コンテスト前夜
「ククク……明日が楽しみだぜ……!」
2月13日土曜日午後10時26分。
【アポカリプス】での練習を終え、帰路についていた俺は柄にもなく独り言を零していた。しかも、ニヤリと口元を歪ませて。
本日の練習の出来は会心で新曲の初披露が待ち遠しい……というのもあるが、それ以上にやっぱり楽しみなのは──
「明日、遂に能登鷹さんの歌声を世間が知るんだ……!」
おおっと。さらに柄にもなく二度目のクソデカ独り言だ。
そう、明日から大手レコード会社──【ユニバース・ミュージック】主催の新人発掘歌唱力コンテストが始まる。隔週ごとに通過者を絞っていき、2月の第4日曜日に優勝者を含め各賞の受賞者が発表されるという段取りだ。
そこに俺も審査員として加わる。とは言っても、審査員を務めるのは最終日だけだ。多忙を極める俺だから仕方がないが、出来れば1週目から審査員の席に名を連ねたかった。
何故なら、俺が待望した能登鷹さんがコンテストに出るからだ。本来の実力を出せば彼女が最終日まで勝ち進むのは容易だろう。
だけど……事はそう上手く運ばないだろう。能登鷹さんの"傷"は癒えた訳じゃない。俺は彼女に歌う為の大前提、ほんの少しの自信を与えたに過ぎないのだから。
「……俺に出来るのは、信じて待つだけか」
三度目の独り言は先の二つよりも静かに呟かれた。それと同時に足も止まる。
すっかりと闇に世界は染まり、夜風が駆け抜けて少し寒さも感じる帰り道。静寂に満たされた空間の中で俺は思い出す。
能登鷹音唯留──衝撃的な歌声で、俺の心を震わせてくれた女の子。実際に離すと謙虚でちょっぴり気が弱くて、どこにでもいるような普通の女の子。
そんな彼女とこの短期間で様々なことがあった。泣かせてしまって自虐の念に襲われたこともあった。あの涙に塗れた顔を、俺はきっと一生忘れないだろう。
「でも……だからこそ、見たいんだ。君の……心の底から笑っている顔を。君の、輝いている所を」
夜空を見上げる。
満天の星空に向かってそう呟きながら瞳を閉じた。
思い浮かべるのは能登鷹さんのこと。彼女の歌声に、泣き顔に、そして……まだ見ぬ弾けるような笑顔。
「……頑張れ、能登鷹さん……!」
瞳を開けると、夜空に流れた一筋の光に俺はそう願ったのだった。
「──で、こんな時間になんで電話して来やがってんだてめぇ……」
「何よーあたしからの電話なのに嬉しくないのー?」
「嬉しい訳あるかよ! こっちは練習で疲れてクッタクタなんだよ!」
能登鷹さんのことを祈り、穏やかな眠りについていた所で俺は悪魔の鬼電によって叩き起こされた。マジファッキューカス幼馴染の甘粕清蘭め。もうオフトゥンの中ですやすやと夢の世界に入るだけだったのに!
