決着から1週間して──
「おはよー」
「週末のテストめんどいなー」
「それよりもオーディションに向けて頑張っていかないとね!」
「今週末新曲の打ち合わせすんべー!」
教室の中でジャンルを問わない雑多な会話が流れていく。朝の挨拶に始まり、学生らしく学業の話、そして秀麗樹学園らしく芸能関係のそういった話とか。
もちろんとっくに慣れたもので僕は右から左に聞き流していくんだけども、ジャンルを無視した会話の中で1つだけ統一されたものがあって。
「よっしゃあぁああぁあ!! ようやく買ってやったぜーっ!!」
「おぉ、遂にか!」
「これで俺もこのブサメンから解放され、倫人様のような超絶別格イケメンになるんじゃーーーいっっっ!!」
そう高らかに叫ぶ男子の様子を僕は机に突っ伏したままでも想像出来る。たぶんこの上ない喜びようで、とある男性用化粧水を持っているはずだ。
僕と甘粕さんの直接対決から今日で1週間が経った。あの時の勝負の行方は……まぁ後にして、とりあえず何故クラスメイトの男子生徒が歓喜の舞を踊っているのかについて触れよう。アイツが持っているのは、九頭竜倫人がCMを担当する男性用化粧水だ。
──まぁもちろんそれは僕ではなく俺のことだ。俺と清蘭の決戦の翌日に新発売となった男性用化粧水……その名も【アポストロフィ】。俺の所属する【アポカリプス】と掛けた商品名で発売元は某大手化粧品会社、当然日本一のアイドルである俺をCMに起用したことから売り上げも大いに見込める新商品だった。
だが……甘い。甘いぞ某大手化粧品会社が。まだ未成年だからって俺を侮り、ギャラも大してくれなかったカス共がよ。
俺が本気を出せばどうなるか──それをあの日に思い知ったのは秀麗樹学園のカス共だけじゃなく、某大手化粧品会社のカス共も同じだった。
清蘭との直接対決の際、俺は素顔を晒した。ガチ陰キャの方の九頭竜倫人だと皆が認識し見ている中で、日本一のアイドルを包み隠さずに露わにした。
その情報はすぐに拡散された。僕が俺であることもバレて、平穏無事な学校生活も終わりを告げた……と、普通ならそう考えるだろう。
しかし当然そんなヘマを俺がするはずがない。あの時俺は清蘭に勝利しつつ、俺だとバレない為の布石を打っておいたんだ。
それがあの【アポストロフィ】だ! 拡散された情報というのは"僕が俺だとバレた"情報ではなく、"【アポストロフィ】を使うとこんなにも大変身出来る!"という大改造超劇的ビフォーアフタ―な情報だったのだ。
そうして拡散された情報は瞬く間に日本中に広がり驚きの声が各地で上がった。結果、【アポストロフィ】は発売初日からあらゆる店舗で売り切れが続出。発注は当初の予想を大幅に超えて26倍もの注文が殺到し、今某大手化粧品会社はヒィヒィ言っているらしい。いい気味だギャラを渋ったカスが。
「うおおおおおおおおおおっ!! これで俺も倫人様だぁああぁぁぁああ!!」
「ヒャッハー!! 汚物は消毒だあぁああぁああぁああぁっっっ!!」
「てめえ誰の顔が汚物だコラぁあぁぁぁぁぁああぁっ!!」
醜いな、カス共の争いは。まぁクラスメイトを含めてこの学園に通う全ての男子生徒は【アポストロフィ】を買ってくれている。俺の金に還元してくれているのだから感謝といこう。
とは言え【アポストロフィ】を使った所で顔面が遺伝子組み換えレベルで変わる訳がない。来世にワンチャン願うか大人しく整形でもしとけ不細工が。
「それに汚物と言えば俺よりも九頭竜の方が──」
「オイッ! それはやめとけ!!」
「っ……!」
取っ組み合いの最中、突如男子2人の雰囲気は変わる。
これも突っ伏したままで見てないが、どんな顔をしてるのかは分かる。非常にばつが悪そうにしているはずだ。それは2人だけでなく、2人のやり取りを見ていた奴ら全員だろう。
さて、じゃあここで清蘭との直接対決の話について触れよう。
秀麗樹学園一の美少女・甘粕清蘭
日本一のアイドル・九頭竜倫人
モデル対決の勝敗は…………──俺の勝ちだった。
俺と清蘭を除いた998人による投票は俺が972票、清蘭は26票という結果に終わった。
恐らく、これは甘粕清蘭という少女にとって初めての惨敗だと言えるだろう。俺としては本気を出した俺から26票ももぎ取ったのは凄いことなんだが、しかし観客の立場であった他の生徒の目からは圧倒的敗北にしか映らないだろう。
投票して俺を勝たせたのも、清蘭を負かしたのも自分達。先ほど俺を悪く言おうとして止めたのは勝った俺に対して以上に、清蘭の顔に泥を塗る行為だったからだ。
