俺がするべきことは──
「俺が……悪かったんだよっ……! どうしてあんなに魅力的な声を持ってるのに話題になってないんだって、湧き上がってきた好奇心に逆らえなかったんだよ!」
清蘭がきっかけとなって、俺の心は決壊する。
「俺はあの子を輝かせたかった……あの子が本来いるべき場所に、本来持つべき輝きを、その手に握らせてあげたかった……それなのになんだよ、あのザマはよ!?」
止まらない。収まらない。
漏れ出る。溢れていく。
自責の念と自己嫌悪の奔流が、次から次へと口から出ていく。
「能登鷹さんを輝かせる? 何をカッコつけてやがんだ! 俺がやったのはただあの子の傷口を平気で抉って踏みにじっただけじゃねえか! 笑顔にするどころか泣かせてんじゃねえか! 本当に笑えるぜカスが! クズが!! クズカスがよォッッ!!」
自分に対して、罵詈雑言を吐き続ける。叫ぶ俺に清蘭は何か言っていたのかもしれない。叫び続ける俺に「どうしたのよ」とか「イミフなんだけど」とか、また無視される怒りをぶつけていたのかもしれない。
でも、この時の俺の耳には笑い声しか届いていなかった。
「クハハッ、クハハハハハハハハハハハハァ!!」
自分を侮蔑し嘲笑う、自虐にまみれた汚らしい笑い声しか。
「何が日本一のアイドルだぁ? 何が九頭竜倫人だぁ!? 今ここにいるのはたった1人の女の子すら笑顔に出来ねえ、寧ろ泣かせて傷つけるようなロクでもねえクズカスじゃねえか! クハハハハハハ生きてて恥ずかしくねぇのかクズカス君~~~!? 君は今この世で最も最低最悪ですよ~~~!!」
その場に刃物があれば、俺は自分の胸を抉っていただろう。何度も何度も刺しながら、酷く醜い笑い声をあげ続けるのだろう。
日本一のアイドルとしてのプライド──見てくれた人を笑顔にして、さらに輝かせる。その人が1歩でも前に進めるように。
それをへし折られた俺は、目を覆いたくなるくらい醜く、そして脆かった。これまでも何度かこうなったことはあった。全てが順風満帆だった訳じゃない。仕事が上手くいかないストレスが溜まりに溜まって大爆発する時はこんな感じだ。
それでも、ここまで荒れるのは本当に久々だった。いつぶりなんだろうかと思うほど、この時の俺は荒れに荒れた。
そうして俺は──床に拳を打ちつける。
「死ねよッ、なあッ死ねよッ!! なァに真逆のことやってんのかなァ〜? 人を幸せにするんじゃなくて不幸にしちゃってェ〜いや迷惑千万極まりないねえ〜? クズカス君やっほー息してるー? あーそれ俺でしたァァァ!! クハハ、クハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」
嫌悪、自責、そして失望。
己への負の感情を爆発させながら、俺は床を殴り続けた。
痛みが走っても、血が滲んでも、鈍い音を屋上に虚しく響かせる。
「クズカスクズカスクズカスクズカスクズカスクズカスクズカスクズカスクズカスクズカスクズカスクズカスクズカスクズカスクズカスクズカスクズカスクズカスクズカスクズカスゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ──」
手の届く距離にいた女の子を。
自分が救えるはずだった、変えられるはずだった女の子を。
自らが傷つけて、泣かせる。
止まらない。収まらない。
漏れ出る。溢れていく。
拳から出る血と共に自己嫌悪の濁流に呑まれ、もう何も見えなくなっていた。
ファンからの声援を受けて、ステージの上で輝くアイドル。
その時の姿は光そのものだ。皆を笑顔にし、希望を抱かせ、幸せにする。
だけど……今の俺は対照的に真っ黒だ。人間の負の部分を凝縮して絞り出した、汚さと醜さに溢れた存在に成り果てていた。
闇の中に悲痛な泣き顔だけが浮かぶ。
能登鷹音唯瑠
俺が傷つけた彼女の顔は、さらに闇の中に埋もれて消えていきつつあった。
──────バチンッ──────
彼女の泣き顔は消え去った。
だが、消失したのは彼女の泣き顔だけでなく……心を包み込んでいた闇もだった。
「………………いてぇ………………」
ほんの少しして、俺の口から罵倒以外の言葉が漏れた。
本当に単純で自然と出た感想だった。"日本一のアイドル"でもなく"ガチ陰キャ"でもなく、ただの九頭竜倫人としてのありのままの言葉。
じんじんと痛む部分を手で押さえる。痛みも、それが発生している箇所にも、どこか覚えがある。その答えに俺が辿り着く前に……。
「あんた、さっきから何言ってんの?」
答えは自ら名乗り出た。
少々怪訝な顔をしながらそう問いかけてきた答えに、俺は目を向ける。虚ろな目にも、その顔は紛うことなき美少女として映った。
それと同時に揺るぎない──甘粕清蘭《幼馴染》の姿として。
「清蘭……」
「いや、マジで意味分かんないんだけど。頭大丈夫? 急に自分のこと責め始めたと思ったら、床ガスガス殴り始めるんだもん。ちょっとってかだいぶ引いたし……」
ほとほと呆れた様子で溜息を吐く清蘭。とは言え無理もない。何も知らない清蘭からすれば、俺の行動は奇行にしか見えないだろう。
反論など出来ず、俺は黙り込む。その後も続く清蘭の小言を受け入れながら、頬に未だ残る痛みを噛みしめるだけ……噛みしめるだけ……?
