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夏の空はまだ高いよ


 脳裏に前日の記憶がまだ残っていた。目を閉じれば花火が打ちあがり、紺碧の空を鮮やかに染めている。隣には君がいて、ずっと聞きたかった言葉がこの耳に届いた。どうしようもなく嬉しくて、どうしようもなく悲しくて、生まれて初めて未来を切望した。君と過ごす一日一日が、二度と戻れない日々となる。今日は二度と訪れない日となってしまうのをようやく身体が理解した。


 ベッドに横になり冷房の効いた部屋でただ目を開いたまま空を見ていた。夕暮れが部屋に差し込む。電気もつけないままその体勢でどれくらいの時間が経ったのか分からない。ただ、昨日が永遠に繰り返されればいいと願っていた。しかし、まるで夢だったかのように一瞬で時間は過ぎ去った。


 私はこれから何が出来るだろうか。目的は果たしてしまった。この恋はもう、契約でも何でもない。ただの恋愛になった。愛される喜びを知って、半年後には終わる恐怖を抱いてしまった。この先、君の隣にい続ける事だけが、私に出来る残された事なのだろうか。


 まだ何かあるはずだ。君よりも先に死んではならないと私の全細胞が悲鳴を上げている。どれだけ無茶をしようと、どれだけ隠し事を増やそうとも、最後まで明日を信じていて欲しい。君が明日を信じる事によって、私自身も未来が来ると安心するからだ。二人で歩く日々が続いて行けばいい。この先もずっと、時間なんて縛られず当たり前に来ると思っていた日々を過ごしていたい。


「まだ一緒にいたい」


 呟いたと同時に机の上に置いていた携帯電話が震えた。起き上がって画面を見れば見知った名前が表示されていた。


「もしもし」


 通話ボタンを押して声をかける。電話相手はしばらく沈黙したのち、明るい声を出した。


『もしもし、緋奈ーいきなり電話してごめんね』


「ううん、良いの。大丈夫。どうかした?」


 相手は里香ちゃんだった。いつも通りの元気な声に今日は覇気がないような気がした。


『ねぇ、水縹公園って分かる?』


 知っている。君と出逢った桜の咲き乱れる公園の名だ。


「ええ、知っているけれど」


『じゃあ今からそこに行ってくれたりしないかな…』


「えっと、大丈夫だけど何かあったの?」


『うん、ちょっと…。里香のせいで蒼也困っちゃったから多分今凄い考えてると思うの。だから、緋奈が言って気にしないで良いって言ってくれないかな?里香からじゃ、もう届かないから』


 段々と尻すぼみになっていくその声が、ただ事ではないと知らせていた。私は小さな鞄に必要な物だけを入れて肩に掛けた。


「分かった、行くわ」


『うん、ありがとう。ねえ緋奈』


「なに?」


『ごめんね』


「え…」


 聞き返そうと思った瞬間、通話は切られてしまう。最後の言葉の意味が分からなくて、止まりかけた足をもう一度動かした。転がるように階段を駆け下り、出しっぱなしのサンダルに足を入れた。ここから公園までは二十分くらいだ。私は肩紐を強く握って走り出した。


 運動はあまり得意ではなかった。しかし、必要に駆られる事もなかったのでさして気にも留めていなかったのだが初めて私の足が速かったならと思った。君に会いたい。その一心で足を動かす。それでも距離は変わらなくて、私の息は徐々に上がっていった。額からは汗が噴き出る。心なしか、服が肌に張り付いている気がする。それでも構う事無く走り続けたこの足は、君がいる公園へと一直線で動いた。


 何度目かの曲がり角を曲がって、公園が視界に入った。子供はもう帰る時間で、昼間は騒がしいはずの場所は静寂で溢れていた。足音を殺すように勢いを止め、膝に手をつき息を吐いた。上がった息が苦しくてうまく呼吸が出来ない。何度も口から二酸化炭素を吐き数回に分けて深く深呼吸をする。ゆっくりと、私の心臓の音が収まっていくのが分かった。鞄からタオルを取り出し汗を拭く。制汗剤をつけ何度か自分の身体の匂いを嗅ぐ。臭くない事を確認して、私は視線を公園に戻した。


 ベンチに座った、灰色の頭が見える。もう見えない、輝く色持ったその髪は風で揺れていた。何度も頭を抱えては掻いている姿を見て声をかけるのを躊躇ったが大きな深呼吸をして二百メートル先の君に電話をかけた。


