黒髪清楚系正当派美少女
「閑古鳥……なんかじゃなかった……」
それは口から自然と漏れてしまった言葉だった。声もガチ陰キャとしてではなく日本一のアイドルとしてのものだった。
その理由は、魅せられたからだ。普段は素性がバレないように声色まで変え切ってる俺が、それを忘れさせられる程にまで魅せられていた。
閑古鳥ではなく、名も知らない1人の女性の歌声に──。
そうなると、もう俺の好奇心は止まらなかった。
【アポカリプス】のメンバーで日本一のアイドルの名を欲しいままにする俺・九頭竜倫人は、職業柄もちろん多くの一流アーティストとも関わりがある。ソロもグループも問わず、数々の歌声を生で聞いて来た。
さらに言うと俺自身だって【アポカリプス】はおろかジョニーズでもトップクラスの歌唱力を持っている。舌が肥えるならぬ耳が肥えるというべきか、ともかく生半可な歌声じゃ俺の心は震えない。……そのはずだった。
だけどあの閑古鳥、もとい謎の女性の声に……俺はいとも簡単に魅せられた。冬の寒さなんて可愛い程の寒気が全身を走り、心が震えた。
お弁当箱も箸も手から屋上の床に零れ落ちたが、もうそんなことどうでも良かった。俺はとにかく歌声のする方に向かって、ゆっくりと歩いて行く。抗えない興味ともっと聞きたいという願望だけが、身体を突き動かす。
ゆっくり、ゆっくり。無駄な動きで雑音が生まれ、今のこの綺麗なハーモニーが乱されないように。俺は人生でかつてないほど慎重に歩く。徐々に歌声が大きくなり、女性に近づいているのが分かる。
──そして、その瞬間は訪れた。
「ラララ~♪」
言葉ではないただの歌声。
それを鈴の音のような綺麗な歌声に仕立て上げる女子生徒がいた。
屋上の中でも珍しく雨風を凌げる屋根付きのスペース。その中にいる彼女の姿に俺は見惚れる。
真っ直ぐに腰まで下ろされた髪は漆塗りのように綺麗な黒に染まっており、またほんの少しの乱れもない。細く華奢だがスラッとした手足が印象的でこれだけでも他の女子とは一線を画する。角度が角度なので横顔しか見えないが、それだけでも十分に分かる程の整った顔立ちなのが伺える。
正面から見てみたい。彼女の歌っている様を特等席で見てみたい……欲望と好奇心が身体を動かし、遂に慎重の壁を踏み超える。
「っ……」
思わず声を出しそうになった。
正面に回り込んだ俺が見たのは紛うことなき美少女。その目鼻立ちは予想を遥かに超えて綺麗だった。まさに黒髪清楚系正当派美少女と言うしかないその容姿は、俺の目に疑いがなければこの秀麗樹学園で歴代最高とされる甘粕清蘭に匹敵するほどのものだった。
いや……現時点で言えば、ある種清蘭を超えていると言っても良い。目で惹きつけられ、そして一番は何と言っても耳が魅了されているのだから。正面に回ったことでダイレクトに届くようになった彼女の歌声に、俺はますます心を掴まれる。
爽やかに吹き抜ける風のように透き通った声質、かと思えばしっかりとした芯もあってオペラを聞いたような重厚感が耳に残る。矛盾し本来は同居することのない2つの要素を兼ね備えたその声は神に愛された……つまり天性のものでしかないと断言出来る。あの優れた容姿が添え物程度にしか思えないほど、彼女にとっての最たる武器は歌声だった。
運良く僕はそのゴッドブレスをずっと堪能出来た。集中しているからか癖なのか、歌っている間の彼女は目を瞑り続けていたからだ。もうここは寒空の中なんかじゃない。女神の奏でを聞くことが出来るエデンの園だ。
すっかりと酔いしれていた俺だったが……その時間にも終わりが訪れる。終末の笛……などではなく昼休み終了を告げるチャイムによって。
瞬間、ハッとしたような彼女は歌うのを止めて瞼を開ける。当然、目の前の特等席で聞いていた俺にも気付いて……。
「──きゃあああぁあああぁああああぁぁあああっ!!?」
「──うわあぁああぁああぁああぁあぁぁあああっ!!?」
予想通りに悲鳴を上げ、予想以上に鼓膜をぶち破るような声量に俺も叫んでしまったのだった。
「あっ、ああぁああっあなた一体いつからそこに!?」
「すっ、すみませんっ! ぼぼっぼぼ僕は決して怪しい者じゃないんです!」
危ない……何とかガチ陰キャの方に切り変えることに成功した。
けど、そりゃあこんな反応されるのも当然だ。歌うのに夢中になってたら、目の前に見知らぬ男子が座って聞いていた……ってあれ? ひょっとしてこれ僕相当キモいんじゃ?
「そんなのどうでも良いんです! 問題はいつからそこにいたのかってことです!」
「え、えっと……5分前くらいからです……」
「とっ……ととっということは……わっ……わわわわたし……のっ……うっうううぅう歌を聞いてたんですか……?」
血の気が引いていく彼女に、僕は恐る恐る頷く。
するとますます顔は青ざめて、彼女はへなへなとその場にへたり込んだ。呼びかけても反応がなく、糸の切れた人形のように動かなかった……が。
「うぅ……酷いです……私の……初めてを奪うなんて……」
声に涙を込めて、瞳に涙を溜めて、彼女は上目遣いで僕にそう言った。うん、可愛い。
ってそれよりも! どういう意味なんだろうか今の言葉……? 初めて? えっ?
「あ、あの……一体どういう意味ですか……?」
「そのままの意味です! あなたにはいつか責任を取って……あれ……?」
怒り出しそうな雰囲気だったが、何かに彼女は気づく。
僕の顔をジロジロと覗き込んで「あれ……あれ……?」と自問自答するような呟きを繰り返した後に、あることを尋ねて来た。
「あなた……ひょっとして……甘粕さん達の勝負に勝った……九頭竜倫人さんですか……?」
「え……アッハイ」
「…………」
「…………」
咄嗟に答えた後、2人の間に沈黙が走る。
聞こえるのは冬空の風の寂しい音だけ。また糸の切れた人形のように固まってしまった彼女に僕も無言のまま固まらざるを得なかった……が。
「きゃああぁあああぁあああああぁああごめんなさいーーーーーっっっ!!!」
突如、大声で謝罪の言葉を叫ぶと彼女は脱兎の如く僕の前から姿を消した。
「……えぇ?」
屋上に1人となった僕に、正真正銘の閑古鳥の鳴き声が聞こえたのだった。




