惨敗。しかし……
「あっ、あんたら……誰だっけ?」
「っ……エデン・エクスカリスです」
「……エルミカ・エクスカリス、デス」
「あーそーだったそーだった!」
気楽に笑う清蘭に対し、2人の表情は苦みを含んでいる。
新入生代表スピーチで堂々足る様を見せつけ、さらには名指しをして倒すとまで宣言してみせたエデンとエルミカ。
そんな鮮烈すぎるインパクトを与えた2人のことを、清蘭は一切覚えていなかった。
それは悪く言えば、意にも介していない、眼中にないということだった。
まぁこの学園の中で覚えていないのは清蘭ぐらいだろうが。ともかく、清蘭のあの反応を見て複雑な表情となるのは無理もない。
「で、あんた達こんなとこで何してんの? っていうか倫人! なんであたしから逃げたの!?」
「ま、待ってください甘粕さん。これには色々と複雑な事情があって……」
「ふーん? あたしに納得出来ないように説明しないと、またあんたを退学に追いこんでやるんだから! きゃははははははははっ!!」
ぐぅっ、無邪気に笑いながらえげつないこと言いやがって。"ガチ陰キャ"じゃなかったらまたカス女って言ってる所だったぞ。
しかし困った。一体どう説明しようか……。2人の"師匠"となり指導する立場にある、と正直に言ったら絶対こいつは面白がって周りに言いふらす。
となれば、この学園でずっと保ってきた"ガチ陰キャ"のイメージは完全に崩れ去る。
1月の清蘭との決戦を経てただでさえ崩壊寸前だというのに、エデンとエルミカを指導していると周りに知られれば、俺は完全に"一般人"としての生活を遅れなくなる。
何としてでも上手い言い訳を考えないと……。
「甘粕先輩、ちょっと良いでしょうか」
「ん? 何ー?」
「九頭竜先輩は、俺とエルミカの師匠です。退学にされては困ります」
「そうなのデス。如何にあなたがこの学園の頂点に立つと言っても、そんなオーボーは許されませんデス」
嬉しい誤算だった。
恐らく自分達のことを覚えられていなかったこともあるのだろうが、エデンとエルミカは清蘭の前に立ち塞がり、そう言って反論してくれていた。
しかし、2人は分かっていない。甘粕清蘭という女がそんな理論では動かない、とんでもない自己中女だということを。
「何言ってんの? あたしが退学だって言ったら退学なの。あたしは生徒会長だしこの学園のトップの美少女なんだから、それぐらい出来て当然よ!」
「普通、生徒会長にそんな権限はありません」
「そうデスよ。漫画の見過ぎデスよ甘粕先輩」
「そんなの知らないってば。あたしの言うことはこの学園じゃ絶対なの。この学園の正義は、この学園で1番可愛いあたしにあるんだから!」
無根拠、不条理、そして自分勝手極まる。これぞ甘粕清蘭と評するしかない言葉が飛び出していた。
もちろん、そんなものは俺にとっては慣れたものだ。腹は立つが、それでも食ってかかる程のものではない。
……だが。
「ならば……取り消して貰います。俺と……いや」
「ワタシ達との勝負に、負けたのなら!」
エデンとエルミカにとっては、許し難いもので。
思わぬ形で清蘭との直接対決の機会が訪れる──。
「「ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……」」
全力を出し尽くし、天然芝の上に倒れ込んでいるエデンとエルミカ。
同じように汗を流し、同じように必死に酸素を取り込み、同じように苦悶に満ちた表情を作り、同じように……悔しさを隠し切れずにいた。
急遽叩きつけられた挑戦状を二つ返事で了承した清蘭と、闘志を燃やすエデンとエルミカが繰り広げた熱戦の内容は、現在取り組んでいる"鬼ごっこ"だった。
清蘭が逃げる側となり、エデンとエルミカは特訓と同じように最初は"鬼"として追いかけていた。
その結果が、これだった。
「どうしたの? 楽しいからもっとやろうよ!」
既に立ち上がれないくらい消耗している2人を、見下ろしたまま清蘭はそう言っていた。
煽りのようにも聞こえるが、俺だからこそその真意は分かる。先ほど笑った時と同じような無邪気な笑みは、本心で楽しんでいる証だった。
元々子どものまま成長したような奴だったし、勝負の内容を聞いた時も嬉々として乗り気だった。あぁいう言葉を発する辺り、心底楽しんでいたと思う。
しかし、それはどれだけ残酷なことだろう。
どれだけエデンとエルミカに屈辱を与えただろう。
全力を尽くしても。
歯を食いしばっても。
手を伸ばして伸ばして伸ばし切っても。
その背中は目で見える距離以上に、遠かった。自分達の本気や全力は、清蘭にとっては遊び程度でしかなかった。
「ハァ……ハァ……甘粕先輩っ……1つっ……聞いても良いでしょうかっ……」
「ん? 何?」
「あなたは……ハァ……"アルティメットシカゴフットワーク"をっ……ハァ……いつどこで学んだのですかっ……?」
「何それ?」
「ハァ……俺達が……やっていたっ……ハァ……超高速移動です……ハァ……あなたもしていたじゃないですかっ……!」
「あーあれかー。倫人があたしから逃げる時にめっちゃずばばばーって速く逃げてたから、真似してみたら出来たんだー」
「……!!」
呼吸を整えるよりも優先して尋ねた質問の答えに、エデンの顔は疲労よりも驚愕が覆い尽くす。エルミカの顔も同様のものだ。
清蘭は本当に恐ろしい奴だ。教室から逃げ出して振り切ったと思ったのに俺が追いつかれていたのも、何気なく清蘭が発した答えが理由だった。
天才──そう例える他にない。
甘粕清蘭は、"輝く"為の全ての才能を持って生まれている。外見のみならず、その能力すらも……あいつは人智を超えていた。
全く、どれだけ神に愛されたら気が済むんだよこの女はよ……!