 コールの音が鳴り君は電話を見た。しかし、出ようとはしない。十を超えるコールで私は一度通話を切る。


 これは出直した方がいいだろうか。下を向いて考えるも不意に聞こえた君の声に顔を上げた。


「馬鹿みたいだ」


 小さな呟きだった。夏の張り付くような生温い風が君の声を溶かして消していく。


 それは、私に向けての言葉では無かった。自嘲染みた乾いた笑いが聞こえる。座っている君の背中が、今にも消えてしまいそうで怖くなった。目を離したらもう二度と届かないのではないだろうか、もう二度と触れられないのではないだろうかと思った私はもう一度電話をかけた。数コールが鳴った後、電話はようやく繋がった。


『も、もしもし』


 すぐ近くにいるのにずっと遠くにいるような気がした。


『立波?』


「緋奈」


『え?』


「昨日は緋奈って呼んでた」


『あー』


「もうちゃんとした恋人同士じゃなかったですか?新藤くん」


 一歩、また一歩と君に近づく。どうか、消えてしまわないようにと願いながら。


『え、あー、えっと、緋奈』


「はい」


 届く場所にいて欲しいと願いながら。


『何か用?どうかしたの?』


「蒼也くんに呼ばれた気がしたのでかけてみました」


『え…』


「なんて嘘です」


『嘘かよ』


 残り百メートル。足音を殺していく。


「里香ちゃんから電話があって、自分のせいで蒼也くんを困らせたから後はよろしくねって言われたの」


『里香が?』


 君は気が付かない。


『…馬鹿かよあいつ』


「で、何かあったの?って言っても大体予想は出来ているんだけど」


『何で分かってるんだよ』


「さあ、何ででしょう」


 残り五十メートル。私の足はそこで止まった。


「ちなみに蒼也くん、今外?」


『ああ、うん。水縹公園にいる』


「そっか、ねえ、後ろ向いて」



 驚いた様子で振り返った君が面白くて、ああ、まだここにいてくれると酷く安心して笑みが零れてしまった。固まる君に私は手を振る。通話ボタンは、とうに切れていた。


「な…んでいるんだよ」


「内緒」


 立ち上がった君は私を見た。水色のワンピースが風に揺れて私はあの日のように人差し指を唇に当てた。


 時刻は午後六時過ぎ、陽は既に傾いていて、公園内にはセミの鳴き声が鳴り響く。アブラゼミ特有の音が聞こえなくなったと思えば、少し寂し気なヒグラシの鳴き声に変わった。走った後の身体に少しだけ涼しくなった風が吹き付けて体温が下がっていくのが分かった。


 どのくらいの時間が経ったのかは分からなかったがとても長く感じられた。ただ見つめ合うだけでお互い動こうともしない。視線は互いの目をまっすぐ捉えている。視線を外したら何だか負けたような気がして、私は君を見続けた。沈黙を破り、視線を外したのは君だった。


「何で来たの」


「来たら駄目だった?」


「駄目じゃないけど…」


 言葉を濁す君の隣をすり抜けてベンチに座る。すると、君もベンチに腰掛けた。


「里香ちゃんに謝られたの。ごめんなさいって。これで終わりにするって」


「何だそれ」


「きっとあなたが困ってしまったから、自分のせいで困ってしまったから私によろしくねって言って場所を教えてくれたの」


「だからか」


 私は空を見る。もう鮮やかな赤は霞み始めている。次の言葉を待っていた。話してくれるのを待っていた。言いたくないのならそれでもいいけれど、隣にいる事でお互いに不安が少しでも拭えるのなら充分過ぎる時間だった。


「緋奈はさ、自分の選択が間違っているかもしれないって思った事はある?」


「どうして?」


 君を見てしまえば次の言葉を言ってくれないような気がして、私はこの夕焼け空を忘れてたまるものかと思いながら上を見続けた。


「さっき、って言っても一時間前くらいなんだけど里香に好きって言われて思ったんだ。ずっと里香の気持ちがただ小さな子供がお気に入りのおもちゃを取られたくないようなそんな感情で好きって言ってると思ってた」


「うん」


「だってずっとそうだったから。でも初めてあんな顔見てようやく本気だったって事に気づいた。近過ぎて気付かなかった。好かれてるのは知っていたけど、もっと早くに本気だって気付いてたら変わってたんじゃないかなって」


「変わってたって例えば?」


「例えば、もっと早く里香とは付き合えないとか言えてれば期待させずに済んだかもしれないし、なにより」


「なにより?」


「もう元通りには戻れないなんて事無かったかもしれない」


 私も彼女も、君に恋をしている。だからこそ、彼女の言いたかった気持ちが分かった。私に託した理由が分かった。君は勘違いをしている。恋をして結果が分かっていても伝えたあの子の気持ちを何一つ分かっていないじゃないか。

