられるような気がするんデス……!」


「お願いしますっ、師匠ッ……!」


 な、なんてこった……! 

 俺はここで唯一にして最大の誤算に気づかされた。

 目の前には既に熱に浮かされたような表情をするエデンとエルミカがいる。どうやらあのマッサージの効果は覿面てきめん……どころか、抜群過ぎてすっかりと中毒になってしまったらしい。


 瞳の奥にハートマークを浮かべて、俺を押し倒してしまうほど強く迫る2人なんて見たことがない。ってかこんな風に女性に迫られたことがないので、俺自身もヤバい。


 断るべきか? いや駄目だ……。ここで下手に拒否して2人の特訓のモチベーションが下がったりでもしたら……。しかし俺の理性がいつまでもつのか……。

 いや、信じるべきだ。エデンとエルミカの師匠として2人には最大限のサポートをしなければならない。俺は……俺の理性を信じる! 思春期男子の本能? そんなモン"日本一のアイドル"の鋼の理性で跳ね返したらァ! 29日に本能軍が優勢になったからってビビってんじゃねえ俺!


 エデンとエルミカを信じて……そして自分自身も信じろ。俺は──"日本一のアイドル"九頭竜くずりゅう倫人りんとだ。


「……えぇ。分かりました。特訓が終わったら……マッサージをしましょう」


「本当ですか……!? ありがとうございますっ……!」


「わーい! 師匠大好きデスーーっ!!」


「ふふふ……師匠として当然のことをするまでですよ」


 2人から同時に抱きつかれるも、私は既に動じませんでした。

 これまでは鋼の精神を全力で発揮した"メンタルロボットモード"を使っていましたが……。真理は、ここにありました。

 精神を鋼のように硬くするのではなく、仏のような慈悲深さと柔軟さを持ったものにする……。それこそが、何事にも動じない心の証なのです……。

 今ここに私……九頭竜倫人は……"アルカイックスマイルモード"を会得致しました……。


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