大山田白千代と大山田黒影
「なん……だと……!?」
明らかに瞳孔が開き、動揺の色が濃く表れる黒影さん。
先の俺の発言は気を逆撫でする、という程度で済むものじゃない。今までシロさんを守ってきた黒影さんからすれば、それを全て否定するものだ。わなわなと震える身体の内では、怒りの炎が滾っているのだろう。
……けどな、俺はそんなあんた以上にブチ切れてんだよ。
"日本一のアイドル"として、多くの人々を笑顔にさせてきた。輝かせてきた。
でも今は……"日本一のアイドル"として、ではなく。
1人の男として、シロさんを泣かせたコイツを許せねえ──俺の感情と言葉は、さらに熱を増す。
「あんたみたいな金持ちのボンボンには分からねえだろうが、女の人ってのは恋するもんなんだよ。恋せずにはいられねえ、もんなんだよ! 色んな恋をしてときめくこともあるし、時に悲しんで傷つくことだってある。そうして、大人になった時に魅力的な女性になってんだよ!」
俺自身、恋をしたことはない。だから、本来ならこんなことを言う資格すらないのかもしれない。
それでも、この分からず屋には言いたかった。叫びたかった。
女の人にとって恋をすること自体が、どれだけ大事なのか。想いを伝えることはおろか、想いを抱くことすら許されない、その苦しさを。
「"大山田"だから? そんなの関係あるか! 大山田白千代の前に、シロさんはシロさんっていう1人の女の人だろうが! 他の女の人と同じように恋したいに決まってんだろうが! どれだけ金に恵まれてようが、恋する気持ちだけは金で買えねえもんなんだよこの馬鹿野郎がァ!! 大事な娘を泣かせておいてそれが"愛"? ハッ、改めて言わせて貰うがそんなもん愛なんかじゃねえ、シロさんの為じゃなく、てめえの体裁の為の我儘だよ大山田黒影ェ!!」
「貴様ァ!! さっきから言わせておけば……取り消せ! 今の言葉!」
「取り消せだと? 断じて取り消さねえ!! 何があっても、シロさんの涙を、悲しみをっ、無かったことになんかしねえ!!」
胸倉を掴み怒号を飛ばす黒影さんに、俺も一歩も引かない。交錯する視線は火花を散らし、互いの怒りが鍔迫り合いをしていた。
空気の緊張は極限になり殴り合いにも発展しそうな雰囲気の中──頭に衝撃が走った。
「「っ……!?」」
遂に、あちらが手を挙げたのか。そう思うも、おかしな点が2つあった。
1つは、怒りに任せて殴ったにしては威力が弱く、効果音をつけるなら"ポコッ"という感じの軽いものだったこと。
もう1つは、何故か黒影さんの方も鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていること。
つまり、俺も黒影さんもまるで撫でられるような優しい叩かれ方されたのだ。それを誰がしたのかを考える隙もなく、叩いた張本人は俺達の間に割って入る。
「はいはい~2人共落ち着いてね~」
瞳に映ったのはいつものシロさんだった。
両手をそれぞれ俺と黒影さんの方に差し出し牽制するシロさんは、話し方も雰囲気も"いつもの"シロさんだった。
拍子抜けするぐらいいつも通りな彼女に、場の空気は緩和していく。それに伴い、頭にすっかりと血が上っていた俺も落ち着きを取り戻していた。その次に、何かを促すような目配せをシロさんがしてくれているのにも気づいて。
「……申し訳ありません黒影さん。俺、大変失礼なことを言ってしまいました……」
「いや……私の方こそ大人げが無さ過ぎた。……済まなかった」
俺と黒影さんは互いに謝り、ヒートアップしすぎた空気は収まった。うんうんと満足げな表情を見せるシロさんだが、俺は感謝しなければならないだろう。仮にあのまま殴り合ったとして何になる? 感情をただ暴力と共に吐き散らすだけになり……シロさんを余計に悲しませる最悪の結末を迎えていたに違いないから。
……どうやら、黒影さんも顔色を伺う限りは俺と同じことを想像していたらしい。お互いに気まずそうに口をへの字に曲げた。
「倫人君、お父さん、ありがとうね~」
ばつが悪そうにしている俺と黒影さんに、またもシロさんの不意打ちが訪れる。
