"男"になった理由
「っ……!」
「エデン達を探している最中、エルミカとの会話が聞こえたんだ。俺は耳が良いから、距離があっても2人の会話は聞こえてたぞ」
「なっ……! そっ、それは本当ですかっ……!?」
「あぁ。エルミカが『どうしてなのーーーっ!!? そんな覚悟要らないじゃんかーーーーっ!!! お姉ちゃんの幸せを掴めない覚悟なんて、要らないよーーーーっ!!!』辺りから聞こえた。あれを聞いて俺はふと思ったんだ。そもそもなんでエデンは"男"として振る舞うようになったのかって」
「あ、あぁ……そこだけでしたか……」
「だけ?」
「い、いえ何でもありません!」
倫人のことが好きかどうかという話辺りは聞かれていないことにホッとしつつも、それでもエデンにとっては答えに窮する質問だった。
結局、聞かれていることは胸の奥に閉まっておきたいものだった。いくら師匠の倫人とはいえ、言えるはずがない。
いや、正確に言えば巻き込めない。
これは自分達の家の事情であり、さらに言えば己自身に課した乗り越えるべき試練だ。答えるのを拒否すべく、エデンは気まずそうに顔を背ける……が。
「エデン。もし言わないのなら、俺は今後指導しない」
「なっ……!?」
倫人のその言葉に、だんまりはものの数秒で破られる。疑問と衝撃が入り交じった顔を向けて、エデンは倫人を見つめていた。
「清蘭に勝つには、これまで以上に厳しい特訓を行うと共に、気持ちもそれに相応しいものにしなければならない。雑念や邪念、そういったものはなくさないといけないんだ。ただ、今のエデンはとてもそれが出来そうには見えないからな」
「な、何故ですか?」
「それが、エルミカとの会話にあったことだろ?」
「……!」
全て倫人はお見通しだった。
エデンは目を見開いて、口をまごつかせてしまったまま何も言えないでいると
「話してくれ。エデン、どうしてお前は"男"として、振る舞うようになったのかを」
今一度、倫人は真剣な声で尋ねてきた。
最早訴えたと例えられるほどの迫真さが籠もった声に、エデンの言わんとしていた決意は大いに揺さぶられ
「……はい。かしこまりました」
その後、消え入りそうな声で返事をした。
妹の方を念の為確認する。やはりまだ幸せそうな顔で眠っている妹の頭を微笑みながら撫で、視線を倫人でもなく川の方に移し……エデンは話を始めた。
己が、"女"を捨てて"男"として生きていくことになった始まりの話を。
「……俺とエルミカは名字の通り、エクスカリス家の子です。エクスカリス家はイギリスにおいて王族ではありませんが、由緒正しい血筋の家系なんです。俺はそんな家の長女として生まれました。俺達には2人のお兄様がいました」
「なるほど。だったら、後継者はその2人の内のどちらかって訳だ。じゃあ、エデンは昔は普通に"女の子"として育てられていたって訳だな」
「はい。元々"男"としての教育を受けていた訳ではありません。ただ、父は厳格な人で兄達がするような習い事を私やエルミカにもさせていましたが。いつもくたくたで家に帰ると、母がメイドの皆さんと一緒に作った夕食を振る舞ってくれていました。……懐かしいなぁ。俺も、エルミカも、兄達も、父も母も、皆で一緒にご飯を食べていました……」
母親譲りなのだろうか、そんな穏やかな笑みを浮かべて昔を思い出しているエデン。
しかし……その笑顔に徐々に陰りが見え始める。「ただ……」と声色までも打って変わり、話を再開させようとしているエデンは沈痛の面持ちだった。
「俺とエルミカが5歳の頃、悲劇は起きました。2人の兄が乗馬の最中に落馬し……打ちどころが悪かったこともあり、亡くなってしまったのです。エクスカリス家は一度に、後継者となるはずだった2人を喪ってしまったのです」
「そうだったのか。それで……」
「……はい。俺もエルミカも母さんも、家中の者が悲しみに暮れました。もちろん父も……。しかし、父だけは……別の想いも同時に抱いていたのです」
「どんな?」
「──『2人が死んだのは、エルミカのせいだ』と」
「……何故だ?」
「実は……エルミカはエクスカリス家の血を引いていません」
「っ……!?」
「母が俺を生んでくれて、退院して家に戻った頃でした。雨の降りしきる中でたまたま外を散歩していた母が、捨て子だったエルミカを拾ってきたんです。もちろん父は反対したのですが、母はエルミカを育てると言って断固として聞かず、最終的に父が折れてエルミカはエクスカリス家の養子となりました」
