脅かされる日常、浸食される平和
「おはようございます、師匠!」「おはようございますデス、師匠!」
4月13日の月曜日。
新入生を迎えためでたい入学式から1週間が経過し、そのムードもなくなりつつある中。新入生代表スピーチで大胆不敵な発言をし学園中の注目を集めたエデン・エクスカリスとエルミカ・エクスカリスの2人は、別の意味で人々の目を集めていた。
下駄箱に到着するや否や、2人は双子らしく寸分違わぬタイミングで頭を深々と下げる。
おはようといった気軽な挨拶が躱される下駄箱で、2人のそれはまさに異質だった。
そんなことをすれば他の生徒の目を引くのは当然の話だが、注目されるのにはもう1つ理由があって。
「い、いやあの……ぉはょぅ……」
2人が"師匠"と呼び、90度ピッタリに頭を下げている相手が、''九頭竜倫人''だったからだ。
とりあえず挨拶を返したは良いけれど、内心は焦りまくってる。周りからの奇異の目にヒソヒソ話、挙句の果てには写真を撮ったかのような音まで聞こえるし。
どうしてこうなった。と僕が嘆く暇なんてなく、目を爛々と輝かせる'''弟子''達は次の行動に移る、 。
「師匠、お鞄をお持ち致します!」
「えっ、あっ」
「師匠、最近疲れてませんかデス? 肩揉んで差し上げますデス!」
「ちょっ、おっ」
「師匠、本日も吐き気を催すようなご尊顔が輝いておりますね!」
「うっ、ひょっ」
「師匠、本日もボッサボサの髪の毛が決まっておりますデス! あっ枝毛、抜いておきますデス!」
「いっ、ぴゃっ」
まさに至れり尽くせり。
エデンとエルミカは僕に色々としてくれるだけでなく、褒めてくれてもいる。しかしその熱烈っぷりが余計に周囲の視線を呼び込んで、ますます僕は焦る。やめてくれと叫べたらどれほど良かっただろう。
もちろん拒否すればそれで済む話だけど、今は"ガチ陰キャ"だということもあり、それは出来ない。
"ガチ陰キャ"とは受け身でされるがままであるからこそ、もしもここで2人に「やめて」と頼もうものなら、
「あれ? あいつガチ陰キャじゃなくね?」
↓↓↓
「そうだよね。ひょっとして……」
↓↓↓
「「【アポカリプス】の九頭竜倫人様!!!???」」
なんて身バレした挙句、多くの生徒を尊死させてしまう。和気藹々とした下駄箱の日常風景が血まみれの異常事態に早変わりだ。
その大惨事を避けるためにも、今の僕はこうして耐えるしかなかった。うぅ……改めてどうしてこうなったんだ。
エデンに鞄を持って貰い、エルミカに肩揉みと枝毛抜きをして貰っているけど、心の中で僕はほろりと涙を流した。いやもうほろりどころじゃないんだけど!
これまでなら周囲の侮蔑の目線を浴びながらも誰からも干渉されず。
教室に気ままに向かっては机に突っ伏して始業時間まですやすやと眠り。
教室に入って来た甘粕さんの自慢話なりどうでもいい話なりを聞くタスクさえこなせば、後は平和な学校生活を送るだけだった。
なのに今と言えば、周囲の生徒達は好奇の目に向けて来て、さらには神を崇拝するかのような瞳を向けた後輩2人に現在進行形で様々なお世話を焼かれている。
……何だこれ? 僕の平和な学校生活はどこにいったんですか? サヨナラバイバイですか? 俺はこいつらと旅に出るんですか?
「師匠、そろそろ5階です」
「う、うん……」
2人のおかげで乗れたエレベーターも全く堪能することなく、僕はとぼとぼと歩く。
これならせっせと階段を使って教室に向かう普段の方が疲労はマシだ。体力的な疲れよりも精神的な疲れに僕は溜息をはぁとつく。
と、そこで3年A組の教室がようやく見えて来た。やっと2人から解放されると思うと、ちょっとだけ元気が出て来たぞ……。
「師匠、辿り着きました。それでは、また休み時間にてお会いさせて頂きます」
「う、うん……お疲れ様……──って」
えぇ!? やっ、休み時間んんん!?
お昼休みじゃなくて!? たった10分間のあの短い時間にも押しかけてくるのキミら!?
