摩訶不思議な女性、シロさん
う……うわああぁあああぁああああぁああああああっっっ!!!
──と、思わず叫びそうになった口を左手で押さえ、俺は何とか堪えた。
しかし、現在進行形で目の前には、その右手の中には、信じられないものがある。寝顔からでも分かる綺麗な顔の女性と……ボディラインに明らかな出っ張りを生み出している双丘が。
左手は口に、右手は女性の胸に……こんな状況を経験するなんて、一体誰が予想出来ようか。いや、1人だけいるじゃねえか……神ィィィィてめェがよォォォォォォ!!
お前俺に恨みでもあんのか!? 非モテで非リアなのかァ!? だから俺を貶めようとこんな嬉しい──じゃなくて社会的に死ぬような経験をさせてんのかぁぁぁぁ!?
今の俺はどっからどう見ても、"眠っている無防備なグラマラスな女性"に対し"痴漢をする卑劣極まりないクズ野郎"と化している。すぐに右手を離さなければ! 俺は"日本一のアイドル"どころか社会的に死んでしまう!
「うおおおぉおおおおおぉおおおおおおっっっ!!」
俺は気合の叫び声をビーチに轟かせる。
無防備な女性のおっぱいを揉むなんてことは、確かに最低だ。言い逃れの出来ないクズだ。
しかし悲しい哉。俺はこの瞬間に女性のおっぱいの柔らかさと同時に、男の愚かさを知った。
正直に言おう。おっぱいずっと揉んでいたい。離したくない。
罪悪感とカルマの波に呑まれながら、それと真っ向から相反する衝動が俺の中で生まれていた。男というのは、女性のおっぱいを揉みたい生き物なんだ。これは遺伝子レベル、本能に刻まれた男のどうしようもない性なのだと、俺は身を以て味わった。
だからこそ、その欲望をはねのけるには並大抵の気合では足りない。故に俺はライブで歌う時以上に本気の叫びで、自らの手をこの女性のたわわに実った果実から離そうと思ったんだ。
──が。
「なっ、何ィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!?」
次に俺は驚愕の叫び声を響かせてしまう。
右手が、胸から離れない。ずっと揉んでいるまま動かない。まるで、五指の全てがビスでおっぱいに固定されたかのように、あるいは五指の全てに「我、決して動かぬ!」と不動明王が宿っているようだった。
って、変なたとえを考えている場合じゃない! 何とか引き剥がさないと……! 左手で右手の手首を掴むと、俺は精一杯引っ張り始めた……が。
「なっ、なななな何だってーーーーーーーーーっっっっっ!!!?」
ブルータス、お前もか。
引き剥がす任を仰せつかったはずの左手は、まさに掌返しといった具合に女性の片方の山に吸い寄せられる。ぐぬぬぬと俺は歯を食いしばって抵抗を試みるも虚しく、遂に左手も女性のおっぱいを鷲掴みにしてしまっていた。
「はあっ……」
そして漏れ出る女性の甘い吐息。
オイオイオイ、死ぬわ俺。白昼堂々、眠っている女性に痴漢ですか……たいしたものですね。痴漢は刑法第百七十六条の"強制わいせつ"に当たり、十三歳以上の者に対し暴行または脅迫を用いてわいせつな行為をした者は半年以上十年以下の懲役に処されるくらいです。
そう、つまり俺は社会的に死ぬ。今この場を誰かに見られた瞬間に、俺の人生は全て終わる。さようならファンの皆……ありがとう【アポカリプス】の皆……九頭竜倫人は人間の中でも最低のクズになります……。最期にこの女性のおっぱいを堪能しながら、俺の輝かしい人生の幕は閉じます……。
「うぐっ……ぐすんっ……」
「あの……」
「……ひぐっ……?」
「どうして……泣いているの……?」
あぁ……本当に終わった……。ただでさえ深かった悲しみややるせなさが、さらにどん底に叩き落とされる。
本人が起きる前にトンズラすればワンチャンバレない……そんな一縷の望みも、目の前の女性が起きてしまったことで潰えた。涙に塗れた視界で、改めて女性のことをまじまじと見る。
涙越しながらもその目鼻立ちは絶世の美女と言うに相応しく、同時に日本人のそれとは少々異なる欧米風のものだった。
ハワイを駆け抜ける少し熱い風が揺らす髪は純白に染められていて、ふわふわと踊るようなロングウェーブヘアーが印象的だった。
そして見下ろせば髪色と同じのビキニと、彼女にとって文字通り最大の武器である深い谷を作るほどの双丘が視界に否応なく入って来る。