「……おい、清蘭」
「ん、なにー?」
「お前さ……さっき俺にビンタした……?」
「うん。そだよー」
「……なんで?」
「あたしが叩きたくなったからー」
「あ、そう……」
「うん」
「……」
「……」
「いやっ、なんでだよぉおおおぉおおおっ!?」
「え? だからあたしが叩きたくなったからだけど」
絶叫して俺が聞き返しても、きょとんとした顔であのカス女は同じ返答をしやがった。
冷静になればなるほど、どうして俺があいつの気分如きでビンタを喰らわなきゃいけないのか。憤慨に身を焼きそうになる。
「俺のこと意味分かんねえって言ってたけど、俺はお前が意味分かんねえぞ! そもそも気分でビンタすんじゃねえ自己中女ァ!」
「そんなこと言ったって、そういう気分にさせたのは倫人の方だもーん」
「どこにだよ!? さっきの俺のどこに、お前がビンタしたくなる要素が──ぶふへぇ!?」
今度はさっき受けたのとは逆の頬にビンタをお見舞いされた俺。しかも先程よりも強烈さが増していたせいで足腰に来て、たたらを踏んで俺は尻もちをついてしまった。
またビンタしやがったこのカス女……! もう我慢出来んとすぐさま立ち上がって反撃に転じようとした瞬間、俺の目の前にぬっと顔が現れる。
「何をウジウジしてんの! 今の倫人、ガチ陰キャの時よりキモいんだけど!!」
見慣れた幼馴染の、見慣れた怒り顔。
そのはずなのに俺は圧倒され、何も言えなくなっていた。
「どこの誰を傷つけたとか泣かせたとか、そんなのあたしにとっては心底どうでも良いわ。でも……今の倫人を見てるとホンットにイライラする! だからあたしはビンタしたの!」
顔の距離は変わらないまま、可愛らしい怒り顔はビンタの理由について話し始める。やり返そうとしていた俺の考えはとっくに消し飛ばされていた。
「自分をクズだカスだって言って、それで足を止める程度の男だったの!? 終わったことをいつまでもほじくり返して、出来なかったことをくよくよ悩んで、それで終わる程度の男だったの!? 笑わせないでよ! そんなショボい男がよくもあたしをカス扱いしたわね!」
言うまでもなく、清蘭は怒っていた。
だけどその怒りは、俺が俺自身に向けた怒りよりもよっぽど熱が籠っていて、ずっとずっと真剣なものだった。顔から、声から、気迫から、清蘭の全てがそれを物語っている。
「1回傷つけたからってなに? 1回泣かせたからってなに!? あんたがすべきことは、それをずっと悔いて立ち止まること? 違うでしょ! そんなダサいクズがあんたじゃないでしょ!! あんたは──日本一のアイドル、九頭竜倫人でしょーーーーーーーーっっっっっ!!!!!」
清蘭の叫び声は響き渡った。
屋上中に。
広がる青空に。
……そして、俺の心に。
「……好きになったあたしの気持ちを……裏切らないでよね……」
最後にボソボソっと何かを言うと、清蘭は俺から離れ屋上を後にした。
その後、俺は空を見つめ続けた。
酷いくらい青くて、どこまでも広がり続ける空をずっと。
心にずっとへばりついていた闇は、すっかりとなくなっていた。
それでも、目の奥に残るあの泣き顔は未だに残っている。
いや、残さなきゃいけなかった。さっきは忘れようとしてたけど、忘れちゃいけなかったんだ。
本当に俺がするべきことを、見失わない為に。
「……ありがとな、清蘭」
すっと立ち上がり、今はこの場にいない幼馴染への感謝を呟く。
伝えられなかった今の言葉は、いつか伝えるとして。
「やってやろーじゃねーか。俺は……"九頭竜倫人"だからな……!」
俺は笑った。
今度こそあの子を、能登鷹音唯留を輝かせてみせる──その決意を抱いて。