打ち明けられた事実に、包帯の奥で倫人は目を丸くした。
しかし、同時に納得もしており「エルミカと双子と言っていたのにあまり似てなかったのは、そういう理由だったんだな」と返す。
「騙してしまい、申し訳ございません」
「いや、気にするな。続けてくれ」
「はい……。兄達の死後、ショックのあまり母は寝込むようになり、父もまたやり場のない悲しみや怒りをエルミカにぶつけるようになっていきました。実際には事故の時にエルミカは見ているだけだったのに……父はエルミカを疫病神扱いをするようになったのです」
「酷いな……」
「時には暴力も振るいそうになりましたが、召使いの皆さんが上手く父を諫めてくれたおかげで、そういったことは一度もありませんでした。ですが。エルミカを見る父の目は以前にも増して冷めたものとなっていき……遂にある日の晩、父は召使いと俺を呼び、エルミカを追い出すと言い放ったのです。それが、俺とエルミカが小学校を卒業して間もない頃のことでした」
「……」
「父の意志はあまりにも強く、反対するのなら辞めさせると召使いの皆さんまでも黙らせていました。ただ……俺は最後まで反対しました。一度親に捨てられたであろうエルミカが、二度も親から捨てられるかだなんて……そんなのあまりにも可哀想じゃありませんか……!」
エデンの顔は倫人には見えない。
しかし、見なくても今の彼女がどんな顔をしているのか倫人には容易に分かった。
悲しみか、あるいは怒りか。ともかく、エデンが涙まみれの顔になっていることは。
「兄を喪い、もう大切な家族を喪いたくなかった俺は……必死に父を説得し続けました。『だったら2人を生き返らせてみろ』など無理難題を言って来る父と私は口論をしながらも……何とかエルミカが家族として残れる道を探し続けて……そうして、言い渡されたのが……」
「……『お前が"男"になり、この家を継げ』……ってことか」
「はいっ……。しかしそれには条件があってっ……まず異国の地に行くこと……全く経験のない分野で有名になること……そしてその期限が4年であること……もう今年しかないんです……!」
それ以降、エデンが話を続けることは出来なかった。過去の話をしたことで、喪った兄達のことや懐かしい温かな記憶を思い返してしまったからだ。
「うあぁっ……エルミカっ……エルミカぁあっ……!」
泣き続ける中で唯一言葉に出来たのは、最愛の妹の名だった。
涙をボロボロと零しながら、エデンはエルミカを抱き締める。
姉として兄の代わりとなり、自分が後継者として相応しい"男"にならなければ、エルミカとはもう会えないかもしれない。
そんなプレッシャーを抱えながら、エデンは清蘭との勝負に臨まなければならない。
(最初時から……どこか緊張の糸が張り詰めっぱなしだったように見えたのは……そういう背景があったからか……)
2人を初めて見た時を思い出し、倫人は納得する。
エルミカの方はともかく、エデンの凛とした雰囲気の中にどこか余裕がなく。
そして清蘭との戦いに負けた後にも、単なる悔しさだけが宿った涙ではなかったことも、倫人の中で全てが繋がっていた。
「……このこと、エルミカは知っているのか?」
「……いえ……エルミカは知りません……あの日の晩は眠っていましたし……日本に来るのも単なる留学として伝えていましたから……。余計なプレッシャーを、背負って欲しくなかったので……」
「そうか……」
「お願いします師匠、どうかエルミカにはこの事を伝えないようにしてくれませんか? 絶対に!」
今にも泣き出しそうな懸命な顔でエデンが訴えてくる。こっちの手を握るエデンの手は弱々しく、そして震えていた。
当然倫人は言わないでおくつもりであった。エデンがこれまで必死に隠し、背負ってきたものを台無しにする訳にもいかない。
「あぁ、分かってる」──そう、倫人が自分の中で決めていた答えを伝えようとしたその時だった。
「──そっか、だったら今……ワタシは知ったよ」
それは、エデンのものでも倫人のものでもない声で。
ハッとしたエデンが見ると、眠っていたはずのエルミカは目を覚ましていた。
血の繋がりなどない。しかし……母の面影を感じさせる、温かな笑みを浮かべて。




