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涙じゃなく、今度は笑顔で。


 土下座──土の上に直接正座をして、頭を伏せて礼を行う行為。

 日本では言わずと知れた礼式の一種であり、その姿勢は座礼においては最敬礼に類似しているとされる。極端に高貴なる存在への敬意、または深い謝罪や請願を示す為などに使用されている。

 その歴史は想像以上に深く、『魏志ぎし倭人わじんでん』の記述によると邪馬台国の風習として既に存在しており、また古墳時代の埴輪の中にも土下座をしているような埴輪が見つかっているそうだ。

 近世においては大名行列の通る道の百姓は土下座を行う義務があるなど、身分の低い者が高い者に行うものとしても定着していった。


 今思えば、土下座それをされるなんて人生で初めてだった。

 しかも女の子から、なんてことは。

 脳裏に浮かぶエデンとエルミカ。知り合ってまだ1ヶ月も経っていないけど、俺に土下座をした回数で言えば恐らく生涯通してあの2人を超す人は現れないだろう。

 日本文化をどれだけ研究したのかは分からないが、日本人の俺ですらも見習うしかない程の完成度だった。

 恐らくあの素晴らしい土下座は、ポーズを真似たとか、何度も練習したとか、そういうことじゃない。

 あれは……2人の気持ちが生み出しているものなのだろう。届きたい憧憬、超えたい目標、叶えたい願い……それらを真っ直ぐに目指さんとする、2人の気持ちがあの土下座を実現している。


 少なくとも、土下座に関して"日本一のアイドル()"は負けている。そこは認める他にないし、逆に尊敬しなければならないだろう。何せ、2人は俺の心を動かしたんだ。

 "ガチ陰キャ()"としての生活を守りたい"日本一のアイドル()"に、その鉄則の掟とも言える考えを覆させ。

 そして今こうして──()()()()()()()()()()()()()()()


「どうか、お願いします。新薬を分けて下さい……」


 2人がしていた土下座を思い浮かべながら、俺は切実な声でそう頼み込む。きっと、今もマイペースでゆったりとした表情を浮かべる()()に。


「……あれか~どうなんだろう~」


 やはり、だった。

 土下座を見ても全く動じる気配などなく、嘆願されている人物──シロさん(・・・・)はいつも通りの口調のままだった。

 俺とシロさんが再会するのは、3月最終日の『C.C.C.』初披露ライブ以来となる。大山田おおやまだグループの本社ではなく、都心にあるシロさんのプライベートハウス(とは言っても126坪時価5.2億円の豪邸)にわざわざ俺が尋ねたのは、誰かに聞かれてはいけないからだ。

 シロさんに頼むのも憚られるような、そんな非常識なものだったから──。


「新薬ってあれだよね~? 前に倫人君にちょろっと話してたあれだよね~?」


「はい……。『HERO』です」


 ''『HERO』''

 それは"大山田グループ"の一企業、大山田製薬にて開発されている滋養強壮剤の新商品、だそうだ。

 キャッチコピーは【疲労をぶっ飛ばすニューヒーロー!】とシンプルだしダジャレだし馬鹿丸出しと酷いもんだが、その効果は劇薬もとい劇的な代物だ。

 

 実験においてはこれを投与させたラットが3日間ぶっ続けで回し車を走り続けたと言う。

 さらには対人間でも社員に服用させた所、残業なんてなんのそのという勢いで疲れが吹っ飛び、3徹も余裕だったとか。労基的に大丈夫なんだろうか……?

 まぁともかく、これまでの常識を塗り変えるような効果がある薬に違いはなくて。

 今回、俺はこれがどうしても欲しくてシロさんに土下座をしているのだった。


「流石に発売前の『HERO』は特許とかの問題もあるし、誰にも渡しちゃいけないんだよね~。いくら倫人君の頼みでも、企業秘密とかでキツいかも~」

  

 シロさんの言葉に、俺は苦虫を噛み潰したような顔を上げる。やはり、現実は甘くはなかった。


「っ……!!」


 しかし顔を上げた瞬間、飛び込んできたものに俺は一瞬にして目を奪われた。

 お風呂上がり、ドライヤーで髪を乾かすシロさんの姿。私室とは思えない数々の高級家具に高級カーペット、そして無防備に深い谷間を晒してしまっているシロさん。

 なんというエロさだ。こんな艶やかな肢体を見せつけられては、理性なんてものはたちどころに吹っ飛んでしまう。

 だが……今の俺には、そんなシロさんの姿も頭には残らなかった。

 何故なら……2人の為に、エデンとエルミカの為に、俺は今ここにいるんだ。シロさんのえっちな姿を拝むために、ここに来たんじゃない……!

 思春期特有の邪念を頭から消し去り、俺は再び土下座でシロさんに頼み込む。


「分かっています。それでも俺は……欲しいんです。どうか、お願いします、シロさん!」


「どうしてそんなに『HERO』が欲しいの~?」


「事情は……言えません。俺1人の問題という訳でもないですから」


「ふ~ん。倫人君以外にも誰かこれを欲しがってるの~?」


「欲しがっている訳じゃありません。俺の独断で、今回はお願いしに来ました」


「ふむふむ~。倫人君は……どうしてその誰かの為に頑張ってるの~?」


「……それは……」


『"師匠"! よろしくお願いします!』


『"師匠"! よろしくお願いしますデス!』


 2人の顔で世界が彩られる。

 エデンもエルミカも、いつだって本気だった。入学式で見た時からずっと。

 俺にエデンが挑んだ時も本気で。

 俺にエデンとエルミカが弟子入りした時も本気で。

 トレーニングをしている時も本気で。

 清蘭きよらと戦っている時も本気で。

 そしてこれから……清蘭に再び挑む時も、本気だ。


「俺は……2人を輝かせたいんです……!」


 だとしたら、俺の本気は何だ?

