お願いします、シロさん──
シロさんのすすり泣く声がずっと耳に届く。
俺より年上で。
抜群のスタイルの持ち主で。
何事にも動じないマイペースさを持っていて。
そして……"大山田グループの社長令嬢"であるシロさん。
性格に捉えどころがなく、立場的にも俺が届かない遥か高みにいた彼女も、こうして涙しているのを聞くと、1人の女性なんだと感じる。清蘭や能登鷹さんと変わらない1人の繊細な、そして恋愛をしたいと思うような──"普通"の女性だった。
「ぐすっ……ごめんね。急にこんなことキミに言って……困惑するよね……こんなこと誰にも言ったことなくて……友達らしい友達も……いなくて……」
しかし、今の言葉でシロさんの苦悩はやはり並大抵ではなかったことを理解する。
"大山田グループ"という名前が、家が、シロさんの全てを縛りつけていた。こういった悩みを吐き出して、苦しみを分け合えるような友達すらも出来ないくらい、あの会社がシロさんにとって負担になってしまっている。
シロさんは傍から見れば全てを持っていると世間では思われるだろう。日本有数の大企業の娘、お金にも困らず何不自由なく育てられて来たんだろうと羨望の眼差しを集める。……俺だって、そう思っていたくらいだ。
でも実際には違った。全てを持っている? とんでもない。シロさんは、何も持たせてもらえなかったんだ。友達に恋愛、そういったものは自分で選ぶものだ。その関係の中では色んなことがあって、楽しんだり笑うこともあれば泣いたり悩むことだってある。だけど……自分の意志で選択をする、それ自体に大切な意味がある。俺もこの仕事をするようになって、楽しいことも苦しいこともあった。
それでも、この道を突き進むと決めたの他の誰でもない俺自身だ。だから後悔も誇りも全部連れて、ここまでやって来たんだ。シロさんには、その道が全部閉ざされている。自分で道を作る前に、それが行き止まりにさせられる。
──ふざけやがって。
歯と拳に力が入る。理不尽、不条理。怒りが全身に迸るほど感じたのは指で数えるくらいだが、相変わらず胸糞悪すぎて反吐が出そうな心地だ。
「……シロさん」
しかし、それは一切声には宿らせず、俺は彼女の名を呼ぶ。
ようやく開いたこの口は、自分の苛立ちをシロさんに伝える為にあるんじゃない。
俺がシロさんに頼まれたのは何だ?
同じように悲しんで、彼女の涙を減らしてあげること?
怒りを吐き出して、彼女の代わりに父親をクソ野郎と罵ること?
……違うだろ。
俺が頼まれたのはただ1つ──シロさんの塞がれてしまった道を、切り拓くことだ。
「……うん? 何……倫人君?」
「……俺の話を、きっと黒影さんは聞いてはくれません。あの人の中での俺の評価は、"愛娘の胸のことしか頭にない下衆野郎"でしょうから」
「そんな……!」
「だから、俺の方からあの人に話をするのは無駄じゃないかと思います。ただ……1つだけ、解決出来そうな手段があります。黒影さんが、シロさんが自由に恋愛するのを認めてくれそうな方法が」
「えっ……?」
俺の言葉はシロさんにとってたった1つの光明になるかもしれない。
可能性は限りなく低い、一条の光のようなか細いものかもしれないけれど。
でも、やるんだ。
可能性なんて考えるな。
結果のことも考えるな。
未来のことも、考えるな。
俺は俺に出来ることを……やるだけだ。
「3月の31日、スケジュールを絶対に空けておいて下さい。シロさんも、黒影さんも」
「3月31日……? うん、分かった。でもどうして……?」
「その日に、【アポカリプス】の10thシングル『C.C.C.』の初披露ライブがあります。それを──2人で見に来てください」
今回は、俺が頑張るだけじゃ駄目だ。
一緒に、乗り越えて下さい。
一緒に、変えて下さい。運命を。
お願いします、シロさん──
3月31日火曜日
翌日にエイプリルフールを控え、そちらにも注目が集まる中、普段ならいつもと同じように過ぎ去るだけのこの日は"ただの3月最終日"ではなかった。
大相撲春場所では新入幕の前頭も含めた三つ巴の優勝争いが行われ、熱狂の渦と化した両国国技館。その場所が、今再びこの31日に熱気を纏っている。いや、もしかするとあの時以上の熱を帯びているかもしれない。
3月31日……この日は"日本一のアイドル"とされる【アポカリプス】の10thシングル、『C.C.C.』の初披露ライブだった──
これまで出して来たシングルは全てミリオンを超え、異例づくめの記録もとい偉業を成し遂げて来た彼らは、またも前例にないことをやろうとしていた。
それがこのライブそのものだ。初披露というのは伊達ではなく、言葉通りの意味。通常、新たなシングルを出す際にはCMを使用したり動画サイトで告知をしてなどの宣伝を行うものだ。しかし、【アポカリプス】は今回の『C.C.C.』をリリースするにあたり、そういった宣伝を一切行っていなかった。ファンにも、メディアにも、誰にも。
その為、この場に駆けつけた1万人を超えるファンは誰も知らないのだ。『C.C.C.』がどういった曲なのかを。誰がどの順番で歌うのか、どんなフォーメーションで踊るのか、その全貌はこれから行われる5分弱のライブで露わになる。
「にしても倫人の奴ってば、ケチだよねー! あたしにもなーんにも教えてくれないんだもん、新曲のこと!」
「まぁ、しょうがないと思いますよ。PVも曲調も全部非公開でしたし……」
誰もが【アポカリプス】の登場を待ち望む中、一際目を引くような美少女が2人、そんな会話をする。
1人は不満たらたらといった様子で頬を膨らませ、メンバーの1人九頭竜倫人のことを呼び捨てに出来る関係性にある少女──甘粕清蘭
1人はそんな清蘭をまぁまぁと宥め、苛立ち緩和用の苦笑いを見せる少女──能登鷹音唯瑠
2人もまた、今回のライブにやって来ていたのだった。
「でもさー、あたし幼馴染なんだよ!? ちょーっとくらい教えてくれたって良いじゃん! なのにアイツってば『絶対に言わないし言えない』『何度も迫ってくんなしつけえな』の一点張りなんだよ!? ムキーッ!!」
「しょ、しょうがないですって。九……倫人さんは【アポカリプス】のメンバーの1人ですし、そういう契約だったのかもしれませんよ?」
「契約が何よ! あたしとはずっと幼馴染やってんのにさ! そんな紙切れの言うことを優先するなんて幼馴染甲斐のない奴ね全く!」
フンッ! と鼻息を鳴らしそっぽを向く清蘭に音唯瑠はお手上げだった。まだ芸能界の仕組みについては全く知識のない清蘭にとっては納得はいかないだろうが、もう少し物分かりが良くならないものだろうかと少し溜息すらも吐きたくなる衝動に駆られた。
と、音唯瑠が実際に溜息を零した所で、両国国技館内の照明が少しずつ落とされていく。全ての光が消え、見えるのはファン達が持つメンバーのイメージカラーのサイリウムだけとなる。妙な沈黙に包まれ、清蘭と音唯瑠もその中に溶け込んでいる……と。
「皆さんこんばんは」
突然そんな声が聞こえて来たかと思えば、スポットライトが一点を照らす。
その光に包み込まれているのは、『C.C.C.』のものだと思われる新衣装を着込んだ5人の男。鬼優、イアラ、ShinGen、東雲、そして九頭竜倫人ら【アポカリプス】の面々だった。




