一番知られてはならない相手
「あーだりィ! ようやく終わりやがったぜッ!」
終礼が終わるや否や、プロテインを取り出し一気飲みした荒井大我が吠える。
彼にとっては単なる独り言に過ぎないのだが、強靭な肉体や肺活量に加え鍛え上げられた声帯により、周囲からすれば大声レベルの声量となってしまう。
故に。
「ガーちゃーーーんっ!! どしたのーーーっっっ!?」
「わっぷっ!? 武原てめえ急に抱きつくんじゃねえッ! プロテイン零れただろうがッ!! 汚ねえなオイッ!!」
何事かと興味を持った武原太郎に無邪気に抱きつかれてしまうのは、最早お決まりとなっていた。
さらには
「そんなにプロテインばかり摂取していては駄目ですよ。今日のお弁当も肉づくしでしたし、栄養バランスが偏り過ぎています。全く以て君は脳筋ですね」
丁寧な口調と優美な雰囲気を崩さないまま、まるで母親のような小言で注意をしてくる優木尊も寄って来て。
極めつけに
「まぁ尊の言う通り、ちょっと偏ってる気はするな。今度俺が野菜中心の弁当作ってこようか? もちろん栄養バランスを考えて、尚且つ大我の好きそうな味付けにして」
お節介を焼きつつ、そんじょそこらの女子よりも圧倒的な女子力を誇る雲間東も、親切心からそう提案してきていた。
もちろん荒井からすれば余計なお世話であり「うるせえッ!!」の一言で済ませるのだが、そこから4人は会話を繰り広げ始める。
既に放課後に突入し、芸能界でのスターになるべく各生徒が部活動に励み出す時間なのだが……。
「はぁ……未だに信じられないわ」
「"4傑"と同じ空間にいて、そのお姿を目の当たりにしてるなんて……」
誰が口にしたか、そんな感想が聞こえた。
部活に行くよりもこの4人の何気ない会話を見ていたい、そんな衝動に駆られて今日も遅刻してしまう生徒が3年A組には多数いる。
しかし、3年A組を去らない生徒が多いのにはもう1つ理由があって。
「清蘭さん、清蘭さん。もう放課後ですよ!」
「ふぁ? あーおはよー音唯瑠……じゃあおやすみ~……」
「ちょっと、駄目ですよまた寝ちゃ! レッスンの時間ですよー!」
「むにゃむにゃ……あと5時間……」
"4傑"の4人のすぐ傍の席にいる2人。
本来であれば4人の存在感にかき消され、誰も注目しないその場所には、彼らと同等かそれ以上の存在感を放つ女子生徒の姿があった。
今日も自由気ままに学校生活を送り、惰眠を貪っていた女子生徒──甘粕清蘭と。
彼女を必死に起こそうとしている女子生徒──能登鷹音唯瑠の姿だった。
寝ヨダレを垂れ流し未だに寝惚けてはいるが、"学校一の美少女"の名を欲しいままにしている清蘭と。
品の無さが炸裂している清蘭とは対照的に、真面目で清楚な雰囲気を全開にしつつ美貌も負けていない音唯瑠、彼女達もまた全生徒の羨望の的である。
4傑、そして清蘭に音唯瑠。学園を代表する美男美女が同じクラスという奇跡の中の奇跡という光景は、未だに信じらないものである。
少なくともこうして遅刻してでも清蘭達の姿を眺めていたい生徒達が多々いることが、その証左にもなっていた。
(……よし、今の内に……)
清蘭達や4傑に詰めかけた全員の眼差しが注がれる中、そろりそろりと必要以上に注意深い抜き足をしながら教室を後にしようとする者が1人。
華やかさ極まる清蘭達に比べれば"醜悪極まる"と言っていいほど、対極の位置にいる者だった。
だからこそ逆に目立ちかねないが、流石に清蘭と音唯瑠に加え4傑までもいれば、その存在も霞んでしまう。
その状況に感謝しつつも安堵することなく──九頭竜倫人は教室を出ようとしていた。
「あっ、今日も早く帰んのあんた?」
「……!」
しかし、そこで予想外の出来事が起こってしまう。
音唯瑠の頑張り虚しく席にもたれかかったまま再び眠ろうとしていた清蘭が、突如声をかけてきていたのである。
席にもたれかかっていたことで後ろに仰け反り気味になり、その際視界に自分の姿を捉えられたせいであった。
「いや……あの……はい、そうです……」
「ふーん。なんで?」
「なんでって……えっと……その……何もないですけど……」
(クソっ。一番めんどくせえ奴に絡まれちまった……)
倫人は答えながらも困り果てていた。
清蘭に話しかけられたとなると面倒なことこの上なく、早く切り上げたい気持ちで満たされる。
「その割にはここんとこ毎日のように早めに帰るじゃん。何もない訳ないじゃん?」
「……ぅぎゅぅ……」
一度気になったことはとことん気になってしまう清蘭の性格上、このように追及を受けてしまう。
普段の倫人であれば「何もねえようるせえな」と無下に対応出来るのだが、今は"ガチ陰キャ"の状態。
