【アポカリプス】の練習風景
……まさか、だったな。
姿が同じだった訳じゃない。歌声を聞いた訳じゃない。
転んだ時に聞こえたほんの些細な"悲鳴"……ただそれを聞いただけなのに、あの時俺の細胞はざわめき立った。
そして、瞬時に正解を悟ったんだ。
地味な見た目の眼鏡図書委員──彼女こそが、俺を魅了した黒髪清楚系正当派美少女だったんだ。
「コラァ!! 倫人ォォ!! またステップ遅れてんぞォォォ!!」
「ぐわあぁあぁぁあぁぁあ!! 耳がぁぁ耳があぁあぁぁ!!」
鼓膜を破壊する気かと言いたくなるほどの叫び声が突如耳元でし、俺はゴロゴロと木製の床に転がり込む。
鼓膜に痺れが残る中で、俺に叫んだ赤髪の男子──イアラは胸倉を掴んでさらに畳みかけてくる。
「てめェやる気あんのかァ!? ってかそんなに練習に身が入ってないのが逆に心配だぜ俺はよォ!!」
「い、イアラ! おちゅちゅけ気を静めるんだ!」
「るっせェ!!急に大声出すんじゃねェ!!」
ってかどの口が言ってんだよ!? これだから怒った時のイアラは手が付けられない……まぁ怒らせてしまったのは俺なんだが。
その後も怒涛の勢いで俺はイアラに叱りつけられる。だ、誰か救いの手を……そう願った時。
「イアラ君、そろそろやめましょうか」
「そーそーアーちゃん! リンちゃん困ってるよ?」
「イアラ、その辺にしとかないか?」
金髪の男、緑髪の男、黒髪の男がそれぞれ宥めてくれて。それでようやくイアラは舌打ちをしつつも、俺から手を離していた。
「にしても最近ではこれで二度目ですね。倫人君が練習に集中出来ていないのは」
ところが金髪の男──鬼優がやれやれといった感じに話題をぶり返す。
「だよねー。ちょっと前の時も今みたいな感じだったもんねー」
続いて緑髪の男──ShinGenもうんうんと頷いて。
「あぁ。一体どうしたんだ倫人? 悩みでもあるのか?」
最後に黒髪の男──東雲から質問がされる。
イアラ、鬼優、ShinGen、東雲……そう。今の俺はガチ陰キャではなく日本一のアイドルの方の九頭竜倫人として【アポカリプス】のメンバーとの練習真っ只中だった。平日の夜にも軽く練習があったりするが、土日は1日中がっつりとをやり込む。今いるこの【アポカリプス】専用練習場にて。
が、普段とは異なる練習風景が今は広がっていた。練習途中で休憩中でないにも関わらず、皆が足を止めて俺を取り囲む……。とは言え無理もない。いつもの俺なら、練習中にミスをすることなど滅多にないからだ。
しかし、今日は違っていた。皆と息を揃えて同じステップを行う基礎の中の基礎錬、それでミスを連発していたのだから。
「悩み……って訳でもないんだ。だからあまり気にしないでくれ」
東雲が代表して皆の気持ちをまとめた質問に、俺は静かに答える。【アポカリプス】内での九頭竜倫人のキャラは完全無欠のクールボーイ、それはメンバーの皆といる時も変わらない。さっき「おちゅちゅけ!」って噛んでたけど。
「悩み……という訳でもない、ですか」
「倫人ォ!! てめェついこの間もそう言ってたじゃねェか!」
「そーそー。アーちゃんこんなに長続きするならそれは悩みなんじゃないかなー?」
「そうだぞ。どんな些細な悩みであっても俺達には言ってくれよ」
……なんて素晴らしい仲間なんだ。
ミスを連発し足を引っ張っていることを叱責するのではなく、俺の悩みを解決してくれようと手を差し伸べてくれる。やっぱりこいつらは最高だ、ありがとう。
でもごめん。本当に悩みとかじゃなくて……寧ろ今は怒って欲しいくらいだ。
だって俺日本一のアイドルなのに、女の子のことばっか考えてるもん! アイドルにあるまじき軟弱者だぞ今の俺!