 

「もう遅いって分かってるし里香を選ぶことは出来ない。分かってるけど何かやりきれなくて」


 そうじゃないと思う。彼女は付き合うという考えは既に持っていなかった。ただ、このままでは君にも、私にも向き合えないから言ってくれたのだ。私と彼女が友人として関係性を持たなければ変わっていたのかもしれない。しかし、彼女の事だから正直に想いを伝えたのだろう。ずっと好きだったから、想いの終息地を見つけたかったのだ。


「人は大切な何かを得る為に他の何かを捨てていく。それはしょうがない事だと思うの」


「うん」


「でも蒼也くん、今の里香ちゃんの気持ち分かってない」


「え?」


「里香ちゃんは何で私を呼び出したのか分かる?蒼也くんがこういう風に悩んでしまうのが分かったから。昔のようにとは戻れなくとも気にして今まで通りの関係に戻れないのが嫌だったから、だから気にしないでって言う為に私にお願いしてきたんだよ」


 私はずるく小賢しい人間だ。本当なら彼女を追い越すなんて出来ないはずの人間だった。君を縛り付けた末に手に入れたこの恋が誰かを傷つけるとは分かっていても、止まる事なんて出来なかった。


 膝の上、握りしめた手がワンピースに皺を作った。何を必死になっているのかは分からなかった。彼女の気持ちが伝わっていないから?違う、そうじゃない。私はきっと私自身のずるさに嫌悪感を抱いている。恋の重みなんて皆同じなわけではない。抱いている好意も、全てが対等ではない。しかし、私が彼女から君を奪ったのは事実だ。物語が描かれるのならば私は間違いなく悪役になるだろう。小賢しくて弱みを握って自分の願いを叶えてしまった。君の隣にいる権利を勝ち取った。恋はいつだって強かでいる方が勝ち、正直でいる方が損をする。


「ありがとう」


 私は驚いて顔を上げた。視線の先で君は笑っている。


「言ってくれてありがとう、そうじゃなきゃ一生分かった振りのまま過ごしていたから」


 握りしめた手が解かれて君の手に優しく包まれた。大きな手を握ったのはこれが何度目だろう。


「うん」


 小さな返事を返す。この胸の中でうごめく最低な私を隠して君の見えない場所に埋めてしまいたい。土の底、永遠に目の触れない場所に葬って欲しい。もうどうしようもなく最低だって分かっているのだ。君と出会うまでは自分がここまで酷い人間だとは気づきもしなかった。君と出会ってからの私は幸せを知ると共に自分の醜さを思い知らされる。


 罪悪感は日に日に重みを増していく。嘘をついた。永遠にばれないように何度も何度も嘘をついた。

 一つの嘘がばれても大丈夫なように繰り返した。幾重に張り巡らしたこの嘘はいつしか自分自身まで苦しめる羽目になっていた。


 嘘が本当の恋になるなんて思いもしなかったのだ。隣にいるのに本当の事は絶対に言えなかった。一度隠した嘘をばらす勇気も無かった。


 君は憶えているだろうか。この公園で出会った、一人の少女の事を。君は気が付くだろうか。その少女が、今君の目の前にいる事を。君は知ってしまうのだろうか。私も同じ無彩病だという事を。


 嘘をついて彼女から君を奪った。結果的に気持ちが通じ合ったけれど、彼女は知りもしないだろう。私を疑う事もなく友人として認めていてくれる。


 私はずるい。けれど、もう止まれない。

 この葛藤も罪悪感も何もかも、私しか知らない感情で良い。私しか知らないままで、誰かに理解もされないままで、誰にも届かない所まで落とし、蓋をしよう。


 大丈夫だよと言った。止まぬ沈黙に終止符を打つために、絞り出したのは軽い言葉だった。大丈夫、大丈夫、私はこの先何度も言うだろう。この言葉は不思議にも、安心感を与えてくれる。本当は大丈夫なはずがない。死は一日ごとに足音を大きくしていく。しかし、大丈夫と言うだけでどこか安心するから、もしかしたらこの言葉は魔法なのかもしれない。


 真っ黒で灰色でどうしようもないこの魔法が、君に言う時だけは黄金に輝くのだ。君に言われる時だけは恋色に染まるのだ。


 だから、私は今日も言う。


 虚勢を張るだけの、口先だけの誰でも使える三流魔法を。


「大丈夫だよ」


 変えられない現実から目を背けるように。

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