閑古鳥のハーモニー
「おっはよぉ! 倫人っ!!」
「……ぉ、ぉはょぅございます……」
朝の教室、入ってくるや否や僕の姿を見かけた甘粕さんは元気良く挨拶をして来た。周囲の取り巻き(特に男子)の恨めしい視線も感じつつ、僕は小声で返事をする。
──チッ、このカス女が。何がおはようだ、こちとら昨日は新曲のレコーディングにダンスの打ち合わせだったりと死ぬほど忙しい日曜日だったんだぞ。だから始業前の15分間を利用してのすやぴタイムで睡眠を取って気持ち良く1時間目を迎えようと思ったのに……空気読めやカスが。
心の中で俺はそう毒づきつつも、表情には一切出さない。そんなの当然だ。今の俺は"日本一のアイドル・九頭竜倫人"ではなく、"同姓同名なだけのガチ陰キャ・九頭竜倫人"なのだから。
4傑を含めた清蘭との死闘も終わり、何とか素性もバレずに取り戻した平穏な日常。それを凡ミスで失う俺ではない。
「とりあえずねー、881プロと正式に契約になったから、あたし!」
おっと、そうだった。平穏な日常を取り返したと思ったけど、周囲は激変したんだったな。
清蘭との勝負に勝ったことで周囲からのカスみたいな陰湿ないじめも侮蔑もなくなったけど、一番変わったのは清蘭本人か。
これまで神に愛されたようなルックスの持ち主であった我が幼馴染は、俺との勝負に負けた悔しさ(?)から芸能界を志すようになった。しかも土俵は俺と同じアイドル。そうだった……土日の仕事の忙しさとかですっかり忘れてたけど、遂に清蘭もこっちの世界に入って来るのか……。しかもわざわざ俺の所属するジョニーズに対抗するべく、別の大手に所属するとかなんとかみたいなこと言ってたな。
それで、881プロと契約か。881プロね、なるほど……。……ん?
「ぁ、あの甘粕さん……?」
「ん? 何? 言っとくけど、今更止めたってもう無駄よ! あたしはアイドルになってあんたを超えてやるって決めてんだから! じゃ、そっそれだけ言いに来たし! あ、あたしあんたの顔面の酷さにそろそろ限界ヴォロロロロロロっ!!」
「うわーーーっ!! 甘粕さんが吐いたぞーーーっ!!」
「きゅ、救急車ーーー!! メディーーーックっっ!!」
「だがゲロすらも輝いているッ! そこにシビれる憧れるゥ!!」
……最悪、ゲロを俺の机にぶちまけやがった。相変わらず不細工を見過ぎると吐いちまうのか。
生憎だが清蘭、ファンの中には見るに堪えないカスみたいな顔面の奴もいる。特に男性ファンなら尚更な。とりあえずお前その癖治しとかないとサイン会とかで色紙にゲロで名前書くことになるぞ。絶対治せよ。
そう忠告してやりたいが、既に清蘭はゲロと泡を吹いて瀕死だ。後で伝えておくとしよう。……まぁゲロ以上にマズい事態があるんだがな。
清蘭、あのな。
ジョニーズのライバル事務所は……565プロなんだ。
ちなみに881プロはな……今にも潰れそうな超弱小事務所だぞ……。
「ふぅ……ここまで逃げれば大丈夫か……」
平穏な日常を取り戻したはずなのに、俺は逃げるようにして屋上に来ていた。
それもこれもあのカス女がゲロを吐き散らしたからだ。常識的に考えて人の顔を見てゲロ吐く方が圧倒的に悪いはずだ。なのにクラス中に漂う「甘粕さんを吐かせたお前が悪い」という雰囲気が半端なかった。これが人徳の差……いや狂信者だろどう考えても。
昼休み、クラスメイトの雑談を聞きながら食べるぼっちランチにもすっかり慣れ切ったから教室で食べたかったのに。どうしてわざわざ5階まで足を運んで屋上なんぞに来なきゃいけないのか……。無駄に疲れた。
「よっこらせっと」
日本一のアイドルとは到底思えない声を出しながら俺はとりあえず座った。
見上げれば広がるのは真っ青な空に輝く太陽。雲一つないが流石にまだ1月末の寒空だ。春から秋にかけて盛況を見せる秀麗樹学園の人気スポットも今は俺以外には誰もいない。
まぁ時にはこんな風に食べるお弁当も乙……な訳ないだろ寒っ!! やっぱ屋内に帰ろうかな……せっかくの昼食も冷めちまうし……。
「~♪」
おぉ、閑古鳥の鳴き声か……。寒さに震える俺を励ましてくれているのだろうか、そうだとしたらありがとう。俺はあと少しでここから去る。君もどの鳥か分からないけど厳冬になる前に早くここから去りな……。
「~♪」
むぅ、なかなかの頑固者だな。寒さを意にも介さず、自らのメロディを奏で続けるか。
良いだろう。そっちがその気なら俺だって負けねえ。"日本一のアイドル"は、どんな勝負も受けて立つし、どんな勝負にも勝つぞ!
俺は閑古鳥の調べを聞きながら弁当を開く。俺特製のハンバーグ弁当だ。うーんデミグラスソースの芳醇な香りが食欲をそそる!
「頂きますっ!」
寒さで震える手を必死に合わせ、食材への感謝を込めて叫ぶと俺は食べ始める。
うーん不味い! もう1個! そう言いたくなるくらいの素晴らしい出来だ。しかし屋外にいたせいで冷めてしまってもいる。これが室内の暖房が効いてる中なら十全な味を堪能出来ただろう。ますますクラスメイトのカス共が恨めしい。あいつら全員一斉にノロウイルスにかからないかな。
「~♪」
そんな俺の荒んだ心を励ますかのように、閑古鳥の鳴き声は続く。
おぉ……なんて優しいんだ……! 閑けさや岩に染み入る蝉の声という松尾芭蕉の句があるが、作り変えるなら 閑けさや俺に染み入る鳥の声優しいありがとう(超絶字余り)という感じだな……。
寒さは厳しいが、それ以上にこの閑古鳥の優しい歌声に心温まる……。これは無事に昼食を完食出来そうだ。
……そう俺は考えていた。
だが、それは間違いだった。
俺は昼食を全部食べられなかった。
それは寒すぎたあまりに手が止まったから、じゃない。
寧ろその時の俺は……寒さを忘れていた。いや──寒さを忘れさせられた。
耳を傾け味わっていた閑古鳥の声に、俺は魅了されたのだ。
その中で気づいたことが2つあって。
1つは、それが鳥の声ではなく人の声だったことと。
──もう1つは、それが女性の声だったことだ。




