逆襲の糸口は。
『──まぁ、それでも遊び道具はまだいるけどねー能登鷹がさー』
すれ違った2人組の女子の内の1人が放った言葉。
キャッキャッとはしゃぎ、奴らが口走ったのは無邪気な凶器だった。自分達の間だけで楽しんでいるだけの、俺に聞かれることなど全く考慮していなかったものだった。
『ッ──!』
しかし、それは間違いなく俺の逆鱗に触れた。
目を見開いて歯を食いしばる。冬だというのに、真夏の炎天下の中にいるよりも身体は熱を帯びて。
気がつけば俺は駆け出していて……彼女について言及した1人の女子の胸倉を掴み、壁に打ちつけた。"ガチ陰キャ"であることもとうに忘れ、激怒の炎に身を焦がせながら追及する。
最初は「キモい」とか「離せ」とか暴れていた女子達も、俺の気迫に呑まれ震え上がり、遂には泣き出してしまった。遂には混乱し、泣き出す始末。
だが……許すか、絶対に。何があっても。
お前らが能登鷹さんの過去も今も未来も奪った誰かに関係しているのは違いない。だから話せよ──鬼気迫る顔で真実を聞き出そうとするも、奴らは泣きじゃくるだけのカスと化し、事態は進展しない。だが、俺の怒りもまた収まらない。
『喚くなカスが──』
この時、俺は思い知ることになる。
俺の怒りは、能登鷹さんの為に抱いたものではなかったことを。
自身の苛立ちを晴らす為だけの、偽りの正義感であったことを。
冷徹を極めた顔と共に放った右拳が、それを物語っていた。
「……危なかった……」
──なんてことはせず、俺は何事も起こさずにあの2人組とすれ違っていた。今はもう後ろを振り向いても2人の姿はおろか、喋り声すらもない静寂な廊下があるだけだ。
あれだけ人を殴りたくなる衝動に駆られたのは生まれて初めてかもしれない。幸いにもそれは、拳に走った痛みが止めてくれた。力いっぱい握り締めたせいで血は滲んではいるけれども。
だけど、今思えば本当に殴らなくて良かった。殴った所で事態は打破されない、どころか悪化の一途を辿るばかりだっただろう。清蘭と同じかそれ以上のカスムーブだったから、我慢の限界に近かったけど……よく踏みとどまったぞ俺。
現状、あいつらの話を調べていくのが唯一の手掛かりだ。これまで以上に慎重な行動をしなきゃ……そう思いつつ、今日は大人しく俺は帰った。
「……待っててくれ、能登鷹さん」
その一言を、誰もいない廊下の中に残して。
「おっはよー倫人ぉーっ!」
机に突っ伏したまま、打開策を考えていた所でまたもいつものうるさい声が僕を邪魔する。
「……ぉはよう……甘粕さん」
「あら、挨拶を返すなんて珍しいわね。これまでの無礼も考えたら、これから毎日挨拶を返し続けてようやくイーブンって感じだけど!」
これから毎日なんてゾッとすることを言われたけど、とりあえず甘粕さんはこうやって機嫌を良くしといてなるべく早く話を終わらせるに限る。だから挨拶を返した訳だけど……。
「あのねー、昨日は881プロであたしの歌唱力をテストしたんだよね。それで社長がまたべた褒めでさぁ~あたしの才能は天井知らずだったって訳!」
「はぁ……」
「そんでさー、いっちょ腕試しってことで、なんか大手レコード会社主催の歌のコンテスト? かなんかにエントリーすることになってさ~! 今から楽しみだなぁ本当にー! あんたもそう思うでしょ」
「はぃ思います思います」
テキトーに肯定しておけば、甘粕さんは深く考えずに満足するはず。その狙いは的中し、「じゃあそんだけだから!」と言うと僕の元から去って行った。
あーそう言えば、なんかそんなコンテストもやるとか聞いたなぁ──と、俺は頭の中でぼんやりと思い出す。新人発掘の為のコンテストで、無所属か所属期間半年以内の女性限定の大会……だったか。既に頂点に上り詰めた"日本一のアイドル"からすれば無縁の大会だから、今の今まで忘れてたな……。
「……これに出れば……優勝間違いなしなんだけどなぁ……」
誰にも聞こえない小声でボソっと呟く。
