九頭竜倫人の''日常''
私立秀麗樹学園──都内某所にある私立高校で、そこそこの偏差値を誇る進学校でもある。
自由と個性を重んじる学風が人気を呼び、毎年の受験でも高い倍率を叩き出す。しかし、最も特筆すべき点があるとすれば。
"芸能界の未来のスターが誕生する場所"だと言える部分だ。
この学園は様々な芸能事務所がスポンサーとなっていて、生徒の大半は何かしらの養成所に通っているか実際に芸能人として既に活動している者もいる。
もちろん中には芸能界入りを目指していない者。言うなれば"一般人"と呼ばれる生徒もいる。 とはいえ感覚で言えば全校生徒の1割を切るくらいの極小数だ。
この学校を通じてじっくりと金の卵を温め、ゆくゆくは燦然と輝く未来のスターを生み出す。大人の打算と金で出来たこの学校に、この俺も通っていた。
ただしそれは。
数多の人々を魅了し、圧倒的な輝きを放つ''日本一のアイドル''、九頭竜倫人として、ではなく。
その真逆の存在として──。
「あけおめーっ、来週はいよいよオーディションだね!」
「新しい雑誌見たよー! 凄いお洒落だったー!」
「週末のミニライブ気合入れねえとな!」
私立秀麗樹学園、2年生専用である中央校舎。
その端にある2年9組の教室で流れていく会話を盗み聞けば、恐らく"普通"の高校では到底されることはない内容の物ばかりだろう。
1月8日、今日は冬休み明けの始業の日。新年の挨拶が終わればドラマのオーディション、モデルとして掲載された雑誌のこと、バンドのミニライブのこと、その他にも男女関わらず芸能界に関係する話ばかりしている。
秀麗樹学園らしさ溢れる"日常"が繰り広げられてい……そんな最中。
「そう言えば、【アポカリプス】のクリスマスライブ見た!?」
「見た見た! もうヤバいよね! ヤババーバ・バーババって感じだったぁ〜!」
「俺も見た見た! ''ツブヤイター''上でだけど……」
「えーあのライブ生で見れなかったとか可哀想通り越して非常識だわ〜」
統一感のない会話は突如【アポカリプス】という単語をきっかけにしてまとまる。
途端に様々な話題で溢れかえっていたクラスは1つとなり、それ以外のことは何も話さなくなっていた。
「やっぱり鬼優君のあの優雅な見た目と恐ろしい程のギャップのラップは、心の底から惚れ惚れしちゃうよね~! いつも通り金髪貴公子で仕えたい欲求がががが」
「分かる。でもやっぱ俺はイアラのダンスと歌に痺れるなぁ! あの完全なる筋肉美もだし、同じ男だけど惚れちまうぜあんなの! イアラになら抱かれても良いッ!」
「ShinGenちゃんなんて、いつも以上に元気いっぱいで子どもっぽくて、もう可愛すぎておかしくなりそうだった! っていうか家で思いっきり叫んで親に勘当されそうになったよ!」
「東雲さんは相変わらずあんま目立たないけれど、ファンサ今回も良かったなぁ! 投げキッスも握手も笑顔でやってくれて、まるで菩薩みたいだったし! ってか菩薩の生まれ変わりでしょ‼ そうに違いない!!」
男女を問わず、各々が【アポカリプス】ライブの感想を言い合う。誰もが目を輝かせていることだろう。それぞれの"推し"がいつつも、ファン同士での争いがほとんどないのが【アポカリプス】のファンの良い所だ。
その後も俺はしばらく4人の素晴らしさを称える会話を聞いていたが、やがて核心に触れるように"その名前"が誰かの口から飛び出る。
「でも、なんて言うかもう……倫人様はやっぱり別格だったよね……」
「マジそれみぞれ……もう半端ない……パネェ過ぎるし倫人様……」
「それな……倫人様の歌い出しを聞いた時……今日で死んでも良いって思ったわ……」
「イアラに匹敵する情熱的で激しいダンス……鬼優君に並ぶ巧みなラップと優雅さ……ShinGenちゃんと同等の素敵な笑顔と身体能力……東雲さんと甲乙つけ難い落ち着きぶりと繊細さ……倫人様……いと尊き御方ですわ……」
「倫人しゃま……すこすこのスコティッシュフォールドぉぅ……しゅきぴのピピピッピィ……」
神を目の当たりにしてしまった敬虔な信徒のような口振りでクラスメイトの皆が話す。この俺──九頭竜倫人のことを。
あれだけファンが惚れ惚れするパフォーマンスをした4人すらも霞んでしまう圧倒的な存在──それが【アポカリプス】のセンター、九頭竜倫人というアイドルだ。自分で言うのも何だけど、確かな事実だった。
ライブ中はとにかく全力でやっているからあまり実感はないが、こうして皆の会話を聞くと、どれだけ凄いパフォーマンスをしていたのかが分かる。
「芸能界目指す身としてはアレかもしれないけど、倫人様とか【アポカリプス】の皆を見てたら、悔しいなんて思えないよね」
「ホントに! 身体の構築物質からして違うよね。人間じゃなくてまさに別次元の生き物って感じ」
「もしかしたら【アポカリプス】の皆の好物食ったら、俺もかっこ良くなれるかな?」
「無理無理。あんたはまずインディーズからメジャーデビューするとこからねー」