スクールカースト最上位の清蘭に対し最下位の自分がそんな口を利けば、周囲に瞬く間に血祭りにあげられるだろう。ましてや、今は''4傑''の4人すらもいるのだから尚更だ。
故に倫人は言葉にならない奇声を発し、黙らざるを得ない。
しかし、"ガチ陰キャ"だからこそ出来る荒業もあり──
「ごっ、ごめんなさいぃぃいいいぃいっ!!」
「あっ、ちょっとあんた!?」
決死の大逃走、これが出来るのである。
謝罪の言葉を叫びながら一目散に逃げ出した倫人を、誰もが見送っていた。
"ガチ陰キャ"故にコミュ障、"ガチ陰キャ"故にスクールカーストの差から清蘭の眩しさに耐え切れない。
この2つの理由があるからこそ、その場にいた誰もが倫人の逃走を当然のことだと考え、特に怒りを覚えたりはしなかった。
ここに、倫人の逃走は成功に終わる……はずだった。
「ちょっとあんた待ちなさいーっ!! ごめんで済んだら警察は要らないのよーっ!!」
「ええっ!?」
ただ1人、その場で倫人の逃走に納得しなかった清蘭は別だった。
音唯瑠の制止を振り切り、全力で倫人の後を追っていった清蘭。
その姿は倫人と同じく、廊下をかつてない速度で駆け抜けていったのだった──。
「ふぅ……ここまで来れば大丈夫だろ」
学園の自然エリアで一息をつくと、俺はようやく胸を撫で下ろした。
清蘭の質問攻めにあっていた俺だったが、"アルティメットシカゴフットワーク"を駆使した最速の逃げ足を発揮して事なきを得ていた。あの場で俺の姿を見ることは出来ても、追いつける奴はいない。
まぁいるとすれば4傑くらいだろうが、あの4人には俺の後を追いかける理由などない。清蘭に質問された時は焦ったが……今回ばかりは俺を見逃してくれたらしい。ありがとう神よ。この秘密の特訓は誰にもバレてはいけないからな。マジで面倒な事態になるし。
「……エデンとエルミカはまだか」
俺は適当に傍にあった座り心地の良さそうな木に腰をかけ、まだ来ていない2人のことを思い浮かべていた。
打倒4傑と清蘭に向けたスペシャルトレーニングメニューを始めてから今日で2週間。桜の花もとっくに散り、新緑に包まれるようになったこの自然エリアで、俺はひたすらエデンとエルミカに"鬼ごっこ"をさせ続けている。
今頃、2人は耐えがたい筋肉痛に襲われていることだろう。この地獄の鬼ごっこで全身の筋肉は絶え間なく悲鳴を上げ、実際にエルミカは「もう嫌デスーーーっ!!」て泣き叫ぶくらい過酷さを極めていた。
何度も足を攣っていたし、ちょっと罪悪感に駆られてはいるが……。
「それでも大したもんだ。泣きごとを漏らしても、決してサボる日はない。強いな、あの2人は」
自然と口から漏れ出た言葉に、俺は自分のことながら意地の悪さを感じた。
特訓中はこんなことは決して2人には言わない。応援の言葉をかける時はあれど、褒め言葉は言っていない。言わないようにしているのが俺だ。
褒められたらそりゃあ嬉しいし、モチベーションが上がるなどポジティブな効果をもたらすだろう。だけど、エデンとエルミカに関して必要なのは"飢え"だと俺は判断した。
簡単には満たされず。
安易には辿り着けず。
普通では認められず。
常識では通用しない。
エデンとエルミカが挑む"頂点"は、そういう奴らだ。簡単に褒めると"飢え"がなくなり、逆に2人の成長に繋がらないだろう。
「まぁ、ポテンシャルは十分だけどな。育てるのがちょっと楽しくなって来たぜ」
「ふーん。あの2人ってあんたがそう言うくらいなんだ」
「あぁそうだとも。育成し甲斐があるってもんだ。最初から全パラメーターがチート使ったみたいにMAXな清蘭と違って……清蘭……と……」
俺の独り言に、明らかに誰かが返事をしていた。
その時俺に走ったのは恥ずかしさではなく。そんなバカな、という驚愕一色の感情だった。
この際独り言を聞かれたことなんてどうでも良い。問題なのは俺がここにいることを誰かに見られたということと。
──その誰かが、一番知られてはならない相手だったということだ。
「へーーやっぱりあたしって凄いんだー! あたしってば天才ね!!」
ギギギと油の切れた機械の如くぎこちなく後ろを見た俺の視界には、今しがた名前を呟いて例えてしまったアイツが……清蘭が立っていた。
この上なくドヤ顔をぶちかまして、この上なく上機嫌に染まった清蘭が。
……しかし、事態はそれだけに留まらず。
「す、すみません師匠! 今日は日直の仕事があって遅れてしまいました……ってあれ?」
「あなたは……甘粕先輩……デスか……?」
その後ろで遅れてやって来たエデンとエルミカが、清蘭と出会ってしまった。




