これが──"九頭竜倫人"だ。
「モデル対決1人目……甘粕清蘭さんの出番が終わりましたがっ、なんという歓声と拍手なのでしょうかっ!!」
「彼女がキャットウォークを去ってから既に1分は経っていますが、鼓膜が破れそうな程のスタンディングオベーションっ!! いやもう正直言ってうるせえッ!! だけどそれも納得、私は今この上なく素晴らしい彼女の姿を拝めて、多幸感すらも覚えていますっっ!!」
「4傑の皆さんのカメラを見ても、彼らからも惜しみのない拍手が送られています! しかし、納得する他に無い!! 何故なら今僕達が目撃したのはこの秀麗樹学園一の美少女である彼女の、真骨頂だったのだから!!」
「これまで数々の強敵と戦った九頭竜倫人君、しかしこればかりはもう不可能だ! まさに天使と言えるような可愛さで会場の心を鷲掴みにした甘粕さんの前に、敗北は必至だぁああぁああああああ!!」
興奮の坩堝と化した会場の中で、司会2人の声が高らかに響く。
聞こえて来た言葉、いや最早勝利宣言と言うべきか。ともかく、それに俺は半分賛成で、半分反対だ。
確かに清蘭は凄かった。この会場にいる者全員を魅了し、心を掴み、虜にした……。この俺だってその1人だ。
甘粕清蘭という金の卵は遂に殻を破り羽ばたいた。その瞬間に目の前で立ち合えたのは、ある種幸運と言えるかもしれない。……全く、本当に凄い奴だよ清蘭はよ……。
ここまでが賛成の気持ちだ。
残りの気持ち、反対の部分をまとめて言葉にするなら……
「それでも、勝つのはこの俺──九頭竜倫人だ、カス共」
「九頭竜君まだですかね?」
「服選びに時間がかかっているようですね。まぁ甘粕さんがあれだけ人々を魅了したのだから無理はないでしょう」
「そうですねえ。ただでさえヘドロを煮込んでゲロとかうんこをぶちまけたみたいな顔をしてるから、ルックス方面では完敗……っていうか勝負にすらなってないですね」
「ですよね! だからこそ服で一発逆転を狙っているのでしょうけど……お?」
何気ない会話で場を繋いでいた司会の2人があることに気が付き、上を見る。2人だけじゃなく、その場にいた全員が。
見上げた先に広がるのは夜の闇。そしてそこからぽつぽつと降り注ぐ冷たい何か。
次第に強まっていくそれは、疑念を確信へと変えていく。アリーナの天井の開いた部分から降り注ぐそれが、雨であると。
「うわー雨強い! 冷たい……ってか寒い!!」
「とっくに夜だし季節も季節だし! うわあぁああ九頭竜君早くしてーーー!!」
会場の皆の気持ちを司会2人が代弁する。強い雨に見舞われ、寒さのあまり会場中は阿鼻叫喚の嵐に包まれた。
その叫び声を聞きながら、九頭竜倫人はほくそ笑む。
感動の熱が雨ごときで冷まされてしまうのなら……お前はまだその程度だ清蘭、と。
「うばばああぁああ雨止め雨止め……あっ」
司会の1人が騒ぐのを止め、ステージの奥に意識を集中させる。
騒いでいた内に、控え室の扉が開いていたことに気がつかなかった。
開いた扉の前に立つのは、漆黒の衣装に身を包んだ男。
堕天使を思わせるそれを見事に着こなすその男は、本当にこの宵闇広がる天から雨と共に降り立ったようにも思えた。
「あ……あれ……」
「本当に……九頭竜なのか……?」
司会に続き、観客の生徒達も徐々に彼の存在に気づいていく。
何故か……この時既に、全身を襲う寒さを皆は忘れていた。
身体中に迸るのは熱。冬の夜の雨に打たれ感じるものとは全く逆のもので。気がつけば、雨を浴びながらもそれを一切気にせずに男の姿に見惚れていた。
……それは予感だった。
同じように雨に打たれながらも静寂を纏い佇むこの男が。
奇跡の勝利を収め、革命の灯火にならんとしたこの男が。
たった今から──真の姿を魅せる、という。
「……行くぜ」
雨の音にかき消されるも構わず、男は呟く。
濡れてしまいビチャビチャになった髪を手でかきあげ、視界をクリアにする。凛とした目つきで捉えたのはこれから自分が魅了する者達。
それらをしっかりと見据えると、男は口元を緩ませる。これからこのカス共が自分に心を奪われるのを想像すると、おかしさと嬉しさが込み上げてきたからだ。
「見とけカス共。これが──"九頭竜倫人"だ」
そう言い放つと、九頭竜倫人は悠然と歩き出した。
濡れて滑る危険性もあるランウェイを、澱みのない足取りで進んで行く。足を取られることなど何とも思っていない、堂々とした歩みを魅せる。目をこすり、降りしきる雨の中で観客の生徒達も倫人の勇姿を見逃すまいと注視する。
──嘘でしょ。
──嘘だろ。
生徒達の間に一斉に走ったのは、そんなシンプルな感想だった。
これまで死に物狂いで戦ってきたのは九頭竜倫人だ。吐き気を催すような不細工面を見せながらも、全力で戦ってきたガチ陰キャを見ていた。……そのはずだった。
しかし……こうして自分達の目に映るその顔は……知らない者などいないあの顔。
日本一のアイドルグループ【アポカリプス】のメンバーにして、日本一のアイドルの名を欲しいままにする男。名前は同じだが、その顔は清蘭以上に神に愛されたと言っても過言ではない人類史上最強のイケメン──九頭竜倫人。彼そのものの顔だった。
清蘭の時は会場全体が揺れる程の歓声や拍手に包まれた。
だが今は打って変わって、会場を支配するのは雨の音だけ。誰もがガチ陰キャではなく、日本一のアイドルとしての九頭竜倫人に見惚れ、言葉を失っている。
それを見ながらも、倫人はただ自分の為すべきことを淡々とこなす。自分が九頭竜倫人でいること、それだけに集中する。ひたすらペースを乱さずにランウェイを歩き、中央ステージに着けば少しポーズを取り、帰りは行きと同じように悠然と歩を進める。
そうして、何の熱狂もなく倫人の出番は終わった。
今日一番の歓声と拍手を巻き起こした清蘭の勝利であることは疑いようもない。
しかしそれは表面上だけ見れば、に限った話だ。
倫人の番が終わり、会場は未だ沈黙に包まれていた。……が、1人1人の胸に湧いてくる感情は驚きではなく、感動だった。
九頭竜倫人の姿を、目の前で、しかも生で見れたこと。
その事実を噛みしめ、強い雨に打たれていようともその熱は一切冷めることはなく。目の奥には彼の姿が思い浮かんできて。
……気がつけば、身体は自然とその行動をしていた。
心は何の躊躇いもなく選んでいた。
今はもうこの場にいない日本一のアイドルに対し。
その姿を見た生徒達は──全員、五体投地をしていた。