宴もたけなわに【アポカリプス】の会話もそろそろ終わりを告げそうだ。
とは言えまだまだ話し足りないはず。この続きは次の休み時間か昼休みか、ずっとずっと続くだろう。
と、盗み聞きの時間も終わり、始業の時間まで穏やかな眠りを取ろうとした俺。
「……【アポカリプス】の皆様も倫人様も本当に凄いのに、てめえはいつも通りだなぁ? クズ」
だが、やって来た。
俺のもう一つの日常が。
「そうやって机に突っ伏して寝てばっか、何の為に学校来てんのお前」
「同じ空気を吸うのも嫌だわマジで。誰か窓開けて換気しといてー」
「マジそれみぞれ。ホント無理、存在自体が無理。私達と一切関係ないどっかでくたばってくんない? お願いだから」
その棘しかない声色と言葉は紛れもなくこの俺。九頭竜倫人に向けられていた。
教室中に俺への悪意、敵意が満ちている。
先ほど【アポカリプス】の話題で盛り上がった時のように、その統一感も並大抵のものではなかった。
「さてさて、何か言いたいことはあーりますかー?」
「ある訳ないだろこいつに。クズはクズらしく口開けて埃でも食ってかろうじて生きとけ」
「生きる必要もある? 何なら突っ伏したまま死んでくれてても良いけどねー」
「だよなー。ともかく、俺らとは何ら関係のないどっかの山とかで遭難して死んどけよークズ」
笑い声混じりに放たれた誰かの言葉が終わると、ようやく罵倒の嵐は過ぎ去っていた。
今日もまた俺は無言を貫いて、やり過ごした。
人々を熱狂させ、尊敬を集める"日本一のアイドル"である【アポカリプス】の九頭竜倫人と。
同姓同名というだけで、蛇蝎の如くというレベルで罵詈雑言を浴びせられる。
それがここ、秀麗樹学園における俺の日常だ。
名前が同じなだけで、と言うと理不尽かもしれないが仕方ない。ここにいる誰もが俺のことをあの九頭龍倫人本人であることは知らず、ただの同姓同名の"ガチ陰キャ"だと思いこんでいるのだから。
そしてまた、俺自身もそう思われるように振舞っている。
【アポカリプス】は老若男女から愛されるアイドルグループ、特に俺に関しては神格化の域に達している。
だからこそこの学校の生徒達は神とも呼べる存在と同じ名前を持ちながら、この学園ではガチ陰キャでしかない俺を臓腑が腐り落ちそうなほど嫌悪している。
憧れの雲の上の存在と同じ名前でありながら芸能界を目指さないどころか、こうして何を言われても言い返さず、机に突っ伏して眠ってばかりのガチ陰キャな俺のことを。
いじめをすれば後の経歴に傷がつく可能性があるからこそ表立って何かをすることはない。せいぜいこうして先生の見ていない所とかでストレス発散用に罵倒していくだけだ。
当然だが、俺がガチ陰キャではなく”日本一のアイドル”の九頭竜倫人であることを明かせば、こんな事態には絶対にならない。だが、俺は敢えて生徒達からの悪意、敵意、嘲笑や侮蔑を一身に受け続けている。
その理由は、安心と安寧に満ちた平和なこの学校生活を守る為だった。
言うまでもなく、俺は本業では"日本一のアイドル"【アポカリプス】の九頭竜倫人だ。
見てくれる人達からの拍手や喝采、注目を浴びることを宿命づけられた存在。ただ、贅沢な悩みとは分かってはいるんだけれども……アイドルの時でもワーキャー騒がれ、学校生活でもワーキャー騒がれる……。
そんな毎日を想像しただけでゾッとする。注目され続けるということ、人の目を常に気にしなければならないこと、誰かにとっての理想で在り続けること。
それらへのプレッシャーが、俺にはまだ耐えられなかった。
だから俺は、ガチ陰キャを演じる。
普段は俺という一人称を僕に変えたり。
話し方や声色を別人レベルに変えたり。
挙句の果てには見ただけで吐き気を催すクソ不細工になるような逆スーパーメイクを施してまで。
”日本一のアイドル”ではなく”ガチ陰キャ”としての自分を作り上げた。
学園内では孤立し、憎悪とも呼べる敵意を向けられまくり、容赦のない罵声を浴びせられまくっても、最後にはあぁして俺は存在ごと意識から消えていく。
誰からも注目されない、誰からも気にされない、"|日本一のアイドル"の時には決して送ることの出来ないこの安穏無事なひととき。
だからこそ俺は……この学園での平穏に満ちたガチ陰キャ生活を貫いてみせる! 身バレせず、安心安寧のプライベートを守り抜いてみせる!
絶対に、何があっても‼
「清蘭様だーっ‼ 清蘭様が登校なさったぞーっ‼」
と、入学時に自らが立てた誓いと決意を改めて胸に秘めていた所で、聞き覚えのある名前が耳に飛び込んでくる。
この学校においてはある意味、九頭竜倫人と同じかそれ以上の存在感を持ち。
誰もが羨む唯一無二の美貌の持ち主であり、誰もが知る圧倒的な存在──
「皆おはよーっ!! 日本一のアルティメット可愛いスーパー女子高生、清蘭ちゃんが降臨したぞーーーっっっ!!!!!」
男子も女子も関係なく頭を下げて道を開け、人で出来た花道を当然という顔をして通っていくのは……──俺の幼馴染、甘粕清蘭だった。