"賭け"の始まり
「えっ!? ええっ!!? えええっ!!!??」
何度も名刺と顔を見比べては、その度に驚きの声が増していく能登鷹さん。そんな彼女の素のリアクションを俺は──"日本一のアイドル"は表情を一切崩すことなく見つめる。
やべえ元の素材の良さもあってめっちゃ可愛い。頭撫でてあげたい。
……が、たとえそう思ったとしても、それを顔に全く出さないのがプロだ。それに、今回"ガチ陰キャ"ではなく、正真正銘の"日本一のアイドル"として尋ねたのは、彼女の可愛さを堪能する為でもない。
ヘマは出来ない。今からが──賭けの始まりだ。
「突然の訪問になり、誠に申し訳ございません」
「あっ、いっ、いいいいえっそんなっ! とりあえずお茶を……ってここ図書室だったっ! あわわどうしようえっとええっと……とりあえずおかけください!」
「ありがとうございます」
ひょえーテンパる能登鷹さんマジ可愛いわ……。清蘭はただただうるさいだけの奴で騒いでも可愛げなんて皆無だけども、能登鷹さんのこの慌てっぷりは小動物を彷彿とさせるな。飼いたい。
心の中で存分に癒されつつ、俺は彼女が用意してくれた椅子に座る。まだあわあわと慌てながらも、能登鷹さんも急いで俺の対面に座った。
「え、えっと……本日はどのような御用件でいらっしゃるのでございますか……?」
「そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ。敬語が寧ろ変な感じになってますし」
「もっ、申し訳すみません! ま、まさか九頭竜倫人さんご本人と会えるなんて思ってもいませんでしたから……!」
「ははは、驚かせてしまって申し訳ございません。では、本題に入りましょうか」
「は、はい……」
緊張の面持ちのまま、能登鷹さんは真っ直ぐと俺を見つめる。
俺は"日本一のアイドル"らしく、彼女の眼差しを受け止めながらも毅然とした表情を貫く。……だが、やはり心の中では、俺もまた緊張していた。
「俺が本日秀麗樹学園を尋ねたのは、あなたにお話があるからです。能登鷹音唯留さん」
以前……"ガチ陰キャ《僕》"だった時の九頭竜倫人は失敗してしまった。彼女の傷口を抉り、悲しませて、涙まで流させてしまった。
「わっ、私に……ですか?」
「はい」
だから、今回こそは。
"日本一のアイドル"の時は、絶対に失敗出来ない。二度の失敗は許されない。
いや……違う。必ず成功する。してみせる。
俺の輝きで、魅せた人々全員を輝かせる。それが九頭竜倫人だ。
「2月14日の午前10時から、大手レコード会社が主催する歌唱力コンテストがあります。それに……──あなたも出場してみては如何でしょうか、能登鷹音唯留さん」
そして今度こそ、能登鷹さんを輝きのステージに立たせる。
彼女を笑顔にする為に……!
「……えっ?」
数秒経ってから、きょとんとした顔で能登鷹さんが驚く。まだ事態が飲みこめていないのか、その後しばらく沈黙が続いたが、俺は焦ることなく彼女からの言葉を待った。
「わた……しが……ですか?」
「はい。あなたが、です」
ようやく紡ぎ出した彼女の言葉を俺は再度肯定する。驚きと呆然が混じった顔に応えるべく、俺は彼女を誘った"理由"の説明を始める。
「まず、俺があなたを誘う理由についてお話し致します。これはオフレコでお願いしたいのですが……今回のコンテストの審査員には、俺も加わっているのです」
「はぁ……ええっ!? 九頭竜倫人さんが!?」
「そうです、アイドルとしては異例のオファーでしたが。それで審査員としてどのような方達が出るのかを事前に参加者リストを拝見していた所、この秀麗樹学園からもたくさんの生徒の皆さんが出場するというのが分かりました」
「そ、そうですよね……。教室でもちらほらとコンテストに出るって話してる人を見かけたことはありますし……」
「秀麗樹学園の話は、かねてより聞き及んでいました。将来芸能界のスターになるべく、日々研鑽し励む優秀な生徒の皆様が多いとか……。図書室に来る前に様々な部の方を極秘に見学させて頂いていたのですが、確かに事実でした。レッスンのクオリティに加え各生徒の皆さんのポテンシャルは、下手な芸能事務所のそれを遥かに凌駕していると実感しました」
「そ、そうなんですね。自分のことじゃないですけど、嬉しいです」
「すみません、話が逸れてしまいました。それで、この秀麗樹学園の生徒の皆さんも多くの方が出場することとなって、俺個人として楽しみにしているんです。……ですが、参加者リストの中に……あなたの名前はなかったんですよ、能登鷹さん」
「!」
「これはとある匿名希望の生徒の方からの情報なのですが、あなたの歌声を聞いた時に忘れられないくらい感動したそうです。その生徒の方は本当に感動したらしく、俺に直談判で熱弁してくれるほど、あなたのことを勧めていました」
能登鷹さんの表情が変わる。
驚きからとある確信を得たようなその顔は、とある匿名希望の生徒というのがガチ陰キャだと察したのだろう。
