九頭竜倫人、盛大にやらかす。
「えっと……」
清蘭に見惚れていた俺だったが、我に返ると答えを考えた。いくら恋人役と言えども、キスをする必要なんてあるのか。
いや、ないはずだ。仮にキスをするとしても、もしも周りに俺のファンや勘の良いゴシップ記者などがいれば、その場面を見られたらアイドル生命の終わり。
つまり、俺にとってはやる意味はほとんどない。やる必要がないことだ。
「別にする必要はないだろ」
「なんで?」
「なんでって、俺はお前の恋人役に過ぎないからな。キスをするのはやりすぎだ。それにお前も好きでもない男とキスするのは嫌だろ」
俺は説明しながら、清蘭と俺がキスする必要性のなさを実感していく。清蘭もようやく理解したのか、ハッとしたような顔をしていた。
男を自分の格を上げるためのアクセサリー程度にしか思っていない清蘭が、易々と自分の大切な''初めて''を譲るはずがない。それこそ、自分に見合う相手が現れるまでは絶対に。
俺にとっても清蘭にとっても、今ここでキスをする必要がない。だからこそ、先程の清蘭の提案は不可解だったと俺は冷静になった頭で納得していた。
「クリスマスデートの雰囲気を味わいたいっていう気持ちは分からんでもないが、それでも好きでもない幼馴染なだけの俺とキスをするのは──」
「倫人のばかーーーっ!!」
「びゃっほうッ!!!???」
突然、清蘭のボディーブローが俺の鳩尾を的確に捉える。
絶賛筋肉痛中の腹筋をさらに痛めつけるヘヴィボクサーばりの威力のそれに俺は膝から崩れ落ち、冷たい歩道に倒れ込んだ。
「ばーか!! ばーーか!!! ばーーーーーかっ!!!!!」
清蘭はそう叫ぶと、俺を見捨ててズカズカと歩いて行った。
どうしてこうなった……? クリスマスデートで散々な目にしか遭ってないか俺……?
道行く人は哀れんだ視線を俺にぶつけてくる。大方クリスマスデートが失敗して彼女の機嫌を損ねた彼氏として。いや違うんです皆さん。違わないけど違うんです……!
「げほっ、おえっ……何なんだよ清蘭……」
ようやく立ち上がれるくらいに回復した俺は姿を消した幼馴染に舌打ちした。
クリスマスデートの雰囲気をそんなに味わいたかったのか? だとしてもキスは願い下げだが……。にしてもあの調子だと、清蘭と本当に付き合える男なんて生涯現れなさそうだ。幼馴染としてはちょっと不安だ。
「そういや帰りの電車賃ないって言ってたなあいつ。とっとと見つけないと面倒なことに──」
「何よあんた達!? 離してよ!!」
歩き始めようとしたその時だった。遠くからでもハッキリと分かるほど、清蘭が大声を出したのが。
「清蘭っ!」
筋肉痛に構わず、俺は走り出す。清蘭の声の強さ、雰囲気からしてロクなことが起こっていない。
''日本一のアイドル''として磨かれた身体能力を存分に発揮し、道行く人の間を縫いながら俺は進んでいく。
そして、見つけた。
「グヒヒヒ……まぁそう嫌がんなよ」
「そーそー。俺達と遊ぼうぜェ?」
「きみ可愛いね〜ってかどこ住み? ”ココア”やってる?」
''如何にも''なナンパ男3人組に絡まれている所を。
今時あんな奴らいるのかと言うぐらいの典型的なナンパ男達だな。ちなみに”ココア”とは連絡用のアプリのことで飲み物のココアのことじゃない。
にしても、清蘭は1人にするとやっぱりナンパされるな。まぁ”日本一のアイドル”である俺でさえも認めるしかない美少女だからな、性格はマジで最低のカスだけども。
「あたしみたいな超絶可愛い日本一の限界突破美少女の天下の清蘭ちゃんがあんた達みたいなクソ不細工とデートなんかするはずないでしょ‼」
「うわ~ヒッデー。ってか俺達を不細工扱いって凄いね清蘭ちゃん」
「これでも結構見た目には自信あんだけどなァ?」
「ってか名前清蘭ちゃんって言うんだ可愛いね。ってかどこ住み? ”ココア”やってる?」
あのバカ……自分の名前うっかり教えてんじゃねえよ。
それはともかく、そろそろ助けに入るか。これ以上清蘭が大声を出して注目を集める事態は避けないといけないし。それに……──
「あの、すみません。俺の彼女に何してるんですか?」
何だかんだ言っても、清蘭は俺の大事な幼馴染だ。絶対に手出しはさせない。
俺は清蘭とナンパ男の間に割って入り、強引に引き剥がした。それも、あちらが気づくのに時間がかかるほどの流れるような動きで。
「あっ、倫人……」
「なんだてめえは?」
「清蘭の彼氏です。で、もう一度聞きますけど……俺の清蘭に何してるんですか?」
先頭のリーダー格のナンパ男に引かず、俺は睨みつけるような視線をぶつけながら言った。特に、”俺の清蘭”の部分の声に力を入れて。
「こんな顔面だけの冴えねえ童貞くせえ奴が清蘭ちゃんの彼氏?」
「相応しくないねェ、実に不愉快だねェ。お前みたいな奴が清蘭ちゃんとせいなる夜を過ごすってのかよォ?」