「あ、そう言えばこれって勝負だったよね? そんじゃあたしが勝ったし、説明しなさいよ倫人?」
「……あぁ」
驚愕を超え、最早絶望の表情を浮かべる2人から目を離し、清蘭は俺にそう問いかけて来た。
本当は話したくはないが仕方ない。勝負に負けてしまった以上、約束は守らないとカス以下だ。
負けられない戦いに負けてしまった。だが、エデンとエルミカのことは恨んではいない。寧ろ、よく戦ったと褒めてあげたいくらいだ。日頃の特訓の疲労もあることを考慮しても今回の勝負では惨敗してしまったが、清蘭が化け物過ぎた。
今の2人を、清蘭と戦わせるべきではなかった。
これは完全に俺の落ち度だ。俺だけが損をするならまだしも、2人の自信を完全に打ち砕いてしまった。
……すまない。エデン、エルミカ。
俺は清蘭の奥の2人に謝罪の意を込めた眼差しを向けた。2人は同時にハッとしたような表情となり、今にも泣き出しそうで。
その顔を戒めとして瞳に焼きつけつつ、俺は清蘭に真相を告げるべく、少し間を置いてから話そうとしたその時だった。
「「待って下さいっ……!!」」
その声は、俺と清蘭の視線を同時に集めさせるものだった。
フラフラと倒れようと疲労困憊の身体を何とか奮い立たせ、こっぴどく負けた2人は……エデンとエルミカは、燃え尽きたはずの闘志を再び瞳に宿していた。
「何? 今、倫人に話を聞くところだったのに~」
「俺は……私達はまだ負けていないっ……!」
「そう……デスっ……! あなたに再び挑戦させてくださいデスっ……!」
「なんで? あたしはもう戦う気なんて更々ないんだけど。それに、そんなこと言って、また負けたらその度に『もう1回戦わせてくれ』って言うんでしょ?」
「「っ……!」」
「いつなの? あんた達があたしに勝つっていつになるの? 何時何分何秒? 地球が何周回った時? ねえ?」
清蘭は、酷く冷え切った声で迫る。言い方は幼稚極まりないが、その声にはそれ以上の冷たさが籠もっている。"負けた奴に興味はない"と言わんばかりに。
既に満身創痍の2人に、さらにのしかかる清蘭のプレッシャー。嫉妬、屈辱、悔しさ……それらが溢れ出して、ここで泣き崩れてもおかしくはなかった。
「そんなに、何回なんて……言いませんよ」
「そうデス。ワタシは……」
「私は……」
「「次、あなたと戦う時に勝ちます」」
それでも、2人は崩れなかった。
震える身体だろうと凛として立ち、泥だらけであろうと強い意志を秘めた顔を向けて。
圧倒的な存在に面と向かって、真っ向から戦っていた。
その時俺は、2人の中に確かに輝く一筋の光を見出したような気がした。
「ふーん……次ね。それならもう1回だけ戦ってあげる。でも、あたしからも条件があるわ」
「何でしょうか?」
「2度目の勝負の時も負けたら、倫人の秘密だけじゃなくあんた達の秘密も話して貰うわ。そして、それは大々的に校内新聞に載せるから」
「……!」
やはり清蘭は一筋縄ではいかない。
なんという爆弾条件を付け足して来やがったんだ。俺のみならず、2人の秘密までも要求してくるなんて。
2人の秘密──それは当然、エデンが女であることだろう。それを公にされることでエデンにとってどんな不利が生じるのかまでは分からないが、それでもあれだけ頑なに隠そうとしていたのも知っている。
清蘭の条件を呑めば2人にとって、特にエデンにとって絶対に負けられない戦いとなることは必至だ。上手く交渉して別の条件に変えてもらうことを模索する道を俺は取ろうとした……が。
「──……分かりました。私とエルミカの秘密、言いますよ。あなたにまた負けたその時には」
気迫すらも感じるほどの強い覚悟。
それを放つエデンが、既に清蘭にそう答えていたのだった。