まさにパーフェクトグラマラス、男の目を惹きつける為にあるような身体だった。それはさておき……。
「ごっ……ごめんなさいっ……!」
俺は彼女のおっぱいを揉んだまま、涙に溢れた謝罪を始めていた。
「みっ……見ての通りっ……俺はっ……あなたのっ……おっ……おっぱいをっ……揉んでしまいましたっ……!」
言い訳一切なしの、ありのままの告白。それは俺の男としての最後のプライドだったのかもしれない。もしくは、これ以上嘘をついて罪を重ねることに耐え切れられなかったからかもしれない。あるいは……こんな素晴らしいおっぱいを持つ彼女に、"欲望"以外の理由で揉むなんてことは失礼だと思ったからかもしれない。
結局どの理由であろうとも、泣きじゃくったまま彼女に謝る俺には判断がつかなかった。
「ボクの……おっぱいを……?」
「そうですっ……! すみません……本当に……! 俺を詐欺罪と器物損壊罪で訴えて下さい! 理由はもちろんお分かりですね? 俺がこんな汚らしい両手で眠っていたあなたのおっぱいを揉み、純潔を破壊したからです! 覚悟の準備は出来ています! 近いうちに訴えて下さい! 裁判も起こして下さい! 裁判所にも問答無用でいきますから! 慰謝料の準備もしておきます! 俺は犯罪者ですっ! 刑務所にぶち込まれる楽しみにしておきます、いいですねッッッ!!」
アイドルを引退しなければならない現実に直面した俺は、完全に支離滅裂な言動のおかしな奴に成り果ててしまった。
しかしそれでも、責任を取って罪を償わなければならない。その覚悟があることを彼女に示せたのが、俺として最後の努力だっただろう。
さぁ、何が飛んでくるか。罵声か、平手打ちか、それともアメリカらしく即銃殺か……。涙をドバドバと流しながら、俺はまず彼女法廷の判決が下るのを待った。
「そうかなぁ~?」
罵声でも、平手打ちでも、蜂の巣にされるのでもなく。
彼女は見た目とは裏腹に非常にのんびりとした声で、俺の両手をじっと見つめる。
「キミの手……別にそんなに汚れてないよぉ……?」
そう言い加えると、さらにおっぱいを揉んでいる俺の手に、彼女自身の手を添わせる。予想を遥かに裏切る展開に、俺の頭は徐々に冷静さを取り戻していく。
「あ……えっと、そういうことじゃなくてですね……」
「じゃあ~どういうことぉ~……?」
「あ、あなたのおっぱいを揉むという行為を働いてしまい、どうしようもないカルマに塗れた結果の比喩でして……」
「んん~? 難しいこと言われてもぉ……シロには分かんないや~」
あ、すみません通じないですよねこれ。
たとえが通じてないのはともかくとして、1つ彼女に……シロと自らのことを呼んだ彼女に対して、かなり不思議に思う所がある。
彼女、いやシロさんは……この状況に全く動じていないのだ。
見ず知らずの男に、眠っている間に胸を揉まれる。こんなのが怖くない訳がない……そのはずなのに、シロさんは一切気にしていないようにも見える。
俺はてっきり、徐々に現実を認識したシロさんが悲鳴を上げ、そこで俺の人生はジ・エンド……そうなると思っていたのに。
「あ、あのシロさん……でいいですか?」
「うん~。ボクはシロだよぉ~?」
「は、はい。シロさんは……この状況を理解していますか?」
「どういうことぉ~?」
「見ず知らずの男に、眠っている間に自分の胸を揉まれたってことです」
「うん~」
「本当に?」
「ホントに~」
「……」
「……?」
いや、疑問符を浮かべたいのはこっちの方なんですがシロさん。
なんというか、マイペース過ぎる。ゆったりとした話し方以上に、価値観というか考え方が特殊過ぎる……どうなってるんだこの人の頭の中は?
それとも、やはり俺はロングチェアに辿り着く前に力尽きて、死の間際に都合の良い夢を見ているだけなのだろうか。となると、死ぬ前におっぱいを揉ませてくれる女性と出会いたいって夢を見るのは、まぁまぁ俺もヤバイ奴になるが……。
と、様々な考えを巡らせていた中で、垂れ目のシロさんがこちらを真っ直ぐと見つめ、言い放つ。
「というか、あんまり気にしなくて良いよ~。触りたかったら、いくらでも触って~」
「──」
予想も想像も遥かに裏切るシロさんに、俺は思わず絶句してしまったのだった。