 師匠として指導をする……だけじゃないだろ。

 2人が勝つ為に。

 2人がまた負けないように。

 2人がもう泣かないように……何だって、やってやることだろ。

 たとえ非常識だろうが、土下座をしようが構わない。構ってなんか、いられない。


「2人の顔を涙でじゃなく、笑顔で輝かせたいんです……その為に……俺はここにいるんです……!」


 顔を上げて、シロさんを真っ直ぐに見つめて、俺はそう言い放っていた。

 感情論に過ぎない言葉。それだけでしかなかったが、これが俺の全て。目の前にいるのがシロさんじゃなく黒影くろかげさんだったなら「ふざけるな!」と背負い投げを決められていることだろう。

 シロさんからしても、"自分をフッた男"という立場の俺の頼みなど聞きたくはないのかもしれない。


 だけど……そうだとしても俺は──!


「分かった~何とかしてみるね~!」


「……えっ?」


「『HERO』、お父さんに頼んで譲って貰えるかどうか聞いてみるね~」


「……」


 突然予想外の言葉を放ったシロさんに俺はしばらくぽかんとした。

 えっ、あれでオッケーなの? えっ、企業秘密とかは?


「あ、あのシロさん。本当に良いんですか……?」


「うん~お父さんに話してみるね~」


「黒影さんっ……!? い、いやそれはまずいんじゃ……!」


「大丈夫だよ~。お父さんね~、"あの日"からちょっと変わってね~。ボクのお願い事を聞いてくれるようになったんだ~」


「そ、そうなんですか……あの黒影さんが……」


 それを考慮しても、黒影さんに頼んで『HERO』を頂くというのは中々非現実的というか想像の出来ないことだ。

 しかも、俺の頼みからだと余計に……まぁそこは上手いこと考えてくれるだろう。シロさんならきっと大丈夫だ。


「あ~、お父さん~? 倫人君が『HERO』欲しいみたいだから、ボクにいくつかくれる~?」


 全然大丈夫じゃなかった!


「シッ、シシシシシスィロさんっ!? ドストレート過ぎませんか!?」


「うん~分かった~。大丈夫だって~」


「電話終わるの早っ! そんで請願叶うのも早っ!?」


 事態が急すぎる! 

 な、何だこれ? 現実か? ひょっとしてさっき勢い良く土下座して頭打った時に実は気絶してて、これ全部夢でした~とかいうオチじゃないだろうな!?

 そうかそうかなるほど! そりゃあそうだよな! 現実はそう上手くは行かない、非情なんだからな! 神よ、騙されんぞ俺は──


「あのね、倫人君」


「……!!」


 自分を納得させようとしていたら、ますます脳が処理出来ない事態が起こっていた。

 シロさんが耳元でそう囁いて来た……と思えばさらには抱き締めてきていた。

 お風呂上がりの甘い香り、直接伝わる温もり、そして遠慮なく押し付けられる圧倒的重質量(おっぱい)

 こんなの、ご褒美過ぎ……じゃない。あまりにも強大な兵器すぎる。そんなものを押し付けられて俺の頭は平気でいられるはずがなく、ただ体を強ばらせるさか出来なかった。


「ボクね~倫人君が倫人君のままだったから、今回のお願いを聞くことにしたんだ~」


「俺が……俺のまま……?」


 本能を抑えるため著しく低下した俺の知能に、シロさんの言葉は理解出来なかった。

 ……が、シロさんはそっと子守歌でも聞かせるように、静かに優しく続けてくれた。


「倫人君は、今回も誰かの為に頑張ってるんだな~って分かったんだ~。ボクの時と同じだと思って~安心したんだ~誰かの為に本気になって頑張る、それが倫人君だから~。それは凄いことだってボクは思ってるよ~」


「凄い……こと……」


 その時、俺は純粋に嬉しかった。

 "日本一のアイドル"として活動していく中で、俺はファンの皆の為に常に本気のパフォーマンスを心がけて来た。

 その為に努力をするのも当然で、呼吸するのと同じくらい俺にとっては頑張ること自体に自覚はなかったし、褒められたいと思っていた訳でもなかった。

 だけど……シロさんにこうして優しく褒めて貰えて、嬉しさが湧き上がってきた。

 やっべニヤける……こんな顔、恥ずかしくて見せられないな……。


「倫人君は、ボクにとっての好きな人(ヒーロー)だよ。だから、ボクも応援してるよ~頑張ってねえ~」


「シロさん……」


 抱き締めるを止めて離れたシロさんは、そう言って満面の笑みを見せてくれた。

 あれだけ身体に刻みつけられた彼女の胸の感触は、今は残っていない。

 俺はただその笑顔に見惚れた。シロさんの柔らかく、温かな笑顔に。


 ……ありがとうございます。シロさん。

 俺を助けてくれるだけじゃなく、俺を励まして下さって……。

 待ってろエデン、エルミカ。

 これで後は俺の指導次第、俺の仕事だ! 必ず清蘭に勝たせてやるからな!!


「そう言えば~『HERO』のキャッチコピーって、ボクが考えたんだよ~」


「……えっ……?」



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