「……」
妙な沈黙が流れる。
確かに俺は清蘭に勝利した。4傑という強敵の対決を乗り越え、辿り着いた頂きで学園最高峰の少女に圧倒的勝利を収めた。
勝った翌日から壮絶な侮蔑の言葉も蔑視の目を向けられることもほとんどなくなった。革命を、起こしたんだ。
だが、こいつらはまだ若い。そう簡単に気持ちが切り替えられることも出来ないだろう。まぁそこは寛大な俺だ。許してやろうカス共が。
俺が心の中で唾を吐きつけた所で、教室の扉が開く。
それ自体は珍しくはないが、入って来た人物に皆は目を丸くした。
「……甘粕……さん……」
誰かがその名を口にする。突っ伏していた俺、もとい僕もそれを耳にして顔を上げる。
扉付近に立つのは、今日も類まれな美貌を魅せつける甘粕さん。だけど、その目もとは赤く腫れあがっていた。
芸能界を志し、数々の挫折を味わったこともあるクラスの皆ならその理由は分かるだろう。甘粕さんは……悔しくて涙を流していたということを。僕との対決に破れてから1週間、ようやく登校してきた秀麗樹学園のアイドルの心中や如何に。
「……おはよ」
と、思ってたらいきなり仕掛けてきたんですが。近いし怖いです甘粕さん。
「ぉ……ぉはょぅござぃぁす……」
とりあえず今日も今日とて僕はガチ陰キャムーブをしていく。余計に甘粕さんの怒りを買わないか心配だけども……。
「……【アポカリプス】の所属事務所って、どこ?」
「ぇ……?」
声に出したのと同じ言葉が心の中でも漏れる。
1週間ぶりに登校したかと思えば、急に何を言い出すんだ? 僕もとい俺との電話もメッセージも、一切の連絡手段を断っていたこともあって休んでる間は何を考えてるか分からなかったし……。
「ぇ、ぇっと……ジョニーズですぅ……」
それはそうとして俺《僕》は質問に答えた。
この学園で【アポカリプス】の所属事務所を知らないなんて言ったら1+1の答えが分からない以上に馬鹿にされる。現に清蘭は知らなかったが学園のアイドルに物申せる者はいなかったので、ずっと知らないままだった。
それをここに来て何故聞き出す? 自己中心的過ぎて他の存在など気にも留めないようなカス女が……何故? ホワイジャパニーズピーポー?
「そう……分かった」
清蘭は静かに返事をすると、おもむろに自身の携帯電話を取り出す。そして誰かの電話に掛けた。誰もが沈黙し注視をする中で、「はい。じゃあお願いしまーす」と何かを頼むような言葉を言うと、電話を終え……何故かドヤ顔をぶちかます。
「ふっふっふ……あはははははははははははっ!!」
え、なんすか。急に笑われたら僕じゃなくて俺でも怖いんだけど。
俺どころかクラスメイト全員が唖然とした顔をする中で清蘭は高らかに笑い続ける。え? 遂にバグったんですか? そう思っていると、突然机に両手をバァンとついて叫んだ。
「これであんたも終わりよ! 九頭竜倫人ォ!!」
「ぇっ……?」
え? 終わり?
えっ……えっ……?
「"男子、三日会わざれば括目して見よ"という諺があるよね。だけど、それが男子だけに限った話だと思いこんだあんたの負けよ!」
えっ? 何?
ちょっと清蘭さん、マジで何言ってるのか分からないんですが。
「あんたの敗因は、あんた自身の慢心……。1週間もあたしを放置したのを後悔しなさい!」
いやあの、1週間毎日励ましのメッセージとか電話とかしようとしたのにそれをガン無視し続けたのは紛れも無いあなたなんですが。
俺であれば言えることも今は僕なので黙することしか出来ない。
一体清蘭は何が言いたいのか──その答え合わせは、突然訪れた。
「覚悟しなさい! あたしはこれから──アイドルになるわ!!」
……その後のことは、あまりよく覚えていない。
クラスメイトの皆も言葉を失ったのか、それとも絶叫の輪に包まれたのか。
少なくとも俺は清蘭の宣言の衝撃のあまり、気絶してしまったことは確かだ。
……うーん。
今もなお、気持ちの整理はつかない。
ずっとずっと変わらなかったあのカス女が。
俺が芸能界に入っても、井の中の蛙やお山の大将で在り続けたあのカス女が。
まさか俺と同じようにアイドルを目指すとは。
……ったく。どうなってんだよ。
俺が魅せたかったのに、俺と同じ立場になるなんて。
……まぁ、色々と言いたいことはあるけれども。
とりあえず最初に言いたいのは
「そんな告白をされても、俺は日本一のアイドルなんだが」
だ。