「それほどまでの歌声を持っているのなら、是非とも俺の方からもあなたの参加をお願いしたい、そう思って本日は訪ねさせて頂いたんです。……どうですか? 参加してみるつもりはございませんか?」
表情が固まった能登鷹さんに、俺は静かに問いかけた。
目は俺の顔を見ているが見ていない。恐らく瞳に映るものよりも、脳裏に浮かぶもののことを考えているのだろう。俺ではなく僕の方を。
様々な想いが駆け巡っているはずだ。僕に歌声を聞かれたその時から、僕に涙を見せたあの時、……そして過去にあった辛い出来事も。
そうして導き出す彼女の答えを、俺はただ無言で待った。俺がここに来てから初めて、図書館にらしい静寂が訪れる。
「……お断り……させて頂きます……」
静けさに染み入るようにして彼女の口から言葉が出た。
結果は駄目だった。それほどまでに、過去の出来事が彼女を縛り続けている。捕え続けている。彼女を、可能性という名の鳥籠の中に。
──けど舐めんなよ。今の能登鷹さんの答えなんざ、とっくに予想済みなんだよ。
教えてやる。予想を超えてこそ俺が……九頭竜倫人だってことをな。
「断るのですか?」
「はい……。き、きっとその人は勘違いしてるんですよ。誰かの歌声を私の歌声と勘違いしてるんです」
「ですが、匿名希望の生徒さんが話すには誰もいない屋上で聞いたのだから、間違いはないと」
「……!」
「あなたの歌声が、本当に綺麗で、美しくて、ずっと忘れられない、そう言っていました」
能登鷹さんを泣かせてしまったあの日に伝えられなかった言葉を俺は伝える。"ガチ陰キャ"としても"日本一のアイドル"としても、彼女の歌声に抱いた正直な感想を。
「爽やかに吹き抜ける風のように透き通った性質、かと思えばしっかりとした芯もあってオペラを聞いたような重厚感が耳に残る。矛盾し本来は同居することのない2つの要素を兼ね備えたその声はまさに神に愛されたと言っても過言ではない……と、目を輝かせて話してくれていましたよ、"彼"は」
「っっ……」
瞳が揺らぐ。
それが彼女の心を良い方向に揺らしているものだと俺は信じ、さらに話す。
「彼の話は収まる所を知りませんでした。あなたの歌声を称える時に、こうも言っていました。天使の歌声、天性の歌声、神に選ばれた歌声、神に愛された歌声、天地乖離す開闢の歌声、五臓六腑に染み渡る歌声……」
「……へっ?」
「まだあります……新たな生命の息吹を感じさせる春風のような歌声、混沌と諦観に包まれた三千世界に光明をもたらす菩薩様の導きの如き歌声……」
「えぇっ……?」
「まだまだ……透き通る伸びやかな空に虹をかけ海は澄み渡り人類に平和をもたらす歌声、たとえディストピアでも光輝く未来を決して諦めない勇敢な少女の眼差しのような歌声」
「ふええっ……!?」
「さらには! 霧の彼方の真実すら照らし出す絆の力にあふれた歌声、凍てつく街に灯るランタンのように温もりを感じる歌声、ドリップコーヒーのように日常生活に溶け込んだ声、戦死者のさまよえる魂を浄化させる歌声──」
「わっ、わわわっ分かりました! 分かりましたからっ! もう止めて下さいぃぃ~っ!」
気づけば顔を真っ赤にした能登鷹さんが手をぶんぶんと振り回して続きを言うのを止めさせていた。うん、本当に可愛い。
それはそうとして、俺の作戦は成功し、能登鷹さんは恥ずかしさのあまりぷるぷると赤面している。まず彼女に必要なのは褒めることだったんだ。あの時俺が最初に言うべきは"歌わない理由"じゃなくて、"歌を聞いた感想"で良かったんだ。
俺の言葉を止めた彼女ははぁはぁと息を切らしている。よほど必死だったのだろう。それでも顔の赤色は少しも引かず、耳まで染まり切っていた。
「あ……あの……本当にそう言っていたんですか……?」
「そうですが……俺や"彼"の言葉を疑っているんですか?」
「い、いえ! そんなことありません! そうですよね! 本当に言って下さってたんですよね!! 本当に……えへへ」
はいィ頂きました「えへへ」と同時にニヤけた顔!
これはかなりの好感触だ。そして能登鷹さんの思いこみを解消する1歩でもある。
君の歌は、人を幸せにすることが出来るんだ能登鷹さん。
こんなちっぽけな俺の感想だけど。
一度君を傷つけて泣かせてしまった俺の言葉だけど。
それでも……信じて欲しい。
俺は君の歌に感動したことを。
そう願いを込めた眼差しを能登鷹さんに向ける。
えへへと浮かれていた能登鷹さんも俺の視線に気づき、すぐに気を取り直す。
その表情に、断った時の憂いはなかった。
「……改めて、お返事を聞かせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「……はい」
「どうしますか、"能登鷹音唯留"さん」
俺がそう尋ねると、おもむろに能登鷹さんは後ろで結ばれた髪を解き、真っ直ぐに下ろす。漆塗りの黒髪はさらさらと流れ、目が惹きつけられるほど綺麗だった。
その次にゆっくりと赤縁眼鏡に指をかけると、ゆっくりと外す。遮るものがなくなった黒色の瞳が、俺を真っ直ぐに見つめる。
「私は……コンテストに……──参加します」
何も着飾らない、正真正銘の能登鷹音唯留はそう答えたのだった。




