息を飲むほど綺麗な、見慣れたはずの顔。
「ちょっとー!! 何してやがんの倫人ーっ!!」
「え? 何が?」
「あたしとのデートだってのに……なんでそんなクッソダサい格好で来てる訳ーーーっ!!?」
我が幼馴染、甘粕清蘭の盛大な罵声がクリスマスの忠犬パチ公像広場に響き渡る。街ゆく人達は振り返り、聖歌隊すら思わず歌うのを止めていた。注目を集めるな清蘭、勘弁してくれ。
クッソダサい格好とは言ったが、これでも自分が出来る限りの一般男性コーディネートをしたつもりだ。デニムのジーンズに黒のダッフルコート、靴もそれらに合わせた地味目な色のブーツ。
どんなデートスポットにも対応出来る無難オブ無難、不動の安定感を誇っている。
「それをクッソダサいって、お前今この瞬間に世の男をどれだけ敵に回したんだよ」
「そんなの知らないし! あたしがクッソダサいって言ったらクッソダサいの! あーもうダサダサダサ! 最悪なんだけどもう! まぁ顔は仕上げてきたみたいだから、ギリ及第点って感じかなぁ。あたしの広い心に感謝しなさいよね……はぁ」
いや溜息吐きたいのはこっちだよ……。
何せこちとらライブ終わりなんだ。お前と合流する1時間前までは歌って踊ってたんだぞ俺は。全身がどれだけ筋肉痛に襲われると思ってるんだよ。
とことん上から目線でワガママで自己中。相手の都合は考えず、自分のことばかり優先する。清蘭は本当に顔は最高の美少女なのに性格が最低最悪の”カス”だ。
とは言え、もう後には引けない。デートをしなければそもそも俺が”日本一のアイドル”だということを周りにバラされる。コイツの我儘にイラつきすぎて”カス”と言うことだけは何としてでも避けないと。
「あーあーテンションあんま上がんないなー。あたしはバッチリ服装キメて来てんのにさー」
不平たっぷりに言ってるが、清蘭のコーディネートは、モフモフ感溢れる白の可愛らしいコートにイチゴのアクセサリーでデコレーションしたもの。つまり、完全にケーキな見た目だった。俺にイチャモンつける前に自分のそのゲロみたいなセンスを何とかしろ。
とは言え、清蘭ほどの美少女が着れば、あんな糖度高めのファッションスタイルですら魅せてしまう。現に怒声が響かなくなった今、清蘭は周囲の目線を釘付けにしていた。
…って、だからそれはマズいって。人の目を集めれば集めるほどバレる確率が上がる。とっととこの場から動かないと。
「でどんなデートを本日はご所望なので?」
「まずは三ツ星フレンチのお店でフルコースのディナーでしょ。その後は026行ってで色々と欲しい服買ってー、最後はスカイタワーの最上階で夜景を眺める! どーよあたしの完ッ全無欠のデートプランは!」
「よくは分からないけど良いんじゃないか?」
全く、自分のデートプランを喋る時は嬉しそうにしてやがる。
いつもこんな感じなら少しは可愛げがあるんだが。
「でも、このプランかなりお金要るんじゃないか?」
「そこは大丈夫、全部奢りだから、倫人の」
「あーそうなのか……ハァ!? 俺⁉ 俺が全部!?」
「え? そうだけど何?」
「いや何じゃねえよ!? 何でさも当然みたいな顔してんだ!?」
「デートの時に男が奢るのは当然のことでしょ? ってかこんな可愛いあたしに払わせようなんて思ってたの? 非常識過ぎないそれバッカじゃん。お金は当然下ろしてきたでしょ? 倫人だったらたくさん持ってんでしょ。あ、あとあたし行きの電車賃以外は財布に入ってないから帰りの電車賃もねー。ってか行きの電車賃もちょーだい!」
何なんだこいつは……!? この……自己中怪物は……!?