口に出すことはなかったけど心の中で盛大に僕はツッコミ続ける。
が、とっくに2人は一礼を澄ませると自分達の教室に戻っていって。その背中を僕は口をあんぐりと開けたまま見送るしかなかった。
「なんて……こった……」
フラフラとした足取りのまま自分の席に着くと、僕はそのまま机に崩れ落ちた。話題の2人の新入生を侍らせていたことはやはり効果てきめんで、教室中から視線が刺さる刺さる。効果はバツグンだよ!
最早、安心の時間も安寧の日々も過去のもの、安易に名乗るべきじゃなかった。
あの調子だと、2人は本気で休み時間中も僕の元に通う気だ。日々の疲労を癒すどころじゃない、ますます僕のストレスが溜まっていってしまう……。
「おっはよーーっ!! おっ、倫人もおっはよーーーっ!!」
「おはようございます、倫人さん」
「あぁ……終わりだ……何もかも……僕の平和な日常は……崩壊したんだ……」
「ちょっとー! せっかくあたしが挨拶してあげてるんだから、挨拶返しなさいよー!」
「もうダメだ……おしまいだぁ……」
「な、なんか……倫人さん絶望してませんか……?」
「……っぽいね。ちょっとそっとしとこっと。ってか顔見すぎてちょっと……オエッ」
「清蘭さん! えっとビニール袋ビニール袋!」
あれ……今誰かが僕の胸倉を掴んでいたような気がする……まぁいっか……。
絶望の淵、いやどん底に叩き落とされた僕は周りが見えないくらいに憔悴する。今後の未来を頭の中で思い描くと、どっしりと闇が視界を覆うようだった。
休み時間の度にエデンとエルミカが訪れ、新聞部によって面白おかしく取り沙汰され、他の生徒達の奇異の目が絶えない。
「嫌だ……学校は……僕の唯一の癒しの場所なんだ……!」
誰にも聞こえない声で、そう呟く僕。
"日本一のアイドル"九頭竜倫人として、人々を感動させ、熱狂させ、輝かせる。
それが俺の仕事であり、使命だ。
だが……だからこそ、そこから解き放たれたいと思う時間もある。同時に、覚悟の準備期間、モラトリアムでもあるんだ学校生活は。
高校を卒業すれば、俺は大学進学など考えていない。もう俺は"日本一のアイドル"として、今後の人生を生きていくしかなくなる。人々から常に注目され、一挙手一投足についても考えを張り巡らせ、気をつけなければならない日々を。
今は……まだ安らぎの時間がいる。日々の疲れを癒す為に、そしてこれまで積み重ねてきた時間を確実に上回るであろう、アイドルとしての俺を生きていく為に。
覚悟を醸成する時間、学校生活での安穏な日々が必要なんだ。
「……分かった。エデン、それにエルミカ」
絶望していたが、ただそのまま闇の中に沈むのが''九頭龍倫人''じゃない。ある考えが浮かび、俺は人知れず笑みを作った。
安らぎの時間を取り戻すには、3つの案がある。
案その①は、2人をとっとと破門にする道だ。が、当然2人は易々と引き下がることもないので、かなりの時間と労力がかかる。よってボツ。
案その②は、2人に別の"師匠"を紹介する道だ。"九頭竜倫人"を手本にする以外にも、この学園にはそれ以上に相応しい者達がいっぱいいる。
それこそ"4傑"や清蘭、能登鷹さんなどがいる。しかし、"4傑"や清蘭には倒すと宣言してしまっているので、弟子にする可能性は低いだろう。
そもそも清蘭に至ってはズブのカス素人なので、逆に2人のポテンシャルを損なう可能性が極めて高い。
能登鷹さんは歌に関してはこの上ない指導者になるだろうが、アイドル業全般で踊りも……となると指導出来ないかもしれない。よってボツ。
……故に、3つ目を選ぶしかない。①と②よりも成功率は高く、同時に非常に短期間で済みそうなこの案その③を……俺は選ぶ!
「──この俺が全力で指導して、とっとと免許皆伝にして卒業させる……!」
"ガチ陰キャ"らしく机に突っ伏しながらも、その瞳と声色は"日本一のアイドル"にして。
俺は決意を固める。
平和で穏やかな学校生活を取り戻す為に──!