突然のお礼に、突然の笑顔。あんな激しいやり取りを見ていたにも関わらず、だ。久々に掴みどころのないシロさんに、俺は目を丸くした。
「ど、どうしたんですかシロさんいきなり?」「ど、どうしたんだ白千代急に?」
「ボクね~、分かったんだ。今回のことで~、倫人君もお父さんも~、私のことを大切に想ってくれてるんだな~って」
「そうなんですか……?」「そう……なのか……?」
「倫人君は~、自分が【アポカリプス】だっていうのにあんなにお父さんに正直に自分の思ってることを伝えてくれたよね~。お父さんは~ボクのことを想ってくれてるからこそあぁやって守ってくれてるんだな~って、改めて分かったから~」
すっかりとらしさを発揮した話し方のシロさん。
が、次の瞬間には瞳から一筋の光が落ちていた。
「だから……ありがとう。でもほんの少しだけ我儘を許してくれるなら……。お父さん、ボクに恋をさせてください。倫人君に、告白させてください」
それはどういう感情から生まれた顔だったんだろう。
涙を流して、でも笑いながら、シロさんは黒影さんにそう伝えた。瞳から溢れ出した涙はぽたぽたと彼女の胸に落ちていく。それに艶めかしさなんてなくて、ただただ言いようのない綺麗さがあった。
「白千代……」
「お父さん、これまで育ててくれて本当にありがとう。ボクを守ってくれてありがとう。でもね……ボクはもうこんなにおっきくなったんだよ」
自分の胸に手を添えるシロさん。言葉が表すのはもちろん胸のことではなく、彼女の全てを示していた。
「お母さんが亡くなってから、お父さんはお母さんの分までボクを守ろうとしてくれてたんだよね。だから、過保護って思っちゃうくらいボクを恋愛から遠ざけてたんだよね……。でも、思い出して? お父さんとお母さんは……恋愛結婚だったんでしょ?」
「……」
「恋をして、結婚して、ボクを生んでくれて……。その後にお母さんが亡くなった時も、後継者のことがあったのにお父さんはお母さん一筋で他の人と結婚しなかったでしょ……? ずっとずっと、お母さんのことが好きで……お父さんはお母さんに"恋を"してるんだ、今も」
「……」
「だから、ボクは知りたいんだ。お父さんとお母さんがしたように"恋"を。倫人君が言ったように、辛いこともあるかもしれないけど……。それでも、お父さんとお母さんが結ばれたような、素敵な"恋"をしてみたいんだ……!」
シロさんは黒影さんの手を取り、強く訴えた。
涙を流しながらそれでも笑いかけて、黒影さんに自分の想いを伝えた。
その顔に、姿に今は亡きお母さんの姿を重ねているのか。黒影さんはハッとした顔で目を見開いていた。
「……お母さんは……白幸は……"長く長く生きて欲しい"という願いを込めて、白千代という名前をお前につけたんだよ……」
口を開いた黒影さんの声は震えていた。
彼もまた、シロさんが流す煌めきと同じものが瞳から零れていた。
「母さんがお前を産んだ直後に亡くなって……私は白幸の分までお前を守ってあげなければと……ありとあらゆる危険からお前を遠ざけねばと……。"大山田"の名前や財産を狙い近づいてくる汚い男は必ず存在する……そんな輩から何としてでも守らなければと……その想いが暴走した結果……お前を縛りつけてしまった……。お前をそんなに悩ませるまで、悲しませるまで……傷つけてしまった……! 本当に……本当に済まない白千代……!」
ボロボロと、大粒の涙と後悔を零し、黒影さんは謝っていた。
そんな黒影さんを、シロさんはそっと抱き寄せる。優しく、静かに。そして、語りかけるような口調で返した。
「……うぅん。さっきも言ったけど、ありがとう、なんだよお父さん。でも、ボクはもう大丈夫だよ。お父さんに心配かけないくらい、強くなれる気がするから。【アポカリプス】の──倫人君のおかげで」
大山田白千代と大山田黒影
2人の親子を縛りつけていた歪な鎖は、今日この日に解き放たれた。
──そして。
「……九頭竜倫人君、あなたに伝えたいことがあります」
シロさんからの告白を、俺は受けていた。