「まーまー練習お疲れさんー。いよいよ明日だよ! コンテスト!」
「知ってるっつの。お前毎日そのことばっかで電話してくるじゃねえか。ってか寝なくて良いのか? 明日早いんだろ」
「まー大丈夫っしょ! いざとなったらモーニングコールお願いねー! 倫人朝早くからランニングしてるんだし」
「俺のランニングは体力づくりの一環であってお前を起こす為にあるんじゃない。早く寝ろ以上じゃあな」
「待ってー! もう何よー!? 幼馴染のよしみでもう少し付き合いなさいよ! ってかあたしと電話が出来る光栄を噛みしめて感謝しなさいよ!」
「注文の多い料理店でさえそんな無茶なこと言わねえぞ!? 夜遅いししかもこっちはもう寝てるって時に26回も掛けて来やがって感謝もクソもあるかこのカス女が!」
「あっ、ひどーーーい!! またカス女って言ったー!! 倫人の馬鹿! クズ男! 顔に反比例する性格の悪さね!!」
いや本当にそれをお前が言いやがりますか清蘭さんや。少しは自分を省みるってことが出来ないんですかねこいつは……。
怒る気力もすっかりと消え失せ呆れ果てた俺はしばらく清蘭の(小学生レベルの)罵倒を聞き流しつつ、声色を変えて尋ねる。
「……で、本当は何で電話なんて掛けてきたんだよ」
この質問は茶化す訳にはいかなかった。
能登鷹さんのことばかり気になってはいたが、明日のコンテストは清蘭にとっても重要だ。これまで芸能界入りなど全く考えておらず、"一般人"だった清蘭にとっては初めての"実力が全ての世界での勝負"なのだから。
秀麗樹学園という閉じられたコミュニティではなく、広い世界の舞台にたっての贔屓目無しの真剣勝負、それに身を投じる緊張感から流石の清蘭も不安になったんじゃないか……と、俺はそんなことを考えていた……。
「え? そんなの決まってるじゃん! 今の内に倫人から謝罪と称賛の言葉を聞いとこーって思ったから電話したんだー!」
「……は?」
などと、その気になっていた俺の姿はお笑いだったぜ。清蘭の意味不明な言葉のあまり、ベッドの上で俺は胡坐をかいたまま固まってしまう。
「だってさー、明日から始まるコンテストはもちろんあたしが優勝するっしょ? それでそっからあたしが"日本一のアイドル"に一気に駆け上がって、倫人を蹴落としてナンバーワンになるでしょ? そうなるとあんたは失業して路頭に迷うからね! だから今の内にこれまでカス女とか言ったことを謝って、あたしを褒め称えなさい。そしたら養うくらいは考えてあげても良いからねー!」
にへへ、と恐らく電話の向こうで笑っているであろうあいつに俺は呆れを通り越して尊敬すらした。こいつの辞書に"緊張"とか"謙遜"とかそういった文字はないのだろう。
どこに行こうとも、どこを目指そうとも──清蘭は甘粕清蘭だ。
俺はフッと微笑むと、清蘭への返事を始めた。
「結果も出してねえのにほざくなよカス女が。やれるもんならやってみやがれ」
「あー! 全っ然あたしの話聞いてないじゃん! ってかまたまたカス女って言って──」
「じゃあもう寝るわおやすみ明日せいぜい頑張れよ」
再び始まりそうになった文句の嵐を飄々と躱しつつ、俺は清蘭との電話を終えた。しっかりとサイレントモード且つ電源を切って。
「……ったく。その自信と図々しさを能登鷹さんに分けてあげて欲しいくらいだ……」
最後にそう呟くと、しっかりと布団を被って改めて俺は眠りについたのだった。
「……明日、なんだよね……」
仰向けとなってベッドに寝転がった私は、天井を見つめながらふと呟く。
目はしっかりと開いているし、意識だってしっかりある。だけど、未だに夢なんじゃないかって思う時がある。
明日、私は"あの日"以来誰かの前で歌声を披露する。
その事実を今こうして感じて眠れない。それなのに夢だと思ってしまう、ちょっと変な感覚を覚えてしまっている。
『これで分かった? あんたの歌は──人を不幸にするんだよ』
『あんたの歌じゃ──誰も幸せにならないんだよ』
「っ……」
けれど、この瞬間だけは間違いなく現実だと感じてしまう。
工藤さんと下水流さんの言葉に胸がズキッとするこの時だけは。
「……歌っても……良いのかな……」
九頭竜さんに自信と勇気を貰った。同級生の方の九頭竜さんとアイドルの方の九頭竜さんの両方に。
だけど……それが霞んでしまいそうになるほど、やっぱりあの時の言葉は私の胸を抉る。痛い……辛い……見ないようにしてきた暗い感情が湧き出してくる。夜の暗さが全部、私の感情を表しているようにさえ思えた。
「……うぅん。駄目だ……」
こんな気持ちのまま歌ったら、九頭竜さんが褒めてくれたような歌声なんて到底出せない。始まる前からこんなに弱気だったら……せっかく背中を押してくれた九頭竜さん達に申し訳ない。
私は……歌う。
歌わなきゃ、いけないんだ。
もう次が最後になるかもしれないけど……でも。
九頭竜さん達の為に、歌うんだ。