「俺らは今清蘭ちゃんと話してんだよ。てめえは家帰って1人だけのホワイトクリスマスでも過ごしとけ」
含みのある言い方を3人目がした後、ナンパ男達は笑い出した。
下品で何とも聞くに堪えない笑い声が通りに響く。こうなると腫れ物扱いで、道行く人の好奇の視線が明らかになくなっていた。
──だったら、こっちもやりやすい。
「まぁ痛い目見ないウチにさっさと帰ってママのおっぱいでも吸って──ぐぎっ……!?」
「俺の清蘭をそんなクソ汚ねえ目で見るな」
「いでっ、いででででででででいだいいだいいだいってぇぇ‼」
再び清蘭に触れようとした下卑た手を、俺は掴んで止めた。力を入れていることに加え指で的確にツボを押していることもあり、リーダー格の男は情けない叫び声を上げている。
「ケっ、ケンちゃん!? てめェ‼」
「優しくしてやったらつけ上がりやがって! このっ──!?」
殴りかかろうとした2人にもう片方の手を見せる。
ついでに……少しだけ”本気”を俺は魅せた。
「それ以上動いてみろ。お前達もこうなるぞ」
清蘭に触りやがったリーダー格の男(ケンちゃん?)には実力行使で。
残る2人には言葉で俺は脅しをかけた。だが、それ以上に有効な脅しを俺は密かに実行していた。
”日本一のアイドル”九頭竜倫人としての魅力の発揮だ。
「あ……あァ……!」
「な、なんつー……えげつねえイケメン……‼ イケメンとしての格が……まるで違う……‼」
それまで血の気すら見せていた2人は俺の魅力に圧倒されて戦意を喪失、そのまま膝から崩れ落ちた。
まぁ清蘭にdisられていたものの、普通にこいつらも顔は悪くないしな。性格はクソみたいに下品ではあったけれども。
とりあえずは一件落着した。ナンパ男3人はどいつも項垂れている。今後ナンパする気概が残っているのかどうかも疑わしいが、そんなのは別にどうでもいいことだ。
それより、も。
「清蘭」
「へっ?」
「走るぞ!」
「えっ、ちょっ、倫人っ!?」
少しだけとは言え”日本一のアイドル”としての魅力を発揮してしまった以上、この場にいることは出来なかった。ファンやゴシップ記者に嗅ぎつけられる危険があるし。
だからこそ、俺は清蘭の手を引いて走った。
人々の間を抜けて、振り返ることなく走って走って走って。
その時だけは、俺と清蘭は2人だけの時間を過ごしていたように思えた。
「急に走り出して悪かったな」
「……別に、気にしてないけど」
メインストリートから外れてどこかの公園に辿り着いた俺と清蘭。
ブランコに座り、ちょっと年季の入ったそれをゆっくり漕ぐ。何だか無性に気まずくて、お互いに言葉は少なめだった。
「あーあ、こんな予定じゃなかったんだけどなぁ……」
と、徐に清蘭が呟く。
「今日のクリスマスデートか?」
「うん。だって本来なら、今は東京スカイタワーの展望台にいるはずだったもん。それが、こんなショッボイ公園でブランコしてるだけなんて……」
清蘭は空を見上げながら不満げに呟き、俺は返答に窮した。
正直に「お前がもう少し買い物の費用抑えときゃ良かったんだよ」なんて言えば、清蘭は反論するに決まっている。ただでさえ予定通りにいっていないクリスマスデートに追い打ちをかければ、清蘭はますます不機嫌になるだろう。
かと言って謝る訳にもいかない。これ以上清蘭を甘やかすのは幼馴染としての良心が許せない。ってか30万円デートに使わされてまだ足りないっていうのがそもそもバカげた話だし……。
一体どう返答すべきか、俺は高速で脳をフル回転させていた。……が。
「でもね」
そう言うと、空を見上げていた清蘭がこちらに向く。
その顔はあの時と同じで……紅く染まっていた。
「さっきの倫人、すっっっごくカッコよかったよ。流石は世界最高のスーパーウルトラ美少女清蘭ちゃんの幼馴染だねっ!!!!!」
公園内は外灯が1つしかなくて、それも点いたり消えたりを繰り返していた。
だけどその笑顔は。清蘭の今日一番の笑顔は。
まるで太陽のように眩しくて、俺の心に鮮烈に焼き付いていた。
”日本一のアイドル”である俺ですらも見惚れさせる、最高の笑顔。やっぱり、清蘭はとんでもないなと改めて思わされたと同時に、俺は少し気が緩んで微笑みを浮かべていた。
「……ふっ。まぁ、俺ぐらいだしな。お前の幼馴染を務められんのも。まぁさっきのことはカスにしとくからな清蘭……あっ」
──だが、その気の緩みこそが命取りだった。
”貸し”と言いたかったその言葉は、気の緩みが生んだ油断によって清蘭にとって最も言ってはならない禁句に変化してしまい……。
「──倫人の……バカぁぁああぁああぁあああぁぁぁあああああっっっ!!!!!」
次に外灯の電気が点いた時には、清蘭の笑顔は修羅のような怒り顔になっていて。
夜の公園には、清蘭の怒声と盛大なビンタの音が響き渡ったのだった。