俺は絶句した。清蘭のあまりの自己中さ、非常識ぶりに。
自分の意見に微塵も疑いを持っていない。その様はある種純粋無垢な子どものようだ。しかし、こいつは既に高校二年生、学校生活を通してそれなりに社会の規範というものは学んでいるはず……。
だがこの曇りなき眼……こいつ”マジ”だ。お、落ち着け俺。念の為に30万円は下ろして来たんだ。
大丈夫、支払えないという最悪の事態は起きないはずだ。……たぶん。
「……はぁ。分かったよ。払うよ、払えば良いんだろ!」
「わぁーーい! 流石は神様仏様倫人様っ♪」
「うおっ、急に抱きつくなよ」
「なーに言ってんの。デートなんだからっ‼」
「確かにそうだけど……ってかいてえいてえいてえ! 折れる! 離せ!!」
「何よー日本一可愛いこの清蘭ちゃんと腕組めんのよ? 感謝してよね〜」
ちくしょッこいつ全然離れない! 万力みたいな力で腕を締め付けて来る! 筋肉痛を容易に上書きするほどの激痛に襲われるッ‼
骨折り損ばっかで全然儲けが出ねえ! 死ぬほど痛いし、叫ぶと人の目を集めてしまうし!
「とにかく離れろ清蘭ーーーっ‼」
「恥ずかしがらないでってば。きちんと恋人務めてよねーっ! それじゃ、いざクリスマスデートへさぁ行くぞーーーっ‼」
「うぎああああああぁああーーーっ‼」
清蘭の締め付ける力はますます増して。
折れたかもしれない、そんな不安と痛みに涙しながら俺は聖夜の街へと繰り出して行ったのだった。
「ふーっ! 買った買ったーっ!! 清蘭ちゃん大満足ーっ‼」
「……やっべ」
上機嫌で道を歩く清蘭の後ろで、俺は絶望していた。
三ツ星フレンチのフルコースディナーで2人合わせて15万円。
ショッピングで清蘭の欲しいものを片っ端から買って15万円。
合計、30万円。スカイタワー最上階での展望を前にして軍資金が尽きてしまっていた。
甘粕清蘭という女のことを俺は甘く見ていた。まさか一晩のデートでこんなにも金を使わせるなんて。いや、もしかしたら世のクリスマスデートってどのカップルでもこんなに金を使うのか? くっ、恋愛経験がないから分からん……。
「ちょっと倫人ーっ。さっきから黙ってどうしたの?」
「え、えーっと……その……だな……金がなくなった」
「はぁ~!? 嘘でしょ!? まだスカイタワー残ってんだけど‼」
「わ、分かってるっつーの! だけどこれ俺のせいじゃないよな!? お前がそもそも金かかり過ぎるプラン組んだせいだからな!?」
「何言ってんのよバカーーーっ! 30万円ぽっちしか持って来てない倫人が悪いんじゃん‼ もっと持ってこれたでしょ!? だって倫人は”日本──」
その瞬間、俺は清蘭との距離を一気に詰めて。
そして、清蘭の口をそっと手で塞いだ。
「それは、言うなよ清蘭」
「……!」
危なかった……。
あのまま放っておいたら、清蘭は「”日本一のアイドル”なんだから‼」と口走っていたに違いない。人通りの多い所だし、周りの人達に聞かれていたらマズい。一応”日本一のアイドル”としてのオーラはゼロにしているが、俺のファンならば感覚を研ぎ澄ませば気づく可能性も否めないからな。
とにかく、今のはグッジョブだったぞ自分。っと、それはそうとして。
「清蘭?」
口から手を離した俺は、清蘭の顔が赤くなっていることに気がついた。
口を塞がれたことで息が出来なくて苦しかったのか。咄嗟だったから、手段を選んでいる余裕がなかったとは言え悪いことをしてしまったな。
「悪い。息が出来なくて苦しかっただろ」
「……じゃなくて」
「ん?」
「手じゃなくて……その……口でも良かったんじゃないかなって……」
「えっ?」
「ほら……クリスマスだし……それに今日だけは……倫人はあたしの……──恋人じゃん」
世界の時間が止まったような気がした。
周りの賑わいも、雑踏も、何もかもが俺の耳には聞こえない。
道行く人の姿も、何もかも見えない。視界に入らない。
今の俺の意識は全て清蘭に注がれていた。いや、魅せられていた。
息を飲むほど綺麗な、見慣れたはずの顔。
耳まで朱に染まった清蘭の顔に。