優勝間違いなしなのは清蘭ではなく、当然能登鷹さんの方だ。社長にべた褒めされたか何か知らねえが、何度かカラオケで清蘭の歌声を聞いたことのある俺からすればあいつのは素人に毛が生えたようなもんだ。控えめに言って881プロの社長は早急に耳鼻科を受診した方が良い。
それはそうとして、本当に能登鷹さんが出ればなぁ……とは思う。出ればぶっちぎりの優勝をし、瞬く間に輝かしいスターダムに上り詰める……そんな未来しか俺には見えないんだが。その可能性は、今のこの状況では皆無だ。とは言え、焦った所で仕方ない……1つ1つ、やるべきことを地道にやるしかない。
「ええっ、あの大会甘粕さんも出るんですか?」
「うわー終わったー! デビュー出来ないよー!」
「そんなの絶対に甘粕さんが優勝じゃないですかー!」
クソ……案を考えたいのに、今度はクラスメイトのカス共の声が耳障りだ。
清蘭如きが優勝? マジでお前ら全員耳鼻科言った方が良いぞ。耳糞が詰まりまくってっから。ポテンシャルは確かに相当だが、今度の大会に間に合うほどではないだろう。まぁ清蘭と一緒に目糞鼻糞な泥仕合を繰り広げてくれ。
「んっ?」
少々ほくそ笑んでいた所で、携帯電話が振動したのを感じた。
その後、誰にも気づかれないようにそろりそろりと教室を出て行く。向かった先はトイレだ。無駄に金をかけて綺麗に整えられた秀麗樹学園のトイレは実に清潔で過ごしやすく、全体も芳香剤の良い香りで包まれている。
その中で個室に引きこもり、俺は携帯電話の画面を注視する。ここまで警戒するのは、携帯電話が鳴る時は決まって"仕事"の内容の連絡が入るからだ。
「差出人は……支倉さんか」
【アポカリプス《俺達》】の総合マネージャーであり、同時に俺担当でもある支倉さんからの連絡だった。有能で頼り甲斐のある人だが、如何せん割と無茶な仕事も引き受けてくる。まぁ結果的にそれが成長に繋がったりもしているので、別に恨んでいる訳ではないが。
「今回はどんな無茶な仕事を引き受けたんだろうな……ん?」
顔文字をふんだんに使ったあの人らしい文面が続く中、仕事の"内容"を見て俺は目を丸くする。それが、アイドルがやるには異色の仕事だったから。
「……審査員……だと……?」
個室内で便の音をごまかす為のクラシック音楽に包まれながら。
仕事の内容に、俺は稲妻のような衝撃を受けていたのだった。
「……」
今日もまた、私は静寂の中にいる。
他に誰もいない寒空の下。この学校の一番上……屋上に。
教室の喧騒から離れて、私は風の音だけが支配する静寂の中にいる。
ここに来るのは、教室の空気が少し苦手なのと……あともう1つ理由がある。
「あー、あー……」
それは、人知れず歌う為だ。
喉の状態は万全、私の思うような音を奏でてくれている。
後は頭の中にあるだけの旋律に、しっかりと"形"を与えるだけ。
お腹に少しだけ力を入れて、口を開いて声を出す。それだけで、私の頭の中にある"狭い世界"は"広い世界"への旅に出る。
眼鏡を外して、真っ直ぐと世界を見つめる。青空の下に広がるのは秀麗樹学園から見える綺麗な街の風景。
さぁ、行っておいで。私の"狭い世界"
そう思って、息を吸いこんだ。
『だったらなんで君は……その歌唱力を披露しないんだ』
「っ……!」
だけど、奏でられるはずだった旋律は不発に終わる。
声をせき止めたのは、ある人に言われた言葉だった。
私にとっての常識を、不可能を壊して。革命とも言える存在感で人々を魅了した……あの人、九頭竜倫人さん。
あの人の言葉が、ずっとずっと頭の中に残っている。印象的なメロディーがずっと響くように。
本当に凄かった……九頭竜さんは。そんな人から、あぁ言う風に言って貰えて嬉しかった。
「……でも……それ以上に……悲しかったな……」
九頭竜さんがあそこまで言ってくれたのに、私は何も応えられなかった。結局、何も出来なかった。
いや、唯一出来たことと言えば……泣いたくらいだったかな……。
「……情けないな……私……」
今日は何も歌えなかった。
自分1人だけに向けた歌すらも、歌えなかった。
私は能登鷹音唯留
──籠の中の、鳥だ。