今はあの黒髪清楚系正当派美少女のことを、そしてついこの間は幼馴染のことを、うわーこれ皆に知られたら確実に幻滅されるわ俺……。口が裂けてもこの事実を言う訳にはいかない。
「本当に何でもないんだ。皆心配してくれてありがとう。練習に戻ろう」
「本当かァ倫人ォ!? 次ステップズレたらマジでブン殴るぞォ!!」
「まぁまぁイアラ君。ともかく、あなたがそう言うのなら僕は信じますよ、倫人君」
「分かったー! じゃー練習また頑張ろーね!」
「倫人がそう言うのなら俺も気にしないけど、本当に何かあったらいつでも言ってくれよ?」
うぐっ! 皆からの全幅の信頼の瞳が痛い……。
今この場にいるカス野郎は俺だけだ……。本当にすまない皆……。
その日、俺は胸に罪悪感が刺さったままだったが、見事に練習をやり切って新曲の振り付けを身体と頭に刻み込んだのだった。
「ふいー疲れた……」
「コラァShinGen!! 俺様に寄りかかって来るんじゃねェ!!」
練習も終わり、時刻は20時を回っていた。
練習に疲れたShinGenがイアラにおんぶして貰う、その日常風景を眺めながら俺も帰り支度をする。……あの2人も映像化したらかなり売れそうな気がするな。
「あ、そう言えば倫人君」
「どうしたんだ鬼優?」
「倫人君がイメージキャラを務めている化粧水、売れ行きが凄く良いみたいですね」
「そうそう。【アポストロフィ】だったよな。俺も驚いたぞ」
イアラがShinGenの子守をしている間、そんな話題が俺と鬼優と東雲の間で行われる。
そういやそうだったな。俺の巧妙なステマもあって【アポストロフィ】は今もなお売り切れ続出、大手化粧品会社からもジョニーズに追加の謝礼が届いたんだっけか……。
「確かツブヤイターのある呟きが発端だったんだよなあれ」
「そうですね。僕も動画を見ましたが、あの変化は凄いですね。形容しがたいほど不細工な方が、あの化粧水を使い続けたことで倫人君のような見た目になるなんて……」
「別人みたいだもんなあれ。っていうかあれ? 鬼優ってツブヤイターやってたのか?」
「まぁ僕から何かを呟く訳ではありませんが、強いて言うなら情報収集と人間観察の為でしょうか。あの世界にいる方達はとても"面白い"ですから」
「ふぅん……変わった使い方してるな」
2人の会話を聞きながら、俺も東雲の意見には同意見だった。
鬼優とは【アポカリプス】のメンバーとして切磋琢磨し合い、同じ釜の飯を食った仲ではあるが……。しかし、未だに計り知れない部分がある。実力的な意味ではなく、性格的な意味で。
「売れ行きが好調なら俺は嬉しいよ。事務所にも化粧品会社にも顔向けが出来るし、期待に応えられたんだからな。だけど本音を言うと、俺の中ではあの売り上げラインでようやく妥協と言った所だな」
「おぉ……流石ストイックだな倫人」
「それでこそ倫人君です」
それはともかく、俺はすかさず意識の高さをアピールする。日本一のアイドルとして当然感を出して、皆からのリスペクトを集める……やっぱり俺ってば天才ね!
【アポストロフィ】の話題もそこそこに、俺達は帰路に着く。ShinGenは結局あのまま起きず、イアラにおぶられたまま帰宅。東雲は研究用の作品を借りるためにレンタルビデオ店に寄ると言って1人で帰り、結果俺は鬼優と駅までの道を歩くことになった。
「倫人君は、本当に凄いですね」
「俺が、か?」
歩いていると、ふと鬼優がそんなことを言い出す。俺はとぼけたような振りをしつつも、心の中では当然だろとドヤ顔をかましてはいるけど。
「あなたはやはり名実共に"日本一のアイドル"だなと、改めて思いました。今日の練習でも不調が一転していつものキレをすぐさま取り戻していましたし、CMを担当した商品は爆売れしてますし、しかしながらそれでもまだまだ高みを目指すその精神性、本当に僕は尊敬しています」
「……そうか。そんな風に思ってくれてありがとう、鬼優」
「いえいえ。あなたを見てそう尊敬しない人はいませんよ」
ゲハハハハハハハハ!! あぁ~自己承認欲求が満たされていくゥ~!!
人に褒められるのはいつだって嬉しい。それが同業者でしかも仲間であれば尚更嬉しい。さぁもっと褒めてドンドン褒めて褒め言葉フルコンボだドン!
「時に、これもツブヤイターで知ったのですが」
「あぁ」
「私立秀麗樹学園に、倫人君と同姓同名の男子生徒がいるみたいですね」
「……」
……あれ? おかしいな。
なんか今……鬼優に触れられてはならない部分に触れられた気がする……。
「そ、そうなのか……?」
「はい。ツブヤイター情報によれば漢字も一緒。しかしながらその見た目は醜悪でとてもこの世のものとは思えないとか……。あなたとベクトルは全く逆ですが、この世のものとは思えない容姿という点は似通っていますね」
ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい。爆速の心臓の鼓動に合わせて心の中で俺はヤバいを連呼する。
まさか……鬼優の奴は……気づいているのか……?
完全極秘の……この俺のプライバシーに……。
ガチ陰キャが日本一のアイドルであることに……!?
「倫人君……」
気がつけば、俺は妖しく瞳を輝かせる鬼優に圧倒され、壁に押し付けられていた。
「君は……」
ついでに何故か顎クイも決められている。が、そんなことは気にはならない。
今はもう、鬼優の整った顔立ちが何を言い放つのか。それだけが気になっていた。
沈黙。沈黙。そして沈黙──どれだけ見つめ合ったのかと言う所で、遂に鬼優は口を開く。
「──まぁ、ツブヤイター情報を鵜呑みするほど僕も愚かではありませんよ」
「……え?」
「まさか、本気で信じてると思ってたんですか? それはないですよ。あなたのプライベートは完全非公開ですし、そもそも顔が違い過ぎますから」
鬼優は優しく微笑むと「驚く倫人君は可愛かったですよ。では先に失礼致します」と駅の方に向かって行った。
よ、良かった……バレてなかったぁぁ……!
そ、そりゃあそうだもんな! 鬼優ほどの聡明な奴がツブヤイター情報を信じ込むなんてことはあり得ないからな!
「ってことは、優木のあの言葉も気の所為だったってことだな……あっ」
バレていなかった安堵から、俺はうっかり言ってはいけない名前を呟いてしまった。すぐさま周囲を確認するが誰もおらず、それで再び胸を撫で下ろす。……これ以上は危ないな。どこからボロが出るか分からない。倫人あなた疲れてるのよ……。
口にマスク、目にサングラス、そして頭にニット帽、身バレ防止三種の神器を装備すると俺も帰宅の途にようやく着いたのだった。




